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imdkm.com 投稿

書評:ポップ・カルチャーで/の歴史を語りなおすアーティスト、ジェレミー・デラーの活動を網羅した一冊。Jeremy Deller, Art is Magic, London: Cheerio, 2023.

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Amazon→Jeremy Deller, Art is Magic, London: Cheerio, 2023.

イギリスのコンテンポラリー・アートの作家、ジェレミー・デラーの作品集(というかなんというか?)で、本人による自作解説エッセイを豊富な図版と一緒に収めた大型本。デラーは2004年のターナー賞受賞者であり、日本でも結構紹介されている。最近では2021年に岡山県倉敷市にて個展(作品の上映)が行われているし、来年開催される第8回横浜トリエンナーレにも出展が予定されている。

先日ブログで取り上げた山本浩貴『現代美術史――欧米、日本、トランスナショナル』(中公新書、2019)でも、クレア・ビショップの「関係性の美学」批判の流れで紹介されていたりする(そういえば『関係性の美学』の邦訳出るんですってね。10年前、おれの学生時代からずっと邦訳の話があったのが、ついに……)。

本書には主たる作品がおよそ時系列順に網羅されていて、専門家やコラボレーター、親しいアーティストたちとの対談も収録。デラーの着想から実践までをユーモラスに、いきいきと知ることができる。特にデラーは音楽好き、ポップ・カルチャー好きには刺さるアーティストだと思うので、もし知らないという人がいたらチェックしてみてほしい。ここでは本の内容をどうこう言うというよりは、自分の好きなデラーの活動についてつらつら書いて置こうと思う。

デラーのおそらく最も有名な作品は、1980年代サッチャー政権下で起こった炭鉱労働者によるストライキにおける警官隊との衝突を再演 re-enact した《オーグリーヴの戦い The Battle of Orgreave》(2001年)だろう。イギリスには歴史的事件を当時のコスチュームなどに身を包んで再演する催しが文化として根付いていて、その愛好家やコミュニティが存在する(日本でも戦国時代とかの合戦を再現するお祭りとかあるけど、あれが草の根的に愛好家がいるみたいな感じか)。当時ストライキに参加した元炭鉱労働者に加えて、そうした愛好家たちを巻き込みながら、比較的近過去(なにしろ当事者はまだ存命である)をあたかも重大な歴史的事件のごとく再演していく。その様子は資料や記録を交えたインスタレーションや、ドキュメンタリーフィルムとして公開された。

Excerpt: Jeremy Deller & Mike Figgis, The Battle of Orgreave (2001) from Artangel on Vimeo.

デラーのアプローチは、《オーグリーヴの戦い》のように、イギリスのオーセンティックとされる歴史に近過去や現在をどのように結びつけるか? ということに要約できるように思う。そこにしばしばポップ・カルチャーが参照されるのも特徴的だ。初期の代表作である《世界の歴史 The History of the World》(1997-2004)は「アシッド・ハウス」と「ブラス・バンド」という一見つながりがなさそうなふたつの音楽を、様々な概念や社会・政治的な出来事をブリコラージュしてマッピングし、「実はこのふたつの音楽はつながっているのだ!」と主張するドローイング。ここから発展してデラーは《アシッド・ブラス Acid Brass》(1997-)というプロジェクトを実現させる。

ヘルシンキのブラスバンドによる《アシッド・ブラス》の再演。

この作品がすごく好きで、ぱっと聴いただけでも面白いし、全然ちがう二つの文脈がぶつかることで、あたかも孤立した、ないしは特定のナラティヴに囚われた文化にまた別の光が当たるのがすごく面白い(その意味では、ウィリアム・モリスとアンディ・ウォーホルを世紀と大西洋をまたいで並置しその類似点を探った《愛さえあれば Love Is Enough》(2015)も面白い。社会主義者と資本主義の権化が似通うとは)。

レイヴカルチャー(《アシッド・ブラス》)と炭鉱労働者のストライキ(《オーグリーヴの戦い》)のリンクはデラーのなかで重要なようで、Aレベルで政治学を履修する学生たち(高校生くらい)にセカンド・サマー・オヴ・ラヴの歴史を講義する映像作品《エヴリバディ・イン・ザ・プレイス 不完全なイギリス史 1984-1992 Everybody in the Place, An Incomplete History of Britain 1984-1992》(2019/リンク先で鑑賞可能)ではその関連がより直接に論じられている。学生たちの反応も良い(機材並べて鳴らして遊んでるのうらやましー。こういう授業あったらよかったな。まあ全日制の高校行ってないんであれですが……)。

しかしもっとも印象的なのは、第一次世界大戦のソンムの戦いから100年のメモリアルとして企画された作品《ここにいるからここにいる We’re here because we’re here》(2016)だろう。イギリス中の街なかに、第一次世界大戦の戦士の紛争をした人々が突然あらわれる。かれらは特になにをするでもないが、話しかけたりアプローチした人にはソンムの戦いで戦死した人の名前が刻まれたカードが配られる。パフォーマンスは最終的に、「蛍の光(Auld Lang Syne)」のフシで“We’re here because we’re here…”と合唱して、絶叫して終わる。

ある種のフラッシュ・モブ的な、SNS時代にぴったりの企画である(上掲の公式サイトでは実際、居合わせた人々のSNSへの投稿が記録としてまとめられている)と同時に、静的で局所的なモニュメントとは異なるかたちで失われゆく記憶を伝える試みとしてユニークでもある。

ほかにも、プロレスラーであるエイドリアン・ストリート(惜しくも今年7月に逝去)を題材にしたドキュメンタリー《痛めつける方法は山ほどある So Many Ways to Hurt You》(2010/リンク先で鑑賞可能)、イギー・ポップを写生教室のモデルに招いた《イギー・ポップの写生教室 Iggy Pop Life Class》(2016)など、名前を見るだけでも惹かれる作品やプロジェクトが数多い。もし洋書を扱ってる書店でみかけたらちょっとめくってみてほしい(安い本じゃないからね)。美術館や大学の付属図書館に入ったりもするんじゃないかしら。

(なお、本記事では、作品タイトルの邦題は拙訳、制作年は基本的に公式ウェブサイトや美術館のウェブサイトなどに準じている)

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書評:カンボジアのシンガー、ロ・セレイソティアの生涯を描くプレイリスト付きグラフィック・ノヴェル Gregory Cahill, Kat Baumann, The Golden Voice: The Ballad of Cambodian Rock’s Lost Queen

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Amazon → Gregory Cahill, Kat Baumann, The Golden Voice: The Ballad of Cambodian Rock’s Lost Queen

Pitchforkの記事(The 10 Best Music Books of 2023 | Pitchfork)で紹介されていてちょっと興味があって調べたら、日本でもKindle版が買えて、Kindle Unlimitedでも読める。

カンボジアのシンガー、ロ・セレイソティアの生涯を描いたグラフィックノベルで、47曲におよぶサウンドトラックがあわせて公開されている。読んでるといいタイミングで「何曲目を再生/停止」みたいな指示がでるのでそれにあわせるかたち。カンボジア・バタンバンの農村から、その歌声に目を留められて首都プノンペンに招かれて、国営ラジオのシンガーとしてキャリアを重ねるが、冷戦下の東南アジアの不安定な政情に翻弄され、ついにはクメール・ルージュ体制下で命を落とす。

このグラフィックノベルで描かれる1960年代末から70年代後半にかけてのキャリアは目覚ましいもので、プライベートも激動している。嫉妬深い最初の夫、子供も生れた二番目の夫ともすれ違い、挙げ句権力者の介入で別れるはめに(当然、権力をかさに関係を強要される)。同時に、母親と娘の愛憎・葛藤から和解へ、という筋もある。とはいえ、いずれも脚色が強いようだ(そもそも記録が乏しいのだから仕方がない)。末尾にはフィクション/ファクトの対照表もついている(そしてそこにもサウンドトラックがついている)。

ロ・セレイソティアのキャリアと人生も激動なら、サウンドトラックから聴こえてくるサウンドも、演奏の面でも録音の面でも目覚ましく変化を遂げている。

カンボジアの音楽といえば、『カンボジアの失われたロックンロール』というドキュメンタリーが以前話題になっていた。これは日本では(正規には)いま見る手段がない。配信はリージョンブロックがあって見れない。見たいんだけどな(正規に)。その点で本書は英語ですがKindle Unlimited入ってるという方はサントラ流しつつ読んでみてはいかがか。

背景情報を調べようとしたら、意外とカンボジアの音楽に関する日本語のWikipedia項目が充実していることに気づいた。たとえば、ロ・セレイソティアの項目もある(出典の不足があるが……)し、カンボジアのロックをコンパイルしたコンピレーションについての項目は英語版からの翻訳であろう、その功罪までくわしく書いてある。

カンボジアン・ロックス – Wikipedia

しかしまあ、ロシアのウクライナ侵攻や、ハマスの攻撃に対する反撃という名目ではじまったイスラエルのガザ侵攻(そして虐殺)、そしてそれらにとどまらない世界各国での人道に反する犯罪的な行為を思うと、ここで描かれていることを冷戦下の悲劇としておくことはできないのだろうなと思う。陰鬱な気持ちになる。

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[告知]本日発売・EYESCREAM 2024年1月号で長谷川白紙にインタビューしました。

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EYESCREAM 2024年1月号にて長谷川白紙にインタビューしました。

なんと大ボリュームで6P・1万字強。自分はあんまりこういう長尺インタビューをやらないんでちょっと新鮮でした。長谷川白紙の現在について話を聞きつつ、もうちょっと俯瞰した話や、結構突っ込んだ話もしています。1万字もあるのに泣く泣くカットした部分も多いですが、読み応えはあるのではないかと……。

ユリイカの長谷川白紙特集も充実のインタビューや論考が目白押しですし、あわせてどうぞ。インタビューはユリイカに原稿を納品した後で行ったんですが、自分の論考とちょっとリンクするというか、あながち間違ってないな、と思える部分も多くて楽しいインタビューでした。

インタビューではApple Musicのホリデー企画で制作・リリースされたポール・マッカートニー「Wonderful Christmastime」のカヴァーについて面白い話が聴けました。これ、聴いてもらったらわかるんですけど、長谷川白紙がはじめてオートチューンを使った曲(!)なんです。長谷川白紙がこの曲を選んだ理由、そしてオートチューンをどう捉えているのか、インタビューで語ってもらってます。

Apple Musicご利用の方はすぐに聴けますし、iTunes Storeで単曲購入もできますよ。

イベントの登壇も決まったしなんかこのタイミングで出ずっぱりになってしまい申し訳ない気もする。仕事自体は価値のあるものにできたとは思いますが……。

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書評:新潟県立近代美術館・国立国際美術館・東京都現代美術館 編『Viva Video! 久保田成子』(河出書房新社、2021年)

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Amazon → 新潟県立近代美術館・国立国際美術館・東京都現代美術館 編『Viva Video! 久保田成子』(河出書房新社、2021年)

書評っていうか、読んだメモ。東京都現代美術館で2021年末(2022年頭だったかも?)に見た「Viva Video! 久保田成子」展は当時すごく刺激をうけた良い展示だったのだが、展覧会カタログを買わずじまいだった。ふと思い出して、購入。

まず都現美での展示の記憶をたどると、フルクサスのメンバーであり、ヴィデオ・アートの先駆者であった久保田成子の仕事を、豊富な資料と充実した作品群で多面的に紹介してみせる、バイタリティあふれるものだった。大きな空間にずばん! と並ぶヴィデオ彫刻が、図版をみて想像するよりも、あるいはグループ展の一角で見るよりも数段素晴らしかったのが印象深い。あまり「実物見ないとだめだよ」みたいなこと言わないことにしているのだが、こればかりは「マジであれを体験してほしかった」と思う。

フルクサスのメンバーとしてハイレッド・センターとフルクサスの交流を(パンフレットの編集を通じて)仲介したり、ジョナス・メカスのアンソロジー・フィルム・アーカイヴスのヴィデオ・プログラムのキュレーターを努めたり、挙げていけばきりがないが、作品以外の部分でもかなり重要なキーパーソンだったことがうかがえるのもよかった。このあたりの資料展示は現地で存分に見切れたわけではなかったので、図録であらためてその足跡を確認できた。

一方、手元で作品や資料、テクストをじっくり見られるようになって改めて感じたのは、久保田成子自身の言葉のすごみだった。めちゃくちゃインスパイアされるを言うし書いている。

なかでも頭にこびりついていたのは、《三つの山》(1976-79)に添えられたテクストのつぎのような一節だった。

「なぜ山に登るのか?」「そこに山があるから」ではない。それは植民地主義/帝国主義的な考え方だ。そうではなくて、知覚し、見るためだ。

『Viva Video! 久保田成子』p.81

これにはマジで衝撃を受けた。なんでかはわからないが。何年かごしにこのテクストに出会い直して、やはりすごくいいことを言っていると思う。ジョージ・マロリーにこんなツッコミをするのはヤバい。かっこよすぎる。これに続いて、「山々はほとんど理解不可能なまでのマッスとヴォリュームを持つセッティングの中で、知覚上複雑な視覚の嵐を提供してくれる。」とも書いている。たしかにそうだ。山はヤバい。

この山に対するこだわりと造詣の深さ is 何と思っていたが、図録におさめられているインタビューによると、学生時代に日本アルプスを全制覇したくらいガチの登山好きだったらしい。

わたし山登りしてたんです。だから山登り好きなの。学生だった〔ころ〕、日本アルプス全制覇したのよ。それからアメリカに行って、ロッキー山脈に行って、ワイオミング〔州〕イエローストーン〔国立公園〕の〔グランド〕ティトンとか、大スケールの山に。

同上、p.164

こういう人が「知覚し、見るため」に山に登るのだと言い切ること、大事だなと思う。なんか山の話になっちゃった。

こうなると、自伝本『私の愛、ナムジュン・パイク』も読まなあかんなとなってくるね。

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[告知]本日発売「ユリイカ2023年12月号 特集=長谷川白紙」に寄稿&12月21日(木)に関連トークイベント決定

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紙媒体のお仕事は(基本あんまりないので)ブログに告知でも書いておこうかと思います。ウェブのは機会ごとにまとめようかな。

というわけで、ユリイカ2023年12月号 特集=長谷川白紙に寄稿。久しぶりのユリイカでした。「混沌、断絶、グルーヴ――長谷川白紙のリズムの実践を観察する」というタイトルの論考を寄せております。

ざっくり言うと、不定形な音の群れからさまざまなリズムを生起させる「混沌」、誇張されたシンコペーションによるリズムの「断絶」、そして絶え間ないリズムの流れをつくりだす「グルーヴ」の3つの観点から長谷川白紙の楽曲を(ほんのりクロノロジカルに)俯瞰していく、という内容です。地味です。地味ですが、地味なりに人に参照してもらえるようなつくりにはできたような……。そうなっていれば救い。

青本柚紀×imdkm×和田信一郎(s.h.i)「長谷川白紙を語ろう!」『ユリイカ2023年12月号 特集=長谷川白紙』(青土社)刊行記念 – 本屋 B&B

そんなユリイカ長谷川白紙特集の刊行記念イベントとして、本屋B&Bにてオンライントークが開催されます。登壇者は青本柚紀、imdkm、和田信一郎(s.h.i)。執筆者3人が集まって、ああだこうだと話す……予定。おもしろくするので是非チェックしてみてください。

余談。個人的な話だけれど、昔入手していた本、たとえばクーパー&マイヤーの『音楽のリズム構造』(新訳版、北川純子訳)とか岩波書店の『事典 世界音楽の本』をじっくり読んで活用する機会になったのがよかった。『事典 世界音楽の本』は高価い本で入手のハードルが高いかもだけど図書館とかにあったら読むと面白い、音楽家と研究者と在野のライターが入り混じって書かれたかなり独特な「事典」。もう15年以上前の本だけど、得るものは多いと思う。

自分も使っておいてなんだけど目次が「混沌」とか「撹乱」ばっかだなと思ったりして(そもそも特集タイトルが特集タイトルだ)もうちょっとこのへんの言葉選びを粘ればよかった……という気がしないでもない。まあ、肝心なのはどのようにその「混沌」が語られているかなので、そのへんに注目して読んだらいいかもしれません。この告知記事を書いている段階ではまだ手にとっていないのでわかりません。

ちなみに長谷川白紙関連ではユリイカと全然別件でもひとつ仕事したんですがまたそれもそれで告知します。

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日曜日のプレイリスト #001

隔週で新譜を中心としたプレイリストを共有していきます。「今週の新譜!」という速報/時事ネタってよりは、直近数ヶ月で聴いたものをゆるっとキュレーションする感じです。

SUNDAY PLAYLIST #001 2023/11/26 by imdkm

以下、各曲かんたんにコメント。今後コメントは有料にするかも。継続的にそれなりのもの書けたらだけど。

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身辺雑記 ワクチン副反応つらい/金沢行くぞ/池田亮司って/歌詞を楽しむスペース

11月22日

月曜、新型コロナウイルスのワクチンをおよそ1年ぶりに打つ。5回目。副反応と仕事がかぶると困るのでラジオのコメント出演を先週末に収録して送付するなどの対応をしていたのだが、これは大正解だった、ふつうに副反応きつい。5回中1,2を争う重さ。すごい熱でるし肩は痛いし全身だるいし。幸い熱は下がったのだが倦怠感は残っている。

金沢21世紀美術館でやっているコレクション展「電気‐音」が気になる。しかし山形から金沢というのはなかなか行くのがかったるいのだ。仙台から深夜バスで行くのがもっとも安価で消耗しないはず。車で行くというのもアイデアだが冬の日本海側を運転するのはこりごり(去年新潟まで車で行った際には、帰路で豪雪にぶちあたって死にそうになった)。「ここ!」と踏ん切りがつけばもう行くだけ…… と思っていたら、気になるイベントを発見。

金沢21世紀美術館 | ASUNA 100 Keyboards

サウンドアーティストASUNAの作品上演が12月8日(金)・9日(土)と。「電気‐音」と並んでこれは仕事のリサーチにもつながりそう(いまそういうのやってんです)なので、両日行っちゃえ。というわけで決めた。12月の頭に金沢に行きます。

ところで金沢21美というといまちょうど池田亮司展もやっている。当然見ることにはなるだろうけれども、池田亮司の作品ってあまり好きではない。特に巨大なデータを没入的でスケールのでかいスペクタクルで表現、崇高だぜ、みたいな奴は、いやほんとに単なる「かっけぇスペクタクル」であって、フェティッシュじゃん。アンプいっぱい積んで歪ませたギターでコードいっぱつ「ギャーン!」で「かっけー!!!」っていうのとあんまり変わらない。なんかこう書くとすげぇいいものに思えてくるな。なんつって、実際そういう角度で捉えると池田亮司の良さがおれにもわかるのは確かなのである。しかしそのように考えたときに、その「単純にかっけぇ」にうっすらトクシックさや危うさが宿ってないかと疑問に思ったりするし、「単純にかっけぇ」なら「単純にかっけぇ」でいろいろと好みもあるわけです。まあだからこそこの機会に、改めて観て考えたい。といって、機会があるたびに毎度「やっぱり意外と好きになれるんじゃないか……」って律儀に観ては「やっぱダメだったわ……」で終わるんだけど。

メインの企画展(金沢21世紀美術館 | D X P (デジタル・トランスフォーメーション・プラネット) ―次のインターフェースへ)は正直どんな感じかあまりわからない。面白そうではある。

きょうの夜はブロガーのアボかどさん、ライターの奈都樹さんと洋楽の歌詞を対訳を通じて読んで味わう回をTwitter(現X)でやる。以前もやった企画で、昔ライムスター宇多丸のウィークエンド・シャッフルでやっていたやつのインディ版みたいなものである。前回は訳者のクレジットにきちんと言及できなかったので今回は選曲担当のアボかどさんにお願いしてそこもフォローしてもらうことにした。アーカイブもしてもらうよ。

アーカイヴ↑でしばらく聴けます。1ヶ月くらいか?(2023/11/24追記)
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Behringer CRAVEの使い方メモ

最近BehringerのCRAVEというシンセでよく遊んでいるので覚書。

Behringerのセミモジュラーシンセ・CRAVEは、オフィシャルには明言されていないがMoog Mother-32のクローン機であり、パッチポイントも操作もほとんどMother-32そのままだ。Mother-32が定価12万円ほど(アウトレット品が半値で出回っていたりもするが)であるのに対して、CRAVEは3万円強。っていうか知らずに買ってうきうきで使い方調べてたら「Mother-32のクローンなので~」って言われておまえ、おまえBehringer! と思ったよ。

ユーザーマニュアルの問題

このCRAVE、ユーザーマニュアルが非常に不親切だ。そももそもクイックスタートガイドしかないし、そのクイックスタートガイドも日本語訳が途中まで。シーケンサーの使い方と細かい設定方法は英語のままだ。英語のままってだけならまだしも、設定方法は日本で同梱ないしPDFで配布されているクイックスタートガイドについては実際の仕様と食い違っている。なので、きちんと使おうと思えば元のクイックスタートガイドを参照せざるをえない。

元のクイックスタートガイドはBehringerのサイトからダウンロード可能であるほか、有志が必要なところだけ(元が他言語版なのでページ数がかさむのだ)抜粋してシェアしている。

また、シーケンサーの操作方法については日本語で解説しているブログや動画もある。

Behringer Crave シーケンサーの操作方法まとめ | A Smooth Architect

他方、細かい設定(ASSIGNから出力する信号の設定や、内部クロックの動作など)については日本語でまとめているところが見当たらなかったのでまとめておく。

「パラメーター・セレクション」で細かい設定をする

アサイナブル・アウトプット(ASSIGNから出力する信号)の設定や、内部・外部クロックの設定、クロックのエッジ検出の設定、テンポのコントロールなどは「パラメーター・セレクション」で変更できる。

以下、CRAVEのクイックスタートガイド(英語版)とMoog Mother-32の日本語マニュアルの記述を参考に操作方法を備忘録的にまとめておく。ただし、Behringerが提供しているSYNTHTRIBEというアプリを使ってUSB接続経由で設定するほうがわかりやすいだろう。PCとつなぐのめんどくさい、本体で済ませられるならそっちのがいい、という場合はこちらで。

1. [SHIFT] + [HOLD/REST] + [8] を同時押しして設定モードに入る
   (ロケーションLEDの1が黄色に点灯)

2. [KYBD] or [STEP] キーでページ選択(ロケーションLEDの対応する箇所が黄色に点灯)
   ページ内で数字キーを押してパラメーターを選択
   [1]-[8] キーまでは表示の通り。 [SHIFT] キーを同時に押すことで [9]-[16] を選択可能
   設定したパラメーターはロケーションLED上で緑色に点灯

3. [SHIFT] + [HOLD/REST] + [8] を同時押しして設定モードから出る

	ページ1: [TEMPO] インプット
		1. 1PPS
		2. 2PPQ
		3. 24PPQN
		4. 48PPQN
		5. CV
		シンクしたい機材にあわせて選ぶ(e.g. volcaなら2ppq)

	ページ2:アサイナブル・アウトプット
		1. シーケンサー アクセント
		2. シーケンサー クロック
		3. シーケンサー クロック(1/2)
		4. シーケンサー クロック(1/4)
		5. シーケンサー ステップ(ランプ)
			ステップ1から徐々に電圧が上がるランプ波を出力
		6. シーケンサー ステップ(ソー)
			ステップ1から徐々に電圧が下がるノコギリ波を出力
		7. シーケンサー ステップ(トライアングル)
			ステップ間で電圧が徐々に上下する三角波を出力
		8. シーケンサー ステップ(ランダム)
			ステップ間でランダムなCVを出力
		9. シーケンサー ステップ(1トリガー)
			ステップ1の演奏時にトリガーを出力
		10. MIDIべロシティ
			受信したMIDIベロシティの値をCVで出力
		11. MIDIチャンネル・プレッシャー
			アフタータッチの値をCVで出力
		12. MIDIピッチ・ベンド
			ピッチ・ベンドの値をCVで出力
		13. MIDI CC 1
		14. MIDI CC 2
		15. MIDI CC 4
		16. MIDI CC 7
			受信したCCの値をCVで出力

	ページ3:クロック・タイプ
		1. INTERNAL(内部クロック)
		2. MIDI DIN
		3. MIDI USB
		4. EXTERNAL TRIGGER(外部トリガー)
		5. AUTO
			外部トリガー>MIDI USB>MIDI DIN>内部クロック
			以上の優先順位で自動的にクロックが選ばれる

	ページ4:クロック・エッジ
		1. フォール(降下時)
		2. ライズ(上昇時)
			パルスの上昇と加工どっちを読むか

クロック・タイプを外部トリガーにして、[LFO SQU]から[TEMPO]にパッチングすると、LFOがトリガーになってシーケンスがひとつずつ進む、みたいなことができる。

LFOのレートをランダムにすればこういう感じでシーケンスを不規則に進めることができる。

本当は[TEMPO]をCVでコントロールしたいんだけどなんかうまくいかない。できたらまた書きます。

チートシートも以下に。

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書評:村上由鶴『アートとフェミニズムは誰のもの?』(光文社新書、2023)

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アートは難しい(3日ぶり2度目)。ただでさえ難しいのに、同時にフェミニズムの話まで同時にするのか。と思われるかもしれない。でも村上由鶴『アートとフェミニズムは誰のもの?』(光文社新書、2023)はアートとフェミニズム両方の難しさを、変に妥協せずに噛み砕いて解説して、アートとフェミニズムの両方が持っているはずの「みんなのもの」への志向を開いていこうとする本だ。

「みんなのもの」という言葉自体は易しく見えるけれども、実際になにかを「みんなのもの」をすることは困難だ。たとえば、第2章の話を必要な範囲でまとめるとこういう感じになる。誰かの好き嫌いや個人的な印象・感動にとどまっていては「みんなのもの」たりえない。誰か特定の個人のものから、「みんな」に開かれたものにするために、(特に近代的な意味での)アートは美術館とか批評みたいな制度を必要とするし、作品は単に感じるだけではなく、読み解くべき対象として存在することになる。けれども、その制度が洗練されることで、かえってアートは人を寄せ付けない閉鎖的なものになってしまったし、そもそも制度自体にも見過ごせない歪みやバイアスが存在している。

「アートを楽しむのに知識はいるのかどうか」みたいな話はよくあるけれども、そもそもなぜアートは「知識」を必要としたのか、その役割と限界はどこにあるのか。そんなことを地に足ついて地道に解説する人は多くない。いわゆる制度論的なアートの理解を「みんなのもの」というキーワードから(そこから生じた逆説的な現状までをふくめて)導いているといえる。

そして、属人的な判断を避けて「みんなのもの」たろうとしたアートの制度が持つ限界に対するアプローチとして、第2章ではフェミニズムが中心に据えられる。ここでもまた「みんなのもの」がキーワードになっていて、帯にも登場するベル・フックスの『フェミニズムはみんなのもの 情熱の政治学』(堀田碧訳、エトセトラブックス、2020年。原書は2000年)のフェミニズム観が軸になっている。アートの話と対比的に図式化すると、第一章でいう「みんな」は誰かの好みに振り回されない普遍性や公共性(アートの制度がもともと目指したもの)の話だった一方で、第二章でいう「みんな」は差異を尊重しつつ連帯を目指すような反差別の話につながっていく。

アートを「読む」心構えと、その道具としてのフェミニズムを携えたうえで、第3章と第4章ではそれぞれ、美術史をフェミニズムで批判的に読み直し、アートにおけるフェミニズム的な実践を読み解いていく。ここは読んでいて改めて「いやアートワールドもこの世界もしんどっ」となるパートであり、平易な語り口だけにそのエグさはなお深い。それゆえに、フェミニズムを通じて「読む」ことの重要性が浮き彫りになってもいるし、アートでフェミニズムを実践することの意義も感じられると思う。

余談。第4章にはパフォーマンスを主体としたアナ・メンディエタが取り上げられている。その作品がフェミニズムの視点から紹介・読解されているのはもちろん、夫であったカール・アンドレがメンディエタを殺害したのではないかという疑惑についても触れられている。この本を読んだのが、DIC川村記念美術館でカール・アンドレ展が来年3月より開催されることが発表されてもやもやしていたタイミングだったこともあって、やっぱりメンディエタの紹介のほうが大事なのでは……などと思ったのであった。カール・アンドレ展のタイミングでアナ・メンディエタ作品や関連ドキュメンタリーのスクリーニングとかないのかな。

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[告知]毎月第2・第4日曜は新譜ハイライト 他

今後毎月第2・第4日曜日はよかった新譜ハイライトをまとめます(プレイリスト+コメント、程度のもんと思ってください)。初回は11月26日の予定です。

また、12月から毎週木曜日はTBT(Throw Back Thursday)として、Soundmainに掲載していたインタビュー記事の再掲載を行っていきます。

その他書評や雑記など、週に2~3回更新を目指してやっていきます。よろしくお願いします。

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