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書評:新潟県立近代美術館・国立国際美術館・東京都現代美術館 編『Viva Video! 久保田成子』(河出書房新社、2021年)

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Amazon → 新潟県立近代美術館・国立国際美術館・東京都現代美術館 編『Viva Video! 久保田成子』(河出書房新社、2021年)

書評っていうか、読んだメモ。東京都現代美術館で2021年末(2022年頭だったかも?)に見た「Viva Video! 久保田成子」展は当時すごく刺激をうけた良い展示だったのだが、展覧会カタログを買わずじまいだった。ふと思い出して、購入。

まず都現美での展示の記憶をたどると、フルクサスのメンバーであり、ヴィデオ・アートの先駆者であった久保田成子の仕事を、豊富な資料と充実した作品群で多面的に紹介してみせる、バイタリティあふれるものだった。大きな空間にずばん! と並ぶヴィデオ彫刻が、図版をみて想像するよりも、あるいはグループ展の一角で見るよりも数段素晴らしかったのが印象深い。あまり「実物見ないとだめだよ」みたいなこと言わないことにしているのだが、こればかりは「マジであれを体験してほしかった」と思う。

フルクサスのメンバーとしてハイレッド・センターとフルクサスの交流を(パンフレットの編集を通じて)仲介したり、ジョナス・メカスのアンソロジー・フィルム・アーカイヴスのヴィデオ・プログラムのキュレーターを努めたり、挙げていけばきりがないが、作品以外の部分でもかなり重要なキーパーソンだったことがうかがえるのもよかった。このあたりの資料展示は現地で存分に見切れたわけではなかったので、図録であらためてその足跡を確認できた。

一方、手元で作品や資料、テクストをじっくり見られるようになって改めて感じたのは、久保田成子自身の言葉のすごみだった。めちゃくちゃインスパイアされるを言うし書いている。

なかでも頭にこびりついていたのは、《三つの山》(1976-79)に添えられたテクストのつぎのような一節だった。

「なぜ山に登るのか?」「そこに山があるから」ではない。それは植民地主義/帝国主義的な考え方だ。そうではなくて、知覚し、見るためだ。

『Viva Video! 久保田成子』p.81

これにはマジで衝撃を受けた。なんでかはわからないが。何年かごしにこのテクストに出会い直して、やはりすごくいいことを言っていると思う。ジョージ・マロリーにこんなツッコミをするのはヤバい。かっこよすぎる。これに続いて、「山々はほとんど理解不可能なまでのマッスとヴォリュームを持つセッティングの中で、知覚上複雑な視覚の嵐を提供してくれる。」とも書いている。たしかにそうだ。山はヤバい。

この山に対するこだわりと造詣の深さ is 何と思っていたが、図録におさめられているインタビューによると、学生時代に日本アルプスを全制覇したくらいガチの登山好きだったらしい。

わたし山登りしてたんです。だから山登り好きなの。学生だった〔ころ〕、日本アルプス全制覇したのよ。それからアメリカに行って、ロッキー山脈に行って、ワイオミング〔州〕イエローストーン〔国立公園〕の〔グランド〕ティトンとか、大スケールの山に。

同上、p.164

こういう人が「知覚し、見るため」に山に登るのだと言い切ること、大事だなと思う。なんか山の話になっちゃった。

こうなると、自伝本『私の愛、ナムジュン・パイク』も読まなあかんなとなってくるね。

カテゴリー: Japanese