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カテゴリー: Japanese

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[告知]毎月第2・第4日曜は新譜ハイライト 他

今後毎月第2・第4日曜日はよかった新譜ハイライトをまとめます(プレイリスト+コメント、程度のもんと思ってください)。初回は11月26日の予定です。

また、12月から毎週木曜日はTBT(Throw Back Thursday)として、Soundmainに掲載していたインタビュー記事の再掲載を行っていきます。

その他書評や雑記など、週に2~3回更新を目指してやっていきます。よろしくお願いします。

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書評:山本浩貴『現代美術史――欧米、日本、トランスナショナル』(中公新書、2019)

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現代美術はむずかしい。その通史を描き出すことはなおむずかしい。絵画や彫刻といった分野ごとに区切って記述しようとしても、そもそもそうした分野に当てはまらない、分類を拒むような作品やアーティストがたくさんある。表現の内容も形式もそれが依って立つ場も拡張が著しいからだ。

その点で『現代美術史――欧米、日本、トランスナショナル』の方法は明快だ。現代美術という独立した領域があるとしてその内在的な「発展」を見ていくのではなく、「芸術と社会」の関係史を通じて現代美術の歴史を記述していく。序章で「前史」として取り上げられるのは、アーツ・アンド・クラフツ、民芸、ダダ、マヴォ。表現の発展史とは切り口がまったくことなることが、この「前史」のチョイスからもわかるだろう。このテーマを貫いたおかげで、あまりまとまった紹介や総括のなかった、しかしきわめてアクチュアルなトピックが集中的にまとめられることになる。

たとえば第一部の欧米編に含まれる第二章は、リレーショナル・アート、ソーシャリー・エンゲージド・アート(SEA)、コミュニティ・アートを取り上げているが、理論(言説)面ではニコラ・ブリオーの「関係性の美学」やその応答としてのクレア・ビショップ「敵対と関係性の美学」ないし『人工地獄』の紹介はもちろん、それらと比較するとあまり紹介が進んでいない印象のある(これは自分が追いつけてないだけかも)グラント・ケスターの仕事も紹介されている。そしてなによりそれ以上に作品や実践の例が豊富に言及されている。第二部の日本編では、第四章でその同時代の動向としての(ある種ドメスティックな)「アート・プロジェクト」の流れが取り上げられ、SEAと関連付けつつ日本の現代美術における政治性が吟味されている。

しかし、本書でもっとも注目すべきは「欧米」や「日本」といった語りのフレームを乗り越えようとする「トランスナショナル」な視点で現代美術史を編もうとする第三部だろう。国民国家を前提とした「ナショナル・ヒストリー」の限界を突き崩すために、第五章では「ナショナル・ヒストリー」という「正史」から排除されたイギリスのブラック・アートの戦後史が紹介され、ポスト植民地主義的な問題と接続される。そのうえで、第六章では、東アジアにおける植民地主義の問題――つまり日本の植民地支配とその影響――を反映した現代美術の動向がまとめられる。

社会と関係するアート、あるいは政治的なアート。そのポテンシャルを実践と言説の双方から論じた本書が、まさにそのポテンシャルの負の側面に向き合って閉じることは示唆的だ。終章のタイトルは「美術と戦争」。アートは脱植民地主義、脱帝国主義の実践に貢献するのみならず、むしろ戦争協力によって植民地主義や帝国主義にも「貢献」していた。こと日本の政治性忌避の風潮に対して「社会的たれ、政治的たれ」と呼びかける声は少なくないが、しかし社会的であることや政治的であることの帰結が戦争協力や植民地主義イデオロギーの(再)生産になってしまうような事態は容易に想像がつくし、歴史がそれを裏付けもしている。そうした隘路に陥らないためにも、「トランスナショナル」の視座は重要になるだろう。

もともと自分はハプニングやフルクサス、シチュアシオニストあたりの活動に関心があったので、そうした流れを包括するような現代美術史が新書で読めるのはいい時代だなぁと素朴に思ったり。また、ハマスによる攻撃へのリアクションというかたちをとったイスラエルによるガザ侵攻が国際的な非難を集めているなか、「パレスチナ支持」と「反ユダヤ主義」をめぐるアート・ワールドの軋轢(いま振り返ればドクメンタの反ユダヤ主義騒動は完全にそのあらわれだったのだが)が、アートフォーラムに掲載されたオープンレターの顛末のようにスキャンダラスに表面化している状況にも、思いを馳せてしまうのであった。

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ぜんぜん知らねえブランドのロープロファイルメカニカルキーボード

ながらくメインキーボードにFILCOのMajestouch Convertible 2(赤軸、US配列)を愛用していて特に不満もなかったのだが、ある時期からロープロファイルのキーボードがめちゃくちゃ気になるようになっていた。ストロークが短くて軽快そうだし、なによりなんか薄くてかわいい。デザインがっていうかたたずまいが。なので試してみたかったのだけど、KeychronやLOFREEの人気機種は興味本位で手を出すような値段でもなくちょっとためらっていたのだった(といって、HHKBやRealForceといったフラッグシップな機種と比べたら大した値段ではないのだが)。

しかし調べてみると7,000円台のロープロファイルメカニカルがあるじゃないか。人気機種の半値以下。買って合わなくてもサブ機として持っておけばいいか、くらいの妥協はできる範囲。清水の舞台から飛び降りるつもりで注文してみた。

中国からの配送なので納品まで2週間ほど見ていたのだけれど、予想外に早く一週間ほどで到着した。

YK75 Tri-Mode Mechanical Keyboardの外装。オレンジ色の地にキーボードの写真とファンシーなキャラクターやイラストレーションが沿えてある。

パッケージはやけにファンシーで、キュートなキャラクターや子供のおえかきみたいなイラストが書いてある。キーボード自体のちょっと子供のおもちゃじみたデザインもあいまって、ほんまに大丈夫なんかという気持ちになってしまう。ぶっきらぼうなダンボールのパッケージを想像してたんだけど。

YK75 Tri-Mode Mechanical Keyboard本体。ダークグレーの筐体に、同色のキーとライトクレーのキーで構成されており、エスケープキーとエンターキーのみ水色。

現物は商品写真で見た通り、特になにも言うことはない。さすがに安物でつくりが悪いのか、少し筐体が歪んでおり、デスクに置くとかたかた不安定に揺れてしまう。打鍵感が命のキーボードでそりゃまずかろう。とはいえ、適当にダンボールを裏にかませてやれば問題なく使えるのでよしとする。

筐体の歪みをカバーするため、キーボードの裏に小さなダンボール片を貼り付けている。

説明書は英語だけれど、たいしたことは書いていないので特に問題なし。YK75 Tri-Mode Mechanical Keyboardというのが商品名らしい。多分これと同じ機種がブランド名だけ変えてAmazonやらアリエクやらでたくさん出回っているのだろう。

PCとの接続については、USB・Bluetooth・専用レシーバーを使った2.4GHzの3つの接続を用いることができ、USB Type-Cで充電可能。Fnキーと1-3までの数字キーの組み合わせでBluetoothのペアリングを行い、つごう3つの接続先とペアリングできる。一般的な無線キーボードの動作だ。バックライトとかもあるけど正直かったるいので全部切ってしまった(Fn+BackspaceでOn/Off)。

肝心の打鍵感だが、ストロークが短く軽快ながら、パンタグラフやメンブレンとは違うメカニカルらしいコシみたいなんが感じられて、これならゆくゆくきちんとした(ノーブランドではない)ロープロファイル機をゲットしても全然ありだなと思う。さすがにここから悪くなることはないだろうし……。

思いの外困惑したのは、一般的なキーボードでタイプするつもりで手を動かすとミスタイプが頻発してしまうことだった。ロープロファイルならではの反応のよさはかえってピーキーだし、キーピッチは変わらなくてもキーの表面積が広くなっていることでキー同士の距離感が大幅に違って感じられる。いまもちょっと困惑しているけれど、これは慣れだろう。もしかしたら赤軸じゃなくてもうちょっと叩きごたえがある青軸にしたほうがよかったのかもしれない。ふつうのメカニカルだと青軸はあまり好みではないのだけれど、ロープロファイルは結構特殊なのだな。

本当はトラックポイントがついたHappy Hacking Keyboard Studioがめちゃくちゃ気になってて、いっぺんレンタルでもしてみようかと思っていたのだけれど、しばらくその必要はないな。悪くない買い物であった(耐久性がなくてあとで泣くかもしれない。それはそれでまた一興……)。

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In My Life (2023 Mix)の雑感

映画「ザ・ビートルズ Get Back」で用いられた音源分離技術を応用し、これまで不可能と思われていた『リヴォルヴァー』の大胆なリミックスが実現したのが昨年(2022年)。その詳細については自分でも以下のような記事にまとめた(後半はビートルズ関係ないけど)。

AIがもたらす音楽の未来は? ザ・ビートルズ『Revolver』を生まれ変わらせた音源分離技術から考える | CINRA

ここから『リヴォルヴァー』より前の作品のリミックスが行われていくのだろうとは思っていたけれど思ったよりも早くその成果が届けられた。『ザ・ビートルズ 1962-1966』(通称赤盤)及び『ザ・ビートルズ 1967-1970』(通称青盤)である。

実際に聴いてみるとたしかにすごいんだけれど、やろうと思えばどこまででもやれちゃう時代、「ここまでにしとこう」というラインをどこに設けるかという判断はなかなかシビアだっただろうな~と感じる点も多々。どーかんがえてもパートごとに音源を分離したのほうが課題は山積みなわけで、ジャイルス・マーティンがんばったな……と思う。

わざわざあの曲のこのミックスがよくて~とかこれはあんまりで~とか書き連ねるつもりはないけれど、ただ「In My Life」を聴いてちょっと思ったことがある。

この曲のリンゴ・スターのドラムって特に平歌部分はなかなか変なパターンを叩いていて、3拍目裏にだけ出てくるハイハットが不思議な印象を与える。もとから変だな~とは思っていたのだけれど、2023年ミックスでドラムキットのパンニングが現在のオーソドックスなそれに近づいた結果、その変さがもっと強調されている気がする。

なんて感じるのはおれだけかもしれないけれど、現代の典型的なステレオ感というのは、それ自体が楽器の響きに対して「このようであるだろう、あるべきだ」という予断をもたらすふしがあったりするのかな。などと思ったりするのであった。

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Kindle本を聴く

最近Kindle本をよく聴いている。家事をしているときや歩いて出かけるとき、以前はラジオやポッドキャストを聴いていたところをKindle本に変えた。といってもオーディブルではなくて、スマートフォンのAlexaアプリによる読み上げ機能を利用している。さすがに本腰入れて熟読したい専門書を聴くのは難しいし、おそらく小説も読み上げのクオリティから考えて好ましくないが、たとえば新書だったらAlexaの読み上げで十分だ。くわしいやり方は以下の記事などを参照。

AlexaのKindle読み上げ速度調整なら聴く読書で本が3倍読める・楽しめる | エンジョイ リスニング

「ながら聴き」だけがメリットというわけではない。最近シンプルに読書がしんどい。そもそも読書の姿勢をとるのが大変。紙の本だとなおさらだ。KindleやiPadのほうが姿勢の融通がきくので好ましい。そんな状況ではいきおい、読書自体がどうしても億劫になってしまう。これはいかんな、と思っていたところで、読み上げを活用することにした。

最初は「文章を目で読んだほうが速くて効率いいのでは? 聴き逃したり、すぐ忘れちゃったりするのでは?」と思っていたけど、慣れてしまえばどうということはない。むしろ身体的負担を最小限に一定の時間を割けるので効率はどっこいどっこいだ。あとで読み返したいというトピックはキーワード単位で覚えておくかメモをして、あとでKindleアプリから検索をかけるようにしている。

同じくスマホで、Chromeの読み上げ機能でウェブサイトを読み上げてもらうことがある。そこそこの長文の場合はこちらのほうが望ましいまである。読み上げ最高 いちばんすきな上げです。次点はお焚き上げ。

さて、「聴く」となると重要なのはイヤホンだ。外を出歩くときにはJBL WAVE BUDS、家で作業しながら聴くときには耳をふさがない空気伝導イヤホン(死ぬほど安い、知らんメーカーのやつ)を使っている。

WAVE BUDSは手頃な値段ながら使い勝手がよく音もまずまず良い(外で使う前提のイヤホンに、あまり音質を求めていないのが大前提だが)。シリコンケースを別途買って、カバンにぶら下げておいたりしている。空気伝導イヤホンは耳のあたりに小さなスピーカーを添えるような理屈で、カナル型の圧迫感がないのが良い。音質はたいしたことないし、音漏れがきになるし、外では使わない。しかし音楽を聴くのでなければ超楽。

こうして耳での読書に慣れるとオーディブルも案外悪くないかも……と思う。もっとも、Alexaの読み上げで困ることはほとんどないのだが……。

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書評:Saku Yanagawa『スタンダップコメディ入門 「笑い」で読み解くアメリカ文化史』(フィルムアート社、2023年)

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Saku Yanagawa『スタンダップコメディ入門 「笑い」で読み解くアメリカ文化史』(フィルムアート社、2023年)を読んだ。発売当初に縁あって献本いただいていて、そんで読んでからもちょっと時間が経っているのだが感想を書いておく。

Saku Yanagawaは日本から単身アメリカに渡ってスタンダップコメディアンとしてのキャリアを築いている人物で、日本ではフジロックなどのMCをつとめたり、アトロクなんかのラジオ番組に出演しているのを通じて知っている人も多いかもしれない。

フジロックMCのSaku Yanagawaとは何者か「世界を変える30歳以下の30人」に選ばれた男のいま | 週刊女性PRIME (jprime.jp)

また阪大出身という縁でラッパーのMoment Joonとも交流があり、楽曲に客演もしている(『Passport & Garcon』収録の「KIMUCHI DE BINTA (feat. Yanagawa Saku)」)。

「わかる人にだけわかる」日本のお笑いは差別を助長するのか―アメリカで奮闘するスタンダップコメディアンと移民ラッパーの邂逅|日刊サイゾー

しかしそもそも日本に住む人のあいだでは、「そもそもそのスタンダップコメディっていうのはなんなんだ」という人のほうがずっと多いだろう。自分だってそうだ。この本はまさにそうした人たちにむけて、スタンダップコメディとはなにか、スタンダップコメディアンであるとはどういうことかをリアルな実体験を交えながら丁寧かつシビアに説明したうえで、スタンダップコメディの歴史をわかりやすく解説していく。

本書の副題には「アメリカ文化史」と掲げられているが、まさにスタンダップコメディの歴史とその精神をたどることでアメリカ文化の一側面を切り取ろうという野心のある一冊で、ヴォードヴィルからNetflixをはじめとした現代のメディア環境におけるスタンダップコメディの現在までを貫くアメリカ芸能史を描きつつ、そこに文化――アートや音楽みたいな創作というよりは、共同体のなかに共有される理念、の意味で――を読み取ろうとする。

そういう意味で個人的にぐっときたのは、大和田俊之『アメリカ音楽史 ミンストレル・ショウ、ブルースからヒップホップまで』(講談社、2011年)で提示される「擬装」のアメリカ文化論を批判的に継承しているところだ。アメリカの芸能史は、文化的・社会的他者を装う行為、ないし装おうとする欲望で駆動してきた、というのが超ざっくりとした同書の中心的なテーゼ。『スタンダップコメディ入門』は擬装・擬態の演芸としてのミンストレル・ショーからはじまり、百年単位の芸能・文化史を論じた上で、「いま」のスタンダップコメディ(アン)がおかれた状況についてこんなふうにコメントしている。

きっと、誰かに「擬態」しなければいけない時代は終わった。多様性が認められる世の中は、マイノリティであることが「弱み」にもなりえない。今、われわれスタンダップコメディアンは、私たち自身として舞台に経ち、自らの視点を述べることのできる時代を生きている。そしてそれは言い換えれば、どんな人種でも、どんな国籍でも、そしてどんな体型でも、自分自身として語ることが求められている時代なのである。

『スタンダップコメディ入門 「笑い」で読み解くアメリカ文化史』p.275

少なくともスタンダップコメディにおいては、他者を装うこと――そこには自らの人種的ステレオタイプさえも含まれる――が芸として説得力を持つ状況ではなくなってしまった。だからこそ、「自分自身として」ステージに立つことが求められる。これは、ミンストレル・ショーから脈々と続く、問題含みでアンビバレントで、しかしだからこそパワーを持つに至った「擬装」のアメリカ文化という見立てを乗り越えようとする現代的な見立てのひとつと言えよう。

この言葉は(というかこれが登場する第4章全体に言えることだが)単にいろんな事件や作品を見て「時代は変わりましたね」とまとめるのとは違う説得力がある。ステージに立ってジョークを放ち、観客の反応を一身に受け止めるなかで「なにを笑いにすべきか」ということを深く考え抜いたからこその言葉だからだ。そのあたりは、熱っぽく愛のあふれるYanagawaの筆致もふくめて実際に読んで体感してほしい。

しかしなにより、音楽であれ映画であれドラマであれ、アメリカのエンタメを楽しむにあたって知っておきたい社会的背景や重要人物について豊富な知識が詰まっているというのが本書の美点だろう。やはり「「笑い」で読み解くアメリカ文化史」という副題は伊達ではない。

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書評:近田春夫『グループサウンズ』文春新書、2023年

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近田春夫はこれまで自伝『調子悪くて当たり前 近田春夫自伝』(リトル・モア、2021年)や『筒美京平 大ヒットメーカーの秘密』(文春新書、2021年)などでライターの下井草秀とタッグを組んできたが今作『グループサウンズ』も同様。書き下ろしというよりは語りおろしで、下井草が聞き手となる近田のグループサウンズ論パートが主となり、『筒美京平』本よろしく当事者・関係者へのインタビューも収められる。

グループサウンズをカルト的な目線やリバイバル文脈を外してリアルタイム世代でハマった人間がじっくり語り直す、というコンセプト自体が功を奏しているのはもちろんのこと、ロックと歌謡(後にはヒップホップやトランスにも手を出すが)を横断してどちらにも軸足を置かない絶妙なスタンスの近田だからこそ、グループサウンズのアンビバレントな立ち位置がうまく描き出されているように思う。グループサウンズはいわば日本におけるロック黎明期のひとつの挫折であると同時に、その後の歌謡曲、さらにはJ-POPの礎ともなった面が強いと思うのだが、その両面をどちらにも相応の思い入れをこめて語られている。

トークのなかでたびたび飛び出す近田の持論(ビートルズの影響を過大に見積もりすぎ、とか)はその鋭さや重要さに比してトークらしく軽やかに処理される。いくつかのテーゼを背骨にしてケレン味のある物語に仕立ててもよさそうなものだが、あくまで「証言」としてひとつひとつのバンドを語っていくという構成は本書のとっつきやすさであり、美点でもある。

とはいえ、ビートルズとグループサウンズを結びつける定説に対する批判、具体的にはそもそもグループサウンズの土台をつくったエレキブームとビートルズの音楽性は食い合わせが悪いとか(p.16。頁指定はKindle版の情報に準拠するので紙と齟齬があるかもしれない)、むしろアニマルズが重要なんだとか(「GSに影響を与えた洋楽のバンドとしては、ビートルズよりも、むしろアニマルズの方が存在感は大きいと思うんだ。」p.40)いう話は、そこに思いっきりフォーカスして深堀りもしてもらいたいというのが人情であろう。瞳みのる&エディ藩との鼎談でも、当事者の証言として瞳が「ステージで映えるのは、ローリング・ストーンズの曲なんですよ。ビートルズは、意外に盛り上がらない」(p.146)と言っているのも、作曲家や編曲家ではなくあくまでバンドマンであったグループサウンズの当事者の実感が伺い知れて面白い。

資料的価値が高く、その一方でカジュアルに読める対話形式の本ということもあり、広くおすすめしたいところだ。

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書評:宮本直美『ミュージカルの歴史: なぜ突然歌いだすのか』(中公新書、2022年)

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『ミュージカルの歴史: なぜ突然歌いだすのか』。インパクトのある副題だ。登場人物が物語の中で「突然歌いだす」ことはミュージカルに慣れない人が一番面食らうところ(自分もそうだ)で、その問いに答えてくれるのかと思って手にとって読んでみた。本書はコンパクトな新書だが、ヨーロッパにおける音楽劇史を抑えた上で、アメリカでそれがどのようにミュージカルとして成立していったかが丹念に追われる。案外ガチガチの歴史書なのだ。

期待は半分外れていて、半分当たっていた、というべきか。「なぜ突然歌いだすのか」というキャッチーな副題から、初心者向けにおもしろおかしくミュージカルを解説してくれる本かと思ってしまうのだが、そういうライトな読み味を想定すると面食らうかもしれない。一方で、そのように語られるミュージカルの歴史自体がとてもおもしろい。ある時期にはアメリカの音楽ビジネスの要として、流行歌を生み出す一種のメディア(ロックンロールにおけるラジオみたいなもんである)として存在感を放ち、そうした求心力を失って以降――それは同時にミュージカルの制度がエスタブリッシュされたことの証でもあるのだが――どのようにミュージカルが生き残っていったかが語られる。ミュージカルそのものに興味がなくても、20世紀の特にアメリカを主としたポピュラー音楽史を考えるにあたって知っておいたほうがいい知識がたくさん詰まっている。

個人的には、ロックンロール/ロックの登場以降にミュージカルがどのように変化したかを扱う第5章「音楽によるミュージカル革命」はとても興味深い。ロックが音楽にもたらした変革を電気的な音量の増幅、スタジオワークによる音響的洗練、ライヴPAの発達による音楽体験のスペクタクル化といったトピックでまとめたうえで、それがいかにミュージカルと食い合わせが悪かったか、どのようにしてミュージカルはロックと向き合っていったかを語ることで、ロック側からだけでは見えてこなかったポピュラー音楽史の一面が感じられてくる。

ただ、やはり初心者のための一冊としては、たとえば「初心者がチェックすべき定番・名作」みたいなものを知れるガイドとしては使いづらいし、「なぜ突然歌いだすのか」という問いにしても明快な答えをだして「おもしろいでしょう!」みたいに言ってくれるわけでもない。むしろ、この問いについては、ミュージカルがその歴史で常に抱えてきた難題として、つまり答えのない問いとして解説されていると言っていいだろう。それはそれですごく重要な視座なのだけれど答えが知りたい向きには肩透かしかもしれない。やっぱ断言してもらいたいもんね。

ミュージカルの魅力を知る入門としてはまた別のものにあたるとして、おもしろい本であることには変わりがない。おもしろさがちょいニッチということである。「ミュージカルを知る」というよりは「ミュージカルの歴史を知ることで音楽についての知見を深める」みたいな心持ちで読むとすごくおもしろいはず。

以下余談。当の第5章では1960年代後半から1970年代のミュージカルにおける「コンセプト・ミュージカル」なる語の登場が論じられ、それが同時代のロックにおける「コンセプト・アルバム」の確立とゆるやかにつながっていくのだが、このふたつが似ているようで違うのが面白かった。「コンセプト・ミュージカル」が統一的なストーリーを欠いた断片的なミュージカル――つまり統一されたひとかたまりの「作品」概念にそぐわないもの――を表すものである一方で、「コンセプト・アルバム」は交響曲的なスケールの「作品」をポピュラー音楽としてのロックに成立させるための言葉だ。つまり前者は「作品としてのミュージカルの断片化」であり、後者は「作品としてのロックの統合」である。しかしまさにこの「コンセプト」の両義性を通じてこそ、ミュージカルとロックの合流というのが理念的に可能になったとも言える。

そこからさらに連想すると、「コンセプト・ミュージカル」及び「コンセプト・アルバム」の時代とは、ほぼ「コンセプチュアル・アート」の時代でもある。演劇とポピュラー音楽とファインアートという異なる分野で同時期に「コンセプト」なる語が新奇な言葉として流通しだした(いやコンセプチュアル・アートはコンセプチュアル・アートでコンセプト・アートじゃないんだけど。この話はややこしすぎるので割愛)。1960年代にそんなことが英語圏で起こった前提ってなんかあったんすかね?

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Pro MicroでMIDIコンをつくる

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ある日、ふと思い立って、MIDIコントローラーをつくることにした。Arduinoでさくっとつくれるようだったので、互換基板をポチっていろいろいじくってみたら、筐体ふくめて2,3日ほどでできてしまった。その記録です。

目次

動機:TotalMix FXのスナップショットを手元で切り替えたい

Elgato Stream Deckを買おうかどうかずっと迷っていた。決まっている用途はたったひとつだけ。TotalMix FXのスナップショットを手軽に手元で変更したい。たとえばふだんはもっぱらスピーカーを鳴らしているけれど、ヘッドフォンとマイクを使う「ウェブ会議用のルーティング」が設定してあって、そういうタイミングにはTotalMixを呼び出してスナップショットを変えて……というステップを踏む必要がある。Stream DeckにはTotalMix用の拡張があるので、それを使えばそういう面倒がなくなる。

もちろん、Stream Deckは導入してしまえばいろんなことに使える。自分が思ってもいなかったような便利な使い方もできるだろう。しかし、あまり多機能なものを「なんにでも使えるだろうから」と適当に導入するのは、心情として腑に落ちない。TotalMixはMIDI信号で制御できるため、ちょうどいいMIDIコントローラーがあったらそれを買ってしまってもいいのかも? と思い始めていた。

とはいえ、必要なのはせいぜい4~8個のボタンである。そんなミニマムなMIDIコンはいまなかなか見当たらない。なら自作してしまったほうが早いのでは?

Pro Microで手軽にUSB-MIDI機器をつくる

というわけで、Arduino Microの互換製品、Pro Microを購入した。面倒な作業なしでUSBデバイスとして動作させることができ、たとえば自作キーボードのマイコンとして多用されているボードである。今回はAmazon経由で遊舎工房の青基板2個セットを購入(遊舎工房から買ったほうが多分もうちょっと安い)。

入力の数が増えたらまた別のボードなり、あるいはマルチプレクサなりが必要になるだろうけれど、自分の用途ではこれだけで十分。しかも1つあたり1000円ほどだ。

もともとArduinoは触ったことがあったので、導入に特に苦労はなかった。とはいえかなり久しぶりだったから、Lチカから始まり、ボタン入力の処理などを思い出すタイムもあった。ある程度見通しが立ったら、MIDIUSBライブラリを導入して早速プログラムを組む。

参考にしたサイトとしては、

など。あと途中でめんどくさくなってLEDの挙動とかはChatGPTに書いてもらったのを参考にした。

また、TotalMix FXのMIDIまわりの仕様については、【pdf】How to control RME TotalMix with a MIDI controller – natamotta – BOOTH を大いに参考にした。

お久しブレッドボード

ブレッドボードやジャンパー類を部屋から発掘・整理し、Pro Microにピンをはんだ付けする下準備などを重ねたのち、

ためしに組んでみた図。汚いけどゆるして。ブレッドボードやLED・抵抗・タクトスイッチなどは電子工作に一時期凝ってたのを使っていたので新規購入はなし。組んでいくうちに、DIMスイッチがあったほうがいいなと思ったのでそれも1つ追加した。っていうかこのブレッドボード、右下のところがなんか熱で溶けてんだよな…… 使えるからいいけど。

ソースコードと回路図

最終的に配線をいろいろいじってこんな回路図に。

こんな書き方でいいのか忘れたけど。直接空中配線やろうかと思ったけど、念のため(?)ユニバーサル基板を適当な大きさにカットし利用。GNDは最終的に全部23ピンに落としてます。

ソースコードは以下の通り。多分そんなきれいではないです。TotalMixではF#3~C#4の信号をCh.1で送るとスナップショットの切り替えができ、A6でDimのオンオフを制御可能。

/*
imdkm
a midi controll for TotalMix Fx
2023/11/02
*/

#include "MIDIUSB.h"

// スナップショット切り替え部分の入出力関係

const int btn[] = {2, 4, 6, 8};
const int led[] = {3, 5, 7, 9};
const int note[] = {54, 55, 56, 57}; // notes = F#3, G3, G#3, A3
int ledActive = 0;

// DIMの入出力関係

const int btnDim = 16;
const int ledDim = 10;
const int noteDim = 93;
bool isDimOn = false;

void setup() {
  Serial.begin(31250); // MIDIのボーレートを設定

  for (int i = 0; i < 4; i++){ // ピンをボタンとLEDに割当
    pinMode(btn[i], INPUT_PULLUP); // ボタンは内部プルアップ使う
    pinMode(led[i], OUTPUT);
  }
  digitalWrite(led[ledActive], HIGH); // デフォルトのLEDを点灯

  pinMode(btnDim, INPUT_PULLUP);
  pinMode(ledDim, OUTPUT);
}

void loop() {
  for (int i = 0; i < 4; i++){
    if (digitalRead(btn[i]) == LOW) { // タクトスイッチが押された場合
      delay(50); // チャタリング防止

      // MIDIノートの送信
      noteOn(0, note[i], 64);   // Ch.1, note, vel. 64
      MidiUSB.flush();
      delay(50);
      noteOff(0, note[i], 64);  // Ch.1, note, vel. 64
      MidiUSB.flush();
      delay(50);

      // LEDの挙動
      digitalWrite(led[ledActive], LOW);
      ledActive = i;
      digitalWrite(led[i], HIGH); // 新しいLEDを点灯
      while (digitalRead(btn[i]) == LOW) {
        // スイッチが押されたままの場合、待機
      }
    }
  }

  if (digitalRead(btnDim) == LOW) {
    delay(50); // チャタリング防止

    // MIDIノートの送信
    noteOn(0, noteDim, 64);   // Ch.1, note, vel. 64
    MidiUSB.flush();
    delay(50);
    noteOff(0, noteDim, 64);  // Ch.1, note, vel. 64
    MidiUSB.flush();
    delay(50);

    // LEDの制御
    isDimOn = !isDimOn;
    digitalWrite(ledDim, isDimOn ? HIGH : LOW);
    while (digitalRead(btnDim) == LOW) {
      // スイッチが押されたままの場合、待機
    }
  }

}

// 以下、多分なんかMIDIUSBの動作に必要なやつ

void noteOn(byte channel, byte pitch, byte velocity) {
  midiEventPacket_t noteOn = {0x09, 0x90 | channel, pitch, velocity};
  MidiUSB.sendMIDI(noteOn);
}

void noteOff(byte channel, byte pitch, byte velocity) {
  midiEventPacket_t noteOff = {0x08, 0x80 | channel, pitch, velocity};
  MidiUSB.sendMIDI(noteOff);
}

void controlChange(byte channel, byte control, byte value) {
  midiEventPacket_t event = {0x0B, 0xB0 | channel, control, value};
  MidiUSB.sendMIDI(event);
}

スイッチ及びLEDには、使わなくなってほっぽっていたメカニカルキーボードからLED付きキースイッチをいくつか拝借した。キーキャップもそのキーボードから流用。

筐体をどうするか

キースイッチを使うのはいいけれど、筐体が悩みどころだった。ユニバーサル基板に固定するのも面倒そうだし、わざわざ図面をひいてアクリルカットや3Dプリントを発注するのもだるい。結局、加工が楽でサイズ感も手頃なダイソーの桐材とMDFを使うことに。

14mmの隙間をあけて平行に配置した5mm厚・24mm幅の桐材のあいだに、キースイッチをきゅぽっとはめると、キープレートがなくても固定ができる。タイピングをするにはおそらく強度が不安だが、たまに押すスイッチとしての利用なら問題ない程度には丈夫そうだ。同じ桐材でハコをつくり、底面はMDF材をグルーガンで貼り付ける(グルーガンなら分解するときにあまりダメージなくパコッと外せそうなので。ほんとはネジ止めしたかったが材質から考えて無理)。

さくっとつくったわりには必要十分の出来になったので、完成とした。

完成

わいの答えはこれや!

実際には傾斜をつけるために桐材を裏に足したりといろいろしているけれど、まあほぼ完成。問題なく動作している。暇なときにキープレートを設計・発注して筐体をバージョンアップしてもいいかもしれない。結局、新しく買ったのはPro Microと筐体用の資材だけなので、総費用は1300円ほどか。満足なり。

今後の抱負

Pro Microが1枚余ってるのと、部屋から発掘されたArduino DuemilanoveやMEGA2560もあるので、なんかちょっとしたプロジェクトをやってみたい。しかし必要がないとモチベもうまれないのでなんとも。部屋digの最中に大量のCdSや圧電素子、555/556が出てきたりしていて、これもうまく使うとなんかおもしろいのかな。

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