コンテンツへスキップ →

健康と能率(終)

寒波が訪れた。積もった雪がよくよく深くなっていよいよ外出する気がうせる。といっても、いますぐ買いたいものといったらコーラくらいものだ(炭酸飲料を愛しているから。ちょっとしたお酒でもいい)。寒さが強まるのとときを同じくして腰痛がやってくる。まだ決定的なカタストロフは訪れていないが、不思議と温かいような痛みが腰の奥だか表面だかよくわからない場所にとどまっている。

雪が積もるとあたりはいつもより明るくなる。昼は明るく感じられ、夜は街灯の光がやわらかく広がる。

2週間以上前に買ったパイントのレディボーデン(チョコレート味)をもりもり食う。かたいスプーンで無理矢理アイスクリームを練って食べやすいやわらかさにする。右手が痛くなった。

1cm厚くらいのぶあついベーコンをノンフライヤーにいれて焼いているあいだにバナナパンケーキを焼き上げる。マーガリンとメープルシロップを添えて、甘いバナナパンケーキとしょっからいベーコンをかわりばんこに食べる。食べるたびに寿命が縮むような味で、こんなんだから腰痛になるんだという気がする。

シン・アナキズム――連載「アナキスト思想家列伝」by ディオゲネ子(重田園江)|本がひらく (nhkbook-hiraku.com)

土地を買い、建物を建て、それを売った人たち、そして開発を認可し街づくりと称した人たちは、その街の風景に責任を取ることはない。では街をまともなものにする責任は誰の手に委ねられているのだろう。見た目だけは変貌するが空疎さは不変の東京に暮らしながら、私は長いことこれが気がかりだった。

街に責任を負うことができるのは、そこに住む人々だけだ。だから彼らが責任を負えるような街づくりを目指すべきなのだ。

都市に責任を持つのは誰かという問い。そしてセレブが好むような地位にない中年女性が、多くの人を説得して政治と社会を動かすことの困難。ジェイン・ジェイコブズという人物をめぐってこれら二つの絡み合いを考えるとき、彼女のセンスと先見の明が輝きを増す。

東京都心という都市をジェーン・ジェイコブスの思想に照らして読む、あるいはジェーン・ジェイコブスの思想を東京都心の現在に照らして読むこの文章を眺めていて、土岐麻子のシティポップ三部作の最終作最後の曲、つまり三部作のほんとうのラストを飾った「Bubble Gum City」のことを思い出す。

不意に現れる「明日街は誰のものか」という危うげながらもクリティカルな問い(そもそも「今日街は誰のもの」なのか)は、刻々うつりゆく都市に暮らす人びとのはりついた実感なのかもしれないし、実際にすぐ訪れるであろう未来にこの街は〈私〉の手のおよばない誰か知らない人びと――いや、人びとどころか、非人称的ななにか、たとえば〈資本〉とかそういう――のものになるだろうという予言でもあると思うが、あるいはこの問いを「私のもの」としての街をつかみとること、つまるところ「街に責任を負うこと」に向けての、どこからともなく、どこへともなく発された宙ぶらりんの問いにもなりうるのかもしれない。

右肩に痛みがある。

雪が積もってはじめて車を出して買い物に行った。交通量の多い道路は除雪がこまめにされるしそもそも雪も溶けるのだが、そこまでじゃないところはとぅるっとぅる。特に小さな交差点は悲惨でブレーキもききづらいしアクセルを踏んでも不安定になったり轍に足を取られたりする。いちばんやってはいけないのは急ブレーキで、じっくり時間をかけて減速しないとかえってスリップしてしまう。アクセルを急にふんではいけない。こんなおそろしい思いをして外出したからには……と思って、ちょろっと買い物するだけの予定を変更してしばらく買い物しなくて済むようにいろいろ買ってきた。

季節の節目ごとにやる友人らとの定例Skypeミーティング。微アルビールのDRAFTYとトマトジュースでレッドアイをつくりながら4,5時間話す。最終的に参加者のひとりが第九を歌って締めとなった。ええ声やった。「わいわい楽しく」という感じでも「まったりくつろいで」という感じでもなく、ぼんやりした謎の会合だった。

確定申告めんどくさいねって話になったけれど本当に精神の負担になってるのはどっちかっていうと請求書まわりかもしれない。請求書(という形式に限らないが)ってクライアントによってめっちゃ違って扱いがすごい適当なときがあり、それでなんの知識もなく見様見真似でやった結果、馬鹿を見るのはどうせクソほど立場の弱いフリーで、なんかあったときに「おかしくないっすか?」ってわざわざ確認させられるのもこっちで、うんざりしてしまう。

激烈なストレスで、大きい声が出そうになるのをぐっとこらえてベッドで寝る。負荷がかかると、軽いチックみたいになって、身体や声がうまくコントロールできなくなる。しんどすぎて、寝るしかなくなる。都合よく眠りにつけるわけもなく、ただ、あたりを暗くして安楽なことを考えて、できる限り、余計なことwかんがえなくする。

2022年からはタイトルを改め、また日記を書きます。

カテゴリー: Japanese