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imdkm.com 投稿

日記

朝起きるとなんか体調が不穏。これは寝たほうがいい、と二度寝して起きたら身体がばっきばきに痛くてちょっと熱っぽい。頭痛もほんのりする。やべーな、と思って、悪くなりすぎないうちにドラッグストアにかけこんで葛根湯とチョコラBBハイパーと粉末のスポドリを買い込んでくる。スポドリ粉末コスパいいしペットボトル買わなくていいし最高じゃん。とか思った。

帰宅してなんとかなるだろうとほっとした途端に急激に体調が悪化して凄まじい頭痛に。こういう場合レンチンで蒸しタオルをつくって眼を温める(ある種の頭痛にはかえってよくないらしい)。すると一瞬痛みが和らぐのでそのスキに寝るのだ。しかし体力回復のために寝るのではなくて意識を飛ばして痛みとの闘いを睡眠時の自分にアウトソースしているだけなので、あほほど体力は削られる。お昼ごはんを食べる余裕もなく昼から夕方まで潰した。あ、グリーンスムージーは飲んだ。

夕方に活動再開、とはいえなんか本気の書き物とか読み物することもできなくてSpotifyで新譜をちょっとチェックしたりSoundCloudのストリームをチェックしたりGEOで借りていたCDをリップしたり。なんか自分のライブラリを確認したら昔持ってたハズのデータが結構ごっそりなくなっていて手に入る範囲で復元しだしている。

おげんさんといっしょ。良かった。取り上げられている音楽について知ってる人は「お、こんな話してんじゃん」となるし、そこまで知らん人もなんか楽しそうに話してるし良い音楽が鳴ってるなあと見る。この多層性がいいんじゃんと思ったりする。ハイブロウな内容を噛み砕いてわかりやすく、である必要は別にない。見た人すべてが同じものをきちんと受け取る必要は実はない。「わかんないけどいいじゃん」と「ああ、これこうなってんじゃん」がいろんな場所にいろんなかたちで混じり合うのでいいのだ。数日後、数年後、数十年後、「ああ、あれってこういう意味だったんだ」となるのでもよい。そのように種をまくのがカルチャーであって、「教えてやろう、啓蒙してやろう」というアティチュードが見えたらちょっと引く。TVバラエティのフォーマットに徹し(アドリブ含めてちょいグダる感じとか、楽屋落ちを匂わせるところまで含めて)、そのなかにグッドミュージックが埋め込まれている、この贅沢さがおげんさんといっしょの美点。であり、星野源がおそらくは意識的にやっていることだろう。

それに対して、これあんまり言ってもなあと思うのだがサカナクションの山口一郎がEテレでやった「シュガー&シュガー」はほんと嫌で、ハイブロウだと山口が思っていることを、視聴者のレベルを勝手に想定して「噛み砕く」感じ(あるいはあえて「置いていく」感じ)が、視聴者のこと信頼してないじゃん、とがっくりしてしまった。噛み砕くにしてもEテレといったら噛み砕きの真髄を年がら年中やってるような局だ。「デザインあ」とか「にほんごであそぼ」とか「ピタゴラスイッチ」とかもろもろ。そういう蓄積があったうえで、実験的といってああいうぬるい、ぬるい割になんか「わざわざ目線下げてます」みたいなポーズが丸見えの番組やられると、なめんなよ、となる。あんまりぐったりしてしまったので2回めは実は見ていない。ごめんね。

あるいは「関ジャム完全燃SHOW」なんかはまあたまに見たりもするけれど、音楽番組をTVバラエティというパッケージに落とし込まざるをえない困難さがやはりある。ひな壇にタレントをおいて賑やかしにコメントをさせて、その賑やかさであたかも「わかりやすい、親しみやすい」かのように装う。あんまりよくないと思う。じゃあガチでレクチャーしたらいいのかっていうのはそれもまた違うしね。その点で、あえてやや大時代なコント番組、シットコム的なフォーマットを愚直に守る、いまどき珍しいタイプの「テレビノリ」を貫いているおげんさんの巧さというのはやはり感じる(ま、それをいけすかんと思う人も一定数いるだろうが……)。

とめちゃくちゃ絶賛しているみたいなことを書いてしまったけれど、けっきょく昨日のおげんさんを神回たらしめたのはPUNPEEのPUNPEE力に尽きる。かっこいーよ。

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日記

消費税増税のせいか台風のせいか知らないけれどひさしぶりにちょっと抑うつ状態になってきている。とても嫌いなことがある。玄関のベルをとても早く鳴らす人。くわしい機構は知らないもののおそらくうちのベルは押すと「ピン」離すと「ポン」となる。昔住んでいたアパートもそうだったと思う。そこで「ピン、ポン」と鳴らす人のことは好きだ。しかし「ピポン」と鳴らす人のことは実はとても嫌いだ。自分と根本的なテンポ感が合わない。きっとひとつひとつの所作が持つスピード感がいずれも自分と合わないだろう。

最近加速だ減速だみたいな話をみんなよくする。しかしよくわからないのは速度を上げるにせよ下げるにせよひとつの方向を共有していなければならないはずだ。東に100km/hの速度で進みながら西に100km/hの速度で弾丸を放ったら、いずれの運動とも関係のない点から観測した弾丸の速度は0だ。あるいはそのように正反対でなくとも世の中にはさまざまな運動がさまざまな方向へと展開しているのだからそれらの運動が持つ速度を相殺したらどうなるだろう。0に近づくとは言わないしもしかしたらひとつの傾向が見いだせるかもしれない。そのように留保したところで結局世の中で加速だ減速だと言われているのは多様な諸速度のうちひとつの速度を特権的に取り上げているに過ぎないのではないか。ドゥルーズとガタリが内在平面のうえに走らせる諸々の速度はまさに多様なベクトルを持っているのではないのか(そのようなことばづかいをしたかはともかく)。あるいは「地層」というアイデアだって加速したり減速したりできる単一の速度の体系、すなわち目的論的なリニアな思考を相対化する重要な道具立てなんじゃないのか。あたかも世の中がひとつの速度に支配されているかのようにあれやこれやを語るのはクソほど傲慢で吐き気がする。

本が出た。本が出てトークイベントもやった(気づいたら3つやってて、合計すると6時間くらい本について喋った)。けれど本が世に出ることによってかえって自分がなにをしている人かわからなくなってきた。とても居心地が悪い。「J-POP好きなんですか」と言われても「別に……」だし。楽理をやったわけでもないし。ライターとして訓練を受けたわけでもなく。いわゆる「音楽好き」でもなければ、音楽好きの類がやたら目の敵にする「ファン」でもない。基本的にはめちゃくちゃ怠惰な人間だ。ただ強いていえば「書く」とか「考える」は割と好きなのだ。とか言うと「自分の商売のだしに音楽をつかってる奴」みたいに思う人も、まあ、いるんでしょう。などと無意味な想像をして勝手にいらつくのはやめたほうがいいか。

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『リズムから考えるJ-POP史』刊行記念、関西ツアー日記

10月5日(土)

19時半~京都は出町商店街の出町座にて『リズムから考えるJ-POP史』刊行記念トーク。関西ソーカル主宰の神野龍一さんを聞き手に1時間半しゃべる。Traktorで音出ししつつホワイトボードに図示しつつがんばった。

導入として、神野さんから「音楽批評の四象限」があるとして拙著がどんな位置にあるか、という話をしてもらう。「プロ‐アマ(個人的には「つくる‐聴く」かなと思ったが)」と「データ‐印象(「データ」には楽曲の構造分析も含む)」の2軸を交差させて整理するのは結構すっきりかも。拙著は割と両軸の真ん中にあるかも? みたいな指摘。

話を渡してもらってこちらからのプレゼンテーション。宇多田ヒカル「誓い」をはじめとする2018年リリースの邦楽に登場するポリリズムを紹介。ついで、MISIA「つつみ込むように…」を例に和製R&Bとヒップホップソウル、ティンバランド以降のチキチキサウンドについて話す。小田和正「ラブ・ストーリーは突然に」における四分三連と付点八分の連続性とトラップ以降の三連符を比較する。などなど。まあ拙著で書いていることを実際に音源聴いて確かめてみよう、みたいな感じでした。

30人くらい? 入ったのかな。トーク後の手売りではなんと18冊も売れてしまった。言うて売れても最大で8冊とかそんくらいか、と思っていたのでビビった。そのおかげで翌日のOtohatobaに持っていける在庫がたったの2冊に……。嬉しい誤算。しかしとりかえしようがない。どーすんだろこれ? と思いながら会場を後にする。

tofubeatsから刊行祝いにもらったiLoud Micro Monitorを持ち込んで鳴らしてみたところ、めちゃくちゃいい感じでした。学校の教室よりこころもち狭い? くらいのスペースで、サブベースとは言わないまでも重低音をかっちり鳴らせていて、すごかった。

10月6日(日)

さて翌日はOtohatoba。Otohatobaは行ってみたかったスポット(やはりYu-Koh体験版の様子など伺うとね)だったしイベントの開催を提案していただけただけで嬉しかった。拙著を口実にして日曜の昼間にJ-POPを聴きながらいろいろおしゃべり、みたいな感じがかえって心地よさそうで、3時間の長丁場もゆったりいけるでしょ、とゆるふわアプローチで当日に臨む。

しかしここでまたしても嬉しい誤算、ワタシのほかに登壇してくださったtsudio studioさん、酒井匠さん、推しに推して入るプッシュさんがかなり拙著の内容について突っ込んだ話を深堀りしてくださって、こっちもなんか熱が入ってしまい、がんっがんに3時間喋り通す結果に。出町座でのトークとかけた曲とかはだいたい同じなんですが、拙著の音楽的な内容だけでなく広く比較文化論的というか社会論的な話もできてすごーく楽しかったです。

ここに持ち込んだ残りの在庫2冊も売れてしまったので手売り用に出版社から仕入れた在庫は全部はけてしまった。どーしたらよいのだろうか。。。

雑感

この滞在中に大きな書店をまわってきたんですがだいたい入荷していてなんなら面陳か平積み。マジでビビる。恐縮っすわ……。自分の本が書店に並んでるってすげー変な感じですね。本になってるだけでめっちゃ妙なのに。売れてくれ~ッ

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【お知らせ】10月5日(土)『リズムから考えるJ-POP史』刊行記念イベント ~J-POPのリズムを分析する〜 @ CAVA BOOKS(出町座フリースペース)

関西でも『リズムから考えるJ-POP史』刊行記念イベントの開催が決まりました。その名も「『リズムから考えるJ-POP史』刊行記念イベント ~J-POPのリズムを分析する〜」10月5日(土)19:30~京都出町座フリースペースにて。関西ソーカル主宰の神野龍一(@shen1oong)さんのサポートをいただき、本書の内容について突っ込んだトークができればなーと思います。東京でのtofubeatsトークは本の内容に触れつつ放談という感じになりそうですが、京都でのトークはもうちょい理屈っぽい話になるかもしれません。開催日の時点ですでに発売はされていますが、いくらかこちらで持っていくつもりです。参加費は500円、要予約です(こちらのフォームから申し込みをお願いします。)。

『リズムから考えるJ-POP史』刊行記念イベント ~J-POPのリズムを分析する〜

10月5日(土)
出演:imdkm、神野龍一
会場:出町座フリースペース 京都市上京区三芳町133
開場:19:15/開演19:30(21:30終演予定)
参加費:500円
要予約、Googleフォームよりお申し込みください。

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【お知らせ】9月25日(水)『リズムから考えるJ-POP史』刊行記念トークイベント@渋谷ユーロライブ w/ tofubeats

私の単著『リズムから考えるJ-POP史』(blueprintより10月3日(木)刊、全国書店のほかAmazonで予約可の刊行記念イベントとして、本書に解説文を寄せてくれたtofubeatsとのトークを開催します。9月25日(水)19時~、ところは渋谷ユーロライブ前売1,500円/当日2,000円。と「がっつり金とるんかい!」という感じになってますが、本書の内容を踏まえたうえで、あるいは思いきって逸脱して、まあなんとかお代をいただくぶんは実のある話をできればと思っています。話が達者な(そして解説文もまっとうに書いてくれた)tofubeatsが相手ということで、ダダスベりという事態にだけは陥らないでしょうが……。現在考え中。

ちなみに、当日は書籍の先行販売もします。なんと一週間以上早く! ゲットできる! ちなみにチケット代とは別だぜ!(すまんな)

『リズムから考えるJ-POP史』刊行記念トークイベント

9月25日(水)
出演:tofubeats、imdkm
会場:ユーロライブ 渋谷区円山町1-5 KINOHAUS 2F
開場19:00/開演19:30(21:00終演予定)
チケット(前売)1,500円/チケット(当日)2,000円
前売チケットの購入はPeatix(要会員登録)、もしくはGoogleフォームから予約も可。

これは計画中ですが関西でもイベント打てたらな~と思ってます。割と告知急になる可能性あるので関西圏のかたよろしくです……。

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初の単著『リズムから考えるJ-POP史』(blueprint刊)のお知らせ

 わたくしimdkm(イミヂクモ)の単著『リズムから考えるJ-POP史』が10月に発売になります。3日には書店に並ぶようです。

imdkm『リズムから考えるJ-POP史』
blueprintより2019年10月3日(木)発売
四六判・二百六十四頁、1,800円+税
全国書店、もしくはAmazonにて予約受付中

 この本はRealSoundで連載していた同名の企画「リズムから考えるJ-POP史」をもとにしたもので、1989年を起点とするJ-POPの歩みを「リズム」という観点から考察する内容になっています。

 重要なポイントで登場してくるミュージシャンをざっと挙げてみると、折坂悠太、cero、星野源、宇多田ヒカル、trf(小室哲哉)、MISIA、m-flo、capsule(中田ヤスタカ)、ASIAN KUNG-FU GENERATION、Base Ball Bear、DOPING PANDA、KOHH、BES、S.L.A.C.K.(現5lack)、DA PUMP、RADIOFISH、サカナクション、UNISON SQUARE GARDEN、宇多田ヒカル、三浦大知…… とまあ、他にもいろいろ出てくるんですが、いわゆる「J-POPの30年がまるわかり!」みたいな本ではぜんぜんないです。あくまで、「このリズムヤバいよね」とか「このリズムってなんだったんだろうね」みたいな発想ありきなので。とはいえ、内容を読むとある程度クロノロジカルにトピックが並んでいるのもわかっていただけると思います。

 どんな話してんの? って言われたらまあ連載をチェックしてみて欲しいところ、しかしよい動画を以前アップロードしていたのを思い出しました。

 まあこういう話を延々一冊やってるようなもんだと思ってください。そうとも限らないですがまあ……。

 とはいえ、一点注意しておきたいところに、リズムといってもいろんなリズムがある、ということ。ドラムやパーカッションが奏でるリズム(ここにベースも加えていわゆる「リズム隊」というのがいわゆる音楽におけるリズム像の定番でしょう)、メロディがつくりだすリズム、あるいは各パートのアンサンブルのなかに浮かび上がってくるリズム、ジャンルに固有のパターン(4つ打ちとか2stepとかね)、時代に固有のパターン……等々、リズムという概念が指すところはさまざまです。この本はある意味で音楽におけるリズムが持つこのあいまいさに思いっきりよっかかっています。でもそれでいいんだ、と思って書きました。なんですかね、時間の感覚を司るものは全部リズムです。極論。

 そのあたりの思いは「あとがき」にも書いたので、まあ、読んでくれッて感じです。

 いつか理論的に整理して…みたいな仕事もできたらいいんでしょうが、そんなん一生モンですよね。本書でも度々参照している佐藤利明『ニッポンのうたはどう変わったか 増補改訂 J-POP進化論』(平凡社ライブラリー、2019年)や、同書で理論的枠組として採用されているピーター・ファン=デル・マーヴェ著・中村とうよう訳 『ポピュラー音楽の基礎理論』(ミュージック・マガジン、1999年)みたいな偉大な仕事であったり、あるいは小泉文夫の歌謡曲論とか、膨大な蓄積を前にして呆然とするばかりですな……。

 そういえば、なんかtofubeatsに解説文を書いてもらってるんですが、これが結構よくて、あの人もっとこういうこと書きゃいいのにと思いました。頼んでみるもんですね。トーフファンの人も必読です。こないだ彼の事務所にお邪魔したときも面白い意見がけっこう飛び出してきました。9月25日に予定されているトークイベントではそんな話もできたらいいなーと思ってます。

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Examining gender (in)equality among four major music festivals in Japan

In February 2018, PRS Foundation launched a campaign named Keychange. By encouraging music festivals to achieve a 50:50 gender balance by 2022, it aims to make the music industry more inclusive and create a better future. Initially, their partners were 45 festivals around the world but now they include more than 130 festivals.

Nowadays, music festivals are the industry’s most important opportunity to reach a major audience. Moreover, as some big festivals started to stream their stages via YouTube, music festivals became not only a place for the live experience but also a crucial platform of the business. So Keychange’s activity is to the point. Festivals could epitomize the whole industry in many ways.

While Keychange aims to create the future, some media is examining the status quo statistically with vivid visualization. In May 2018, Pitchfork published the result of their own research for the festival’s gender equity in America. According to the report, in 2017, festivals’ lineup in the US festivals had 74% male acts, 14% female, and 12% mixed. The next year’s had 70% male, 19% female, and 11 % mixed. For a more detailed investigation, you can read this article.

Then, how’s it going here in Japan?

Since the first Fuji Rock Festival in 1997, music festivals in Japan saw rapid growth throughout the 00s. By the early 2010s, music festivals became one of the most popular leisure activity. This given situation even encouraged some rock bands to invent “Festival Rock,” which features uplifting four-on-the-floor drum beats and sing-along friendly melodies.

Thus, although music festivals have been playing a pivotal role in Japan’s music industry, there are few mentions on gender equality. I couldn’t find statistics on it so I decided to collect data by myself.

There are four major music festivals in Japan: Fuji Rock Festival, Summer Sonic, Rock In Japan Festival, and Rising Sun Rock Festival. The former two are known for their international lineup in contrast to the latter two focus on acts that are based in Japan. I limited the scope of this research to those four festivals’ lineup for the last five years. I scraped those festivals’ web site by Python and checked out each acts’ gender as far as I could find.

Below is what I found.

SUMMARY

  • In 2019, the lineup for major festivals in Japan was 65% male acts and 35% female or mixed acts.
    • Comparing those festivals, it seems there’s no big difference between them as far as concerning male : female (or mixed) ratio.
    • The festival that included the most female acts in 2019 was Summersonic (22%).
    • The festival that included the least female acts in 2019 was Fuji Rock Festival (12%).
  • From 2016 to 2018, the lineup for major festivals in Japan had been 69% male acts and 31% female or mixed acts.
    • Looking at annual changes, there is hardly a particular tendency on the male : female ratio.
    • However, some festivals’ transitions show possible intentions to reduce the male ratio.
      • In 2016, Fuji had 75% male acts and Rock In Japan did 68%. On the other hand, in 2019, the former was 64% (11 points lower) and the latter was 65% (3 points lower).
      • Given that, I’m planning further research for the transition throughout Fuji’s and Rock In Japan’s entire history.

Then, is Japan’s gender equality in music festivals better than the US?

As seen above, Japan’s gender equality in the festivals’ lineup seems a bit better than the US. There might be many explanations for this, but I don’t have any clear opinion now.

Having said that, I am not so optimistic. It’s because Japan’s society as a whole seems very sexist. I’ve been disappointed at our society’s indifference to any kind of gender gap. (One of the most shocking news was this… worth reading. Two more Japanese medical schools admit discriminating against women | World news | The Guardian)

I think the gender ratio I mentioned above is a baseless and arbitrary consequence of the society’s indifference. Even though the score looks better than other countries, it doesn’t mean there’s less gender inequality in Japan. If we don’t consciously deal with the problem, it can be worse in the future.

Anyway, this is merely a score just calculated numbers on spreadsheets. A more precise analysis is needed. I hope this would motivate someone (and help me tidying data…).

Tables

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2019年上半期ベストアルバム&トラックまとめ

2019年上半期ベストアルバム

1. Faye Webster – Atlanta Millionaire Club

 これはほんとうによく聴いた。フォークロックの皮を被ったトラップ、R&B。女性SSWの良作が目立つ昨今でもナイスなバランス。Fatherをフィーチャーした「Flowers」は傑作。Spotify

2. 柴田聡子 – がんばれ!メロディー

 日本では柴田聡子が素晴らしいアルバムをリリース。前作がフォーキーだったのに比べると今作はよりグルーヴが強調され、ファンキーに。「涙」の演奏、間の表現が素晴らしい。歌詞もなにもかも。Spotify

3. 100 gecs – 1000 gecs

 エモラップ? フューチャーベース? バブルガムポップ? PC Music勢を思わせる諧謔精神に、パンク&ジャンク&スカムな暴力性が加わった凄まじい一枚。全曲必聴。Spotify

4. 姫乃たま – パノラマ街道まっしぐら

 地下アイドル活動をやめた姫乃たまが盟友の町あかりとのコラボのほか頭角を現しつつあるSSWを起用しつつ紡いだタイムレスなポップアルバム。長谷川白紙による「いつくしい日々」で泣く。Spotify

5. Léonore Boulanger – Practice chanter

 前作『Feigen Feigen』で北アフリカ~アラブの民族音楽とチェンバーポップを融合させたような特異な楽曲を展開したつぎは、ミュジック・コンクレート的なアプローチを全開に。Spotify

6. Carly Rae Jepsen – Dedicated

 全曲よくできたエレポップで時代の空気感にぴったり、のみならず、サウンドのディテイルが異様に心地よい。ノスタルジーでは済まされない高解像度のスマートなポップス集。Spotify

7. 杏沙子 – フェルマータ

 上半期、ことあるごとに口ずさんでいた「恋の予防接種」。予防接種が効かな~い♪ 気の利いた比喩がぽんぽんと繰り出される洒脱な言葉選びはSSWのなかでも群を抜いている。Spotify

8. dodo – importance

 いびつであるゆえに切実、異形であるゆえに直球。「ナード」とかそんな話じゃないのだ。「swagin like that」以来コンスタントに続くリリースがうれしい。このEPも通過点だろうか。Spotify

9. あいみょん – 瞬間的シックスセンス

 四畳半的、生活感のある語彙にも関わらず、不思議と泥臭さや湿っぽさのない良い意味でのキザっぽさが個人的にはすごく好きなんです。アレンジ陣の仕事も見事。Spotify

10. Mom – Detox

 『PLAYGROUND』から一気にドープさを増して、さながらフォーク少年 meets Frank Ocean的な? 音数の少ないビートにほどよいJみが残るメロ、このバランス感覚は凄い。Spotify

11. けもの – 美しい傷

 けものについては出るものだいたい諸手を挙げて愛してしまうので、入れざるを得なかった、EP。都市をふわふわ散歩するかのような前作と比べてレイドバックした楽曲が並び、エンドレスに聴ける。Spotify

12. Flume – Hi This Is Flume

 カラフルな音色やメロディが生み出す華やかさと相反するかのようなインダストリアルなエッジが効いたビートの組み合わせが素晴らしい。SOPHIEなど客演陣も良い!Spotify

13. Shlohmo – The End

 なにげに今年の空気感がいちばん詰まってるのこれかも、と思う。EDM的なカタルシスともトラップの陶酔感とも違う、じわじわと知らぬ間に高揚させていく展開がユニーク。Spotify

14. never young beach – STORY

 Vulfpeckが細野晴臣を演ったら、という形容が思い浮かぶ。つまりサウンドやメロディに対するある種のフェティシズムがつまってるんだけれど、たとえばスーパーの有線でふと流れてきても耳を奪われる普遍性もある。Spotify

15. Inna – YO

 ルーマニアのシンガー、Innaのアルバムは全曲ややオリエンタル(東欧ですし。あるいはロマ文化か)なメロディが印象的で、かつスカスカなプロダクションが現代的。ROSALIAと並べてもよし!Spotify

2019年上半期ベストトラック(31曲)

 Spotifyにプレイリストつくったので、よかったらチェックしてみてください。上記のアルバムから選んだトラックのほか、シングルでしか出てない曲でもこれは必聴やろ、というのをまとめてます。altopalo、江沼郁弥、KEITA、ササノマリイ、浦上・ケビン・ファミリー(現浦上・想起)、折坂悠太、三浦大知等々、いろいろ。

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People In The Box, Kodomo Rengou (2018)

Honestly, I had very little knowledge about People In The Box until their latest Kodomo Rengou, which was released in February 2018. I was relatively new to today’s Japanese rock music ‘cuz I was crazy in dance music since the late ’00s. However, one of my friends strongly recommended the album, saying that it would be the album of the year. Then I tried listening and soon fell in love with it. I’ve listened to it over and over, even ignoring other new releases.

The album reminded me of some math-rock acts but it had a more physical and active groove. Rather than indulging in sweet and violent tones from the amplifiers, just as some bands do (oops, I don’t blame on them. just for comparison), they play riffs and rhythm patterns with strong clarity. From a note to note, I can hear their intention–how they want them to sound, how they want them to be. The interplay between melodies is dizzying yet compelling me to dance to it. I dare say that it’s like something fusing prog-rock, chamber music and afrobeat.

Their lyrics are also important. With quite simple vocabulary, they often depict the ordinary life around us, especially in Japan’s suburbs. Let me take “町A (Town A)” as an example. In its chorus, Hirofumi Hatano (Vo. & Guitar, who also writes all of their lyrics) sings like this: “huge mall, restaurant, public library, udon noodle stand, book store, bakery, housing, flower shop, ramen stand, shrine, temple, secondhand car shop, room with sunlight.” Most Japanese people may easily imagine such a tasteless landscape. It belongs nowhere, as the title suggests. It has no name. If anything, it can be everywhere. It might be my hometown, or else, someone’s hometown instead.

“This is not heaven, let alone a paradise. / However, this is not hell even. / One night after another / Say, a buffer zone or resting place between nights / This is not heaven; just my hometown” Hatano sings. Ok, this is certainly the mise-en-scene of our everyday life. But how strange, weird, and uncanny is this? It’s like the Brechtian theatre’s distancing effect. It’s pretty ambivalent that the album closes with a song named “僕は正気 (I AM sane)”. Are we still sober or losing our minds in this world?

Hatano deliberately manipulates words and depicts people’s inherent anxiety without any sentimental rhetorics. But it moves my mind so hard that I almost cry when I listen to “かみさま (God)” and “僕は正気”.

The tight groove of the ensemble, the complicated texture of the sound, and the lyrics’ peculiar poesy. This is obviously the best Japanese rock album of 2018.

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ぼくのりりっくのぼうよみ (Bokunoririkkunobouyomi), 没落 (Botsuraku) (2018)

I couldn’t post last Wednesday because I was too busy and tired. One of my distraction then was preparing my dj set at Gampeki Music Festival which would be held at the weekend. I’ve almost quit djing years ago and my skill is not great at all tho, I enjoyed playing. You can hear it on mixcloud.

Today I’d like to write about ぼくのりりっくのぼうよみ (boku no ririkku no bo’yomi, ぼくりり in short)’s 没落 (botsuraku). The title means “fall” or “decay” literally. It was his last album under the name ぼくのりりっくのぼうよみ. He was a young and talented singer and songwriter with a unique voice and thoughtful lyrics, whose music attracted the wide audience. His dance-oriented beat and eloquent vocalization were mellow and youthful at the same time, no other singers had a charismatic atmosphere as his one.

However, suddenly he announced that he would quit ぼくりり, saying that he was exhausted with being a genius. He was also known for somewhat challenging or controversial remarks about Japan’s music industry, media coverage, and music critics. He was like a trickster. So I was suspicious about the statement. It seemed like a staged performance rather than an honest feeling, just aiming a social buzz to promote his new album. Moreover, his tweets following the statement contained some misogynistic phrases like calling some of his fans ババア (“old bitches” or something like that), which was offensive against women. I was disappointed, although his true intention remained unclear.

没落 was released in somewhat uncomfortable buzz. Against my expectations, it was an instant masterpiece which obviously deserved to be his accomplishment as an artist. While his signature style which had jazz-influenced chord progressions and vibrant melodies wasn’t changed, the variety of beats were more diverse than before, from UK Garage/Speed Garage to NY House to Future Soul.

The most surprising thing was like, some songs were like suites telling us dramatic stories, reminiscing Queen’s “Bohemian Rhapsody”. The good example of these was “輪廻転生 (Rin’ne Tensho, Metempsychosis in English)”. Beginning with a simple electro hip-hop beat, the song underwent from Minimalistic chamber ensemble to gospel-like choir with the Prismizer effect which reminded me of Bon Iver or Francis and the Lights. I was very surprised because very few J-POP acts have made a good use of such vocal processing technology (Yasutaka Nakata’s use of Auto-tune is a rare example).

The album was great, but this fact made me wonder why he had to quit the activity like that. It should have been the beginning of the next phase rather than an ending of the career. After his final show, he changed the stage name from ぼくりり to たなか which was one of the most typical family names in Japan. As he appeared some artist’s releases under aliases, it seems that it’s not retirement per se. So I hope someday たなか (or ぼくりり again) would release some materials.

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