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imdkm.com 投稿

3.9-10

3.9

 体調はずっと悪い。朝何時に起きたかな。忘れてしまった。読書も手につかず、まして書き物もとりかかれず、疲労困憊、満身創痍。せめて新譜だけでもチェックしようとNew Music FridayとRelease Radarを聴く。2月リリースのSega Bodegaのアルバムを聴いてなかったことに気づいてそっちも聴く。なんだか最近だれもかれもノスタルジーだなと思っていたところ、ちゃんと今の音に取り組んでいる人っているよな、当たり前だけど、と思って、しみじみ聴いた。内容はしみじみする感じでは必ずしもない。スウィートだがひりついた、ポップス。

 しかしきょうはなにかおかしいな、と思って熱を測ったら7.7ほどまで上がっていた。うげぇ。ここ2日くらい平熱だったから油断していたが……。その後、えいやっと寝込んでしまった。起きてまた測ると平熱に戻っていた。なんなんだか。
 さきごろのキャンペーンでWANのサポーターになったので上野千鶴子から署名入りのメッセージが届いた。赤い封筒で差出人に「上野千鶴子」とあるとなかなかビビる。当時は「えいやっ」と思ってちょこっとだけ寄付した(ほんとにちょこっと)が、他にも寄付できる先はあるかなぁ。たとえばトランスジェンダー支援の団体に小口で寄付できると嬉しいが。調べるか。

3.10

 朝は平熱、ぴんぴん(ただし体力はゼロ)で、まあやっていけるかなと思ったが、昼ごろには体温がまた7.7くらいまで上がっていて、無理したらよくなさそう、と思い午後を寝潰す。19時くらいに目が覚めて体温を測ると6.5くらいで問題なく、しかし昼寝しすぎたときにあるあるの、軽い脱水症状で倦怠感と頭痛があるやつになっていた。
 文藝別冊ケンドリック・ラマー、寄稿しており、目次とかは出ていないがきょうウェブ見たら書影が出ていた。文藝別冊でケンドリック・ラマーってのも凄いが、そこにおれがいるのはわけがわからない。『リズムから考えるJ-POP史』を読んで依頼してくださったといい、実際寄せた原稿もリズムというかフロウの話をしているのだが、どう読まれるのかわからない。しかし思えばおれはいつだって「これ、どう読まれるんだろう?」というのを不安に思いながら書いている。

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3.8

 朝、ぐったりして起きる。また夜に咳き込んでいた。体力も落ちているし栄養も足りていない。肌の調子が悪い(ぼろぼろだよ)。とはいえ主な症状はもうほとんどない。もうちょっと安静にしたらぴんぴんだろう。
 6年続いた巽悠衣子と大橋彩香のあどりぶが終了とのことで非常に悲しい。

 はっちゃけたトークが売りの洲崎西とはライバルakaなかよし番組という立ち位置にありつつもオフビートだがどっかネジがぶっ飛んだようなトークが聴けて好きなラジオだった。最近超A&G+での配信終了~YouTube・ニコ動での隔週配信に移行したので寂しくなったものだと思っていたら終了。そうか~。
 体力の低下いちじるしく、いきおいメンタルの調子も落ちる。もうなんもやる気せんわ。
 日記になるべく考えていることを書いているのはなんだかもうすぐ死んでしまうのではないかとうっすら思っているからだ。たぶんもう大きな仕事をすることはできないだろうと思う。ひっそりと死んでいきたいが言いたいことは言っておきたい、テクストにしておきたい。この日記がおれ自身だとさえ思う。書いていることも書いていないことも含め。

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3.7

 深夜にものすごい咳でほとんど眠れず疲弊する。ようやく朝方まとまって寝れて、起きるとすっと熱がひいている。測ってみるとみごとに平熱。なんならちょっと低い。結果一日このくらいで推移した。あと、痰も量が減ってきた。嚥下能力がおかしくなっているのか、自分の唾液でむせこむのが辛い。しかしだいぶ回復した……。

 Rina Sawayamaの新曲、ティンバとかネプ仕事っぽいポップスに突然ラウドなギター入りのフィルインが挿入されるストレンジさがヤバい。ここまでリリースしてきた新曲はどれもそんな感じだったな。かなり新譜が楽しみです。

 声優の青木志貴さんが自分の性自認やセクシュアリティについてカムアウトする動画。プライベートな思い出を辿りながらなるべくわかりやすく(自分と同じような境遇の人にも届いてほしいと思いつつ)語ろうとする。すごい辛い話も多いんだけど、性自認を優先して性転換手術をするか、声優としてキャラたちを預かって演じる仕事を優先するか、悩んで現状は後者を選んでいる、というくだりに泣いた。キャラたちと過ごすことを優先する、か。凄くないか。さらっと言ってはるけど。声優にとっての持ちキャラとは……となった。
 声優がセクシュアリティやジェンダーについて語るということ自体わりと珍しいことだと思う。百合好きとして知られる橘田いずみさんがレインボーパレードの日にパレードに言及しているのを見て「ああ、そういう意識もある人なんだ(本人のセクシュアリティは知らないが」と驚いた記憶がある。いや、あったとしても発信することが珍しいという話で。

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3.4-6

3.4

[この日付は欠番だ]

3.5

 朝からめちゃくちゃ発熱。測ると37.5くらい。うーんまずい。咳やたんもひどい。親に泣きついて病院につれていってもらう。病院で問診票書きながら体温測ると38.6。完全にまずい。インフル検査をするも陰性。とりあえず抗生物質と解熱剤を出してもらって、数日様子を見て、仮に「痰は収まったが熱は続く」などの状況になったら新型コロナウイルスの窓口へ、とのこと。どうしたものか。
 いちにち、ぐったりとして過ごす。夜、出演予定だったイベントにキャンセルのお願いをし、直近の締め切り(1件だけでよかった)を無期延期にしてもらう。はぁ。コロナだったらやだなぁ。

3.6

 深夜に起きる。ものすごい熱。38度後半? だからまあまあって感じなんだけどあまりにもきつくてのたうちまわる。後頭部と首筋を冷やして、なんとか息が続くようになって、寝る……。
 7時ごろ起きたら熱はすっとひいていて、とはいえ37.0。うーん、微熱? このあとずーっと、37度台をうろつく。身体的なだるさはほぼなく、痰がからむ以外は活動できなくもない。しかし、食欲が落ちて身体的な疲労がものすごい。調子悪くてだるいっていうより端的に疲れている。咳しすぎでちょっと腹筋痛いし。
 Lorenzo Senniが新曲出してて、非常に良い。おれは2010年代もっとも重要だったのってLorenzo Senniではと勝手に思っている(あとJlin)。「XAllegroX」は名曲。アンセムです。

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3.3

 6時くらいに起きる。体調は上々。朝イチですげぇ痰が絡んでいたが、お水飲んでうがいしたらすっきり。換気もする。
 現代思想2020年3月臨時増刊号 総特集=フェミニズムの現在をちらっと読む。
 関根麻理恵「「ギャル( 文化)」と「正義」と「エンパワメント」『GALS!』に憧れたすべての「ギャル」へ」興味深い。ここで論じられるのは女性のエンパワメントの象徴としての「ギャル」だが、もう一方で昨今の「ギャル」表象には興味深い点がほかにもある。おたくってなんでギャル好きなのか、ということ。前にも書いたような気がするけれど、それは、「教室」をひとつの単位とする社会に対する異物であるからだと思う。ある種のフィクションにおいてギャルは「スクールカースト」を超越した存在であり、それゆえに「カースト」間のヒエラルキーを無視して「カースト下位の私」にも平等に接してくれるのではないか、という期待が投影される。ギャルはストリートに生き、教室を縄張りとはしない。ヤンキーや不良にもおおよそ似たようなことが言えるだろうが、しかししばしば不良が学校をおのれの縄張りとすることから、ストリートという外部とは異質かもしれない。「教室」の外側にはこの閉塞を打ち破る世界が待っているのではないか(そこでは自分も「対等」に扱われるのではないか)という期待が「ギャル」を聖母にする。この観点からすると「不良が子犬に優しくする」のギャップのありかも単に「やさしい一面もある」に限らない展開ができそうな気がする。つまり、「教室」の外側では、人はまた別の役割を演じだす、ということだ。
 鈴木みのり「(トランス)女性の生活の中の音楽 ジャネット・ジャクソン再考」では、宇多田ヒカル、ジャネット・ジャクソン、アリーヤ、ケリスといったシンガーの歌声とリリックが自らの個人史と重ね合わせながら論じられる。論と呼んでしまうのは、それはそれで少し暴力的かもしれないが。というのは、テーゼとその立証を明晰に積み重ねるのではなく、むしろ、経験をたぐりよせて言葉として編み直すプロセス自体がこの文章の核になっていると思うからだ。トピックがずれながら少しずつ重なっていくことで浮かび上がるのは個人の生であり、「ジェンダーとセクシュアリティを含め、生活する身体そのものを通して編まれた言葉を、どう記録し、異なる誰かのために残していけるのだろう」という本文中の問いにそのまま答えるような文章になっている。一方で、ジャネットや宇多田の楽曲やサウンドに対する評はきわめて鮮やかでもある。ひとつのことを遂行しながら複数の種を蒔くような文章だと思う。

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3.2

 7時くらいに起きる。なんだか熱っぽい気がする。ちょっと不安になる。もんもんとしつつ、手指消毒してマスクし、ドラッグストアが開くのを待ってイソジンと体温計を買いに行く。そしたら、トイレットペーパーとティッシュを買う人がレジに長蛇の列をつくっていた。平日の朝イチからこれか~、とちょっとくたびれてしまった。買うもの買って、スーパーで食べ物も買って、せっかくなので、とドライブスルーでマクドを買って帰る。
 家に着いて、マクド食べたあと、体温測る。平熱だ。ちょっとほっとする。でも、体力が落ちているのを感じるので、なるべく安静に、ゆっくり過ごす。部屋の空気が淀んでいる気がしたので換気。寒いけど、清々しい。
 原稿をする。が、どうも身が入らない。書きはじめるだけ書きはじめ、分量の感覚をつかむ。おそらく書ききれるはず。問題ない。
 やっぱり気分がのらなくて、昼過ぎから、ちょっと寝る。ライナーノーツの仕事、これまでも結構してるのだが、あまり読まれている実感というのがない。本ならちょっとは感想が出るしウェブならシェアとかの指標がある。でもライナーは「売上=読まれている」とは限らない。どれも、それなりに、力を入れているのだけれど。
 夜、こないだ買っておいた段ボール箱を組み立てて、本棚のいらない本や資料をまとめだす。『リズムから考えるJ-POP史』のために、また次の連載のために本や雑誌がとにかく増えている。もとより本はそこそこ買っているから際限ない。やはり、ドキュメントスキャナを買って、雑誌記事などは電子化しておこうか。
 ぐっ……と眠気がきて、寝る。

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3.1

 朝、7時位に起きるが、すぐ寝る。寝て、また起きる。何時だか記憶がさだかではない。ここ数日の疲労からか、うっすらここちよいような倦怠感につつまれていて、しかしここで仕事にとりかかるといつも体調が悪いのと良いのとのびみょうな境目にいつづけるはめになるから、きょうも一日いっそ寝込んでしまうことにした。そう決めてしまうと楽なものでいまはもう16時。なにも覚えていやしない。眠るのに疲れたらTwitterしたりメールチェックしたりする。適切な休息はとても気疲れするものだ。
 筋トレについて考える。自分は筋トレをするつもりはあんまりない。健康のためにやったほうがいいかなと思うけれど。筋トレで気になるのはその健康にまつわる側面ではなくて、ここ数年自己啓発的なニュアンスとともに流行していることだ。その理由は、特に男性について言えば、自分の身体を意識するための、自分の身体をまなざすための、自分の身体を気遣うための口実なのではないか、と思う。
 男性ホモソーシャルにおける男性の身体はしばしば透明化される。他人の身体をことさらまなざすこともなければおのれもおのれをまなざすことはない。たとえあるとしてもコンペティティヴなまなざしであり、身体を身体として、「より強い」や「よりデカい」の意識なしにまなざすことはないのではないか。
 セルフケアの口実としての筋トレ。男性においていわば「合法的」に自分を気にかけるための法の抜け穴として筋トレはある。その枠内であれば他の男の身体について語ることもできるしなんなら褒め称えることもできる。
 サウナもそういう面が若干ありそうだ。「整う」快楽に男女差があるのかどうかは知らないが、少なくとも自分の身体に起こっている現象に注意を払う機会がサウナのなかにはある。別にサウナのなかでなくったって自分になにが起こっているかケアしてもいいはずなのだが、それを「道」とすることによってまた「脱法」の操作が行われる。
 糖質制限もそうだろう。抽象的な「栄養バランスに気を配る」とは違うなにかを糖質制限は持っている。ある目標(望ましい均整の取れた身体、という)への求道的なアティチュード。
 まあ、どれもべつに悪だとは思わない。しかし筋トレやサウナや糖質制限という脱法的ルートによってではなく自己へのまなざしを抑圧する規範その自体への拒絶として自分の身体を気にかけることはできないものだろうかと思う。
 こうしたメソッド化されたセルフケアはネオリベ的良い生活(RadioheadのFitter, Happierが風刺したような)にも近接する。そこもなんかやだ。しかしセルフネグレクトを選ぶのもまた違う。そうではない方法で自分の身体と向き合う術がほしい。気がする。なんだかまとまらない。
 「新潮」2020年3月号が届く。磯部涼「令和元年のテロリズム」、これが磯部さんのしごとのなかでどのように位置づけられるのか(未来からかえりみて)と思う。つづていくうちにカルチャー的含意が深まっていくのではないかという気がする。鈴木みのり「わたしの声の複数――トランスジェンダー女性の生/性の可能性を探って」、これを読みたくて買ったようなものである。こういう読まれ方は好まれない気もするが、制作と実践(上演)が不可分になる演劇が「生/性の可能性」の探求のキーになっている点が興味深かった。
 「わたしの声の複数」では最後に「遅さ」というキーワードが出てくる。「遅さ」とは反物語的なものだと自分は思う。物語とは出来事に秩序を与えるあらゆる原理であるとしておこう。序破急も起承転結もつまり出来事を系列化し秩序を与えるものだ。ロジカルな展開というのもこの意味では物語である。AしたらBした、という因果関係は、最小の物語である。
 物語は早い。どれほど長大で込み入った物語であろうと、それが物語である限りは早い。一方で反物語的なものは、秩序付けられず、複数のベクトルが同時に動き出す故に互いにその速度が相殺され、潜在的な運動量はきわめて大きいにもかかわらず、総体としての速度はきわめて遅い。そういう漠然とした図を頭のなかに浮かべる。仮に「私」のなかにそうした複数の異なるベクトルを見出すのであれば自ずとそれは「遅く」なる。というか、速度を問題化すること自体に懐疑がつきつけられる。

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2.28-29

2.28

 朝、7時くらいに起きる。ちょっと寝不足(遅くまで原稿していたので)だが、えいやっと仕事にとりかかる。結局午前中はまるごと原稿ひとつで潰れた。気分転換にDJの練習をする。「この曲いい! 好き!」って思ったものばっかり買っていくと、DJの流れのなかで必要な、あるジャンルとあるジャンルを繋ぐような絶妙な位置の楽曲って抜け落ちてしまうんだな……と思った。つまり好きなもんばっかり食うんじゃなくて、聴き方選び方を自分のなかである程度コントロールしないと、全体的なテイストが分裂気味になって、1時間~2時間の流れをつくるだけでもなかなかに難しくなってしまう。というと「使えるかどうか」という基準の話? ってなりそうだけど、そうじゃなくて、「好き」と「好き」のあいだの領域の豊かさを見落としていることに気づくっていうかさ。
 午後、もう一件の原稿をしないといけない。が、なかなか…… 昼寝しよっかな。あえて寝るという奴だ。全体の1/3、基礎情報として必要な部分は埋めてあるので、楽曲を聴き込んでの所見を書いていく。頭の中のもやもやがかたちになるまで、エンジンかかりづらいのだ!!!
 結局、だらだらとYouTube見たりしたあと、一念発起して書き出す。おお、意外とすんなり書けるではないか。がががっと書いて送った。

2.29

 朝、7時ごろ起きる。なんだか乾燥している。ベッドサイドのミニ加湿器をまわして、マスクする。お水がぶがぶ飲んで喉をいたわり、目をさます。この季節はただでさえ朝冷え込んで喉がやられるので、もっと強力な加湿器が必要かもしれない……。
 喉の調子を鑑みて、抵抗力がつきそうななにかをつくろう、と思い、刻んだねぎとしょうがをこれでもかと入れた雑炊をつくって食べる。ツナ缶を入れたので消化はたぶんそんなによくない。いや、これ、おもいのほかよくできたので、今後もつくるかもしれない。レモン汁とかいれてもいいかも。
 日中はドラッグストアやホームセンターをまわる。鼻うがい用の生理食塩水や粉末のスポドリ、ほか食い物などを買い込む。ほんとうはデスクの上に置くモニター台(10cm高くらいのちっさいテーブルみたいな)を探してたんだけどぜんぜんいいのがなかった。結局Amazonで買ってしまう。まー、なんか敗北感が……。
 午後、持ってる音源データの整理をしつつTraktorでDJの練習。バイレファンキを中心にセットを組めないかやってみるが、楽曲構造ゆえにテクノとかハウスっぽいツナギがなかなかできず、たとえばヒップホップのショートミックスっぽい感じでうまくやらないといけなさそう。そこまで難しいことではないにせよ、なんか慣れない。ロングミックスが上手いかっていったら、べつにそうでもないんだけど。
 きょうはもう一日なんもせんぞという決心をしたので、ほんとにだらだら。髙野麻美、武田羅梨沙多胡、佐藤亜美菜の出たトモカラを見て、あっさむの言動がめちゃくちゃツボに入る。でも前のデレマスライブでものすごい役への入り方してたしなんか底知れない人だよなと思う。「ミラーボール・ラブ」もあっさむのパート結構好きですね。
 夜、早めに寝たものの、早すぎて深夜に起きる。そのまま部屋の掃除とかキーボードの掃除とかしちゃって。いま。もう寝ますね。
 

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2.27

 朝、6時位に起きる。お腹が減っているがまだカフェが空いていない。しょうがないからコンビニに行って飯買って宿の共用スペースで食べようとする。が、共用スペースに異臭。これも致し方ないなとバルコニーに出て、寒空の下朝ごはん。まあ、悪い気はしない。食い終わって部屋に戻ろうとすると、スタッフの人とすれ違う。換気をはじめたのでなんかクレームでも入ってたんかな。
 シャワー浴びたり荷造りしていたら9時くらいに。カフェで二度目の朝飯を食べる(食べすぎ)。イングリッシュマフィンにスクランブルエッグとスライストマトがはさんであるやつがなかなか美味い。家でもやろうかな。
 いい感じの時間になったので東京駅へ。新幹線改札に入って、待合室で仕事する。電源はないがWi-Fiはあるので、PCの充電さえあれば、まあ困らない。明日締め切りの原稿がふたつ。ひとつはレビューなのでしっかり聴いて判断し、資料にあたれば書ける。しかしもう一方はもっとコラム的というか、お題があってそれについて自由に……みたいな感じなので、むずかしい……。困っている。助けてくれ。
 飯を買って新幹線に乗り込む。コンセントが使えるように窓際の席にしたが、まさかのコンセントのないタイプの便にあたってしまった。しかも、Wi-Fiもない。スマホからテザリングしながら、引き続き仕事。山形着くくらいまではバッテリーも持ちそう(実際持った)。
 新幹線のチケットを山形までにしてしまった件、変更とかめんどくさいし、山形で降りてふつうに在来線に乗り換えて天童まで。2両編成で、ドアはボタンを押して開け閉めする。時間帯のせいなのか、高校生がめちゃくちゃ多い。電車なんか使うの通学する高校生くらいのものだものなぁ。
 家に着いたら、やっぱ服についてたら不安なのですぐ着替えて、洗濯した。うーん。意外と過敏になっている。
 原稿をうーんうーんとうなりながらやって(着地点が見えない!)、もうどうにでもなれ、と思ったタイミングで、Bandcampで音源をいくらか買う。『The Decade of Depression』の売上を全部使ってしまった。今月入金がどれだけあるか(もしかしたら来月かしら?というのがある)が読めないので不安。まあ、明日になったらわかることだが……。
 夜、安倍ちゃんがまーた馬鹿みたいなことを言っている。マジでこいつら全員クビにしときゃよかったんだよな。

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2.26

 昨晩寝たのが2時とか3時で、うーむ、何時くらいに起きれるかなあ? と思ったらなんと7時くらいには目が覚めて、うだうだしてたら8時。きょうからピーター・ドイグ展がはじまるので、ワンチャン朝イチでいけんじゃね、と身支度して、宿併設のカフェで朝食を食べ、東京国立近代美術館へ。
 初日のオープンから展覧会みにいったことなんかなかったな。と思いつつチケット買って入場。ピーター・ドイグはそこまで観たいと思ってたわけじゃなかったけれど思いの外楽しめた。鏡面(水面)をキーとした初期作品から一貫して、いわば絵画的平面のなかに風景を読み込み、またその風景のなかに絵画のアナロジーが仕組まれ……という具合の入れ子構造が見いだせる。また、遠景・中景・全景……といった奥行方向のレイヤーとは異なる複数の面がフレームのなかにモチーフの配置や筆触のコントロールで構築されていくのが面白い。一時間程度で完走したが、もういっぺんくらい観てもいいかも。(坂田一男のときも同じこと言ってたが……)
 その後、渋谷に移動して打ち合わせという名目でランチ。中華を食べつつ「次の企画、どうしましょう」「あのミュージシャンどうですか」「最近なんかいい本読みました?」みたいな話をする。うっすらとプレッシャーを感じつつも……のらりくらりとやっていきたい次第ですね……。
 宿に戻ると、昨日に引き続きこれがまた体力ゼロ。睡眠時間が短かったから息切れだ。アニラジを聴きながらドミトリーでぐったりとする。
 晩飯を食べに外出て、いろいろけっきょくやよい軒入って、なんか敗北感を味わった。まあ山形にやよい軒、たしか無いから、いいけど。で、宿の共同スペースでこれを書いている。

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