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imdkm.com 投稿

健康と能率(10)

原稿仕上げないとと思ってこんつめたら日課のステッパーや体重計測がおろそかになってしまいよくない。日常のペースをもっとちゃんとつくらないと。仕事の資料読みもゾーン入ったときにまとめるんじゃなくてコンスタントに積み重ねたい。でもそれには体調がむらなく元気な必要もあり…… とか考えてたら泥沼だ。とりあえず食生活からなんとかしよう。米化オートミールをよく食べています。

愚かさをめぐる話。ある能力が低いという意味で誰かを「愚か」であるということは多くの場合不適切だが、「人間の判断力は時と場合によって大きなむらがあり、いくらでも愚かな行為をしうる」という意味で、自分をふくめてたいていの人は愚かだ、ということはおよそ間違いない、と思う。常に愚かである人はさほどいない。同じように、常に聡明である人なんてそうそういない。ある判断や行為の愚かさを属人的な能力と簡単に短絡してはいけない。それはたとえば「知性」というような言葉を使うときにも同じで、それが能力として語られる限りでしばしば差別的なニュアンスを帯びるが、もし「知性」がある制度によって保障されるもの、あるいはある技術によって身につけられるもの、として語られるならば、また別のニュアンスが生まれる。なんにせよ、こうした注意深い取り扱いが必要な言葉を振り回してはいけない。

Twitter Pro、あれは「Twitter Business」とかにしたほうがいいんじゃないのか? Amazonの法人・個人事業主向けのサービスがBusinessってなるみたいな。そしてその流れで「Twitter Student」「Twitter Scholar」「Twitter Artist」などが爆誕する。

吉本隆明の『マス・イメージ論』をなかばアトランダムに読んでいるのだが、「解体論」に出てくる「システム」という語がのみこめない。冒頭から、

わたしたちが意識的に対応できるものが制度、秩序、体系的なものだとすれば、その陰の領域にあって無意識が対応しているのは、システム価値的なものだ。構造が明晰で稠密でしかも眼に視えなければ、視えないほどシステム価値は高いとみなすことができる。

吉本隆明『マス・イメージ論』福武書店、1984年、146頁

と言い出すのだが、制度や秩序や体系ではない「システム」ってなんなんだろう。その次の段落で「システム的な、不可視の価値体」とも表現しているので、前の引用とあわせればこの「不可視」性が「システム」なるものの規定なんだろうと思う(でも可視的な制度や秩序や体系があるだろうか?)。明晰な構造を持つがその内部を把握不能なブラックボックス、みたいな感じなのかな。しかしそれがなぜ「システム」という一語に集約されて執拗に論じられるのがなんかよくわからない。80年代になにかリファレンスがあるのか……他の本もあわせて読んだらわかるんすかね。

「システム」といえば、お笑いの話で「システム」って言葉が出てくることがある。たとえば「システム漫才」という言い回しもあるし、ネタについて「システムをつくる」みたいな表現も見聞きする。けれどもそれがなんで「システム」と呼ばれるのかしっくり来たことがあまりない。「システム」と呼ばれているものはどちらかというと「アイデア」とか「コンセプト」だし、それを展開する手際だってもっとレトリカルというか、実はもっとディテイルに富んだもののように思う。

エッジが無限に鋭くなっていくYunomiさんだけれども、このあたりでどちゃくそイケボな声優ソングやってほしい。少し高めの、っていうよりは低い人の。あれよ、武内駿輔さんくらい低いの。

「文化の盗用」を考えるにあたっては、他者の文化=アイデンティティに対してどのように参与・介入するかという実践における倫理の問題と、植民地主義などの歴史や経済的・社会的な権力関係がもたらす構造的な問題というふたつののレベルを認識しておくことが大事だと思うのだが、ざっくりと「文化の盗用」と言うとき前者にフォーカスがあたりがちな印象がある。もちろんそれ自体が悪いことではなく、個人の生活――つまり実践――においてその議論が重要であることは言を俟たない。それに、このふたつのレベルは互いにきっぱりとわかれているわけではない。けれども、後者があまりに軽視されてしまうと、権力関係が隠蔽されて、「対等な他者同士のあいだでおこるいざこざ」のような不適切な認識のフレームができあがりかねないし、ひとつひとつの事例に対する解釈もずれてしまう。

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健康と能率(9)

「生活」という一語を粗雑につかうことによって、マイノリティの生活を「生活」から排除してしまう、そういう事態に鈍感な人こそ、「生活」をわかってなさそうだな、ということを思う。そりゃまあ、みんな自分のこの具体的な生活が大事なわけだし、その範囲を抜け出して考えるのってめっちゃ大変だから、そこから一歩でも踏み出すにはどうしたらいいんだろうって、きちんと考えなければならない(その限りで「生活」にきちんと向き合う必要がある)。しかし政治家なんていうさ、それこそ発言力や拡散力があり、言葉で食ってるような人が、「生活に余裕のある人の~」とか、みだりに言うもんでもないよ。「生活」や地べたの話をしているようで、SNS上の言論の綱引きに巻き込まれててんてこ舞いになっているだけっていうか。

それとまあ、今回の衆院選に対する反応を見ていると、やっぱり地方への偏見について、思うところはいろいろある。いろんな人が言ってると思うけど。選挙のときにぱっと目について心底うんざりしたのは維新が議席を増やした大阪について「あそこは別の国」みたいな言い回しをのんきに使っている人らがリベラルでございみたいな人にもたくさんいたことで、これは個人的にかつて大阪が「大阪民国」とかいって2chで(嫌韓ヘイトのコノテーションを含みながら)揶揄されていたことを(意図してるかどうかは別としてある種集団的な記憶として)引きずっている表現に見える。おぞましいことだと思う。

あと、議席という結果を見たらそりゃ「維新一色」だけど、結果にいたらなかった票を投じた人もたくさんいるはずで、単純化につぐ単純化って感じがする。これは「維新に投票した市井の人びと」の気持ちをリベラルに向けて説く人びとにも言えることで、ここぞとばかりに「市井の人びと」というマスを実体化してしまうのもよくないんじゃないのか。アメリカにおけるトランプ当選に関する(実態を必ずしも反映していない)分析と同じようなものになってしまわないだろうか。

選挙がもたらす議席という結果はたしかに実際の政治を左右する最大の要因だが、しかし議席の配分をもって民意を分析することは、やっぱり素人には難しい。専門家だって、要因が複合的すぎてばっちりの答えを出すことはなかなかできないだろうし。選挙と政治はまた違う。

いろいろ言うとりますが11月の下旬から東京都現代美術館で久保田成子の回顧展とクリスチャン・マークレーの個展。めっちゃ行きたい。しかし最近あんまり仕事をしていないので交通費や滞在費を確保しなければならない。トークとかお仕事とかの案件あったらご連絡を……。

山形からすら出ていないのでまずせんだいメディアテークとか久しぶりに行きたい気持ちもある。仙台まで行くのは車の運転を長時間するのが最近怖い(集中力が落ちているので)というのもあり、まあまあ難儀である。

ところでこのところガソリン代がうそみたいに高い。おかげであんまり外出しなくなった。自分みたいに「したくなければ/できなければしなくてもいい」ならまだいいのだが車を使わざるを得ない人(地方在住者の多く)にとっては頭痛の種だろう。EVが普及したらこうした燃料代に関する悩みはどう変わっていくのだろうか。たぶん自分の世代かちょい下くらいまではまだしばらくガソリン車(もしくはハイブリッド)が日本の主流だと思うのだがもっと下になると一気に普及する気がする。でも気候変動への関心の薄さから考えるとそんな楽観的にもなれないか。

Broadcast、múm、Dani Sicilianoなどを最近聴いている。あとLuomoも聴き返したらよかったなぁ。ゼロ年代のいわゆるエレクトロニカ、グリッチ方向ではなく生音系の。フォークトロニカというほどではなく。みたいな。LuomoはVladislav Delayがハウスやるときの別名義だけどいいあんばい、クリックとかミニマルよりももうちょっとつややかな印象。

Selected MP3ってタイトルはかっこよすぎる。

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健康と能率(8)

期日前投票に行く。帰りに出口調査を受けた。まあまあ選挙経験してきたけどはじめてだと思う。選挙についての考え方はいろいろ自分のなかでもやもやっとあって、でも言語化すると単に反動的なやつだと思われそうだなと思ってやめてしまう。

テレビ朝日映像撮影部 – YouTube

テレビ朝日映像撮影部というチャンネルを知る。おもしろい。見ながら学部生時代のことをちょっと思い出すなどした(8の字巻を覚えたり、養生テープの使い方を覚えたりしていた)。ガジェット好き的な目線ではなくテレビ制作の現場の話が知れるのは面白い。道具を使い倒す人の視線。

バラエティ番組やポッドキャストを聴いていて自覚するのは自分はとにかく話の内容よりもコミュニケーションのありようのほうに強い関心を抱くということだった。いいことを言っているのか、おもろいのか、興味深いのか、ということはさほど重要ではなく、なにかに気づいたり、察したり、通じたり、あるいはそれらに失敗したり、みたいなやり取りに心が動くというか。これって「考察」にうってつけで、「こういう話の流れになった条件とはなんだったのか」っていうのを細かく見ていくと楽しい。なんか興奮してきたな(サンドウィッチマン)。

基本的に午前中に買い物に行くことが多く、その移動中はカーステでNHKFMをかけていることが多い。あんまりなにが何曜日とか覚えてないのだが、「メロウな夜」「快適音楽」とかが流れがち。あと岸谷香やアルフィーの番組もなんか楽しい。きょうはカーステからLittle Simzが流れてきて「おっ」と思ったら「快適音楽」でSaultとかInfloとかLittle SimzとかCleo Solの話をしていた。テンアゲだわ。

どんな文脈であれさすがにいい年した人が淫夢ネタはひく。いや違うな。年齢に関わらずどんびき。ただ「ネットでよく見るあの言い回し、元は淫夢ネタなの!?」みたいなときあるからやだよな。

最近ぱーてぃーちゃんが好きです。にちようチャップリンではじめて見たんだけどザ・ベストワンにもでてきてうれしかった。「好きなお笑い芸人は怪奇!YesどんぐりRPGとぱーてぃーちゃんです」、と言ったらお笑い好きの人はどう思うんだろう……。

なんか律儀なボケ 味わいのあるツッコミ ツッコミからの謎の時空間 すがちゃんは山形出身らしいんだぜ…(YSL)

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健康と能率(7)

風邪、睡眠に加えてめちゃくちゃ厚着してストーブつけてお水どんどん飲んでたら症状が収まった。目当ての資料をこちらの凡ミスで発注しそこねて作業が止まり、せっかくなのでちょっとしたブログ記事を書こうと思ったが、構想段階で挫折。よくないね。

横川理彦『サウンドプロダクション入門 DAWの基礎と実践』(BNN、2021年、アフィリンク注意)を読む。「入門」と謳っているだけあってDAWの理念からAbleton Liveの具体的な操作まで丁寧に解説しているのだが、実は現代のポップ・ミュージックとは(あるいは音楽とは)いかなるものかを多角的に考えるための足場みたいな本だ。音楽はどのように聴かれ、演奏され、制作され、流通してきたか。広範なトピックが実践の方法といっしょに語られる。だからDAWの使い方はひととおりわかってるよっていう人も一度目を通すと面白い。

他方、DAWなどのテクノロジーがヨーロッパの近代的な音楽観をもって世界を植民地化(colonize)しているという批判はいろんな方向から起こっていて、最近もこういう記事が出ていたみたいだ。

Decolonizing Electronic Music Starts With Its Software | Pitchfork

邦訳がWIREDに載っているので読める方はそちらでも。プロフェッショナルな機材に比べればずっと安価なDAW(しばしば海賊版)がもたらす制作環境は急速にグローバル化していて、それがさまざまな現代的なポップ・ミュージック/ダンス・ミュージックの誕生を促している。Amapianoでもバイレファンキでもいいが、近年注目をあつめる魅力的なジャンルの多くはそうした技術的条件のグローバル化(と、そこからの逸脱や抵抗)に基礎づけられている。それを発展と呼んでシンプルに言祝ぐことはできないが、かといって一概に批判しきれるものでもない。いずれにせよ作品や言葉を通じてその様子をうかがい知ることができる本といえば、日本語だったら大石始/吉本秀純監修『GLOCAL BEATS』(CDジャーナルムック、2011年、アフィリンク注意)があるし、上掲の記事にも登場するJace Clayton (aka DJ/Rupture) が著した『Uproot: Travels In 21st Century Music and Digital Culture』(2016、アフィリンク注意)はかなり面白い本で、なんとか翻訳されてほしい(なんなら翻訳したい。前から言ってるけど。こういう話って誰にしたらいいんだ? もう訳して持ち込んだらええんか?)。でもどこに読まれるのか正直わかんないし、刊行から5年経ってるからなぁ。なんともはや。英語をそれなりに読める人は手にとって見てほしい、Kindle版は結構安い。

Major Lazerがキューバでのライブを実現させるまでの顛末を描いたドキュメンタリー『Give Me Future』もそういう視点で見ると面白い。Diploが現地の若者と対話する場面とか味わい深いし、キューバで政府の目をかいくぐる独自のアングラな情報インフラが草の根で構築されている様子なんかもちらっと出てくるのが気になった。

直接は関係ないけど別文脈からの平均律批判みたいな話で『サステナブル・ミュージック』(アフィリンク注意)は面白かった。くわしくは上の拙評で。

きょう(と書いているが、実はこの日記は一日の記録ではなく、何日かにまたがったり前後したりしている)は某ポッドキャストの収録があり、みっちり話したのだが、終盤に出てきた話があまりに響いてそれを聞きながらじんわりしてしまった。また告知します。人と話した日はまったく頭が使い物にならなくなるからだらだら過ごしていたのだけれど、そういえば積んだままの洋書がいくらかあるのを思い出して、少しだけ読んでから寝ることにする。

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健康と能率(6)

言ってなかったけど「健康と能率」は日記です。

気が滅入ることといえば皇室の結婚話で、天皇制も嫌いならまるで知らん他人の恋愛や結婚みたいなプライベートの話をさも重大ごとのように延々報じられるのも嫌いだからニュースを見かけるだけで嫌になる。自分が生きているうちに天皇制が廃止されるのを見られるだろうか。

こないだ最近バイレファンキ追ってないなと思ってCanal Kondzillaを見てみたらかなりかっこいいのがアップされていた。必要最小限の渋いトラックにメロ自体は平坦ながら歌心がにじむヴォーカルというバランスがいいなーと思う。肝心なところで結局は「歌」だっていうところにバイレファンキの魅力がある。気がする。

カエターノ・ヴェローゾの新作『Meu Coco』収録曲「Não Vou Deixar」は楽曲の終盤に150のバイレファンキ(名前が思い出せない)のビートが入ってくる。2012年作『Abraçaço』収録の「Funk Melódico」もバイレファンキっぽいビートがフィーチャーされていて、いやブラジル音楽の基礎をなすパターンなのかもしれないが、いずれにせよそれが「なんかやってみてますぜ」という感じじゃなくてちゃんと連続してるように思えるのがおもしろかった。

9月~10月つくったものをなんとなくまとめる(部屋の掃除のような気分で)。SoundCloudにアップしてあるのは一部だけれどもたとえば日向坂46「君しか勝たん」のサビだけリミックスしたやつ(「勝つ」)とか、揺らぎのリミックスコンテストに応募したやつとか、手癖でつくってなんか放置してたやつとか。ほかにもいろいろ小さいものをちまちまつくってあるが公開することにはならなさそう。

「手癖 01」はなんとなくつくったビートのうえでボーカルカットアップの練習(ボーカル素材をS1の標準機能で分割&サンプラーに転送、というのを効率的にやる方法を確かめる)をしてみるみたいなやつになった。あとフリーで使えるSoftubeのSaturation Knobを昔インストールしたもののなぜか使えなくて放置してたんだけど、インストールしなおしていろいろいじってたら使えるようになって、無事にいい感じのサチュレーターを気軽に使えるようになった。はやくS1のアップグレードしたい。いまだにver.4なので下手したら5.xスルーして6が出ちゃうかもしれない。まあそれはそれでいいけど。

鼻からはじまって喉に来て全身にだるさがまとわりつく、自分にとって一番なじみのある風邪をひいてしまい、だるい。突然寒くなったのにからだが追いつけていない。最近日中ものすごい疲労感が抜けなくて困ってたのに輪をかけて、もう起き上がって作業するのもしんどいみたいな。なんとかしよう。

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健康と能率(5)

人生をたてなおさなければならない。といって、破滅しているわけでもない。なにか目標があったほうがいいのかと思ってTOEICをひさしぶりに受けようかと調べてみると、8000円。一念発起するならまあ出さないこともないがそれなら本とCDにまわしたいなぁ……という値段だ。学部生時代はたしか大学経由でTOEICに申し込むと5000円とかで、それもなんならいくらかキャッシュバックがあった気もする。安かったなー。とか言いつつ当時は「補助が出るなら……」とナマイキにTOEFLを受けた。大学ってすごい環境だった。いま大学行ってる人たいへんだろうけど使える制度はめちゃくちゃあるはずなので使えるだけ使ってほしいしそれがまわりまわってゆくゆく社会に還元されてゆくのであると信じてもいるので……。

最初で最後のTOEIC受験は3年前。なまじそのときに妙にいい点数をとってしまったので「さらに上を目指すぞ!」という目標の立て方もできないし、かといって現状維持のために定期的に受けるほどTOEICに情熱があるわけでもなく、だらだらと3年も経っていたのだった。よろしくないでござるな。TOEICも所詮はテストで、解き方がうまいやつが点数とるという面は確実にあり、実際の英語力とはあんまり関係がないな、と我が身を振り返って思ったりもする。

身長が182cm、体重が137kgあるので世の中のおおよそのモノと寸法が合わない。別にすげぇ不便ってわけでもないんだけど、いま暮らしている家(実家)で最近よく頭をぶつけたり、洗面台やシンクの高さにちょっと腰のしんどさを感じたりする。体重の問題も大きく、これは自分の意志次第で減らしていけるものとはいえ、「あれ試してみようかな」ってときに耐荷重がせいぜい100kgで、断念することがある。踏み台とか椅子とかフィットネス器具とか! 40kgくらいは落とさないと世界が自分を受け入れてくれない(物理的に)んだな、という気持ちになる。まあそんなことはなくてちゃんと探してお金を出せばいいんだけど。結果的に丈夫で長持ちするものが手に入るし。

布袋寅泰『SUPERSONIC GENERATION』を今様にリミックス&リマスターして出したら猛烈に話題になると思う。こないだ聞き返したのだがやっぱりすごいあれは。あれの前も後もちゃんと聴こう。

こないだ思い立ってDJ FUNKの20周年盤を探して、まだ新品の在庫があったのでポチった。届いたのを見たら、あれ、CDRなのね。オフィシャルなのかな。一時期サブスクにもあったけど少なくともいまSpotifyにはない。改めてプレイすると、暴れるままに鳴らされる低音に「ひぇ~っ」となる。味付けがない! DJ FUNKで一番好きなのはJusticeのLet There Be Lightのリミックス、というと「???」となるのかもしれない。でもあれは元曲の申し訳程度みたいな使い方とか含めてなんかぐっとくるのです。そりゃPump Itとかがアンセムなんだろうけど。

2021年も暮れ始めていていろいろ今年聴いた音楽を思い返したりするのだが、Anna Yamadaの『MONOKURO』はものすごく特別な作品だなと思う。アナログモノシンセと声とリバーブ・ディレイだけでできたヴォーカル・アルバム。シンセの生々しい音と、リフとメロディが匂わせる浮遊するコード感、そしてなによりヴォーカルのひややかな柔らかさが凄まじい。リスニング体験としても鮮烈だけどこれにインスピレーションを受ける人は少なくないのではなかろうか。サブスクにもないしダウンロード販売もやってないんだけどYouTubeにMVやパフォーマンス動画が何本かアップされている。

以上のほか、YouTubeチャンネルでもっと見れる。自分が買ったときは通販だと埼玉のmore recordsでしか売ってなかったんだけどいまは販売場所が増えている。東京の黒猫(ex.円盤)、奈良のMOLE MUSICなど。くわしくはこちら→2nd Album “MONOKURO” | annayamada.net

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健康と能率(4)

星野源「Cube」をひょんなことから聴いてしまう(最近、あまりに気力がなく、聴こうと思っている新譜を1,2ヶ月平気で放置していることがままあり、「Cube」もそうなる気がしていた。だいたいプレイリストとかライブラリにまとめてんだけど、なんか冬をこすためにどんぐりを地中に埋めて忘れてしまうリスみたいな気分です)。意欲的で面白い、これが映画の主題歌って変でいいっすね。と思う一方で、「すごい曲だ、いい曲だ」と聴き入るよりも、これによってなにを乗り越えようとしているのかのほうに気を取られてしまって、判断に困った。手数が多く展開もめまぐるしいが編成は超ミニマル。終止感のない(分析した、というかそもそもできるわけでもないのであれだけど。)変な終わり方。押韻や譜割りによる言葉のリズムの紡ぎ方。自分なりに解きほぐしていくといろいろわかることがありそうだけど「なにがこの曲を興味深くしているのだろう」という方向ではなく「この人はこんなつくりにすることでなにに挑戦しようとしているのだろう」という方向に思考が進んでいってしまう。

サムネがオーソン・ウェルズ。

「草ノ根」というZINE(@kusa_no_ne_)を買った。vol.2とのこと。ここで買えます。アボかどさんが書いているというのをきっかけに知った。紙面は想像していたよりもしゅっとしているというか、ZINEに自分がしばしば感じるような過剰さやアマチュアリズムはそれほどなく、テーマも記事もフォーカスが効いていていい意味で抑制されているというか。B6サイズで表紙含めて24ページ、写真もふんだんに効果的に使われて、ボリューミーではないがフォーカスがあっているので読み応えががっつりある、すごいな。いいな。そんななかでコラムのページによせられた4つの小文が放つごつごつとした感じに心動かされたりもする。あ、知るきっかけになったアボかどさんの文章もよかった。分量はタイトだけれどここから考え始められることがいろいろある。

SACOYANS『Gasoline Rainbow』めちゃくちゃに良い。去年の『Yomosue』から知った新参なのだけれど、SNS経由の知り合いは結構古くから追っている人が多い気がする。最近はパソコン音楽クラブ『See-Voice』と『Gasoline Rainbow』の二本柱みたいな感じです。その柱でなにが建っているのかはわからないけれど……。すごいメロディ(歌も、メロディ楽器も)の優れたオルタナティヴ・ロック、と言ってしまえばそれまでになってしまう、もっと尽くす言葉があるはずなのに。

いいですね。ちなみにおれが一番好きなのは「偉大なお告げ」です。

これはSACOYANバージョン(バンド編成だとSACOYANS)

「何時に寝ようが6時くらいに起きる」という謎のクセがあったのだがここ2,3日は0時から1時に寝て8時過ぎに起きる、7~8時間睡眠が続いている。かといって日中楽になっているわけでもないんだけど。夜に運動してるからなのかな……

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健康と能率(3)

一時期、自嘲的に自分の文章を「怪文書」って言ってたことがあったけど、あれももうサムいなと思ってもう言わなくなった。人の文章も「怪文書」とかあんまり言いたくないなという気もする。

大根おろしって冷凍できるらしくて、大根買ってきておろしては30gくらいずつで小分けにして冷凍保存している。いろんなものとあわせてがんがん食ってるんだけど解凍して一味とまぜたらもみじおろしになるなどの発見を日々あじわっている。一番はまってるのは油揚げを焼いてもみじおろし&ポン酢をかけるやつで毎朝のようにそれ食ってる。もちろんお肉とあわせてもおいしいのだが油揚げはやばいです。油揚げ最高です。

食ってるものシリーズ。オートミール米化をよく食べていて、でも一番自分の口に合うのがどんなレシピなのかあんまりしっくりこなかったんだけど、原点にかえっておにぎりにするのが一番間違いないことがわかった。納豆かけたり丼ものにしたりいろいろやってたんだけど。あげ玉と刻み紅生姜とめんつゆで和えるやつ。なんかのウェブサイトで見たのだったか。でもあげ玉とめんつゆのおにぎりは好きでよくつくってたんだよな。

食ってるものシリーズ。バナナもよく食べている。バナナを食べているというよりバナナスタンドを使っているというほうが近いかもしれない。昔、バナナスタンドがヘッドホンスタンドに最適という話があってためしにダイソーで買ってあったのを素直にバナナスタンドとして使いだしたら、なるほどこれはいい、バナナが長持ちする。なにかに接触している部分から熟し過ぎちゃうから吊り下げておくとそういうのがなくなるのね。そしてバナナはうまい。木に実るカロリーメイトみたいで便利だし。便利な植物ってすごくなんか人間のエゴっぽいけど。植物への倫理。

食ってるものシリーズ。チョコレート効果カカオ72%(アフィリンク注意)を1kg箱買いした。前も買ってあったんだけど、このくらいのやつがたまに食うときに罪悪感がなく、甘すぎてくらっとすることもない。

フォーラム山形で「サマー・オブ・ソウル(あるいは、革命がテレビ放映されなかった時)」を見たんだけど、パフォーマンスを重点的に見せるのかと思ったら、パフォーマンスのフッテージを素材にカットアップ&モンタージュしてるみたいなすごい大胆な編集があったりしてびっくりした。え、コールドカット? みたいに思っちゃうレベルというか。言い過ぎか? 冒頭のスティーヴィー・ワンダーのドラムソロの使い方とか、そんなブレイクをサンプリングするみたいなやり方やっていいんだ、って思っちゃったよ。よかった。コメントを寄せている人のなかにファッションの専門家(仕立て屋さん)がいて映像におさめられた当時のファッションについて解説していたり、パーカッショニストの演奏にシーラ・Eがピンポイントで的確な解説をしていたり、いろいろ絶妙だと思えた。そしてなにより、これほど熱気あふれる重要なイヴェントの記録が半世紀ものあいだ忘れられてきたことを訴える終盤の編集をはじめとして、出来事を素材にひとつのステートメントを発する力強さにあふれていたのがよかった。

なにか人や団体を「信頼できる」っていう言い回し、あれなんなんだろうな、「怪文書」と同じでなんか気持ち悪くなって使いたくなくなってしまった。なにも信頼するなというのでもないのだけれど、「この人は信頼できる」とか、どういうことなんか、そこで言っている「信頼」ってなんなのか、わからないのだ。

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最近気になったCMソングの選曲

テレビ見てたらとくにCMで「いまそんな曲かかんの?」みたいなときがいくつかあった。2000年代初頭のビッグビートとか。いま90’s~Y2K文化がリバイバルしてるって話ちょい前からあるけど、そこはなんか、どうなんすかね? みたいな。

キリン スプスプリングバレー豊潤<496>
Elvis vs. JXL – A Little Less Conversation (2002)

https://youtu.be/OZw2oB2urqU

サントリー THE STRONG 天然水スパークリング
Fatboy Slim – Ya Mama (2000)

DIESEL FALL/WINTER 21
Vitalic – La Rock 01 (2001)

こう書くと反応する曲がおじさんっぽい。あというほどたくさんもない。3例って。

ついでに書くがクラフトボスの「ド名曲をなんのひねりもなく使う」シリーズはぱっと見しゅっとしているだけにダサさを感じてしまう。そりゃいい曲使ったらつかまれるでしょ。替え歌と同じくらいいやだ。それに対してElvis vs. JXLとかはマジなのかウケ狙ってんのか判断しづらくて気になる。そういえばAppleがCMにDelta 5使ってるのが使い方ダサくて嫌だった。好きな曲が「ちょっと気の利いた洒落た宣伝」の部品にされてるのはいい気がしない。Delta 5のシンガーでギタリストだったJulz Saleはつい先月(9月)がんで亡くなった。追悼。

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健康と能率(2)

フィジェットトイ(手元がさみしくてなにかをいじいじしてしまうときに手頃なおもちゃ)が欲しいがネットで何度か買ったのがどれもサイズやクオリティに不満が多くて同じ値段かけるなら自作したほうがいいんじゃないかと思っていた。それでいろいろ調べてたら、とあるツイートで100均で売ってるスマホゲー用のボタンがいいみたいなことを見かけて実際にそれに近いものを探してみた。入手できたものはスマホ本体をクリップではさむようにしていわゆるL・Rボタンを実装するような仕組みになっているのだけれど、おなじく100均で売ってる6mm厚のMDF材をいいサイズに切ってはめこんでみると、たしかに悪くない。面取りしてにぎりやすくして、いつでもサワれるようにデスクの上にぽいっと放ってある。

ある日、昼過ぎから打ち合わせがあり、ほぼ雑談の愉快な内容でこころは晴れ晴れしたのだが、なんでかその日はたまたま、最近気をつけていた食いしばりの癖がぶり返してきていたようで、Zoomの画面を閉じて一息ついた途端に奥歯の違和感と頭痛が襲ってきた。ロキソニンを飲んだらすっと痛みはひいたが、いや多分話をしているときはアドレナリンでも出てたんだろうな。っていうか、もしかしてポッドキャスト収録後やリモートのインタビュー収録後に疲労困憊になるのって喋って頭使ったからじゃなくて噛み締め癖のせいなのかも? 今度から人と話すときは気をつけよう……

もうかれこれ8年くらい履いていたKEENのサンダルが、ソールがまるごと剥がれるというショッキングな壊れ方をしてしまって、どうしたものかと思ったんだけど、まあこの機会にいろいろボロボロになってたのを接着したり縫い直したりして、もうしばらく頑張ってもらうことにした。「裁ほう上手」という手芸用接着剤(アフィリンク注意)で破れていた布地をなおして、ソールはスポーツグー(同前)でがっつりつける。まだソールの接着はかたまりきっていないのでどうなるのかわからないけど、ちょっとはもってくれたらうれしい。見た感じいけそう。まあスポーツグーまだあまってるから剥がれちゃってもまたトライしよう。

最近TVerでTVバラエティをよく見ていて、「キョコロヒー」とか「あちこちオードリー」が結構好きなんだけど、こないだ「あちこち」にアンミカがホストになって四千頭身後藤・森三中黒沢・神田愛花をゲストに人生相談やるみたいな回がすごかった。一番すごいなって思ったのは神田愛花がした相談をアンミカがいったん受け止めて噛み砕いてその場全体で「問い」として共有したうえで、具体的なアドバイスそのものを若林にふったところだった。若林もウケを狙いつつも自分に嘘をつかなくてもいい一言をちゃんと出していて、パス回しがそんなうまくハマることあんの? ってびっくりした。回全体を考えると、やり取りの内容そのものや出されるアドバイスにねじ伏せ感はやっぱあって嫌な人もいんだろうなと思うけど(別におれも好きではない)、パス回しのあたりは「なんでもアンミカフィルターでものの見方を変えれば解決」みたいな話じゃぜんぜんなくて、メインの喋りをしつつもファシリテーションが成立しているという感じだった。自分の手に負える範囲じゃないなと思ったら若林に振るって判断も、そもそもそれまでの会話を通じて、アンミカ自身だけじゃなくて、相談に対して適切な答えを考えるための材料がその場にいる人たちに的確にシェアされていることも、まあ鮮やかだなーとなった。その分危うさもあるんだけど。でも「宗教みたい」とか雰囲気で済ませて敬遠するよりは、その場の(少なくとも表面上受け取れる)納得感がどのようにうまれているかをほぐしたほうが、まあ応用も、悪用に対する対策もできるじゃんね。なんでこんな話してんだ。

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