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imdkm.com 投稿

健康と能率(37)

東京から帰ってきてM-1見て、ひとしきりああだこうだツイートして、1年分のなにかを発散した感じになった。

山形は寒い。そんなことは自明だし常々思っていたけど東京がそれなりに過ごしやすかったのを思い出すとこの寒さがあまりに理不尽に感じられる。朝起きてファンヒーターをつけるのが非常に億劫で、せめてベッドからオンにしたい……とSwitchBotの導入を検討する。でも、3~4000円。スイッチを押すガジェットが……。でも、ファンヒーターのシーズンが終わったらまた別の活用もできる(扇風機とか?)と考えれば、買ってみる価値はあるか。とポチった。ちょうどAmazonギフト券が1000円分、あとこまごまポイントがあったので、3割引くらいの値段で買えた。

あっちゅうまにSwitchBot届く(アフィリンク注意)。スマホと連携して、ファンヒーターのスイッチ部分に取り付けて、これもあっちゅうまに設定完了。これで寝起きにベッドからファンヒーターの電源がつけられる。つくりがいかにも頑丈な感じだし堅牢性とか考えると妥当な値段なのだろうけれど、デフォで3000円くらいだったらもうちょっと気軽に買うのにな……。とはいえ、ボタンを押すだけなのにこれだけ便利になっちゃうのは絶妙で、もう2つくらい欲しくなる。

『痙攣 vol.2』届く。読むのはちょい先になると思うのだが、間違えて左開きのつもりでページをくったら執筆者プロフィール一覧が目に入り、李氏さんが末尾に「もっともっと書いていきたいです」と添えているのを目撃する。アツい……。

なんでかしらないが身体のふしぶしが変だ。首すじ、脇腹、腰にそこはかとない違和感。メンタルのバランスを崩していることもありちょっと寝込んでしまう。珍しく頭はそれなりにはっきりしているのだが身体が追いつかない。身体にひっぱられるように頭も鈍っていく。鎖骨のあたりの違和感が徐々に痛みに変わっていく。寝違えみたいなもののような気もするから、あったかくしてゆっくり寝る。

久しぶりにカレーをつくったらとてもおいしくできた。鶏むね肉をスパイスとトマトで炒めて煮込む。ほろほろになっちゃうまで煮込む。マッシャーでむね肉をほぐして塩コショウで味をととのえる。幸せな気持ちになった。ちなみにスパイスは通販で買うのがいい。クミンシードカルダモンシードクローブコリアンダーパウダーガラムマサラ(以上、アフィリンク注意。実際買ってる奴を並べただけなので他にもいろいろコスパとか質とかあると思う)など。コリアンダーパウダーは馬鹿みたいな量入れたいし入れていいので大量に買う。唐辛子や生姜、にんにくなどはスーパーで適当に買うのでいい。なんならしょうがやにんにくは業務スーパーのでけぇチューブだし。ちなみにカルダモン、クローブ、生姜に加えてシナモンがあるといい感じのチャイがつくれる。茶葉を

「お笑い」という領域で行われていることは必ずしも「笑い」とか「面白さ」の追求ではなくて、むしろそこに加わるプラスアルファの部分のほうが本質なんじゃないのか、それを「ウケる、ウケない」や「笑える、笑えない」の話にすり替えてしまいがちなことが「お笑い」がときに表出させる錯誤や欺瞞なのではないのか、などということを、お笑い好きの人に伝えようとしても、結局「笑い」の話にずらされて、糠に釘だったことを、なんとなく思い出す。「笑い」という巨大なはりぼてのテーマに覆い隠された「お笑い」のコード。

ありとあらゆる「結局」と「要するに」に警戒すること。

小沢健二のニューリリースがいい。『So kakkoii 宇宙』は未だに印象の悪い嫌なアルバムなのだが、ちょくちょく配信されていたシングルや今回の奴が放ついびつで親密な魅力というのはたしかにある。字余りするかのような定形を外れた進行、クセのある歌唱。サウンドもストリングスの流麗さを打ち消すように妙な鳴りをする。そのいびつさを堂々と発しているときが自分にとってもっとも好ましく小沢健二を聴けるなと思う。

東京行って2021年分の体力を使い切ってしまったようで、音楽を聴くのも音楽の話をするのもひどくしんどい。距離を置きたい。

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健康と能率イントーキョー

1年11ヶ月ぶりに東京へ向かう。3泊4日とまあまあ滞在することにした。

12/16

6時起き。なにを思ってか、前日は日付変わって2時ごろ就寝したため、完全に寝不足。荷造りはあらかた済ませていたのでシャワーを浴びて着替え、親に駅まで送ってもらう。新幹線で東京まで3時間。ばり眠いが、締切直前の原稿があるので資料を聴き込みながらなんとか車内で仕上げる。そのまま送るのは不安だったので、一晩寝かせることにする。

昼前に東京に着き、渋谷に向かう。久しぶりの東京で右も左もわからない。もともとわからなかったのだが。とりあえずタワーレコード渋谷店をひやかす。フロア構成ががらっと変わっていた。おもしろかったのは「ボーイズポップ」という分類がどどんと展開していたことで(昔からあったっけ?)非ジャニーズ・非K-POPな日本で活動する男性パフォーマンス/アイドルグループをまとめたような感じだった。この呼称、けっこう普及してるんだろうか。JO1やINIはK-POPのフロアにいたと記憶するけどこのへんの境界線のあいまいさあるよな……。

そのまま渋谷某所でポッドキャスト、TALK LIKE BEATSの収録。もう2年つづいている番組なのに、対面で収録したのはtofubeatsを招いた#1-3だけで、あとはずっとリモートだった。めちゃくちゃ久しぶりに姫乃たまさんと会い、わいわいする。まあ、内容は配信されたときのお楽しみ、で。正直、寝不足と移動の疲れでなに喋ったか覚えてない。ただ対面の収録ということもありテンポはよかった。たぶん前編あたり(つまりまだ体力があったとき)、いつもよりも図に乗った喋りになってると思う。

夕方に収録を終え、Zepp DiverCityへ向かう。KIRINJIのライブをみる。心身ともに疲労でバッド入りかけだったのだが、さすがに素晴らしい演奏で持ち直してくる。「小さなおとなたち」→「ブロッコロロマネスコ」→「爆ぜる心臓」の流れの素晴らしさ、「あの娘は誰?とか言わせたい」の切れ味、「非ゼロ和ゲーム」の味わい、Maika Loubtéが登場しての「薄明」……どこをとっても凄かった(ちなみに順番は混乱している、「薄明」は「非ゼロ和ゲーム」あたりより前か?)。MELRAWすげぇいいなって何度か配信ライブで見て思ってたけどやっぱかっこいいし、シンリズムのギターもよかった。「腕がある」のに加えてなんかスター性ある感じした、シンリズム。たたずまいは淡々としてるんだけど。

ぜんぜん気づいていなかったのだが、隣の隣の席がライター・編集者の小熊俊哉さんでびっくりした。終演後に声かけられて「ひぃっ」となった。ずっとステージ見てて気づかなかった……。

疲労感につつまれながらホテルにチェックイン。一泊3500円と格安だったのにまずまずの広さでアクセスも良く、勝利を確信した。

12/17

朝イチで都現美に向かう。宿からぎり歩けるじゃん、と思って歩いていったらそんなに甘くなく、案の定足が痛くなった……。タジタジさんと一緒にクリスチャン・マークレー、久保田成子、ユージーン・スタジオ、常設展を見る。

クリスチャン・マークレーが一番目当てといえば目当てだったのだが、実際に見てみると、正直あんまり……。パフォーマンスや映像は好きなんだけど、今回特にフィーチャーされていた視覚的表現については、なんかクレバーだしきれいにできてますね、みたいな感じで、冷めた感じで見てしまう。マンガやコミック等々の研究者がオノマトペを援用した一連の作品をどうみるんだろうな、とか(たとえば《Manga Scroll》における“Manga”と作品に用いられる言語と絵巻物という形態の関係、どうなんでしょう)。微妙じゃないのかなぁ。うーん。もっと素直に楽しめるのかと思ったんだけど。いや、もっと楽しもうと思ったら楽しめた気もする。ペインティングに萎えちゃった感じはある……。

反対にめちゃくちゃよかったのは久保田成子展で、60年代初頭に日本の前衛に触れ活動を開始した後、アーティストとしての可能性に賭けて渡米しフルクサスに関わり、ビデオアートのパイオニアとしてアーティストとしてもキュレーター/アクティビストとしても精力的に活動を続けたその足跡に圧倒される。また、ビデオ彫刻も生で見ると素晴らしくてびっくりした。以前、大学のころか、たしか階段を降りる裸婦のビデオ彫刻がどこかで展示されているのを見たことがあったのだが、そのときは正直ぴんと来なかった。しかし今回、でっけー展示室にビデオ彫刻が数点並んだ空間のインパクトはすごかった。デュシャンの援用もすごくいろいろ触発される。ある時期から繰り返しあらわれる、Vの頭韻に貫かれた”Video is…”という詩もかっこいい……。解説文のなかに「「なぜ山に登るのか」に「そこに山があるからだ」とこたえるのは植民地主義・帝国主義的だ、山に登るのは山を知覚して感じるためだ……」みたいな久保田の言葉が引用されていてばちくそかっこよかった。

ユージーン・スタジオ、思弁的でスタイリッシュな感じなのかなと思ったら実際にはひらめきとストレートなポエジーを見る感じだった。海をつくるインスタレーションやチェスとドラムセットのインスタレーションあたり以外はインパクトある造形よりも繊細なニュアンスを感じ取ることを要請するものが多い(海もそうといえばそうか)。その繊細さの質についてはそういう目の肥えたひとの話が聞きたい。『2001年宇宙の旅』をモチーフにしたインスタレーションというか彫刻は、インスピレーションとインパクトのある造形の一貫性が一番しっくりきたかもしれない。しかし人数制限のある展示の整理券が昼にははけてしまっていたり、熱心に見て写真か動画かをとっている人がたくさんいたり、若手の個展としては熱気がある感じだった。(注)

常設展は足が痛かった記憶のほうが大きいのだが、アピチャッポン・ウィーラセタクンの映像がよかった、というのははっきり覚えている。あと、ボルタンスキーだなぁ……っていう。ボルタンスキー、好きじゃないんですよ。むしろ苦手。嫌いまでいってしまうかもしれない。

本当は森美術館に言って「アナザー・エナジー」展をみるつもりだったが、体力の限界をおぼえて宿に戻ることに。タジタジさんとはここで解散。そのときに近田春夫『気分は歌謡曲』の単行本をタジタジさんから託される。以前、阿久悠の実践的作詞家入門もタジタジさんからお借りしている……。すみません、がんばります。

そこから宿戻って風呂入ってなんかうだうだしていた記憶しかない。なんかしたっけかな。たいやき食ったんだ。たいやきおいしかった。あと、深夜にTwitterのスペースで伏見さんや温マさんがくそどうでもいい話をしていてめちゃくちゃよかった(もしかしたらどうでもよくない話もしていたかもしれないが、おれが聴きだしたときにはナンセンスの方向に振り切っていた)。atatakaiyuさんのスペースなのに伏見さんがホストみたいになっていた。場の回し力を感じた。

注:ちなみにユージーン・スタジオの寒川さんは大学時代に交流があり、昔Maltine Recordsから変名で出したEPのアートワーク描いてもらったことがある……(Maltine Records – [MARU-061] three meters right above – on the shady side of the street (cs8.biz))。覚えてるかわからないけれど。

12/18

朝から国立国会図書館に向かう。調べ物があるのだ。朝イチからがんばるつもりが寝坊して10時半くらいに到着。淡々と資料を借りては目を通しコピー、デジタル資料もどんどんプリントアウト、とやっていたらあっというまに閉館寸前になっていた。土日なのでちょっと閉館が早いというのもあった。これはもうちょっと、それこそ2,3日は続けて通わないと無理な案件だな……。いや、家でできる範囲の下準備をもう少ししておくべきだったか……。到着即閲覧申し込みしないとな……。

夕方から人と会うつもりだったが予定がつかず、しゃあないし『アナザー・エナジー』リベンジか! と思ったら森美術館がなぜかこの日早く閉館してしまうとのことで断念。いつもは22時までやってるから油断していた。その後いろいろあったものの結局、相手のほうも体調すぐれずとのことで、いまの時期に体力的に無理するのはよくないので中止に。駅でみつけた半額のわらび餅を食べながら、温泉マークのオートチューン実況を見て、でもあまりの眠さに寝落ち。

12/19

6時くらいに目が覚める。今回は23時くらいに寝たので、結構じっくりと睡眠がとれた。天下一品のラーメンが食べたくて、昼に天一だけ食って新幹線のろうかと思ったが、思った以上にどたばたしそうだったのでやめた。マクドナルド食べたんだけど、ちょっと後悔した。なんかいつものマクドよりもパティパサパサだった気がする。これが東京のマクドナルドなのか?

新幹線のなかで温泉マーク『冬のおとずれ GREATEST HITS 2021.11.20〜2021.11.20』を購入、ダウンロードして聴く。配信で制作過程を見ていたときはそこまでのものになってるとは思っていなかったけど、アルバムになると結構おもしろいのがすごい。

東京は歩いてたら少しあせばむくらいの気温だったのだが新幹線が山形に近づくにつれて少しずつ外の風景に雪が増していき、山形にはいると完全に雪景色になった。「国境の長いトンネルを抜けると……」というのはある種の普遍で、豪雪地帯というのは山などによって隔てられていることが多いものだから、いきおい「徐々に雪景色になっていった」みたいなことはあんまりなく、やはり「トンネルを抜けると」雪国になっていく。まあ市街地は雪なくて山のふもとにいくと雪たくさんってのはありますけどね。

以上です。

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健康と能率(36)

記事のアイデアは20世紀のテレビから :: デイリーポータルZ (dailyportalz.jp)

最近のデイリーでひとりだけなんか記事のテイストが異様な印象のあるつりばんど岡村さんのインタビュー。なんかよくわからんテレビ番組の話が延々とされている(リードでZ世代のみなさん~と言っているがミレニアル世代でもわからんだろう)のだが、

林:
おれがハマーだって最後爆発して終わるんですよね。

林:
失敗して爆発して全員死んで最終回

林:
そのあとプロデューサーが出てきて、みなさんが見たいというリクエストがあればまたできますって言うんですよ。

林:
「いま死んだハマーをどうやって復活させるか?大丈夫、死ぬかと思ったって言えばいいんです」って言ってて。おれ「死ぬかと思った」ってそこからとったんですよ。

へーそうなんだ。

俺がハマーだ! – Wikipedia

なんかこのドラマ、名前を聞いたことはある気がする。

“I want to buy you something but I don’t have any money” ですな~

温泉に行く(東京行く前だと今日くらいしかタイミングがなかったので、がんばった)。サウナ入ったらいい塩梅にととのってよかった。水風呂が特に温度管理してる様子なさそうな感じで夏はぬるく冬はクソ冷たくなる。案の定クソ冷たかった。なにしろ雪も降り出したから。あがって、ここちよい倦怠感に包まれながら、音楽ながしてそのへんをぐるぐる車でまわる。佐藤千夜子の顕彰碑を見に行った。天童公園(舞鶴公園)に立派な抽象彫刻があって「あれなんなんだろ」とちょい前から気になっていたのだが、それが顕彰碑だった。碑の文面までは読めず。

なんなんだろうこれ。レコード針?レコードの溝?そういうわけでもない?

生明俊雄『日本の流行歌:栄枯盛衰の100年、そしてこれから』(ミネルヴァ書房、2020年。アフィリンク注意)ななめ読み、Amazonレビューにあるように演歌まわりの記述が微妙なんじゃないのかと思ったのだが、音楽産業の構造的な変化を軸としつつ読みやすくまとめられた100年史としていいのではなかろうか……。大谷・栗原『ニッポンの音楽批評』(立東舎、2021年。アフィリンク注意)もまだ全然ななめ読みなのだが、輪島裕介『創られた「日本の心」神話 「演歌」をめぐる戦後大衆音楽史』(光文社新書、2010年。アフィリンク注意)も適宜例にとりながら「批評が歴史をつくりあげてしまった」ケーススタディとして演歌に注意を促しているのがある種補完的にも思え、産業論的な視座からこぼれ落ちるものが批評(=ゆるく「音楽に関する言説」)の批判的検討によって照らし返される、みたいな構図に思えたりした。たまたま同じ時期に読んでるだけですが……。

本屋行ったら、以前2冊入荷して音楽雑誌の棚に平で置かれてた拙著が1冊になってて、「う、売れてる?!」となった(売れたのではないのかもしれないが……)。それはともかく佐々木美玲表紙のnonnoを買いました。ホイみーぱんすげー聴いてる。みーぱん推しと言ってもいいのかもしれない。もしかしたら。もしかすると……。

THE W。冒頭ぼんやりしてたらヨネダ2000と紅しょうがを見逃した。でも茶々がめちゃくちゃおもしろかったので満足。そこで満足してしまった。オダウエダもよかった。漫才とかコントっていうよりギャグ漫画みたいなネタが好きなんだと思う。茶々はほかにネタみたいけど動画もあがってないんだな。「おもしろいけどもしかして嫌な方向に行っちゃうのかな……」と思ってたらとんでもない方向に行ったのがよかった。

Aマッソのプロジェクションマッピングのネタ、うわさには聞いていたが見たの初めてで、正直「斬新やねぇ」とは思うけど、「斬新やねぇ」としか思わない感じだった。ひとつひとつのボケとかツッコミの強度があるのでおもしろいけどプロジェクションマッピングをやったからこんなにおもしろいんだみたいなことをあんまり思えなくて、ぴんとこないメディア・アートを見たときのようなもやっとした気持ちになった。それはもうAマッソの力技であって、だったら1回戦(予選?)みたいに上手いコント見たほうがいいよな、みたいな。ああいうことをああいう場所でやるのが凄いんですというのなら、まあそうすか……。

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健康と能率(35)

34番は書いてましたが欠番にしました。支離滅裂になっていた。

Little Simz『Sometimes I Might Be Introvert』を聴き返そうとするが、つかみどころがわからずやめてしまう。Little Simzのこの作品が悪いと言うよりもまた音楽が耳に入らないタイミングになってきて、いやしかし、難しい。

自分が死んだときには、とにかく誰であろうと、どんな関係であろうと、自分について語ることは、かたく禁じてほしい。ツイートやストーリーくらいならいいけど。

スマホから使える感熱プリンタのPaperang(アフィリンク注意)を愛用している。いまは2が出ている(アフィリンク注意)のだが、初代でも機能的にあんまり問題ない(比較してないからわからんけど)。具体的には、宛名プリンターとして使っている。請求書を紙で送付するときには、送付先の住所をPaperangでプリントして貼り付ける。わざわざレーザープリンターで出力するのも面倒だし……。ちなみに封筒は自分の住所を裏に印刷しておいたものをストックしているため、住所をPaperangでプリントして貼り付け、切手も貼って、必要なら「請求書在中」などと手書きしたら済む。ちょっと使い方に癖があって、封筒にぴったりのサイズで印刷しようとするとテキストボックスの配置を調整しないといけないとかいろいろあるのだが(基本縦長にしかつかえないのに無理矢理横長のボックスをつくる、みたいな)、でも手書きするよりは楽。その他、ちょっとしたメモを印刷するときもある。いいです。

どうしてもいかんともしがたくなって、耳をちっちゃな使い捨てカイロで温めながら無理矢理寝る。すると久しぶりに夢を見た。夢の話なので嫌なら次の段落へ。なにか大学(母校の京都造形芸大にやや似ているが、東北芸工大にも似ている気もする)のようなところで事務作業かなにかをすることになるのだが、そこのちょっと偉いポジションの少し年上くらいの女性(ぜんぜん知らない人、割とイケイケな感じだった)に気に入られて変なアピールをかけられる。どうしよう、と思っていたら、同僚(これは知っている[た?]人)に「あの人より自分のほうが」とアプローチされる。なんか気まずいな、臨時で入ったとはいえ職場で、と思っていると、自家用車を間違った駐車場に停めていたというので移動の要請があり、駐車場に向かう道中、ふるい知り合いとすれ違い、「あの雑誌に出ているのを見たよ、すごいね」と話しかけられる。雑誌、といってもスマホアプリみたいな奴で、テクストと画像と動画と音声で動的なコンテンツを配信していて、もちろん実在はしないのだが、「ああ、たしかにちょっと前に出たな、どんなんだっけ」とスマホを開くと、NCT 127「Sticker」みたいな曲を打ち込んでヴァイブしているおれの姿が公開されていた。ここで起きた。考えてみると「少し年上くらいの女性」は以前見た夢にも似たような人が出てきたような気がする。誰なんだ。誰なんだバリバリ仕事ができるちょい年上の女性。容姿はまったく思い出せないが……。身長がおれと同じとは言わないがかなり高かった気がする……。いわゆる「ハーレムもの」の冒頭のような、どろどろしたメロドラマのような感じの、言ってしまえばある種の紋切り型の夢、そういう欲望があるのだろうか、と思う一方で、夢としてそういう欲望が昇華されたような感覚はない。

香ばし玄どら(こし餡・くるみ) 6ヶ入 お茶の井ヶ田オンラインショップ (kikusuian.com)

たぶん仙台の親戚が手土産に買ってきたのだと思うが、「玄どら」というのを食べた。これがばりうまくて、生地に玄米が入っていて独特な香ばしい風味がするのと、たぶん少し塩味がきかせてあって、それが少し舌触りがあらめの餡と合わさってくせになる味だった。オーソドックスなどらやきを期待して食べると舌がびっくりしちゃうんだけど。

なんとか調子を持ち直したが、もうすっかり夜更けだ。午前中調子悪くて夕方~夜に調子を持ち直すというのは典型的なうつの日内変動なのでわかりきっていることなのではあるけれども……。

uamiさんの新曲。こないだアルバムとEP出して続いてシングル出したと思ったらもう一曲出てきてこの人の創作意欲ってどうなってるんだ。『昼に睡る人』の流れを受けるようなポップさがあって、とてもいい。

「救い」についてうすぼんやり考える。「救い」というのはさまざまな条件の布置によって偶然に生じる唯一的な出来事であって、「○○によって」「○○のおかげで」というのは、そうした「救い」の根源的な偶然性に対する背信――あるいは宗教的な含意をはぎとって俗化する、みたいにも言えるような気もするが――じゃないだろうか、となんとなく思う。別に宗教学に通じているわけでも、特定の信仰を身に着けているわけでもないのだけれども。

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健康と能率(33)

耳に使い捨てカイロをあてるやつやってみたらものすごく気持ちよかったけど、就寝時にやると低温やけどしそうなので塩梅が難しい。バンドが頭一周するアイマスク使ってて、それに小さな布ケースに入れたカイロを挟んでみたのだけれども。

フレームが一定でない(入れ子になったりする)のがいい。vlogあるあるなのだろうか。スーザン・フィリップスいいなー……。「温泉マークさんがオートチューン実況をする日だったので見て寝た」のヤバさ、ニューアカオでのエレベーターを使った誘導のわかりづらさを淡々と語るくだりの漠然としたイメージアニメーションがかわいい、などのことを思う。エレベーターの図解かと思ったら別に細かく説明するんじゃなくて単に動いてる感じなのがよかった。

しんどくて仕事が手につかず、短いコメント原稿だけがんばってかたづけて(ほんの400字程度だが……)、気分転換に、radikoのタイムフリーでeelicaさんとDJ DJ機器さんのK-POP総まとめを聴きながらチキンハンバーグを大量につくる。大葉の量をケチったらおもんない味になったのでソースでも塩でもまぶして食べるか、というような感じに(追い大葉してもいいけど)。KWANGYAとかSMCUに関する語り口がおもしろかった。でも自分がおもしろがれるかというとなんかそうでもないな……と思った。

想像力の搾取……と不穏なフレーズを思い浮かべる。

沢山遼|Felix Feneon『Félix Fénéon: The Anarchist and the Avant-Garde』 (artresearchonline.com)

フェリックス・フェネオン、院生時代にゼミで指導教官がぽろっと「おもしろいよね」とか何度か言ってたような気がする。その仕事をまとめた展覧会カタログに関する評がおもしろかった。本題の新印象主義におけるアナキズムの諸相(そしてその後への影響。ここがおもしろいのだが)にいたるまでの交通整理にこういう文章が出てくる。

スーラ、シニャックらの点描絵画に大きな影響を与えたのは、近代的な色彩、光学理論である。彼らの友人でもあったアマチュアの科学者チャールズ・ヘンリーは1885年に『科学的美学へのイントロダクション』を著し、それはフェネオンを含めた新印象主義 のサークルにおいて、複数の特定の色彩が互いの影響関係によって、いかに関係=連動するかについての大きな示唆を与えた。具体的には、新印象主義の画家たちは、パレット上での色彩の混色を行うことなく、画布の上に小さな色彩の斑点を併置するプロセスを通じて絵画をつくりあげた。彼らが理論的基盤にした光学理論においては、観者の視覚の活動のなかで、複数の色彩が混色され新たな像を結ぶ(=視覚混合)ことになるからである。

ゆえに、新印象主義の絵画は、必然的に、観者の生理学的な知覚の参加を要請することになる。そこにあるのは、市民社会の台頭とともに新たに浮上した「観者=市民」という新たな主体の経験を、絵画の構造的な函数として加算することであったのかもしれない。つまり、新印象主義の絵画は、観者と呼ばれる市民の能動的な参与(アンガージュ)、そしてその身体的駆動がもたらす知覚の「労働」を、その絵画面の組成において要請するものなのである。

沢山遼|Felix Feneon『Félix Fénéon: The Anarchist and the Avant-Garde』 (artresearchonline.com)

特定の様式というか形式、新印象主義の場合は方法と言うべきなのかもしれないが、そうした作品の成り立ちが作品を受ける側に暗に求める参与のあり方と、その参与がどのように位置づけ語られるか。そうした分析や批判的思考の必要性。というのは近代の美術をちらとでもかじるとどうしても気になる問題である。

伏見瞬『スピッツ論 「分裂」するポップ・ミュージック』(イースト・プレス、2021年)をご恵投いただく。読むのは少し先になるかもしれないが、ネットでも公開されていた巻頭言をちらと読み、参考文献一覧がきっちりついていたのでぼんやり眺める。これすごいな。スピッツのおもしろさというか勘所を掴むことのできないままにいる自分もスピッツを楽しめるようになるのだろうか……。また読んだらなんか書くだろう。

間が空いても言葉の“淀み”をこわがらない | 大手小町 (yomiuri.co.jp)

しゃべる仕事がちょくちょくあるので、ああ、そうだな、としみじみ思いながら読んだ。前半のインタビューや対話をめぐる意思表明が、後半の「うまい演説」へのささやかな違和感(の話をしたのはタクシー運転手のほうだが)とゆるやかにつながっている感じがよかった。大手小町で連載してる生湯葉さんのエッセイはどれも良い。

「間ができる」ことへの恐怖や、これはある一定の属性にありがちな(つまりマジョリティなシス男性、とか)ことかもしれないが、「うまいことをいう」ことへの欲望というのは、「誰かとしゃべる」という営みに対して余計な負荷をかける障害なんだろうなと思う。

批評というものに対する、あるいは、ライターたるもの……と語られることに対する不信、がしばしばある(大半は納得なものだけれども)。

怒りや反発や復讐心や功名心で生き延びるにはあまりにも自分は疲弊しすぎた。怒りはなにより自分の健康を蝕むもので、「なにくそ」などと言っていられるものではもはやない。

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健康と能率(32)

どうでもいいことに気づいたけど、昔のブログの名前が「ただの風邪。」で、いま日記につけてるシリーズ名(?)が「健康と能率」なので、自分はずっと体調の話をしているのかもしれない。

SMBCのCMでフラカンの「深夜高速」が流れていて、なんか上手いという感じではないが曲にあってるボーカルだなーと思ったら岡崎体育だった(というかCMにも出てた)。アレンジが2000年代ぽい感じで(いまy2kとかゼロ年代リバイバルとか言ってる感じからは見過ごされそうなサイドのほう)いい気がする。配信でフル尺で聴いたらおなかいっぱいになってしまったが……。

とにかくカバーが多い「深夜高速」だが(カバーだけ集めたアルバムもある)、個人的にはKitriによるカバーが大好きで、ピアノ連弾かつ2声のアレンジになっていて、ロックなバンドサウンドに託されたがむしゃらな絶望がまた姿を変えているのが鮮やかだと思う。

アルバム『Re:cover』バージョンもいいですが(アレンジは同じで、録音が違うと思う)。

bonobos「KEDAMONO」、歌メロの少しいびつにも思えるリズムが演奏と調和しながら、かつ言葉をさまざまに分節して再構成していくのがめちゃくちゃスリリングだ。刻々と表情を変えるコンテンポラリージャズ的なグルーヴと言葉(しかもトリリンガル)を組み合わせた音楽としてはめちゃすごいことなってるのではないだろうか……。Not LOVEも凄かったけれど、続いてのこれも……。

【前編】祝「ソニック・ザ・ヘッジホッグ」30周年! 実はゲーム音楽作ってたドリカム中村正人氏にぶっちゃけてもらいました | ギズモード・ジャパン (gizmodo.jp)

【後編】祝「ソニック・ザ・ヘッジホッグ」30周年! 実はゲーム音楽作ってたドリカム中村正人氏にぶっちゃけてもらいました | ギズモード・ジャパン (gizmodo.jp)

ドリカム中村さんのソニックに関するインタビュー、そっちの話も面白いけど、前半では、「エピックの日陰者」からブレイクまでの時期に「ソニック」があるとか、レーベルがソニー系列だったからセガのゲームへの参加がプロモーションできなかったとか、生々しい話もあって面白い。後半は中村さんの音楽観が興味深いのと、制作時のトラックシートについて「ドリカムの曲もこうやって作っていたので、今も全部残っていますよ。」っていうのがめちゃくちゃ気になる。全部見たくない?

ひとつ原稿を仕上げたあと、いろいろ見たり聴いたりしようとしたのだが、どうしても疲労感がとれず寝込む。そしたら思いの外長時間ぐったりしていたみたいで、起きるとあたりは暗いし軽い脱水でもっと体調が悪い。最近睡眠記録アプリで睡眠時間をチェックしているのだけれど、どうもちゃんと寝てるのは5時間くらい、それも体感的にはもっと浅い(7時か8時には起きます)。小林製薬の「ナイトミン 耳ほぐタイム」というのが気になるけど、耳栓ってどうやっても寝てる途中にとれる(とってる?)んだよな。それなら、小さいホッカイロを耳にあてたほうがいいのではないか……と思う。やってみようかな。

(sic) boyのニューアルバム、『vanitas』。『CHAOS TAPE』にあった闇雲なほどの勢いはないがこちらを愛聴する人も多そう。あれは助走だったんだな、というのがはっきりわかる。というか。しかし自分が好んで聞き続けるかというと微妙かもしれない。ブラストビートとエレクトロニックなビートが絶妙な(hyperpop勢も思わせる)バランス感でぶちまけられる「落雷」やAAAMYYYをフィーチャーした「水風船」が個人的に優勝。

最近ぜんぜん運動できていないので、久しぶりにステッパーをやって、風呂入ってから寝る。なんなんだこの人生。

結果、よく眠れ……ませんでした。なんだかねぇ。おやすみカービィのぬいぐるみを眺めているよ。

Kanye WestとDrakeのパフォーマンス(#FREELARRYHOOVER)見てたら思った以上にグレイテスト・ヒッツみたいな、初のフェス出演で大サービスする大御所みたいなセトリでびっくりした。ある種のチャリティ……というか啓蒙イベントみたいな性質だったというのも大きいのかもしれない。Yeの作品が好きかと言われたらなんとも言えないのだが、しかしまとめて振り返ったときにその異形としての佇まいには圧倒されるものがある(Strongerとか当時「なーにやってんだ?」と思ったけど)。

ところで今回のパフォーマンスはAmazon Musicが協力して配信はAmazon傘下にあるTwitchで行われた。そして、パフォーマンスのアーカイヴはPrime Videoで公開されるという。パフォーマンスの本筋とはあまり関係がないのだが、AppleががっつりサポートしていたDondaのリスニングパーティの場合はApple Musicというプラットフォームで完結していた一方、Twitchのようにそれ自体がコミュニティ的にも機能するライブ配信プラットフォームを持ってるAmazon、思いの外つえーのかもなぁ、とか思っていた。

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健康と能率(31)

PAR [PC음악] | POCLANOS

プレイリスト魔人ことttさんも紹介しててじっさいすごい面白いPAR『PC MUSIC』、POCLANOSのレビュー見たら無名の新人でデビュー作という。PC Musicというのでどうしても例のPC Musicを想起したりもするけど、タイトルこそ人を食った感があってもサウンドごとシニカルな感じはそんなにない(歌詞はどうなんだろう)。

ペット・サウンズが「難解」かどうかは正直「どうだったっけなぁ~」って感じなんだけど最初に聴いたときにそんなに面食らった記憶はない。歌詞読んで「暗すぎるだろ!」ってびっくりしたのは覚えている。

関係ないがLou Reed『Metal Machine Music』が問題作とか騒音とか言われてどんな過激な作品なんだろうと思ったらぜんぜん美麗なドローンで拍子抜けしたのを思い出す。あれはある種のノイズがしばしば志向するサウンドの即物性に対してものすごくサイケデリックでイリュージョン的なアルバムだと思う。バグパイプのドローンみたいに倍音がきらきらしてそこにオーロラみたいにいろんなハーモニーを投影してしまう。そういうアルバムで、メタル! マシーン! みたいな言葉が醸す印象とは全然違う甘美さがあって、やっぱある意味でLou Reedっぽいアルバムなのかなぁ。

[IZM이즘x문화도시 부평] #17 김홍탁 – Neo Music Communication IZM

韓国の音楽メディア(評論を中心としたウェブジンというか)IZMの記事を見ていてふと気になって読んだインタビューが面白かった(機械翻訳と辞書でなんとか)。ロックバンド、キーボイス(キーボーイズ)としてデビューしたのち後続のアーティストにも大きな影響を与えたキム・ホンタクのキャリアを本人の言葉から振り返る。

いぶりがっこ、伝統の味ピンチ 衛生基準導入、高齢農家「何年できるか」―秋田:時事ドットコム (jiji.com)

いぶりがっこ、食ったことないな……と思いつつ、Lunv RoyalのIburi Gacko Flowを思い出していた。

Terrace Martin『DRONES』収録の小曲(作曲はPJモートン)、ハーモナイザー的なモジュレーションかと思ったら音色はあきらかにトークボックスでなんかおもしろかった。アルバムもようやく聴いたけどいい。アボかどさんのレビュー→2021年おすすめ新譜アルバムVol. 93 :Terrace Martin「DRONES」|アボかど(にんじゃりGang Bang)|note

一週間後に東京行くことになりおおわらわ。

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健康と能率(30)

新しい日記の下書きをつくろうとしたら、間違って前回のに30ってナンバリングして、まるで29が欠番みたいになってたので直した。

最近おなかが痛い。といってもおなかを下しているわけじゃなくて、便秘気味というか。オートミールをどんどん食べる。オートミールとバナナのパンケーキ、いいです、オートミールとバナナと卵、ベーキングパウダー、つなぎの小麦粉少々をヴァイタミックスにどさっと入れて、ゔぃーんとまわす。砕かないオートミールよりもちゃんとパンケーキになる(小麦粉の量を徐々に減らしてみている、最終的にゼロにしたい)。腸内環境整えないと……。

12月はインタビューの案件が珍しく重なって結構たいへんだったのだが、一区切りついた。インタビューがうまくなって月に1,2件はできるようになるとうれしい……。区切りがついたし読書と音楽に時間を割きたい。なんとか調子も取り戻してきた。

昼間の用事が済んで一息ついて、食料を買いに車を出す。カーステでKacy Hillの『Simple, Sweet, and Smiling』をかけていたら、「Walking at Midnight」があまりにも良すぎて、「これはあまりにも名曲!」とマジで声に出してしまった。ひとりの車内で。めちゃくちゃ淡々とした、起伏らしい起伏は構成上あまりない曲なのに、コーラスに向けて少しずつ音に厚みがでて、すこし重なるアコギで音が豊かになり、ベースもぐっと力が入って、ドラムにも力強さがあらわれ……というのでものすごいクレッシェンドが体感的に起こる。カタルシスを呼ぶよりも、じんわりとした高揚が伝わってくる。

ずっといれたらよかったんだけど
当然みんなといるのは楽しいし
今はいちばん素の自分に戻ってるところ
思わせぶりにはなりたくない
ねえ、あそこにいるのが嫌なんじゃないんだ
ただ、みんなおしゃべりが止まらなくってさ
あの気持ち、15歳のときみたいだった
まるで、部屋に閉じこもったわたしに、世界がのしかかってくるような

それで、真夜中に歩いてる
なにが本当でなにが空想かわからないな
いま、真夜中に歩いてる
思い上がった人みたいに

ひとりで自分に歌いかける
本当に大丈夫だって安心できる、そんな歌い方で
あなたはまだこの通りの先で踊ってるんだよね
いっぽうのわたしは月を眺めて
街の灯りはぜんぶ、暗く冷えきってる

それで、真夜中に歩いてる
なにが本当でなにが空想かわからないな
いま、真夜中に歩いてる
思い上がった人みたいに(これはこれで楽しい)

Kacy Hill, Walking at Midnight, 拙訳。元はGenius。
Kacy Hill – Walking at Midnight Lyrics | Genius Lyrics

歌詞の内容は、パーティをひとりだけ先に抜けた語り手が、すこし名残惜しそうにしつつも、実はむしろほっと一息ついて真夜中の道を歩いている、というものだと思うんだけど(そのように訳した)、孤独にアンビバレントな安心をおぼえるその感じが、もう、わかるわーっ、となってしまう。特に、「ひとりぼっちで歌いながら歩く語り手」、「パーティに残ってはしゃぐ“あなた”」、「空に輝く月」、「静まり返った暗い街」という描写の連鎖が、視線の移動の感じとか、対比関係をちょっとずつずらす(みんなといるあなた/ひとりでいるわたし、輝く月/暗く静まり返る街、というふたつの対比が絡み合って、単なる対比以上のものがうまれている)感じとか、めちゃくちゃ素晴らしい。ただ動詞の「tempt」を名詞的につかったときのニュアンスがあんまりよくわからないな。変な意味の歌詞だったらどーしよ(Having a good timeだからそんなことはないと思うけど)。

1ヶ月先に届くと思っていたパルスイートが、なんか今週~来週で届くみたいな通知が来た。いいけどあれなんだったんだろう。

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健康と能率(29)

スピーカーからノイズが出て、以前おなじ症状が出たときに原因究明しきれなくてスピーカーを修理に出し、にもかかわらず症状が再現できず戻ってきた苦い記憶が蘇る。今回もいろいろ試したけど、果たしてこのノイズがどこから出ているのかもなかなか究明できない(まれにランダムで「ジジジッ……」と音がのる)。試行錯誤しているうちにノイズはおさまってしまった。

心身の調子がわるいせいなのか、「どっかに身体をぶつける」系のミスが多く、ペン立てをがっしゃんやってしまったり、紅茶をざっぷんいってしまったり、本の山をどさっとやってしまったり、なかなか大変である。この状態で車の運転したくねぇ~ 幸いする用事はないんだけど。

爆裂な腹痛に断続的に悩まされており、悩ましい。体力がぐいぐい削られる。

underscoresがEPだしたね。Travis Barkerまで参加してて、underscoresの勢いと共に「ほんとにTravis Barkerいまひっぱりだこだな……」と感じる。昨今いろんな角度で進んでいるロックなサウンドの他ジャンル経由での再解釈においてもっとも存在感を放っているミュージシャンのひとりだろうな。それがヴォーカリストやギタリストではなくてドラマーだというのが面白い気がする。もちろんTravis Barkerが他ジャンルへの関心が高く演奏者のみならずプロデューサー的な動きもしているってのも大きいかもしれないけど、実際ドラムの演奏で呼ばれてっからなぁ。

EXOのKAIのソロ作、前作もよかったけど今回もすごく良い。前作が特にリード曲の「Mh…」がかなりしっとりメロウでたまんない感じだったのに比べるともうちょっとドライかも。それが如実に出ているのがヴォーカルの扱いで、歌い方も歌い上げるニュアンスは抑えめのように思うし、声のサウンド自体も輪郭がはっきりして存在感も強い。と思えば「Vanilla」「Come In」はコーラスの入れ方がおもろい。「Come In」なんか、Francis and the Lightsみたいになるかと思ったわ。本人のヴォーカルがタイプ違うのでそうはなってないけど。もっとメインのヴォーカルで遊ぶようなアプローチあってもいい、のかな。とはいえこの声を変にいじくりまわしてもしょうないか。しっとりした(しかしメロウというよりほっこり?)ラストの「Blue」もよい。

声、つったらオマゴルのこれめちゃよかったんだよな。ハーモナイザー(いわゆるプリズマイザー)を使ったアプローチも良いし、全体として繊細なウィスパー寄りの歌唱の活かし方がめちゃ良い。

今年しみじみよかったのといえばSTAYCの1stミニ・アルバムがポップさと落ち着きのバランスがめちゃよくて、ビートもヴォーカルもすげぇハマった(全部プロデュースはBEPとの)。やっぱり先鋭さというかとっかかりのある曲のほうが「すげー!」ってなりやすいのだけど、いまグッとくるのはなんやかやこういうのだったりする。

vFlatというスマホ用のスキャナアプリが良くて、なにがいいって見開きの左右分割スキャンができたり、細かいところもAdobe Scanなんかよりも好ましい。

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健康と能率(28)

姉から確定申告関係の書類の引き継ぎが追加であり、うわーもうそんな季節だもんね、怖い怖い、となった。今年から仕事用の口座とクレカをつくったので、領収書の整理だけなんとかなれば、あとはやよいの青色申告の画面とにらめっこすればなんとかなるのではないか。固定資産の登録とかどーすんの?(還付金で買ったBabyface Pro FSくらいだけど)とかわっかんね~となっているが、まあ……。

紅茶やコーヒーに入れる甘味料はパルスイート一択なのだが(料理の場合はその限りではないし、チャイもだいたいきび砂糖をいれる)、ふとネットでまとめ買いしたら安いのでは? とチェックしたらAmazonにパルスイートの業務用1kgというパッケージがあった(アフィリンク注意)。3000円くらいなんだけど、おれが見たときには2000円のがあって、マケプレなんだけどAmazon発送扱い(アウトレットでよくあるやつ)だったのね。これで手に入ったら儲けもの、駄目だったら駄目だったでしょうがねえ、と思って注文したら発送が1ヶ月以上後なの。つまり年明け。正直びっくりしたけど、まあ長く使うもんだし、一ヶ月くらいなら近所のスーパーで買う一袋でまかなえるからなぁ。

TALK LIKE BEATS最新回はceroの高城晶平さんがゲスト。2021年のアルバムを4作挙げてトーク、なんですが、「この作品がいいよね」という話にかぎらず、作品をきっかけに音楽のあり方、生活の中での聴き方、そしてceroというバンドのあり方までいろいろ話してます。なかでも言ってるけど、Buffalo Daughter、パソコン音楽クラブに続いて、「誰かと音楽やる」ってどういうことなのかについて、いい話が出てきます。特に終盤、「この年になってから自分でバンドメンバーを集めようと思ったら、プレイヤビリティの高い人ばっかり集めちゃう」「そういう価値観じゃないところから集まってなにかをつくるみたいなことが不可能なんですよ、この年になると。上手い人と知り合っちゃってるし、呼べちゃうから」って話はなるほど、と思った。上手さとか知識とかじゃないところでつながった人たちが一緒に試行錯誤しながら音楽をする、って、たしかに「奇跡的なこと」なのかもしれない(注)。

なんかTwitterで、「将来なりたい職業の1位がライター」みたいなのが話題になっていて、いろいろと複雑なあれがあれしているのを観測したのだが、なんちゅうか、ものを書くというのがいろんな人にとって当たり前になりすぎてるなかで、この日常的な書く行為の延長線上にライターという職業があるかといえば実はそうでもない、みたいなことって伝わりづらいだろうし、なんんならひょんなきっかけでライター始めちゃったみたいな人はそれにものすごく悩んでいるだろうなということをふと考えた。元の記事は……なんかまあ、イメージってそんなもんだから。

そもそも「ライター」という職業自体が幅広すぎて、たとえば

A:(ARuFaみたいな)ライターになりたい
B:(タナソーみたいな)ライターになりたい

このAとBの会話は完全にすれ違いコントじゃん。そうしたロールモデルだけじゃなくて「筆一本で成り上がる」みたいな捉え方や「好きな分野に自分なりのやり方で関わる」みたいな捉え方、あるいは「クラウドソーシングで副業」みたいな捉え方もあり、業界や分野や、あるいは媒体によってすら働き方は違うし、もっとめんどくさい、仕事のやり方を教えてくれる人も必ずしも多くない。

ライターはこんなにしんどいぞ、みたいなことは経験としてまったくそう思う(のでこれ一本で稼げるほどの量の仕事はなかなかいれられないし、自分の状況としてはふだん高校生のバイトくらいの稼ぎしかない。つまり自立はできていない!)。なので状況を変えていけたらいいなと思うものの、なにができるんだろうか、果たして……。個人的にいろいろと地味にやっていることはある(仕事の条件とかで)のだけど、なんだかねえ。

Arcaの新譜、Kick i,ii.iii,iiiiって書きそうになるけど4枚で全部「KICK」の大文字小文字表記違うのか(KiCk i、KICK ii、KicK iii、kick iiii)。へ~って思ってArcaのインスタチェックしてたら本人はポストのなかでは全部kickで通していた(というかポストの中身はすべて小文字表記だ)しiじゃなくてふつーに3とか4とか書いてた。ずこーとなった。なんだかんだでKiCk iを聴き直して、KICK iiを聴いて、KicK iiiは途中まで聴いてちょっとあれがあれして中断。

注:ざっくり書き起こし。「自分のソロをやって痛感しましたけど、この年になってから自分でバンドメンバーを集めようと思ったら、プレイヤビリティの高い人ばっかり集めちゃうんですよね。それで、プロな集団、コロニーをつくってしまうんだけど。ceroってもう高校生のときからやってるから、そういう価値観じゃないところから集まってなにかをつくるみたいなことが不可能なんですよ、この年になると。上手い人と知り合っちゃってるし、呼べちゃうから。そういう、おれ、荒内くん、はしもっちゃんみたいな、プレイヤーとしてもなんなのかよくわかんない、コンポーザーとしてもなんなのかよくわからないみたいなのが3人集まってああだこうだ言って曲をつくれるって、結構奇跡的なことっていうふうに気づいてくるというか。それを最近すごい痛感しますね。(1:00:30~)」

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