初出:2022.02.16 Soundmain blogにて。
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アブストラクトなサウンドコラージュやチルなローファイ・ヒップホップ、ときにはヴォーカリストとコラボレーションした歌モノまで多彩かつユニークなディスコグラフィを持つ音楽家/ビートメイカー、TOMC。その作品はもちろんのこと、意表をつくようなテーマで編まれた批評精神に富むプレイリストや文筆活動も注目を集めている。東京という都市を主題に、ユングの性格類型を骨格としたコンセプチュアルなアンビエント作品『Music for the Ninth Silence』をリリースしたばかりのタイミングで、多方面にわたる活動の原動力について話を聞いた。一部にはフリーの波形編集ソフト・Audacityを駆使した特異な制作スタイルでも知られるTOMCの音楽への姿勢は、想像以上にラディカルで、まっすぐなものだった。
コンピを聴き漁る少年がビートメイカーになるまで
音楽の原体験についてまずお聞きかせください。
幼少期に、親が買ったけどあまり聴かれていないままのコンピとかレコード会社単位のボックスセットが家にいっぱいあったんです。それを好奇心からいろいろつまみ聴きする中で、音楽が好きになっていきました。日本の音楽だと、例えば日本コロムビア10枚組とか、カシオペア辺りのフュージョン方面を海・夜などシチュエーション別にまとめた7枚組とか。いまメディアに寄稿していたり、プレイリストを作っているようなポップス全般への関心の原体験だったと思います。そのなかにはシティポップに通ずる70年代後半のクロスオーバーっぽいテイストを持ったものもたくさんありました。他にも、アメリカのオールディーズものや、10ccの「I’m Not In Love」が入っているようなUKポップスのヒット曲集であったり。「コンピっていろんな曲が知れて便利だな」と思って、「NOW」とか「MAX」みたいな、お小遣いの範囲内で安価に手に入るシリーズを中古CD屋で漁るようにもなりました。
中学生の頃は同時代のメインストリームなJ-POPも格好いいとは思いつつ、そこまで興味を持てなかったんです。当時人気だったバンドよりも先に、コンピに入っていた古いソウルとか、中古屋で100円で売ってたアシッドジャズやシャーデーにハマってしまって、そこで嗜好が形作られてしまったんですね。
自分で音楽を始めようと思ったのはいつごろでしたか。
大学の時にバンドマンをやっている友達がいて、「そんなに音楽に詳しいならつくってみれば?」と言われて。とりあえず、よくわからないままフリーソフトを調べて、そのなかに今でも使っているAudacityがあったんです。当時、World’s End GirlfriendさんのレーベルVirgin Babylonなどからリリースされているcanooooopyさんというビートメイカーの方がGaragebandだけで音楽をつくっていて、当時「フリーソフトだけで音楽をつくる人」とプッシュされていて。「こういう人もいるなら自分もAudacityでやっていけるかもな」と思ったんです。
私がTOMCとして最初に作品を出したのは2015年なんですが、canooooopyさんもリリースしていたメキシコのPIR▲.MD Recordsからたまたま出せて。その後、青山・蜂にcanooooopyさんが出演されたときに遊びにいって直接お会いできるということもあったりして、ビートメイカーの道を進んでいこうという気持ちが固まりました。
TOMCさんは、特に最近、作品のリリースペースが早いですよね。Twitterでも次々作まで完成しているとおっしゃっていて。制作のペースは最初からずっと早かったんでしょうか。
最近になって、Spliceを使い出したのが大きいと思いますね。「ああ、サンプルパックを使うとこんなに曲って簡単に作れるんだな」と実感しています(笑)。これまでサンプルの扱いに試行錯誤してきた経験も手伝って、爆発的にスピードが早くなりました。もちろん、そのままサンプルを使っているところはあまりないんですけど、最初の「このパーツを使うぞ!」と見つけるまでのフェーズが短縮されたんです。
Abletonを音源に、Audacityで編む音の世界
一方、今年のはじめにリリースされた『Music for the Ninth Silence』(以下、『Ninth Silence』)は、そうしたサンプル主体のビートものではなく、アンビエントな作品になっていますよね。こちらはどのようなきっかけで制作されたんでしょうか。
「アンビエントをやりたい」というのが先にあったんです。そのときに、一緒にアルバムをつくったこともあるヨシカワミノリさんにキーボードを借りる機会があって。当時行き詰まりを感じていたこともあって、作品の幅を広げるためにも導入して弾いてみようと。
実はAbleton Liveも一応持ってはいて。すごく素朴な話で恐縮なんですけど、Abletonのなかで音色を選ぶと音色がそのキーボードに入って、その音色が出る。「これはいいな」といろいろ試していくうちに、ひとつ琴線に触れる音色があって、それを弾いていったんです。とはいえ、演奏ができるわけではないので、「ここを押さえるとこんな音が出る」というのをウェブで調べては見よう見まねで、おそるおそる指を動かして。録りためたその演奏をつかって、曲を作ろうと。
Abletonで曲をつくろうと思ったことは一度あったんです。でも、MIDIで録ったピアノロールがあって、音がぽつぽつと表示されているのを、どういじっていいかわからなかった。きっとコツをつかめばすぐにできるはずなんですけど(笑)。だから全部WAVで書き出して、Audacityに入れて。慣れているから早いし、こっちがいいや、と。
はあ……!
ミスタッチを切ったり同じコード感の部分をテイクの中からまとめたり、Audacityでこれまで使ってきた手法を自分で録りためた音源に適用してつくりました。
じゃあ、Abletonは完全に音源として使った、ということですね。
はい。
僕もAudacityはよく使うんですが、ループの処理やサウンドのバランスをつきつめようとするとなかなか難しく感じます。AbletonなどのいわゆるDAWだと、ループベースで、再生しながらいろいろ試しに積み重ねていく、みたいな作り方もできますけど、Audacityは素材ありき。テープの切り貼りに近いですよね。
そうですね。そう思います。流しながらいじれないですから。
Audacityを使いこもう、と思った原動力ってなんだったんでしょう。
音楽制作を始めたのが人より遅かったこともあり、人となるべく違うことをやりたい欲求が強かったんです。加えて、それまでの人生でレフトフィールドな美術や文学の作品に惹かれてきたこともあってか、はじめから、よくあるタイプの音楽をつくろうという発想自体なかった。途中でBPMがいくら変わってもいいし、拍子の概念すらもどうでもいいというか。Audacityにはリズムのグリッドもないし、BPMの概念もない。サブスクにあげていないような昔の音源はもっとフリーキーで、一曲のなかで曲が5回くらい変わったりしていました。あと実は、即興演奏のバンドをやっていたこともあって。
ああ、そうなんですか!
スカムっぽいものなんですけど。私を含め素人に近い人、演奏が普通にできる人、めっちゃうまい人がそれぞれ1,2人いて、メンバーは日ごと流動的……みたいな。スタジオでのセッションを全部録音して、それを切り出して作品にしていました。そのときの体験がベースにあるのかな。
Audacityを使い始めた頃はめちゃくちゃでした。コード感とかも、いまだによくわかっていない部分があります。当時は素材のキーもわからない。重ねていって形になったらOK! みたいなことをずっとやっていて。
そこからAudacityにどうやって習熟していったんでしょうか。
習熟できているかといわれると、いまだにできていない気がするんですよね(笑)。つくったものの質はあがっているけれど、操作に習熟しているかというと怪しい。むしろ昔のほうが高度な作業をやっていた気もします。最大限の自由さを目指して、拍子の概念も越えていくような……ただ、いずれにせよずっと基本的にやっていることは同じで、素材の切り貼りです。リバーブも最近ようやく外部プラグインを使い始めたんですが、パラメーターもよくわかっていません。あとは、ピッチや速度を変える、タイムストレッチくらいですね。
「地に足のついた」音楽としてのビート/アンビエント
今作のリリース時に、「『サンプリング』という手法に特別な愛着があるのですが、今作は全て手弾きで制作しています」とツイートされていましたよね。その動機も気になります。
今回を機に変えていこうというわけではなくて、私のなかでは自然な動きなんです。人と音楽の関係みたいなものを考えたときに、アンビエントとビートって、実は近いと前から思っていて。たとえば、『ニューエイジ・ミュージック・ディスクガイド』(門脇綱生 編・著、DU BOOKS、2020年)への寄稿では、ローファイ・ヒップホップとアンビエントの近しさについて書いています。生活空間と自分自身のあいだに入ってくる音楽というか……簡潔には言いづらいんですけど。私のなかでは陸続きなものではあると思っていますし、これまでのサンプリングミュージック的な姿勢を捨てたとも思っていないですね。事実上、自分の演奏をサンプリングしてつくっているようなものなので。
確かに、そうですね。
いかにも編集でつくったような、たとえば短いループをロールさせて「ガーッ」と鳴らすエレクトロニカみたいなパートを入れていないので、クラシカル方面に近い印象を受ける方もいると思います。でも全然、「これからは作風を変えて手弾きをメインにやっていく」という気持ちはないんです。
私はあんまり、自分のキャリアを踏まえて聴いてもらうということへの意識がなかったんですよ。かわりに、自分のその時々のダイレクトな心情を作品にのせて、ウェブ上に放つつもりでいつもつくってきた。たとえば、私はInstagramだと比較的日常生活に近い情報を発信しているんですけど、そこで出会う人たちって、私のことはおそらく好いてくれていても、私の音楽や作品のことはあまり知らなかったりするんです。前はそれを寂しいと思っていましたけど、今となっては良くも悪くも気にしなくなりました。むしろ、そういう人たちとふつうに生活している自分の感じを、そのまま素直に作品に出すようになった。前は自分がつくる作品というものと実生活、つまり自分自身との距離が遠かったのが、地に足ついてきた感じです。
そうした変化は、アンビエントやローファイ・ヒップホップへの関心とリンクしているんでしょうか。
はい。自分の生活を見つめ直す機会がここ最近自分のなかで増えていて。食べ物に気を使うようになったな、陽のよくあたる家に引っ越したな、とか。そういう、自分の人生と音楽がはじめてリンクしはじめているかもしれないですね。2019年にジャジーなビートものの連作EPを出していたんですけど、あのときは服でいうところの”着せられている”感があった。『Liberty』(2021)から地に足がついてきたというか、なんとなくわかってきたと思います。
『Ninth Silence』は、ユングの性格類型を参照した曲名に東京の地名が添えられている、具体的な生活の空間、都市としての東京を主題としたコンセプチュアルな側面もあります。そうしたコンセプトはどのように発想したんでしょうか。
大学進学を期に上京して以来ずっと東京に住んでいて、この作品の素材を録りためていた当時は中央区に住んでいました。福島の片田舎で育ったので、都市や都会というものに無邪気なあこがれがあって、日本橋エリアのあたりに住んでみて、「これが田舎のころ夢見ていた生活か」と。ただ、自分はやはりストレンジャーなのかなと感じることも多くて。自分は家で焦燥感を抱えながらこつこつ制作しているタイプなので、楽しい都市生活を味わいきれない。制作が終わりかけの頃に少し郊外に引っ越したんですが、そのタイミングで、私が送ってきた都心での暮らしと、そのなかで感じたアンビバレントな気持ちを見つめ直したくなったんです。
都市論では、都市が持つ人と人のランダムな出会いの可能性は完全にウェブにのみこまれていて、現実の都市の機能が変わってきていると少しずつ言われ始めていて。コロナ禍になってウェブ上での絡みが増えているのもそれに拍車をかけていて。「私が惹かれていた”都市”とはなんだったのか」と考えるうちに、好きだった場所、私がよく行っていた街のことをタイトルに冠したくなったんです。
音楽としての手触り自体は匿名的で、アンビエントなものである一方、ある種の人間臭さというか、生活が埋め込まれているような印象があります。制作するなかで、そうした要素を意識したことはありますか。
たとえば「Extraverted Thinking (Shinjuku)」の、BPMもなにもないフレーズを不協和にならないぎりぎりまでひたすら重ねていくあの感じは、いま改めて考えてみると、入り組んだ駅の構内とか、混み合った東南口で人とよく待ち合わせた記憶、日曜のホコ天などのイメージが無意識に自分のなかにあったのかなと思います。
「Extraverted Sensing (Akasaka)」は、赤坂のいろんな側面を取り入れようと考えてつくったものです。赤坂って、猥雑な区画もありますが、弁慶橋をこえると一気に閑静になるんですよ。
「Introverted Intuition (Tsukiji)」も、川に面した築地市場の跡地は、夜になるとよくわからない空洞みたいになっていて。築地大橋のうえから眺めると、川と空洞の境界がなくなった、だだっぴろい真っ暗ななにかがあるだけ。そこから振り返ると勝どきの高層マンションが建っている……そんな雰囲気を込めました。こんなふうに、設定したテーマに、自分が街で歩いた感覚を入れ込んでいるんです。
ツールよりも「つくりたいもの」を――Audacityの可能性を広げるもの
Audacityについてもうちょっと突っ込んだお話をお聞きしたいと思います。個人的に、TOMCさんの作品のなかではヨシカワミノリさんとの『Reality』(2020)が印象的なんですが、あれも基本的にはAudacityで制作されているんですよね。ボーカルの入ったポップ・アルバムとして素晴らしい作品で、Audacityでつくったというのがにわかに信じがたいくらいです。
前提として、『Reality』はヨシカワミノリさんの貢献が非常に大きな作品です。曲作りも歌もとても才能がある方で、世に出るチャンスをいっぱい持っていらっしゃるんですが、そのきっかけを掴みつつあるなかで、たまたま一緒につくる機会があったんです。2曲くらいつくって、最初のものは世に出ていないんですけど、次にできたのが『Reality』の最後に入っている「I See You」という曲です。
それが私たちにとって手応えがあったので、もっとやっていこう、と。ちょうどそのタイミングで「夢の話をしよう」という曲が、ネットレーベルLocal Visionsを主宰する捨てアカウントさん(@sute_aca_)に取り上げていただいて話題になりました。そうした流れを受けて、せっかくだしアルバムをつくろう、と。
ヨシカワミノリさんとの作業は、具体的にどのように進められたのでしょうか。
基本的には、ミノリさんのデモを私がAudacityに取り込んで編集していく形ですね。ほとんどの曲でドラムは差し替えたりしましたが、「夢の話をしよう」については私がいじる前の時点で現在の完成形に近い状態でした(ネット上にはこちらのバージョンも上がっています)。そういう具合に、音楽的な根幹はミノリさんが担っていて、エディットやミックス、全体的なディレクションが私、という分担です。当時は外部プラグインもゼロで、マスタリングだけ、iZotope Ozoneを使っていました。Audacityで開くと落ちてしまうので、スタンドアロンで使っていたんですが。
ヨシカワさんだけではなく、『Liberty』でのバイオリニストのarcomoonさんなど、シンガーや演奏者の方とのコラボレーションも何度かされていますよね。どういったプロセスで進められているんでしょうか。
基本的には、WAVでやり取りしています。曲をつくるときも、マルチトラックをWAVで一本ずつ出して送ってもらい、こちらからもWAVで書き出して送ります。ミノリさんのデモも、トラックをばらしたものをいただいてそれを組み直したり、arcomoonさんの場合は録音したバイオリンの演奏を送ってもらったり。
これまで、コラボレーションは自分の足りない部分を補ってもらうみたいな面が強いものでした。ほんとうにキーとかコードもわからずにつくっていて、『Liberty』のあたりからようやくつかめてきたんですけど、そこでも、私が加工して正確なピッチから外れた上モノへ、arcomoonさんにバイオリンをあわせてもらったりしていて。
でも、最近はそれが変わってきました。カクバリズム所属の「片想い」というバンドで活動されているMC.sirafu(a.k.a mantaschool)さんと、「れいふんれいびょう」というアンビエントのユニットを始めたんですが、そこではお互いにデモをやり取りしていて、私が送ったものに向こうからさらにパスをもらう、という作り方をしています。Local VisionsからリリースしているGimgigamさんともいま一緒に曲をつくっていて、私がパラでデモを渡し、それをいじってもらっています。
自分はミュージシャンシップがあるわけではないんですけど、やっと人とキャッチボールをするような音楽制作ができるようになってきた。これも生活の変化とか、自分の人生の変化とつながっている部分を感じます。
現在、他になにか挑戦してみようと思うツールや楽器はありますか?
ツールや楽器への意欲は基本的にないですね(笑)。つくりたいものはいっぱいあるんです。目的ははっきりしているので、手段はなんでもいいかなと。
Audacityという自分なりに使い込んできたツールを通じて、他の人とコラボレーションして、力を借りるなり、キャッチボールするなりしてできることっていうのはまだまだあると感じられているんですね。
はい。最近、『サウンド・アンド・レコーディングマガジン』さんから新製品のプラグインのレビューを依頼されて、使ってみたんです。そうしたら、「ああ、Audacityでできることがこんなに増えちゃった!」って。まだまだ、Audacityという環境に伸びしろを感じるというか。コラボレーションの過程で、プロジェクトファイルのやり取りとかで相手に不便な思いをさせてしまうかもしれませんが、それ以外の観点ではあまりマイナスはないです。
最初に話題にあがったSpliceのサンプルパックも、伸びしろのひとつですね。
正直、「音楽家って、つくりたいものが先にあるんじゃないのか?」、と昔から思っていて。「こういうものをつくりたい」、もしくは極端な話、「こういう人間に自分はなっていきたい」とか、そういう話をあまりみんなしない。それが少し嫌なんです。機材やプラグインの話も楽しいけど、みんなもっと、つくりたいものの話をすればいいのに、と。
もちろん、オリジナルをつくらないコピーバンドであったり、作品にまとめなくても鳴らしている時間が好き、とか、それぞれの価値観は尊重しています。でも、少なくとも私は、最終的に録音芸術としての作品を残し、その作品を好いてくれる人のもとにちゃんと届けるにはどうすればよいかをずっと考えてきました。そのための手段は今のところAudacityで充分で、Audacityでその目的が満たせるなら、他のものは過度に求める必要はない。そういう考え方なんです。
プレイリスター/文筆家としての思い
録音芸術をリスナー、オーディエンスにしっかり届ける、という姿勢が一貫されているのが印象的で。オーディエンスを視野に入れたそうした姿勢は、音楽制作以外の活動ともすごくつながっている感じがしたんです。TOMCさんといえば、サブスク解禁とほぼ同時にそのアーティストのユニークなプレイリストを公開する……というのがおなじみになってきていますよね。
https://twitter.com/tstomc/status/1476946224049967108
https://twitter.com/tstomc/status/1395548417082814469
なんでああいったことを熱心にやっているかというと、自分が好きな音楽が過小評価されている、それを覆したいとずっと思っていたからなんです。特にB’zが最たるものですね。他にも、テディ・ライリー、ボビー・ブラウン、ガイみたいなニュー・ジャック・スウィングであったり、いま使うのが適切な言葉ではないかもしれませんが、ブラック・コンテンポラリーと言われる音楽。AORもそうです。いずれも、少なくとも2010年代前半までは冷遇されてきた印象を持っています。さらに言えば、(前述の)日本コロムビアのボックスセットに収められていたようなちょっとスムースな歌謡曲も。それこそ、近年のシティポップリバイバルブームの中心的な1曲である松原みき「真夜中のドア」も、そんなコンピに入っていたんです。自分の中の積もり積もったなにかが、あのプレイリストの活動を通じて爆発しているところがあります。
「Rare Groove~」という言葉をつけてシリーズ化されていますが、プレイリストに入っている曲はすべてストリーミング解禁前に聴かれていたのでしょうか?
いや、そんなことはないです。たとえば郷ひろみにしたって、和モノ的な文脈を通じて人気の盤を知ってはいても、そうした評価が定まっていないアルバムは聴いていなかったりするので。ただもちろんプレイリストをつくるからには、知らないものは解禁されると同時に片っ端から聴いています。
私は正直、レア・グルーヴという言葉を軽々しく使ってはダメだと思っているんですよ。そういう言葉が成立した経緯――ストリーミングサービスというものが登場する以前の、フィジカルのレコードをひたすらディグする行為――にリスペクトを払うのだったら、安直に使うべきではないんですけど。あくまで「さだまさしも寺内タケシもレアグルーヴ的に楽しめるんですよ!」と人に分かりやすく伝えるために、キャッチーさを考慮してあえて使っています。
とはいえストリーミングサービスを使ってピックアップするというのも、リスナー・ディガーとしての蓄積があってこそだと思います。そういった意味でご自身に影響を与えた経験ってありますか?
即興をやっていたのと同時期、縁あって箱付きのディスコDJをしていたんです。金・土の固定の数時間、お客さんのリクエストを受けながら有名な曲をひたすら1分半とかでつなぎ続けるタイプのDJですね。当時はクラブ文脈とは異なる“ダンス・クラシックス”をまだまだ知らなかったので、いっぱい勉強したんです。そこで、次々とチェックしていくような聴き方が、いろいろな「音楽の聴き方」のうちのひとつとして自然と身につきました。実はこの聴き方は作品への敬意を欠く感じがして、あまり良くないとも思っているんですが……リスニング経験の蓄積と、そうした聴き方のスキルが合わさって、「これはこういう文脈に結びつけてもよかろう、これはそうじゃない」という判断軸が培われたんだと思います。
文筆活動では、作品を聴き込んでその魅力を分析するディープなリスニングも実践されています。サウンドのプロダクションやミュージシャンのプレイの形容が簡潔かつ的確なのが印象的です。
※日刊サイゾーでの連載「ALT View」はB’z、DEEN、ZARD、Mr. Children……といったアーティストに新たな光を当てる好企画。
https://www.cyzo.com/tag/tomc
私が行っていた大学に近い高田馬場のTSUTAYAが、レア・グルーヴなどの特集を多く展開していて、その周辺をいろいろ聴きまくっていた時期があるんですね。特にAORは演奏家カルチャーでもあって、「こういう人がこういう演奏をしている」みたいなことがライナーに書いてあったりするんです。「なるほど、こういうプレイのことは世の中ではこう表現されているのだな」というのを、それで知りました。あと、バンドをやっているときに、うまいメンバーの拍のとり方を学んで。「モタる」とか、「あえてジャストよりも先に鳴らす」とか、「重い」とか……リスニング体験やライナーから学んだことはこういうことなのか、というのを自分のなかで血肉化できたんです。
いままでのお話を聴いていたら、制作や文筆などにまたがるTOMCさんの少し謎めいた活動が腑に落ちました……! 最後に、今後の作品のプランや直近でリリースされるものがあれば。
昨年以降カナダのInner Oceanというローファイ・ヒップホップの文脈で知られるレーベルからビートアルバム(『Liberty』)とアンビエント(『Ninth Silence』)を1作ずつリリースしたんですが、そのふたつの要素をあわせもった作品を今年の後半に出そうと思っていて、もうマスタリングまで済ませてあります。いったんここまでの集大成のようなものにしたいと思って、一部の曲では、かつて「アヴァランチーズ・ミーツ・ブレインフィーダー」と評された2018年頃のテイストも入っています。MC.sirafuさんとの「れいふんれいびょう」も、もう少し世の中の状況が変わってきたらライブを多数行いつつ、音源も随時リリースしていきたいと思います。
そしてアンビエントやニューエイジのアルバムが3枚分、それぞれのコンセプトも人に話せるくらいにまとまっているものがあります。ただ、作風がだんだんシリアスになってきたこともあって、明るいレーベルカラーのInner Oceanにそうした作品をリリースしてもらうのも申し訳なくて。どんなレーベルから出せるか検討しているところです。
最近は地に足がついてきた部分もある一方で、まだもっともっといろんな新しい地平を切り開いていきたいとも思っています。そういう望みは捨てないでいきたい。どんどん上へ、上へと向かっていくチャンスは掴んでいきたいです。
取材・文:imdkm
TOMC(トムシー) プロフィール
ビート&アンビエント・プロデューサー / キュレーター。
カナダ〈Inner Ocean Records〉、日本の〈Local Visions〉等から作品をリリース。「アヴァランチーズ meets ブレインフィーダー」と評される先鋭的なサウンドデザインが持ち味で、近年はローファイ・ヒップホップやアンビエントに接近した制作活動を行なっている。
レアグルーヴやポップミュージックへの造詣に根ざしたプレイリスターとしての顔も持ち、『シティ・ソウル ディスクガイド 2』『ニューエイジ・ミュージック ディスクガイド』(DU BOOKS)などの書籍やウェブメディアへの寄稿も行なっている。現在はサイゾーにてビーイングやMr.Childrenなど日本のポップスを多角的に掘り下げる「ALT View」を連載中。