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Amazon→Jeremy Deller, Art is Magic, London: Cheerio, 2023.
イギリスのコンテンポラリー・アートの作家、ジェレミー・デラーの作品集(というかなんというか?)で、本人による自作解説エッセイを豊富な図版と一緒に収めた大型本。デラーは2004年のターナー賞受賞者であり、日本でも結構紹介されている。最近では2021年に岡山県倉敷市にて個展(作品の上映)が行われているし、来年開催される第8回横浜トリエンナーレにも出展が予定されている。
先日ブログで取り上げた山本浩貴『現代美術史――欧米、日本、トランスナショナル』(中公新書、2019)でも、クレア・ビショップの「関係性の美学」批判の流れで紹介されていたりする(そういえば『関係性の美学』の邦訳出るんですってね。10年前、おれの学生時代からずっと邦訳の話があったのが、ついに……)。
本書には主たる作品がおよそ時系列順に網羅されていて、専門家やコラボレーター、親しいアーティストたちとの対談も収録。デラーの着想から実践までをユーモラスに、いきいきと知ることができる。特にデラーは音楽好き、ポップ・カルチャー好きには刺さるアーティストだと思うので、もし知らないという人がいたらチェックしてみてほしい。ここでは本の内容をどうこう言うというよりは、自分の好きなデラーの活動についてつらつら書いて置こうと思う。
デラーのおそらく最も有名な作品は、1980年代サッチャー政権下で起こった炭鉱労働者によるストライキにおける警官隊との衝突を再演 re-enact した《オーグリーヴの戦い The Battle of Orgreave》(2001年)だろう。イギリスには歴史的事件を当時のコスチュームなどに身を包んで再演する催しが文化として根付いていて、その愛好家やコミュニティが存在する(日本でも戦国時代とかの合戦を再現するお祭りとかあるけど、あれが草の根的に愛好家がいるみたいな感じか)。当時ストライキに参加した元炭鉱労働者に加えて、そうした愛好家たちを巻き込みながら、比較的近過去(なにしろ当事者はまだ存命である)をあたかも重大な歴史的事件のごとく再演していく。その様子は資料や記録を交えたインスタレーションや、ドキュメンタリーフィルムとして公開された。
デラーのアプローチは、《オーグリーヴの戦い》のように、イギリスのオーセンティックとされる歴史に近過去や現在をどのように結びつけるか? ということに要約できるように思う。そこにしばしばポップ・カルチャーが参照されるのも特徴的だ。初期の代表作である《世界の歴史 The History of the World》(1997-2004)は「アシッド・ハウス」と「ブラス・バンド」という一見つながりがなさそうなふたつの音楽を、様々な概念や社会・政治的な出来事をブリコラージュしてマッピングし、「実はこのふたつの音楽はつながっているのだ!」と主張するドローイング。ここから発展してデラーは《アシッド・ブラス Acid Brass》(1997-)というプロジェクトを実現させる。
この作品がすごく好きで、ぱっと聴いただけでも面白いし、全然ちがう二つの文脈がぶつかることで、あたかも孤立した、ないしは特定のナラティヴに囚われた文化にまた別の光が当たるのがすごく面白い(その意味では、ウィリアム・モリスとアンディ・ウォーホルを世紀と大西洋をまたいで並置しその類似点を探った《愛さえあれば Love Is Enough》(2015)も面白い。社会主義者と資本主義の権化が似通うとは)。
レイヴカルチャー(《アシッド・ブラス》)と炭鉱労働者のストライキ(《オーグリーヴの戦い》)のリンクはデラーのなかで重要なようで、Aレベルで政治学を履修する学生たち(高校生くらい)にセカンド・サマー・オヴ・ラヴの歴史を講義する映像作品《エヴリバディ・イン・ザ・プレイス 不完全なイギリス史 1984-1992 Everybody in the Place, An Incomplete History of Britain 1984-1992》(2019/リンク先で鑑賞可能)ではその関連がより直接に論じられている。学生たちの反応も良い(機材並べて鳴らして遊んでるのうらやましー。こういう授業あったらよかったな。まあ全日制の高校行ってないんであれですが……)。
しかしもっとも印象的なのは、第一次世界大戦のソンムの戦いから100年のメモリアルとして企画された作品《ここにいるからここにいる We’re here because we’re here》(2016)だろう。イギリス中の街なかに、第一次世界大戦の戦士の紛争をした人々が突然あらわれる。かれらは特になにをするでもないが、話しかけたりアプローチした人にはソンムの戦いで戦死した人の名前が刻まれたカードが配られる。パフォーマンスは最終的に、「蛍の光(Auld Lang Syne)」のフシで“We’re here because we’re here…”と合唱して、絶叫して終わる。
ある種のフラッシュ・モブ的な、SNS時代にぴったりの企画である(上掲の公式サイトでは実際、居合わせた人々のSNSへの投稿が記録としてまとめられている)と同時に、静的で局所的なモニュメントとは異なるかたちで失われゆく記憶を伝える試みとしてユニークでもある。
ほかにも、プロレスラーであるエイドリアン・ストリート(惜しくも今年7月に逝去)を題材にしたドキュメンタリー《痛めつける方法は山ほどある So Many Ways to Hurt You》(2010/リンク先で鑑賞可能)、イギー・ポップを写生教室のモデルに招いた《イギー・ポップの写生教室 Iggy Pop Life Class》(2016)など、名前を見るだけでも惹かれる作品やプロジェクトが数多い。もし洋書を扱ってる書店でみかけたらちょっとめくってみてほしい(安い本じゃないからね)。美術館や大学の付属図書館に入ったりもするんじゃないかしら。
(なお、本記事では、作品タイトルの邦題は拙訳、制作年は基本的に公式ウェブサイトや美術館のウェブサイトなどに準じている)