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藤倉大『どうしてこうなっちゃったか』幻冬舎、2022年(アフィリンク注意)

作曲家、藤倉大の自伝エッセイ『どうしてこうなっちゃったか』を読んだ。名前は聞いたことあるけど作品を知ってるわけでもない。でも、なんとなくポチった。サブスクで藤倉大の作品を流しながら読んでみる(なんかこう書くとシャバいな)。すると、これがめっぽう面白かった。

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困ったらとりあえず開きがちなSpotifyの「This Is~」。身構えて再生してみると思ったよりもキャッチーで、色調に富むのに鮮やか、みたいなバランスがすごい。

なにが面白いかと言えば、まず第一に異世界転生とかのチート主人公かなんかかよと思うような藤倉の存在感もさることながら、出てくる人物の片っ端からキャラの濃いこと。また、現代音楽という多くの人にはあまり馴染みのない世界がどう動いているのか、ひとりの作曲家の視点から見えてくることも面白い。ざっくばらんな語り口と「マジかよ」というエピソードに導かれて読み進めると、作曲家ってどういうふうに食ってんの? みたいな下世話な関心も満たされるし、かと思えば、作品1本を書き上げ実演するのにどんな苦労とよろこびがあるかもリアルに描かれて、そのまっとうさに胸打たれる。

なにより、いち作曲家としてなにを試みようとしていたか、自分がこの音楽――たとえばオーケストラによるアンサンブル、たとえばオペラ、たとえばライヴ・エレクトロニクス――にどんな魅力を感じているかを書き付ける筆致が良い。第十五章で、オーケストレーション(オーケストラで鳴らすために作品を練り上げる、まあポップスの領域で言うところの「アレンジ」というか)の面白さを、具体的な例を並べて簡潔に説明したうえで、「少ない数の楽器から多彩な音の花を咲かせるのが、オーケストレーションの醍醐味だと僕は思う。」と一言まとめるあたりは、「うわ、これパクろう」とか思ったりする(ちゃんと出典を明記して引用しましょう。今回はKindleで読んでいるうえ、なぜか位置番号がうまく参照できない。あしからず)。

さらに、坂本龍一やデヴィッド・シルヴィアンといったアーティストとの交流のエピソードからは、録音芸術としてのクラシックという、馴染み深い一方でいささかややこしい領域のあり方にも思いが及ぶ。いま音楽というと録音された商品を指すことが多い。それが巨大な資本の投下されたプロジェクトであれ、ベッドルームからえいやっと放たれた音声ファイルであれ、のっかっている土俵は根本的には同じだ。同じであるがゆえに、さまざまな〈力〉の多寡がそのまま格差としてプレイヤーにのしかかってくるわけだが……。そこに、いわば畑違いの作曲家が乗り込んでゆくことの意味について考えざるをえない。とか言い出すとじゃあ現代音楽ってのも結局さぁみたいなことにもなるけどまあそこまで踏み込まない(そのあたりのやだみや辛さを感じるエピソードもそこかしこにあるのである種誠実なエッセイだ)。

まあ、オーケストレーションにせよ録音芸術としてのクラシックにせよ、ほんの数段落言及されるくらいの話なんだけど、起伏の激しいエピソードのなかにあるそういう細部にこそ含蓄の多いエッセイだ。軽く読めるしおすすめしたい。

#Book-Review

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