業務スーパーに行って「guillaume super……」と思ったり、コンビニの値下げ商品を漁ったり、天井とTikTokを交互に見たり、Duolingoのレッスンを1つ進めては「きょうのノルマは達成」と自分に言い聞かせたり、でかすぎて手に余る本を解体してKindleで読めるようにしたり、鶏むね肉を電気圧力鍋でごりごりに調理してふぁっふぁの鶏フレークにしたり、浴びるように紅茶を飲んだり、世界の不思議について考えたり、ドライブ・マイ・カーにおける人称、私、自他の境界のぼけや侵犯のようなことが気にかかるのはおそらくもっとも直接的に、自分が自分にひもづいている感覚が薄く、それが苦しいときもあれば多幸感をもたらすこともある、そういうことに関係していて、自分の直感する世界が描かれている、自分がもっとも恐れる(求める)言葉の作用がそこにある、みたいに強迫的に解釈してしまうからかもしれない、確定申告の作業をうっすら進めたり、風呂を掃除したり、ひげをそったり、洗濯し忘れたり、洗濯したことを忘れたり、キョコロヒーを見て赤ん坊のようにけたけたと笑ったり、この離散的な意識、夜にいーってなって外に出るんだけど閉店しかけのスーパーは空っぽだったり、液体絆創膏が好き、箇条書きはすべて幻想、龍角散を丸呑みする。