imdkm

TikTokを割とよく見てるほうなので、みんなTikTok結構やってるもんだと思いがちなのだが、世の中の人はそもそもアプリも入れていないことも多いということをたまに思い知らされる。

土・日・月と体調が芳しくなくてずっと寝ていた。月曜日は胃腸の調子を整えようと一日断食に挑戦。しかしあえなく夕方に限界を迎え爆食。なんじゃらほい。でも「お昼は食べない」くらいのノリでぜんぜんいいような気がする。あとオートミール食に徐々に復帰。

世の中、おじさんコンテンツ(おじさんのための、ではなく、おじさんを愛でる)は存外多く、メンバーが年齢を重ねてからの水曜どうでしょうとかがおそらく先鞭で、ほかにも音楽やらお笑いやらで仲良しなおじさんたちを愛でたり、おじさんのおじさん性を愛でるような眼差しというのはけっこう見受けられる(眼差しを見る、ってなんか変な表現だけど)。錦鯉のM-1優勝もまあそういう感じというか。おじさんコンテンツなぁ。好きだけど。サクマ&ピースとか名おじさんコンテンツじゃなかったですか。ホモソ的なわいわいを愛でる、の延長線上にあるのか、それともほかのなにかがあるのか、あんまりわからない。ほかならぬ自らがおじさん化していくなかで……。

こないだなんとなくヤフオクを見ていたらYAMAHA RM1xの新品未開封、デッドストックが出品されていてびっくりした。RM1xはグルーヴボックスとして結構人気が高くて何度か買おうか挑戦したことがあったけれどタイミングがあわずに無理だった。あれ、もう何年前の機材だ。ぎり90年代に発売されていたはず。欲しいなぁ。ちなみに当該オークションは終わってました。いくらで落札されたんだろうな。

〈公正(フェアネス)〉を乗りこなす│第10回│理論的なだけでは「公正」たりえない│朱喜哲 | [Edit-us] (editus.jp)

「物語」という概念というか領域が出てくるところで「うおぉ……」となった。ここでいう「物語」は小説みたいな文芸の特定の形式をさすものではなく、論理的でパブリックな言葉(対話のための、説得のための……と言い換えてもいいかもしれない)ではない言葉を総称するようなもので、さまざまな表現や発話がふくまれる。そうした限りでの「物語」の可能性については疑いようがないと思う一方で、しかし「物語」と世間で言われているものは……このへんはなんかいろいろアンビバレントな思いがたくさんあってなんともいえない。

かまいたちの濱家が身長187cmあるっていうのやばいよな、好き過ぎる。

ブラック・ナード・カルチャー:それは現実逃避(escape)ではない | elabo (elabo-mag.com)

マンガとかアニメの話(つまり日本産コンテンツの受容、とかそういう)にするとわかりづらくなるところ、「ナード」の含意の変化とアメリカのブラックコミュニティとの関係性を抑えることでそのクリティカルな面がわかる、みたいな感じだ。これはもしかしたらシティポップにも似たような分析が必要なのかもしれない(コンテンツの側を分析しようとしがちだが…という)。本文で紹介されているJordan Calhoun, Piccolo Is Black: A Memoir of Race, Religion, and Pop Culture (English Edition), Lit Riot Press, 2022.は気になる(アフィリンク注意)。

国内メーカーが出している3分早ゆでのスパゲッティがすげぇまずくて、輸入モノのやっすいパスタのほうが美味いってどういうことだよ、と思った。茹で方が悪いのか。でもある程度適当に茹でたってそれなりの味になるもんじゃない? パスタなんか……。

最近、毎日のようになにかしらをつくろっている気がする。ボタンホールを直したり、枕のジッパーを補強したり、アイマスクのひもをつけなおしたり等々……。とはいえ単に布をくっつけるだけならばコニシのボンド 裁ほう上手(アフィリンク注意)で事足りる。それでは強度がこころもとないというときにちょちょっと手縫いをする。ほんとはミシンを使いたいんだけど、ミシンをわざわざ引っ張り出してきて準備して……というのもだるい。裁ほう上手はいいです。なんならアイロンつかわんでもいける。

ダンス・ミュージックのプロデューサーの匿名性というのは、いわゆるポップスター(ロックの、ヒップホップの……でもいいが)の名の売れ方、顔の売れ方とはまた違う記憶のされかたがあるという話であって、素性を明かさない覆面プロデューサーであっても作品には明確にその作家性が刻まれているのだから、むしろ作品の記名性が際立つ分野であるような気もする。またダンス・ミュージックの機能性というのもある程度慎重に考えないといけなくて、ポップ・ミュージックも多くは一定の機能に対して最適化された音楽――それはかならずしもオーディエンスに与える影響に限らず、ポップの「名声」をめぐるエコシステムへの最適化も含まれる――なのだし、ロックだって多かれ少なかれ機能性やルールを持つものだ。「名声」や「記名性」が形成されるプロセスの差異として捉えるべきところをプレイヤーのアティチュードやジャンルの本質に還元するのはまあややこしいことではなかろうか。

ようやっと聴きました。みんなが歌ってるのが良い(馬鹿の感想)。最高です。

Apple Music、やっぱり決定的にiTunesでの使い勝手が悪く、「探す」と「ライブラリを管理する」のフローが分断されているのが非常に不満。そもそも検索もISDN時代のネットみたいに遅いし精度もおかしい。アプリも地味に使いにくい(類似する作品の自動再生とか、Spotifyなら設定で完全にオフにできるのに、Apple Musicはいちいち再生画面で停止するしかないみたいだし)。ローカルのライブラリに干渉してくるのも腹が立つ。こういうサービスの設計の仕方してるからU2のアルバムをプレゼントですっつって勝手に配信して批判されたりするんだなって思う。ユーザーがまもりたい領域に勝手に干渉してもなんとも思わないというか。

The Race to Save Hip-Hop’s Lost Eras | Pitchfork

ヒップホップ黎明期のマテリアルを保全しアーカイヴとしていくにはどうしたらよいか、というのを、アメリカの現状といま生じている困難をまとめて伝える記事。それじたいも興味深いがLaurent Fintoni, Bedroom Beats & B-Sides: Instrumental Hip Hop & Electronic Music at the Turn of the Century (English Edition). Velocity Press, 2020.(アフィリンク注意)がおもしろそうでKindle版をぽちった。冒頭の数パラグラフをたらたら読んでいるだけだが、匿名的なプロデューサーたちがポップのメインストリームに顔をだしはじめる――さきに書いたダンス・ミュージックのプロデューサーをめぐる匿名性と記名性等々の話に通じる――この20年ほどの変化について言及があり、これは読む価値あるかもしれない。ちなみに著者は2008年ごろ日本に住んでたらしい。

このページをシェアする: X | Threads | Bluesky