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話題の本、話題の作品、話題のニュースについてSNS上でわいわい論評して感想を言い合うというのはきわめて健全だと思う一方で、いま一番個人的に嫌悪感を覚えるのはまさにそういうことだ。

アートに対する関心もすっかりなくなってしまったかもしれない、と思い、いや音楽についても前のめりでいられなくなってしまったのだから当然だろう、と思い直す。クリスチャン・マークレー展はやはりおもしろくなかった。最後の最後に登場する日本語手話に翻訳されたミクスト・レヴューズの無音の映像は、はっとさせられた気分になったあとで、「いや、これでよかったのか?」と、なにかぐるりと裏返った。よくわからない。なんだか、そうですか、ありがとうね、さようなら、と一言そえて、引導を渡すくらいでいいんじゃないのかって思う。個人的にはね。

レディオヘッド(Radiohead)『Kid A Mnesia』論――不器用な歌詞と音楽的冒険の同居が生んだ〈不機嫌〉なアルバム | Mikiki

トム・ヨークの詞が不器用というのはたしかにそうだと思う。わかりやすさ――「いかにも比喩ですよ」という比喩、みたいなたぐいのわかりやすさ――のほうが勝っていて、詞の流れもリニアにすぎるところがある。韻文として整っているわけでもないし。しかしその不器用さや、不器用さが醸す繊細さ(雄弁さがときにもたらす不信感を想起するとよい)こそが面白いところで、「良い詩人」でないからといって、その言葉が不器用であるからといって、その言葉に価値がないわけではない。というのはほぼこの記事の大意だろうが……。『OK Computer』や後の作品はともかくとして、『Kid A Mnesia』として今回改めてリリースされた2作はサウンドも洗練というよりはやぶれかぶれのようで(特にエレクトロニクスの取り入れ方、その不器用さよ)、暗中模索しながら編まれたまさに「冒険」のドキュメントという印象が強い。それこそ、録音芸術としてのロック・ミュージックにおいてしか登場し得なかったレコードなんだろう。いくら問題作とかエレクトロニカの影響がどうこうと言われても、やっぱロック、精神が。ロックの精神とか言っちゃったよ。恥ずかしい……。

ひどい倦怠感につつまれ抑うつ状態に入ってきているのだが、きょうは今年最後のインタビューがあり、それさえ切り抜ければあとはじっとしていられる。

Radiohead『Kid A』の音楽的革新の背後で進んだ、社会性の目覚め。試行錯誤の20年を振り返る | CINRA

かなり早い段階から環境問題への取り組みを行ってきたRadioheadの足跡について、Coldplay、Massive Attack、The 1975といったグループの近年の取り組み(とりわけMassive Attackのそれはエビデンスベースのアクティビズムとして力の入り方がすごいし、近作においては表現にもそのラディカルさがためらいなくあらわれている)を紹介する記事。温暖化をはじめとした環境問題、日本だとなんかアクチュアリティが薄く感じられてしまうときがあって、自分以外もこうした取り組みに対する認知度ももしかしたら高くないのかもしれない。The 1975がグレタ・トゥーンベリのスピーチを作品にフィーチャーしたときにもなんか反応鈍かった気がする。という自分も当時は名前の読み方わかってなくて「グレタ・サンバーグ」みたいなことを言っていた気がするが……。

そういやトヨタがEVに本格参入するとなると、EVまわりのキャンペーンもかねてがんがん欧米のフェスとかに名前貸してったりするのかもしれないよな。とか。なんとか。

https://open.spotify.com/episode/32KqIJ5E4K8TqnkIaRESC2?si=c2aa8049eba3440a

TALK LIKE BEATS最新回、久方ぶりの対面収録でいつもと音が違います。正直、リモートで、ゲストの方含めた各自がレコーダーまわしていたときと比べて、音が響いてまわりすぎてて聴きづらいのだが……会話のグルーヴは良いです。

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