また朝から頭痛。くたびれきっているが昼寝するタイミングもなく、前つくった曲のプロジェクトファイルをいじる。なんとか納得できるものにできたのでこれはよかった。なんかまあいい感じのタイミングでお知らせできると思います。
なんで昼寝のタイミングを失ったかというと使っていたヘッドフォンが壊れてしまったのだった。使いたいまさにそのときに。壊れた、といっても音が鳴るところではなくて筐体のほうで、安価で音はまあまあいいものの脆いと評判のモデルを使っていたこともあり、むしろよく保ったというべきかもしれない。プラの構造が割れてしまったので、断面を瞬間接着剤でくっつけて、ねんのため上塗りして補強。もっと頑丈に補強したほうがいいのか、っていうかもっとちゃんとしたモニターヘッドフォンが欲しいのだが……。
有志が企画する「長谷川白紙の歌詞を読む会」に出る。といっても4人あつまってSkype会議をしただけ。曲を聴いて、歌詞を眺め、読み、ここが面白い、ここがわからないみたいなことを、2時間以上みっちり話す。とりあげたのは「o(__*)」と「わたしをみて」と「ユニ」で、どの曲をとりあげても面白かった。しかし「ユニ」は改めて歌詞と向き合いながら、あるいは話しながら聴き、反芻したら、泣けてきてしまった。ビデオ会議中に音楽の話をしながら泣かれても困るだろうな、と思って耐えた。「見えるだろ 誤魔化すなよ」というフレーズの重みに押しつぶされそうな気もした。
【インタビュー】大沢伸一|MONDO GROSSOは誰のものでもなく存在している - FNMNL (フェノメナル)
この大沢伸一インタビューすごくよくて、大沢伸一のキャリアの微妙なつかみどころのなさ――MONDO GROSSOの音楽性の変遷を考えるだけでも謎っちゃ謎である――を解き明かすというわけではないのだが、しかしそのつかみどころのなさの一端をつかむヒントはいっぱいあるなーと思う。「音楽をつくらない人の音楽観がおもしろい」みたいなことの重要さってもしかしたら昨今忘れられかけているかもしれない。
最近レンチンでプリンをつくるのにハマっており、なにしろ安い。しかし本当ならレンジじゃなくて蒸し器かオーブンでつくったほうが絶対いい(容器やレンジの相性もあるのだろうが、いい感じの食感にしあげるのがむずい)。なので今度は蒸そうと思う。あとバニラエッセンスが欲しい。
お金になるわけではないがすげぇピンポイントに嬉しい案件というのがしばしばあり、そういうのがたてつづいた。うれしいなぁ。
たまに発作的に「マジでロックにはうんざりだ……」と思うときがある。ロック、好きですけどね。よく聴くし。
稲葉浩志が「山下達郎になりたい」と思った楽曲|日刊サイゾー (cyzo.com)
サイゾーのウェブでTOMCさんが連載を開始、B’zの音楽性を掘り下げる内容。分量はコンパクトなんだけどこれひとつ読むだけでB’zの聴き方が具体的に変わるような文章だと思う。プレイリスト(コンピレーション、DJミックスも含む)はしばしばそれだけで「聴き方」をがらっと変えてしまう力を持つけれども、そうしたプレイリスト巧者であるTOMCさんがさらに言葉によって「聴き方」にさらに深く介入しているのがすばらしいと思う。評価のエアポケットになっている領域を言語化するだけじゃなく、その言葉がいろんな領域をつなぐものになっている。
仙台在住のサウンドアーティスト Nami Satoが地元・荒浜のスケートパークでの配信に込めた思い | Qetic
仙台市荒浜のスケートパークCDP、10年目の先へ (timeout.jp)
Nami Satoさんの配信ライブはサウンドもロケーションもすべて素晴らしくて、日が暮れていくにつれてかわっていく空気の色にみとれた。荒浜のスケートパークに行ってみたい、というか夏祭りに行ってみたい。3.11の震災というのは当時京都にいた自分にとってなんだか微妙に遠くよそよそしい話で、地元にあまり大きな被害の痕跡もないから、東北出身でいま山形住んでいますといってもなにかつながりがないように思ってしまう。そのつながりのなさに居心地の悪さを覚えるのだが、それを徐々に咀嚼していくことができないかと思う。だからせんだいメディアテークの「ナラティブの修復」は見に行きたいのだ。