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「生活」という一語を粗雑につかうことによって、マイノリティの生活を「生活」から排除してしまう、そういう事態に鈍感な人こそ、「生活」をわかってなさそうだな、ということを思う。そりゃまあ、みんな自分のこの具体的な生活が大事なわけだし、その範囲を抜け出して考えるのってめっちゃ大変だから、そこから一歩でも踏み出すにはどうしたらいいんだろうって、きちんと考えなければならない(その限りで「生活」にきちんと向き合う必要がある)。しかし政治家なんていうさ、それこそ発言力や拡散力があり、言葉で食ってるような人が、「生活に余裕のある人の~」とか、みだりに言うもんでもないよ。「生活」や地べたの話をしているようで、SNS上の言論の綱引きに巻き込まれててんてこ舞いになっているだけっていうか。

それとまあ、今回の衆院選に対する反応を見ていると、やっぱり地方への偏見について、思うところはいろいろある。いろんな人が言ってると思うけど。選挙のときにぱっと目について心底うんざりしたのは維新が議席を増やした大阪について「あそこは別の国」みたいな言い回しをのんきに使っている人らがリベラルでございみたいな人にもたくさんいたことで、これは個人的にかつて大阪が「大阪民国」とかいって2chで(嫌韓ヘイトのコノテーションを含みながら)揶揄されていたことを(意図してるかどうかは別としてある種集団的な記憶として)引きずっている表現に見える。おぞましいことだと思う。

あと、議席という結果を見たらそりゃ「維新一色」だけど、結果にいたらなかった票を投じた人もたくさんいるはずで、単純化につぐ単純化って感じがする。これは「維新に投票した市井の人びと」の気持ちをリベラルに向けて説く人びとにも言えることで、ここぞとばかりに「市井の人びと」というマスを実体化してしまうのもよくないんじゃないのか。アメリカにおけるトランプ当選に関する(実態を必ずしも反映していない)分析と同じようなものになってしまわないだろうか。

選挙がもたらす議席という結果はたしかに実際の政治を左右する最大の要因だが、しかし議席の配分をもって民意を分析することは、やっぱり素人には難しい。専門家だって、要因が複合的すぎてばっちりの答えを出すことはなかなかできないだろうし。選挙と政治はまた違う。

いろいろ言うとりますが11月の下旬から東京都現代美術館で久保田成子の回顧展とクリスチャン・マークレーの個展。めっちゃ行きたい。しかし最近あんまり仕事をしていないので交通費や滞在費を確保しなければならない。トークとかお仕事とかの案件あったらご連絡を……。

山形からすら出ていないのでまずせんだいメディアテークとか久しぶりに行きたい気持ちもある。仙台まで行くのは車の運転を長時間するのが最近怖い(集中力が落ちているので)というのもあり、まあまあ難儀である。

ところでこのところガソリン代がうそみたいに高い。おかげであんまり外出しなくなった。自分みたいに「したくなければ/できなければしなくてもいい」ならまだいいのだが車を使わざるを得ない人(地方在住者の多く)にとっては頭痛の種だろう。EVが普及したらこうした燃料代に関する悩みはどう変わっていくのだろうか。たぶん自分の世代かちょい下くらいまではまだしばらくガソリン車(もしくはハイブリッド)が日本の主流だと思うのだがもっと下になると一気に普及する気がする。でも気候変動への関心の薄さから考えるとそんな楽観的にもなれないか。

Broadcast、múm、Dani Sicilianoなどを最近聴いている。あとLuomoも聴き返したらよかったなぁ。ゼロ年代のいわゆるエレクトロニカ、グリッチ方向ではなく生音系の。フォークトロニカというほどではなく。みたいな。LuomoはVladislav Delayがハウスやるときの別名義だけどいいあんばい、クリックとかミニマルよりももうちょっとつややかな印象。

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Selected MP3ってタイトルはかっこよすぎる。

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