(スマホの音声入力を編集したものです)
こないだデヴィッドバーンの『アメリカン・ユートピア』見てすごく良くて。その評はいろんなところで語られてますけど 個人的に一番気になったのは編成で。あの、ブラスが一人もいないよねっていうことをちょっと思って。 楽曲の中にはサックスの音色が必要なものなかにはあって、その時にどうしてるかって言うと、キーボードの人がサックスの音出してんですよね。 そこだけなんか「あれっ」と思って。もちろん演奏する楽曲のレパートリーの中に元々ブラスの役割が少なくて、一人ブラスを入れるよりはキーボードの人に代理で弾いてもらった方がいいんじゃないかって言う、そういう判断は分かる。 ただ、そうすると、パーカッションこそいろんなところから持ってきてるけど、いわゆるメロディ楽器っていうのは、実はそんなに多様じゃないんじゃないかみたいなことをちょっと思っちゃって。あれ、インスピレーションの一つって確実にブラスバンドですよね。デヴィッド・バーンは『アメリカン・ユートピア』と同じかたちでコーチェラのステージに立っていて、その年って、いわゆるビーチェラの年でもあるんですよね。ビヨンセがブラスバンドをヘヴィにフィーチャーしたパフォーマンスをしてた、その対比として『アメリカン・ユートピア』を見るのも可能なのかなぁって。 ビヨンセが率いる一大スペクタクルでは、もちろんブラスバンドが出てくるから、様々な管楽器が鳴らされていた。一方でデヴィッド・バーンは基本的にはロックの編成のバンドをひとりひとりの自律したパフォーマーたちのなかに解体して、ああいうパフォーマンスをしていた。だからなんだってわけじゃないんですけど。ブラスの不在で思い出したっていう。