デイリーポータルZで「自慢をたのしく言いたいし聞きたい」という記事を読んだ。與座ひかるさんによる記事だ。かいつまんで言えば、「自慢話をしてOK」な場をつくってみんなで自慢話しあおう、というだけの話なのだが、そこから見えてくるコミュニケーションの機微がおもしろい。
自慢話は、他人から聞くのもおっくうだし、自分で話し出すのもなんだか気恥ずかしい(イキって自慢話しちゃった後の後悔よ……)、じゃっかん厄介なトピックだ。しかし、あえてルールをつくって自慢話に挑んでみると、思いの外楽しいし見えてくるものがある。
この点、非常に重要で、日ごろなんとなく「嫌だなぁ、めんどくさいなぁ」と思っているコミュニケーションのあれこれは、実はその行為そのものというより、そのやり取りのなかに潜んでいる暗黙のルールだったり、あるいは相手との関係のあり方、ヒエラルキーなんかに強く依存していたりする(もちろん、個人の経験や信念から「こういう話題は嫌だ」というのも当然あるんだけど)。
「自慢をたのしく言いたいし聞きたい」は、暗黙的なルールにのっとって行われているコミュニケーションに明示的なルールを設け、改めてその性格を発見しなおして確認する、という実験になっている。そのプロセスをじっくり観察すると、いつものコミュニケーションに含まれるヤダ味が陰画のように浮かび上がることになる。また、意識せずにのっかっているルールを自覚することで、よりローコンテクストな、開かれたルール作りを考える土台になるかもしれない。
與座さんがデイリーで書いている記事は数多いが、同じようにルールの力でなにげないコミュニケーションの仕組みをあぶり出すものが結構ある。たとえば「斜にかまえる、かまえないを1分ごとに切り替えるとどうなるか」とか、「「主語の大きさ」をくじ引きで決めるとどうなるか」とか。「同窓会で昔話を禁止するとどうなるか」もいい。どれも、「あえてやってみる」の契機をつくる(というのがまさにルールなのだが)ことでうまれるコミュニケーションの機微とそこからの発見がふんだんに含まれている。
おもしろい。のみならず、なにより思うのは、これらがいろんな可能性を持っているということだ。
記事で行われている実験は、知り合いなどを募っているから、その関係によって成果が担保されている部分も多いだろう。しかし、ある程度ルールの設計を見直せば、誰でもその実験の成果を追体験することができるはず。だし、それは「追体験」に限らずまた別の発見が人によってうまれてくるだろう。適切にオーガナイズ&ファシリテートさえすれば、コミュニケーションに関するワークショップとして有意義なものができるように思う(それが一番むずかしいんだけど)。
コミュニケーションの専門家(心理学者なり社会学者なりなんなり)を監修とかコメントに迎えて単行本や新書の一冊でも編めそうだなと思う。ワークショップ集みたいにできるように。それを読んだからって「聞き上手になる」とか「話し上手になる」、「プレゼンがうまくなる」みたいなことはない、だろうけど。見かけはそんな感じで。ビジネス書のふりしたライトな人文書みたいな。
ともあれ、単にコミュニケーションを円滑に、効率的に行えるだけじゃなくて、どのようにしてコミュニケーションが成立しているかを思考する。それこそが一番重要で、必要なんじゃないのかと思う。それを考える人が増えれば、理不尽さや暗黙のルールに押しつぶされる人が少なくなるんじゃないのか……と。