RealSoundで宇多田ヒカル「Time」評書いたんですが、解禁前の情報をがっつり入れすぎててこれは掲載できねえじゃんと思ってこちらから取り下げてリライトしてたんですよね。リリースもされたことだし結構がんばったのになんかもったいないのでここにおいておきます。仮に怒られたら消しますが……
***
宇多田ヒカルが新曲「Time」のリリースを発表した。現在、2020年5月8日の配信開始に先駆け、YouTubeでワンコーラスのみ視聴することができる。日本テレビ系日曜ドラマ「美食探偵 明智五郎」の主題歌であり、2019年1月リリースの「Face My Fears」以来となる新曲だ。資料によると、作詞作曲は宇多田、プロデュースには宇多田に加えて小袋成彬もクレジットされている。
「Time」はきつめのオートチューンのかかったハミングとエレピから始まる。追って入ってくるビートはやや変則的で、4拍目のバックビートを少しずらしたり、ハイハットやシェイカーなどのパーカッションを点で配置して独特のニュアンスを出している。リズムやメインのコードを奏でるシンセのサウンドは意外なほどそっけなく、シンプルだ。あまり味付けをしすぎずに、シンセの味をぽんと出したような潔さだと思う。
そもそもこの曲、音数自体ごく少ない。一聴すると、デモを少しブラッシュアップしたかのような、すごく控えめで素直なアレンジに感じられる。そのぶん、ビートの細部や、バッキングを含めた宇多田のヴォーカルのニュアンスに注意が向く。
たとえば、スネアが16分音符ひとつぶん後ろにずれることで、ビート全体にぐっとタメが生まれ、すこし粘っこさが生まれる。そうしたリズムと絡み合う宇多田のヴォーカルにも、少し粘ったようなうねりが感じられる。とはいえ、ビートはスクウェアな打ち込みであるのに対して、ヴォーカルがつくりだすリズムは自在に伸縮する。ビートが細かな点を鋭く打っていくのに対して、ヴォーカルは濃淡を変えながら描かれる線のようだ。
具体的には、「キスとその少しだけ先まで/いったこともあったけど/恋愛なんかの枠に収まる二人じゃないのよ」の「いったこと〈も〉」の置き方、メロディを逸脱して半分語りのようにリズムに収められる「恋愛なんかの枠に収まる二人じゃないのよ」の自在さ。コンポーズされたリズムと崩しのバランスの洗練は、人間活動以降の諸作、とりわけ『初恋』で極まったように思う(拙著『リズムから考えるJ-POP史』で『初恋』に一章割いたのはまさにその点からだ)。「Time」はプロダクションの観点から言えば『初恋』よりもぐっとシンプルで、なんなら親密ささえ嗅ぎ取ることもできるが、変わらぬリズム処理の巧みさを存分に発揮している。
しかし一番の聞き所だと思うのは終盤の展開だ。といっても目覚ましいビートスイッチやエフェクトがあるわけでもないし、物語が急展開するわけでもない。
終盤、落ちサビ的にビートレスなパートが登場し、そこから再び戻ってくると、変則的だったスネアがバックビートに素直に収まるようになる。そこまで、はっきりと言い表せない微妙な関係性や感情を綴ってきた言葉が少し調子を変える。一番わかりやすいのは、そこまで「時を戻す呪文」を胸に携えていた語り手が、「戻すことができない時間」をポジティヴに捉えなおしているかのような内容の転換だ。
しかし、律儀にバックビートを鳴らすスネアと、これまた律儀にリズムにおさまるヴォーカルには、妙なよそよそしさが漂っているように思う。自分に言い聞かせているようでも、「君」に語りかけているようでもあるが、どこか同じ沼に引き込んでしまおうとでもしているかのような不穏さがある。
そう考えると、「時を戻す呪文を君にあげよう」という一見ポジティヴな贈与にも思える一節は、同じ「たら、れば」の呪いに相手を巻き込んでしまおうという意思の表明のようでもある。
しかし、「恋愛なんかの枠」では説明しきれない関係性を無理に枠に収め、あるいは解消してしまうよりも、語り手のこの言葉はよほど切実で生々しく感じられる。個の感情や、個と個が結ぶ固有の関係性に忠実たろうとするこの語り手はある意味で誠実かつラディカルなのかもしれない。
思えば『初恋』は、たとえば表題曲に典型的なように、ロマンティック・ラヴへ傾倒しているようでいて、どこか典型的なロマンスなどにはおさまりきらないいびつな剰余をはしばしに見せていた。「Time」を聴き込みながらふと『初恋』を聴き返すと、なんとなくこのアルバムに感じていたわだかまりがほどけるようだった。
宇多田は「Time」に加えてサントリー天然水のCM曲として「誰にも言わない」を発表したところだ。リリースは5月29日を予定しているという。立て続けの新曲リリースにいっそうの期待が高まる。