4.4
[この日付は欠番だ]
4.5
きのう、19時過ぎに限界がきて寝てしまった。念の為「ネルノダ」を飲んだ。たしかにすっきりと目覚めたが、0時過ぎ。5時間も寝ていない。すっきり感は活動しているとすぐに消えていく。ほんとうは8時間くらい、ぐっすり寝たいのだ。とにかくこの睡眠不足は日中の行動を不安にする。車を運転するのはよしておきたい。
昼前、修理に出すPcの引取がやってくる。さらば相棒(4ヶ月くらいの付き合いだったが)。一週間くらいで戻ってきたらいいけど。むずかしいかな。このご時世だし、気長に待つ。
半身浴をしながらチョ・ナムジュ『82年生まれ、キム・ジヨン』をKindleで読む。一日15~30分くらいずつちんたら読んでて、70%くらいまで。なんか、これいうと誤解を招きそうだが、Twitterに投稿されるエピソードの集積みたいな感じを覚える。女性の生きづらさをめぐる半匿名のエピソードたちが束ねられているような。日付も年号も固有名詞もはっきり出てくるにもかかわらず(表紙のイラストレーションが示唆するように)顔がないような。それはこれがキム・ジヨン自身の語りではなく、キム・ジヨンを診察する医師の聞き書きという形式によるところが大きいだろう。いたるところに挟まれた注釈が、この顔のなさに奇妙な具体性を与えていく。どのエピソードもかなりしんどいものばかりだ。それが「あるひとりの人物の固有な体験」ではなく、むしろ集合的な経験(卑近な言葉で言えば「あるある」)になっていく。これなんなんだろうな、と思った。気に入った(好ましい感情をおこすとは限らない、怒りに近いものもある)部分にマークしていくと際限なくなった。これ最後までいくとどうなるんだろう。
政府がCOVID-19収束後の経済活性に向けた施策としてクーポンを出すのはまだまあ百歩譲っていい(いまいうことじゃねえだろ、という最大のツッコミはもうみんなしてるし)のだが、そのネーミングセンスが「Go To Travel」とか「Go To Eat」とか、なぜか命令形の、中学生が考えたみたいな感じなのが解せない。
ジョン・カーペンターの映画「ゼイリブ」には、サングラスをかけるといっけん感じの良い広告や雑誌の記事、テレビ番組なんかに隠された真のメッセージ――従え(obey)、消費しろ(consume)、結婚して子供をつくれ(marry and produce)――が見えてくる、という風刺的な設定がある。視覚的にもインパクトがあってミーム化しているが、今の世の中はもはやサングラスなしに「外食しろ」「旅行に行け」「経済をまわせ」というメッセージがあたかも”よきこと”や”真理”のように流通している。なんなら国がそれに加担するのだから凄い話だ。
消費という享楽をそれ自体として肯定できず、なんらかの大義をかざしたくなる気持ちはわかるが、そこでかざされる大義が「経済を回せ」であることに心底嫌気がさす。「食べて応援」や「買って応援」「行って応援」みたいな3.11以後のスローガンはすべてそれだし、おたくが誇らしげに「コミケの経済効果」とか「アニメ・マンガの市場規模」を持ち出しておたくカルチャーの優位性を説く姿もまたそれである。
きょうは夕方くらいに体力の限界がきて、寝た。お昼寝くらいのつもりが日付を超えてしまった。なんだかなぁ。ネルノダを飲んで寝直す。