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 5時ごろ、はやめに目が覚める。ふだんは二度寝を決めこむが、なんとなくスマホを開いたらPop Smoke逝去の報。正直、めちゃくちゃにショック。しかも、LAでAir BnBに滞在中、強盗に遭って銃殺されたそうだ。なんでこんなに、若いラッパーが命を落とさないといけないのか? と、ひとしきり、ヘヴィな思いにかられる。天野龍太郎さんが銃規制の問題を絡めながら「This Is America」をツイートしていた。こうした悲劇さえをも消費してはいないか、いるだろう、とChildish Gambinoが問うているような気持ちになる。
 午前中はRSSをチェックしたり記事を読んだり。The 1975の新曲、The Birthday Party、MVに乱舞する(もはや忌々しい)ネットミームたちのなかでデジタルデトックスに励むマッティ。歌詞はここではともかくとして(歌詞も興味深いのだが)、このビデオはなんだかとても泣けてしまった。正直、ミームに通じている人なら眉をひそめたくなるようなMVでもあるのだが、そうしたミームがおのれら自身、デトックスのプログラムに参加しているのだと思うと、ミーム自体に罪などないことにも気づく。また、MV全体のプロットは「マッティがナルシシズムを実現する」というものに思えるが、それはまさにこのMVが執拗に言及するインセル的な精神のなかで阻害されてきたものなのではないか、と思える。4chanにたむろする人々は常に匿名で顔を持たない。構造上「自分を肯定する、自分を愛する」ことができない。匿名掲示板に限らず、SNSでも、人はおのれ自身をおのれ自身の限りで肯定することを許されない(他人の目が数値化されてしまうから。その意味でセルフィはナルシシズムの発露ではない。自己完結しないから)。ナルシシズムは必ずしもいいイメージを持つものではないけれども、しかしあいまいにこちらをまなざす他者という地獄のなかでナルシシズムの契機を奪われてしまうことで、なにかが損なわれている気がする。
 昔の曲のミックス作業、「ヘッドルームは-6db」と目標を定めて、ピークだけ潰す作戦にしたら割とすんなりいくようになった。バランスが崩れない程度に各チャンネルのレベルを調整し、必要であればEQで削るか、ディストーションなどで倍音を足して目立たせた上でレベルをいじる。最終的にはOzone 9 ElementsなどをStudio Oneでかけるつもりでいる(買いました、1000円だったので)。
 Twitterで「音楽ライターがアニメやゲームの話についていけない」みたいな話題があったが、たとえばファミ通とかゲーム系メディアがThundercatやFlyLoに話聞きに行かないのかな? と思う。音楽の話なんかせんでもええんですよ(作品は聴いとかないと絶対だめだが)。とか、結局編集がどういう座組を設定するかの話ではないか。どうしても「書いている人、訊いている人」に焦点があたってしまうが、そもそも「この人にこれをインタビューしてもらおう」という采配が解決する問題って多いんじゃないかなあ。
 来週の東京行きのスケジュールがようやく確定した。コロナウィルスの件もあって、もし仕事がバラしになったら家にいるかと思っていたから安心した(安心なのか? むしろ不安か?)。新幹線で行くぞ~。

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