スティーヴ・アルビニ「音楽の問題」(1993)という記事を読む。アルビニが90年代に書いた文章の邦訳。べらぼうに面白いが、ところどころ訳に違和感がある。大筋を理解するのに差し障りはないものの、気になる。原文も読んでみた。
たとえば第2節の2で「自尊心のあるエンジニアが自分たちを「プロデューサー」と呼んでいるのは、それが理由だ。」は原文では’That’s why few self-respecting engineers will allow themselves to be called “producers.”‘で、「自尊心のあるエンジニアたちに自らを「プロデューサー」と呼ばせるような奴がほとんどいないのはそれが理由だ」である。心あるエンジニアなら自分を胡散臭い「プロデューサー」なんて呼ばせたりはしないよ、って話だ。
その少しあとに出てくるエンジニアに必要なスキルの箇条書きで「所有している音楽スタイルの経験。明かな失敗作はいつできるのかを知るため。」というのは’Experience with the style of music at hand, to know when obvious blunders are occurring.‘で、「手掛けている音楽のスタイルへの経験、明らかな失敗が起こっているときに気づくため」だ。
さらに第3節の3段落目の冒頭「結果として」とあるのは’to that end’で、「その目標に向けて」だろう。目標とは、前段落で示される「メジャーと契約する」である。
あと、微妙さの説明がむずいが、以下の部分も違和感がある。
今やすべてのロックバンドは、音楽業界のマヌケを見抜けるほど物分かりが良いのである。時代遅れのギョーカイ用語を使って、誰も彼もを「ベイビー」と呼びながら早口で話す、恰幅のいい中年の元ヒップスターという、ポップカルチャーではよく知られた風刺画もあるくらいだ。 しかし「そんな」A&R担当とのミーティングの後、そのバンドはメンバー同士で、またその他の人々に対してこう言うのだ。「彼は全然レコード会社の人間っぽくないよ!俺らと同じだよ!」 そう、彼らは正しい。それが彼が雇われた理由の一つだ。」
原文を見ても、ここまでの話を考えても、この段落でアルビニが言いたいことは、「いまどきのバンドはうさんくさい業界人を信頼しないくらいには賢い。しかし、だからこそ自分らと似て若く話が通じるA&Rにはころっと騙されてしまう。業界もそれをわかっているからそういう若いA&Rを雇うようになった」ということだ。しかし、この訳のなかで「「そんな」A&R担当」と言われている対象はちょっとわかりづらい。具体的に言えば、直前の古臭い業界人像が「そんな」の指示対象ともとれてしまう。原文では「そんな」はダブルクォーテーション付きの"their"なので、「バンドは「自分たちの」と思ってるけれども……」みたいなニュアンスがある。「そんな」と言うよりは素直に「自分たち」としたほうがいいだろう。たとえばこうなる。
いまやすべてのロックバンドは、音楽業界のクズを信用しない程度には賢明である。[クズの典型として、]ポピュラーカルチャーにはよく知られたこんなカリカチュアがある。かっぷくのよい、中年の元ヒップスターで、早口でまくしたてるように喋り、時代遅れのジャーゴンを使って誰も彼も「ベイビー」と呼ぶ奴だ。[対して、]バンドは「自分たち」のA&Rとミーティングを終えると、自分たちにこう言い聞かせ、まわりにも同じことを吹聴するだろう。「彼はレコード会社の人間っぽくない! 自分たちと同じみたいだ」彼らは多分正しい。それこそがそいつがレコード会社に雇われている理由なのだから。
こうした誤訳(うーん、「誤り」というのは気が引けるのだがあえてこうしておく)が起こる理由もわかる。英語の表現をなるたけ崩さないよう、しかし日本語として成立させるのはけっこう特殊な技能で難しい。それに、特に報酬が発生するでもない私家版の翻訳である。このサイトの方は翻訳を仕事にされているそうなので、たとえば仕事ならばもっと詰めるのかもしれないが、個人ではとりあえず読めるくらいの文章でも公開するのは正しい。資料的価値のほうが優先するからだ。
自分も邦訳のない文献をあたって引用するときに必要に迫られて訳すことがあるけれど、できれば避けたいな……と思ってしまう。自分は英語がそんなに上手くない(喋りはほぼだめ)から、めちゃくちゃ辞書ひいて、文法書をチェックして、ググって、なんとかする(この記事も辞書とGoogleさまさまである)。しかし、逆に言えば、丁寧に調べれば読めるし、時間をかければ多分そこそこ妥当な案は出せる。根性論みたいになるけれど、いまどきはKindleにも辞書機能はあるし、こんな便利なChrome拡張もあるから、思うほどめんどくさくはない。