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 6時に山形着。眠ぃ。。。
 家に着いてちょっと作業して、寝る。あれ、これはもしかして深夜バスに限界が……? でも新幹線が好きかというとそうでもない、みたいな……。効率的に移動するならやっぱ新幹線なんだろうな。うーむ。。。
 昨日の打ち合わせで「東京に移住しないのか」という話題になった。山形でやってくことになにか意義があるのでは、と思っているのと、東京でいま実家でつくってる環境(資料の保存や制作・リスニング面)を再現することは金銭面で現実的ではないことから、やっぱり難しい、限りなく「無し」。「音楽ライター」というかたちでキャリアをつくっていくならば東京で仕事の幅を広げる(ライブレポ、インタビュー等々……)ことは多分必須なんだろうけど、正直、そういう音楽産業の事情とか知ったことではない……。音楽ライターとして売れたいとはまったく思わない。わがままかね?
 とはいえ、2月ももしかしたら数回東京に行くかも、という現実を前にすると、なにか限界を覚える……。っていうかいつも東京、東京で、嫌になってくるな。秋田や青森に行きたい。東北の太平洋側も。北海道も。別府にまた行くのもいいな(昔住んで、働いてました)。沖縄にも……。
 オザケンのアルバムについて、レビューでは書かなかった好きになれないポイントに、「高い塔とStardust」の歌詞がある。「ねずみ小僧が住んでいたという橋のあたり」(つまり日本橋、日本の道路網の起点である)から「上方へ みちのくへ 海峡を超え」た「聡明な列島」の姿を想うあたりには、かなり無邪気に、東京を起点に日本を捉える東京中心主義がもろに反映されている。「流動体について」で描写される都市=東京の姿はとてもおもしろいが、それが安直に「東京を起点に(土木的に)形成された日本」へと拡張されるのは、まあ、地方出身で在住の身としてはおもしろくはない。し、それはあのアルバムにうっすら感じられるパターナルなやだみとも関連している。
 電算機さんの直近のエントリーがまた壮絶。「女は音楽ライター・評論家にはなれない」へのコメント集。いろいろとグラデーションはあるが、マジで反吐が出るようなセクシストのコメントが多い。どうかしてんな世の中。まぎれもなく自分もそんな世の中の一員なんだけど。どうしたらいいんだろう。いろんな人と話すほかない、という気もする。
 最近、自分のなかのロールモデルとしてIDLESがかなり大きい。人種差別、性差別(社会化されたミソジニーや、有害な男性性)への反対をずっしりとしたグルーヴのパンクロックにのせて歌う彼らの楽曲自体とてもいいのだけれど、この前出たライブ盤は特によかった。

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 “Mother"のパフォーマンス前にヴォーカルのジョー・トルボットは"I am a feminist!“とシャウトする。「自分はフェミニストだ!」か。ひるがえって自分はそう叫べるだろうか。自分はフェミニスト、と言葉で言うのはかんたんだ。が、ステージの上でそのように叫んだうえで、母親に背負わされたシャドウ・ワークを題材にして「この社会は母親たちをf*ckするクソ野郎(motherf*cker)だ」と訴えるこの曲を歌うのは、わけがちがう。この流れ自体、深く自分に思考を迫るものだ。さらに、オーディエンスがこの曲の歌詞を大合唱するのを聴くと、ここで起こっていることを少しは信じてもいいのかもしれない、という気がする。一方で、これはこれでもしかしたら男性の欺瞞なのでは、とも思う。しかしそう悩んで黙ってしまうか、それでもなお歌うか、で言ったら、歌いたい。いや自分は歌う人ではなく、いまは書く人なのだが。
 あれ、気づいたらきょう仕事してないな…… まずい。なんかしてから寝よう。

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