消費税増税のせいか台風のせいか知らないけれどひさしぶりにちょっと抑うつ状態になってきている。とても嫌いなことがある。玄関のベルをとても早く鳴らす人。くわしい機構は知らないもののおそらくうちのベルは押すと「ピン」離すと「ポン」となる。昔住んでいたアパートもそうだったと思う。そこで「ピン、ポン」と鳴らす人のことは好きだ。しかし「ピポン」と鳴らす人のことは実はとても嫌いだ。自分と根本的なテンポ感が合わない。きっとひとつひとつの所作が持つスピード感がいずれも自分と合わないだろう。
最近加速だ減速だみたいな話をみんなよくする。しかしよくわからないのは速度を上げるにせよ下げるにせよひとつの方向を共有していなければならないはずだ。東に100km/hの速度で進みながら西に100km/hの速度で弾丸を放ったら、いずれの運動とも関係のない点から観測した弾丸の速度は0だ。あるいはそのように正反対でなくとも世の中にはさまざまな運動がさまざまな方向へと展開しているのだからそれらの運動が持つ速度を相殺したらどうなるだろう。0に近づくとは言わないしもしかしたらひとつの傾向が見いだせるかもしれない。そのように留保したところで結局世の中で加速だ減速だと言われているのは多様な諸速度のうちひとつの速度を特権的に取り上げているに過ぎないのではないか。ドゥルーズとガタリが内在平面のうえに走らせる諸々の速度はまさに多様なベクトルを持っているのではないのか(そのようなことばづかいをしたかはともかく)。あるいは「地層」というアイデアだって加速したり減速したりできる単一の速度の体系、すなわち目的論的なリニアな思考を相対化する重要な道具立てなんじゃないのか。あたかも世の中がひとつの速度に支配されているかのようにあれやこれやを語るのはクソほど傲慢で吐き気がする。
本が出た。本が出てトークイベントもやった(気づいたら3つやってて、合計すると6時間くらい本について喋った)。けれど本が世に出ることによってかえって自分がなにをしている人かわからなくなってきた。とても居心地が悪い。「J-POP好きなんですか」と言われても「別に……」だし。楽理をやったわけでもないし。ライターとして訓練を受けたわけでもなく。いわゆる「音楽好き」でもなければ、音楽好きの類がやたら目の敵にする「ファン」でもない。基本的にはめちゃくちゃ怠惰な人間だ。ただ強いていえば「書く」とか「考える」は割と好きなのだ。とか言うと「自分の商売のだしに音楽をつかってる奴」みたいに思う人も、まあ、いるんでしょう。などと無意味な想像をして勝手にいらつくのはやめたほうがいいか。