ポップスと固有名詞の関係って音楽の消費のサイクルと時代が移り変わるスピード感の関係性の問題なんじゃないかと思う。ヒップホップが具体的なのって構造の問題もあるけど新曲出てくるサイクルが圧倒的に早くて速報性があるからだよね(ヒップホップはBlack CNNだというChuck Dの至言もあることだし)。かつ、いかに時事ネタやトレンドに敏感に反応するかが重要なセンスとなるからこぞって固有名詞がリリックに盛り込まれるようになる。直喩(like~)表現に対してもめちゃ寛容だし。その点については小出さんが言っているように韻を踏むためのテクニカルな戦略としてそうなんだと思うけど。
対してJ-POPがどんどん抽象的になっているとすれば(より正確にはその仮説がある程度真だとするならば)、猛スピードで移り変わるトレンドに対してJ-POPがおいつけなくなり、時事性を取り入れるよりもある程度の耐用年数を見込める表現のほうが好まれるようになったから、という推測もできると思う。また、そもそもさまざまなクラスタを貫通するような固有名詞の力というものが落ちてきているのもあるんだと思うけど、しかしそれもそれで鶏と卵というか、ポップスが売れなくなってきている――ヒットが「崩壊」している――がゆえに固有名詞のマジックが薄れてしまった、というふうにも言いうる。
しかしそもそも固有名詞がない=曖昧、というのもなんか違うだろと思う。曖昧なのが悪いわけでもない。固有名詞がレトリックとしてなにかしら効力を発揮する場合と、そうではない場合がある。むしろ固有名詞がないのにきわめて具体的な手触りがある詞というのもあって、最近じっくり詞を検討して思ったけどあいみょんは割とそういうところがあるかなと思う。一方でたとえば椎名林檎、特に初期の固有名詞の使い方はむしろその空虚さを際立たせてる気がする。固有名詞にまみれているのになにも伝わってこないような曖昧な歌だってある。言葉において「具体的」とはなにか、あるいは「即物的」とはなにか。レトリックの問題でもあり時代と文化の関係性の問題でもある。