最近なにかと話題なのが「低域」である。ここ日本において「音圧戦争」の次のバズワードは間違いなく「低域」だろう(そしておそらく震源地はGotchになるはず)。というとモダンな打ち込みの音楽を連想する人が多いかもしれないけれども、よく引き合いに出されるのはAlabama Shakesだ。こないだサンレコでmabanuaが「Alabama Shakesは『トラップかよ!』というくらい低域が鳴ってる」ということを言っていて、実際「Don’t Wanna Fight」とか、トリガーでサブベースを足してるのではないかというくらいキックが下の下まで鳴っている。
加えて言えば、ベースラインもよく100kHzとかもっともっと上を強調して「鳴り」を演出することがよくあるけれども、「Don’t Wanna Fight」を含めて『Sound & Color』のベースは結構下の帯域をうねうねと動いている。左右の空間を贅沢に使いつつ、サウンドの重心をぐっと押し下げることによって結果的にギターやヴォーカルといった中域にかたまりがちな楽器にも余裕が生まれている印象だ。金物やリヴァーブも含めて無理なく上の帯域が鳴っているので、くぐもっている印象はなく、あくまでウォーム。帯域で言えば上から下まで、定位で言えば左右を十分に活かしたミックスによって、ラウドさと自然な「鳴り」を両立させている。
『Sound & Color』のレコーディングについてエンジニアにインタビューした記事で印象的なのは、ポストプロダクションで試されたトリックの数々もさることながら、次のような発言だ。
周波数のスペクトラム全体のなかで全部[のサウンド]がうまくバランスがとれていれば、自然とラウドに感じられるし、サウンドが死んでしまうほどにリミッターをかけなくて済む。だから僕がSound Emporium[録音したスタジオ]でやった数多くの実験というのは[……]結局それぞれの楽器が適切な場所に収まって、おのおの可能な限り大きく鳴るようにすることだったんだ。
低域はばっさりカットして、中高域にサウンドをつめこむアプローチでは、いわゆる「音圧戦争」で槍玉に上がるようなリミッターのかかりまくったぺったりとした音像になってしまう。かわりに、鳴らせる帯域をくまなく使って、それぞれの楽器が適切な場所を見つけられるようにすること、それが大事なんだ、ということだ。
もちろん低域の扱いにも言及がある。ダンスミュージックをDAWで作る人ならば馴染みのことだと思うけれど、ベースとキックドラムがかちあわないようにうまくサウンドメイクすることが、いわゆる「太い」サウンドを無理なくつくるためには重要なテクニックになる。低域は特にピッチの感覚が鈍りやすいし、タイトさを失えばすぐにぼやんとした締まりのない音像になる。それゆえ低域の処理には気を使う。それに加えて「なんで生ドラムがこんなに鳴るの?」というキックの鳴りについては、以前も雑誌かSNSか、どこかで話題になったことがあると思うけれど、わざわざ共鳴用のバスドラムを隣にセッティングして、残響だけを録音して使ったんだそうだ。また、キックをリアンプすることもよくあるらしい。
いろいろと並べてみたものの、結局『Sound & Color』の制作過程をざっくりとまとめると、おのおののサウンドの質感みたいな要素を除けば、音楽が記録される周波数の帯域‐スペクトラムのなかにどのようにサウンドを配置していくかがキーとなっていることがわかる。というかこれはもう端的に、あらゆる録音芸術のミックスの根本的な命題なのだが。デジタル録音の普及によってこの命題はよりシビアになっていて、それゆえに80年代の技術的な過渡期にはさまざまな試行錯誤があったわけだけれども、そのぶん適切にパズルが組み合わさったときには大きな効果を発揮する――たしか山下達郎も昔のインタビューで、適切に準備さえすれば、デジタル録音はアナログよりもずっといい音でミックスできる、というようなことを言っていた。いま手元にないので出典が出せないけど。まあこのへんはきちんとまとめてZINEにする予定です(いま製作中のZINEとは別)。
以前もブログで言及したけれども、現在このアプローチがうまい具合にアレンジと噛み合って音楽的にうまく言っているのは、個人的な印象としては、Dirty Projectorsの『Lamp Lit Prose』だ。
ほか、上から下まできちんと出すことによって「あたたかい、でもきっちりハイファイ」な音像を実現したものとしてはmabanuaの『Blurred』なんかもある。
米津玄師の「Flamingo」は低域をほとんどオミットした奇妙なサウンドになっている一方で、中低域より上のサウンドはなかなかに密度が濃く、低域の薄さを感じさせない巧みなプロダクションになっていると思う。
追記:結局なんで「低域」が大事かというと、そこもまたサウンドを配分する(比喩的に言えば)空間的リソースにほかならないからで、ここも有効活用すると全体のアンサンブルがより自然に鳴る、ってことですね。これを書くの忘れてた。