一個のPVの中で画面のアスペクト比が4:3から16:9から正方形から超ワイドからシーンごとにガチャガチャ変わりまくる作りのやつ、これ(2015年)の時は単にInstagram的な美学をキャッチしてディレクションしてるんだと思ってたけど→https://t.co/WGEWw3T5mY
— KOTETSU. (@y0kotetsu) 2018年10月25日
ニュース番組で普通に視聴者の撮ったタテ長のスマホ動画とかYouTubeの映像が引用されるようになって久しいけど、映像を作るのに固定的な比率っていうのがすごくバラバラな時代なのではないかと思うけど、この辺り詳しい人に訊いてみたいですねhttps://t.co/dwxukpECmM
— KOTETSU. (@y0kotetsu) October 25, 2018
小鉄さんのツイートに関して多少思うところがあって、いま動画を表示するもっとも一般的な媒体ってタブレットかスマホだと思うんですよね。で、iPhoneとかPixelを見てもらえばわかるように、スマホにおいてはたとえばテレビにおいてはあったような、統一されたアスペクト比の規格が存在しないわけです。モデルがかわるごとにアス比が変わるのもザラだし、なんなら最近はスクリーンに切り欠き、いわゆるノッチまである。また、スマホやタブレットのみならずPCについても同様で、ディスプレイ自体のアスペクト比が多様化しているのに加えて、ディスプレイの大画面化に従って、スクリーン上で表示される動画の仕様と物理的なディスプレイの形態が一致する必然性は格段に下がっている。たとえば今年、YouTubeが動画の再生画面をアスペクト比に従って変形させるように仕様を変更した(レターボックスの廃止)んですけど、それってまさに、フレームの形態とイメージの仕様が一致する必然性がなくなったことの象徴なんだと思います。いままでは、スクリーンのなかに物理的なディスプレイに範をとった擬似スクリーンをわざわざつくってたんですよ。そんなんいらなくね? という。シアターモードとかフルスクリーンだとレターボックス的なのつきますけどね。
そういうわけで、スマートフォン以降、あるいは大型ディスプレイ以降の動画において、カットごとのアスペクト比が違うのはある種当然の流れ、現在の映像にたいする人びとの感覚の反映なんだと思います。一方ではライブ演出なんかではLEDディスプレイによってかなり自由な形態のスクリーンを大規模に実装することが可能にもなっていて、動画というかイメージ一般におけるフレームの不定形さはイマジナリーな領域(コンピュータースクリーン上の無限に広い平面)においてもリアルな領域(巨大サイネージ、LEDディスプレイ)においても進行しているわけで、面白いですよね。