ほんの数百字の短い記事だが、もう、なにもかも、まるっきりうんざりする記事だ。「過去が縦軸から横軸になった時代」だの、「どんな音楽にも分け隔てなくアクセス」だの、「広大なアーカイブの海を巧みに泳げる」だの……そしてとどめにはこうだ。
そしてもしかしたら、マンチェスターの中学生がフジロックのサチモスの動画で音楽に目覚めるかもしれない。エキサイティングな時代になった!
このライターはどこまで本気でこれを書いているのだろうか。言っておくけど僕は「そんなことはありえない」と言いたいわけじゃない。「そんなことはあまりにもありふれている」からこそ、このライターの正気を疑うのだ。90年代にインターネットの夜明けを目撃した人々が抱いた過剰なオプティミズムがいま突然冷凍睡眠から目覚めたみたいな、そんなアナクロニズムにまみれた文章だ。これとそっくりそのまま同じ文章が00年前後のカルチャー誌に載っていても僕はまったく不思議に思わない(当時はYouTubeのようなインターネット上の動画インフラはまだ成立していない、という客観的事実を除けば)。
あらゆるものごとがフラット化していくらでも自由にアクセス可能となり、既存のヒエラルキーを打ち破る。このような「革命的」で「斬新な」スローガンは、実のところ掃いて集めたらもうひとつお月さまができるくらい吐き散らかされてきた。「ジャンルを横断する」? おお結構。「No Walls Between Music」? まさに真理だ(というかこれは信仰のようなもので、僕は死んでも否定したくはない)。けれどもそれはこのライターが讃えるような「ミレニアル世代」――ざっくりと言えば、日本でいうゆとり世代以降――の持つ独自の精神などではない。このスローガンの起源はお望みならグーテンベルクの時代に、あるいは百科全書派の時代に、または産業革命の時代に、さらには電気の時代、電子の時代、ネットワークの時代に、それぞれ求めることができるだろう。しかしそんな大風呂敷を拡げなくとも、少なくともインターネット以降の感覚で言っても、「エキサイティングな時代」などとうの昔にベッドルームにやってきていたはずだ。
- 作者: マーシャルマクルーハン,クエンティンフィオーレ,加藤賢策,Marshall McLuhan,Quentin Fiore,門林岳史
- 出版社/メーカー: 河出書房新社
- 発売日: 2015/03/06
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ライター曰く「広大なアーカイブの海を巧みに泳げるのがミレニアル世代の特徴」だそうだ。しかし、ミレニアル世代はそんな全能感からは程遠いところにいると思う。むしろ彼/彼女らの大部分は、狭く喧しいSNSのエコー・チェンバーに閉じ込められ、かろうじてSNS上のフィードにサムズ・アップすることによってのみ安息を得ているのではないか。僕の言うことがあまりにもペシミスティックでディストピア的だと感じられるなら、「アーカイヴの海」を自由に泳ぎ回る若者たちなんていう表現も、それと同じくらいオプティミスティックでユートピア的なおとぎ話にすぎない。
インターネットに伝わるいにしえの言い回しに、「ネット・サーフィン」というのがある。インターネット上のウェブサイトをリンクからリンクへ気ままに辿ってゆく優雅な時間つぶしのことだ。もはやこの言葉が使われなくなって十年は経つだろう。インターネットに触れるインターフェイスは、コンピューターのスクリーンからスマートフォンのタッチパネルに変化した。また、ブログの隆盛以来、そうしたインターフェイスを通して覗くウェブサイトも、静的に構築されたコンテンツから、絶え間なく更新されるSNSのフィードへと変化した。もはや僕たちはどこへ導かれるかもわからないネットワーク上をサーフするスリルを忘れ、終わることのないタイムラインをぼんやりと眺めることに慣れてしまっているのかもしれない。
果たしてミレニアル世代に広大なネットワークの海をサーフする筋力は残っているのだろうか? あるいは、そのネットワークはサーフするに値する「いい波」を僕たちに提供してくれるのだろうか? たしかに、TwitterやInstagram、Snapchatを操りながらタイムライン上の情報を華麗に編集し、我が物とするたくましさを人々はまだ失ってはいないし、この技巧はまさに情報をブリコラージュし生活を構築する「日常的実践 Art de Faire(ミシェル・ド・セルトー)」の現代版だと言える。しかしそれはSNS以前の人々がインターネットの向こう側に幻視した、あらゆるヒエラルキーの消失した「アーカイヴの海」を舞台とはしていない。わざわざ古めかしい海の上へと漕ぎ出す人々なんて、今更いるのだろうか?
- 作者: ミシェル・ド・セルトー,山田登世子
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Suchmosがそれだ、と言いたいひとはたくさんいるだろう。それをわざわざ否定したいとも思わない。しかし運良くきょう届いたばかりの佐藤秀彦・編(?)『蒸気波要点ガイド』をめくっていると、「ジャズとロックのクロスオーバー」ごときが霞んで消えてしまうほどの広大な「海」がこのZINEのなかに封じ込められているように思えてならない。いつ途絶えるともしれないVaporwaveというジャンルの命脈は、ミレニアル世代が喪失した「すべてがフラットな情報の海」という輝かしいユートピアへの羨望と、そのユートピアの不可能性を笑い飛ばすようなシニシズムとによって支えられている。僕を含めたミレニアル世代は「波」を、そしてその母たる「海」を再発明しなければならない。Vaporwaveはその名が奇しくも示している通り、インターネット上にふたたびもたらされたひとつの「波」であって、その母はまさにインターネット上に漂う情報の断片たちの織りなす「海」だ――ただし、その海は豊穣とは無縁の空虚とほとんど変わらない。
ともあれ、Vaporwaveに限らず、SNS時代以降に真面目に文化をつくることを考えるのならば、失われた海に思い切ってダイヴする勇気か、海そのものを再発明する大胆さか、そのいずれかが必要なのではないかと思う。まあ、そのどちらを選ばずとも、気がつけば文化は自然に育まれるものではあるのだけれど。