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 ヴェイパーウェイヴが2017年現在いまだ死なず、むしろ根強い人気を誇っているという事実は、実のところなかなか信じがたいところがある。メディアがつくりあげるハイプを露悪的にパロディ化した、よくあるインターネット・ミームだと思っていたのに。僕はけして熱心なウォッチャーというわけではないが、ふと思い立ってチェックしてみると、いまだにコンスタントに新譜が登場していて、あろうことかある種の洗練さえ感じさせる出来の作品にしばしば出くわしてしまう。方法論的に言って、ヴェイパーウェイヴは出現した段階ですでに完成されていたと思う。だからこそ長続きする音楽ジャンルになるとは思えなかったわけだけれど、意外にもその美学(しばしば全角英数字ないしスペース入りの半角英数字で“Aestetic”と綴られる)は広く拡散・浸透し、多彩なサブジャンルを生み出すことにもなった。とはいえ、この記事ではその歴史とか全貌とか現在をどうこう言いたいわけではない。ひとつの作品を出発点に、少し考えてみたいことがあるのだ。

もくじ

猫 シ Corp《NEWS AT 11》(2016)の不穏さ

猫 シ Corp《NEWS AT 11》(2016)の不穏さ

 猫 シ Corpの《NEWS AT 11》は2016年の9月11日にリリースされた作品で、アートワークや告知動画( ">1, ">2)、そしてなによりリリース日から予想されるように、2001年のニューヨーク同時多発テロに捧げられている。ヒスノイズやハムノイズにまみれた、当たり障りのない人工的な音色のミューザックは、いかにもヴェイパーウェイヴらしい。しかし極端なスクリューや投げやりなチョップは抑えられていて、どちらかというとファウンド・フッテージを無造作に眺めている感触に近い。ところどころで引用されるニュース番組やトーク番組、テレビコマーシャルの音声がなおのことそんな印象を強める。限りなく無作為な平穏が、時折時空を歪めながら続いていく。しかし、その平穏さは、9.11という日付を伴っているがゆえに、当然語るべきであろうものを語らない、そんな陰りを帯びてもいる。ヴェイパーウェイヴの持つ、たちのわるい冗談みたいなぎりぎりの批評性が、あらぬ方向へと駆動しているかのようだ。正直、当惑してしまった。

 そんなリリースに寄せられたレヴューを読んで、僕はなおのこと考え込んでしまった。以下に全文を引用しよう(拙訳による)。

このアルバムは私の目に涙を催させる。私は30歳で、9.11のリアルタイム世代だ。あの日以来、世界のトーンはどうかしてるくらい変わってしまった。このサウンドは9.11以前のサウンドを完璧に捉えている。

お天気チャンネルのトラック[註:tr.10-20までのTHE WEATHER CHANNEL 1-11]を聴きながら目をとじると子どものような気分になる。私は90年代はじめにワープする。夏の間、私は嵐が来るのに気付いたときには家の中に駆け込み、注意報が鳴るのを待っていた。

9.11以前のテレビで鳴っていたサウンドは、いまよりずっと刺々しくなかった。グッド・モーニング・アメリカでは、物事は破滅的でも陰鬱でもなかったし、それだけじゃなくてもっとハッピーだった。

 ヴェイパーウェイヴのレヴューとは思えないほどに、ベタなノスタルジーに満たされた文章。他のレヴューもこれほど感傷的ではないにせよ、やはりこの作品に“9.11以前”の世界へのノスタルジーを覚え、その感情を吐露するものが多い。ヴェイパーウェイヴの支持層はいわゆるミレニアル世代に属するアラサーの青年ではないかと思うのだけれど、だとすれば彼らは丁度ティーンエイジャーとして9.11を目撃し、あの悪名高い“テロとの戦い”のなかで成長したわけだ。彼らにとって幼少期の思い出が“9.11以前”の平穏さとわかちがたく結びついているだろうことは想像に難くない。たといそう意識していなかったとしても、この作品を耳にすれば自ずとその観念連合があぶり出されることになるだろう。少なくともアメリカ文化という文脈においてみた場合、ヴェイパーウェイヴがそのシニシズムの下に抑圧していた欲望の正体のひとつは、もしかしてこの“9.11以前”へのノスタルジーなのではないか、と思ってしまう。discogsの情報を見る限り、猫 シ Corpはオランダのトラックメイカーのようだし、事情はもっと複雑ではあるのだが。

脆弱なアイロニーとむき出しのノスタルジー

 いずれにせよこのアルバムで僕が改めて認識したのは、ヴェイパーウェイヴはそれが“9.11以前”であれ他の任意の日付にもとづくものであれ、ベタなノスタルジーに陥らないために何重もの予防線を張ってきた、ということだ。それはジャンルの方法論(=チョップ&スクリュー、ローファイ、etc…)にしてもそうだし、ヴェイパーウェイヴを取り巻くイメージ群にしてもそうだ。90年代風のワイヤーフレームMac OS Xが違和感なく同居するかのような、アナクロニックなテクノロジー観。サンプリングソースや曲名、ヴィデオに見られる断片的で不完全な日本趣味。こうしたアナクロニズムオリエンタリズムはベタを回避するための予防線として機能している。また同時に、こうしたギミックが1980年代のサイバーパンクディストピアSFの漠然とした引用(シミュラークル)であるという事実もまたひとつの予防線と化している。

 ヴェイパーウェイヴに張り巡らされた予防線は、ノスタルジーへの欲望を抑圧すると同時に、あまりに無作為に張り巡らされているためにしばしばもつれあい、密かに欲望を露出させてしまう。それゆえ、しばしば指摘されるように、ヴェイパーウェイヴの批評性をめぐる評価はきわめてあいまいで両義的にならざるをえない。しかし《NEWS AT 11》は、こうした予防線を意図的に断ち切ってしまうことによって、とりわけその文脈を共有するアメリカの愛好家たちに、あえてヴェイパーウェイヴが開けてこなかったノスタルジーへの扉を全開にしてしまったように思える。そのノスタルジーは、いまのアメリカがまさしく経験しているあの混沌の源泉にもつながってしまわないか。そのたがを外してしまっていいのだろうか。

 たとえば、ドナルド・トランプを題材にしたヴェイパーウェイヴのアルバムは既に少なくとも二枚発表されている(Penthouse Apartment《Trump》、[Reptar 98/東京を破壊する《TRUMP》、共に2016年])。それは必ずしもトランプ支持を訴えるものではないのだが、ヴェイパーウェイヴの参照する消費社会華やかりし頃のアメリカに、若き日のトランプが自然と馴染んでいることは当然の理ではある(当時からすでに不動産王としてセレブリティのいち員だったわけだし)。あるいはBuzzfeedやThumpが既に記事にしているように、ヴェイパーウェイヴ的な意匠をまとったトランプ支持者たちが、トランプウェイヴ(Trumpwave)やファッショウェイヴ(Fashwave)といったミームを拡散させようともしている(Trumpwave and Fashwave Are Just the Latest Disturbing Examples of the Far-Right Appropriating Electronic Music via Thump、オルタナ右翼が愛する電子音楽とは via Buzzfeed Japan)。ミームが伝播していく過程で変異してまったく別の文脈に転用されることはよくあることだが、ヴェイパーウェイヴはそのあいまいな批評性ゆえに、いつでも「ベタ」に引き戻されてしまうリスクを抱えている。

改めて、《NEWS AT 11》について

 それらの露骨なプロパガンダ臭さに比べれば、《NEWS AT 11》はまったく穏当な、気の利いたコンセプトアルバムにすぎないだろう。しかし、少なくとも寄せられているレヴューを読む限りは、ヴェイパーウェイヴの裏側にある欲望を、この作品はあまりにも見事に浮き彫りにしている。実際僕の感じた不穏さもまた、むき出しになったノスタルジーが自分にとって異質な文脈――“9.11以前”のアメリカ――におかれたものであったがために生じたものだったように思える。これからも僕はヴェイパーウェイヴを愛好するだろうし、その根底には(脆弱な代物であるにせよ)醒めた批判精神が流れており、それに耽溺しながらも自分を見失わないようにしつづけるつもりでいる。そのためには、《NEWS AT 11》に感じた違和感、不穏さを忘れずにいる必要がある。そのように異物として消化してこそ、この作品の批評性が最大限発揮されると思うからだ。

補遺:88risingとフューチャーファンク

 最後に蛇足ながら、ヴェイパーウェイヴのアメリカ以外での受容について。アジア圏のヒップホップを中心としたカルチャー全般を扱うYouTubeチャンネルである88risingは、ここ一年ほど、ヴェイパーウェイヴに出自を持つフューチャーファンクと呼ばれるジャンルをフィーチャーし続けている。日本のシティ・ポップをフレンチ・タッチのフィルターハウスに仕立てるこのジャンルは、ヴェイパーウェイヴの派生ジャンルのなかでも最もポップで人懐こいサウンドを持っている。88risingはその活動を通じて日本や韓国、中国、台湾といった諸国を横断する「東アジア」というフレームでその文化をブランディングして見せていて、その目論見はけっこう成功しているのではないかと思う。なにしろとにかく景気がよく見えるのだ。

 そんなフレームを通してヴェイパーウェイヴ(フューチャーファンク)を見てみると、この記事で述べた危ういアメリカン・ノスタルジーとはまったく異なる姿が見えてくる。総じてダウナーなヴェイパーウェイヴのなかから異例ともいえるアッパーさを持つフューチャーファンクをピックアップしているせいもあるだろうが、加えて言えば、バブル経済の絶頂へと突き進む日本のイメージが、着実に経済的発展を遂げている中国を中心とした東アジアの勢いに重ね合わさって見えるのだ。絶えることのない政治的な緊張とは裏腹なほど、88rising上のフューチャーファンクはまさしく未来志向の音を響かせているように思う。

 いずれにせよ、ヴェイパーウェイヴというカルチャーにはいましばらく注目するべきだと思う。ヴェイパーウェイヴに幸多からんことを。

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