[書評]ナージャ・トロコンニコワ著、野中モモ訳『読書と暴動 プッシー・ライオットのアクティビズム入門』
ナージャ・トロコンニコワ著、野中モモ訳『読書と暴動 プッシー・ライオットのアクティビズム入門』(アフィリンク注意)
ロシアのフェミニスト・パンク・バンド、プッシー・ライオットのナージャ・トロコンニコワが著した、自伝的エッセイのかたちを取ったアクティヴィズムの手引書(その逆も然り)。パンク・バンドというスタイルでプーチン政権に否を突きつけるプッシー・ライオットとしての数々のアクションから、理不尽な逮捕と投獄、そしてあまりにも過酷な獄中生活までがエネルギッシュにつづられる。権力の裏をかいてゲリラ的に決行されるパフォーマンスもさることながら、その入念な下準備の描写も手に汗握る。
『読書と暴動』というタイトル(原題の Read and Riot は、どちらかというと「読んで暴れろ」という命令形のアジテーションだと思うが、名詞をずばっと並べる邦題もかっこいい)が示すとおり、トロコンニコワがさまざまなかたちで吸収してきた知もたくさん紹介される。
多くは日本をふくめてある種の左派にとって共通言語になっているような欧米の書き手(フーコーだ、チョムスキーだ、ナオミ・クラインだ、などといえばわかるだろうか)で、そうした言説にふれている人であれば手癖で読み飛ばしてしまうかもしれない。しかし、興味深いのは、トロコンニコワが積極的にロシアの革命的な思想や芸術の歴史に言及するところだ。
たとえば、政治への関心を高める自己形成期をかたるにあたっては(「ルール1 海賊になれ」)、こんなふうに書き留めている。
10代でロシアの革命詩人ウラジーミル・マヤコフスキーに恋したら、あなたは完全にいかれてしまうだろう。早かれ遅かれ政治に行き着くのだ。そのとき私は14歳で、全宇宙で最もクールなのは調査報道をすることだと思っていた。 p.33
あるいはアートの文脈にプッシー・ライオットを自ら起き直そうとする際には(「ルール5 アート罪をおかせ」)、「誰かがプッシー・ライオットを語る際にはたいてい見過ごされているけれど」と前置きしたうえで、
私たちは何よりもまずアート狂である。私達にとって1980年代から90年代にかけてのモスクワ・コンセプチュアリズムとロシアン・アクショニズムからの影響は重要だ。pp.95-96
と語ったりする。ほかにも、この章には「ロシアを象徴するのはプーチンではなくカジミール・マレーヴィチの《黒の正方形》でなければならない」という力強い一文(p.99。強調は本文の通り)も出てくる。
この本を読むと、いかに自分が欧米、とりわけ英語圏のレンズを通してプッシー・ライオットの活動を受け取ってきたかを痛感する(このあたりは清水知子による簡潔な解説でもくわしくフォローされている)。個人的に本書のもっとも大きな収穫はこのあたりにあった。