「AOBANE -電子音響音楽の現在形-」(仙台市市民活動サポートセンター 市民活動シアター)に行ってきた
2024年9月21日(土)および22日(日)に開催されたワークショップ&コンサート「AOBANE -電子音響音楽の現在形-」に行ってきた。仙台市出身の音楽家、大久保雅基さんが主催した電子音響音楽作品を取り上げるプログラムで、初日は作品の上演に用いるアクースモニウムを実際に体験できるワークショップ、二日目が7名の作曲家を招いたコンサート。両日参加した。写真撮るのすっかり忘れてたのでテキストだけです。
アクースモニウムはテープなどに録音された電子音響音楽を空間内に配置した複数のスピーカーへ分配し、ミキシング・コンソールでそれぞれのスピーカーの音量をコントロールすることで作品を空間的に展開していく、この種の音楽の「上演」方法のひとつ。なかなか体験する機会を逃し続けていて、昨年ようやく武蔵野美術大学で聴くことができたのだが、そのときは会場がやや特殊な形状ということもあってその効果を体感しづらかった記憶がある(会場がLの字型になっていて、スピーカーに囲まれる感覚が薄かった。というか、「ステージ上のアクースモニウムを観客席から眺める」状態に近かったと思う。それが間違いということもないのだろうけれど)。今回は小規模なホールに19台のスピーカーを配して、そのなかに客席が置かれるかたちになっていたので、十分にその力を体験することができた。
初日のワークショップでは、コンサートの出演者でありアクースモニウムの機材提供・セッティングも担当した牛山泰良さんからアクースモニウムの解説と実演があったあと、ミキシング・コンソールを実際に触って体験することに。ピンクノイズを使ってスピーカーの鳴らし方を体感したあと、曲の断片を使って「演奏」を体験。19個のスピーカー(実際にはLRの2chを一組として扱うので、10組というのがより正確)へ信号を配分するにあたっては、原曲のダイナミクスなどを極端に損なわないようにフェーダーを操作する必要があって、思うように音を移動するのが難しい。空間的な配置に加えて、音色に変化をあたえるための高域・中域・低域それぞれを担当するスピーカーも用意されているのだけれど、それも考え出すと指が追いつかなくなる。軽くあわあわしながら体験した。最初にDJやったときみたいな……。いまもだが……。
二日目のコンサートでは、作曲者本人の手によるアクースモニウムでの上演が7名7曲。自分が体験したあとということもあって、アクースモニウムの表現力にあらためて驚く。7曲のなかでは、グラニュラー的な処理を重ねた音の塊をダイナミックに配置した高野大夢〈Plek〉(2020)と、変調した声と不定形な電子音がゆらめく(クラゲのように?)佐藤亜矢子〈クラゲが鳴らす鐘を聞くための最初の階梯〉(2024)がとても好きだった。
あくまでソースはツーミックスで、マルチチャンネルで厳密に空間をコントロールするわけではないけれども、複数のスピーカー間でツーミックスが重なっていくことで元の定位感が強調されたり、逆にあいまいになってさまざまな音が空間のなかを漂うように感じられたりして、独特な広がりがある。2chのテープやデジタルデータというデファクトスタンダードのフォーマットを前提としたレガシーな(それだけに堅牢な)方法にも思えるのだが、アクースモニウムの固有の空間性ってかなりあるのかもしれない。
それで少し思い出したのが、こないだ取材してきたとあるクラブ。そこでは5ウェイのメインのスピーカーに加えて、2ウェイのサイドスピーカーがあったんだけど、そのサイドがあることによって定位感があざやかになるんだという。実際、空間系のエフェクトやサイケデリックな音の配置が多用された曲をそこで流してもらうと、「ステレオってこんなに没入感があるんだ……」と驚くほどだった(そもそものシステムが素晴らしく解像度が高いというのもある)。その内容はまた記事になるのでまた読んでください。
コンソールをいじって音響的な空間の表現をコントロールするという意味では一見ダブに似ているところもあるのだが、実際には真逆。ダブがつまるところマルチトラックの素材をコンソール上でヴァーチャルに空間構成してツーミックスにおさめていくプロセスである一方、アクースモニウムはツーミックスを複数のスピーカーに分配させる。また、エフェクトやEQはほぼ使わず、それぞれのスピーカーの特性と配置によってより即物的に空間へと展開していく。そうした技術的な条件に加えて、ダブは破壊的なまでの操作を加えるけれど、アクースモニウムはあくまで演奏であり、極端な操作は加えない。こうしたテクノロジー/規範の対比をいろいろ考えながら雨上がりの関山街道を運転していたのであった……。