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[書評]田崎英明『間隙を思考する グリッチ・コミュニズムの方へ』

田崎英明『間隙を思考する グリッチ・コミュニズムの方へ』(以文社、2024年)の書影

田崎英明『間隙を思考する グリッチ・コミュニズムの方へ』(以文社、2024年)

 雑誌「福音と世界」での連載にくわえいくつかの補論と書き下ろし(語りおろし)を加えた一冊。連載を収録したパートは、コンパクトな論考がつらなるなかでいくつかのトピックが何度も回帰してくることで、だんだん章(連載時なら「回」か)の継ぎ目がわからなくなってきて、読んでいるとそれにひきずられるように多層的な思考が触発される。

 本書にはそれはもうさまざまな大量のトピックが登場していく。エンターテインメントやアートで例をあげるなら、ヒップホップやダブ、ボール・カルチャーが思考のフックとなり、『ハンガー・ゲーム』を例に情動の観点から現代のメディア環境や社会を読み解き、フレッド・モートンによるアーティストのエイドリアン・パイパー論を紹介しつつ、グリーンバーグ/フリード的なモダニズムにカウンターを打つ。等々。音楽畑だったら ele-king とか読んでるような人にも関心を持ってもらいたい(それこそスティーヴ・グッドマン=Kode9やサイモン・レイノルズ、あるいはマーク・フィッシャーへの言及もそこそこある)。

 しかし一貫しているのはある種の時間論で、なめらかに連続しているかのように感じられる時間や空間の秩序を再検討したうえで、支配的な時空間の秩序のなかに別様の秩序をつくりだす方法がひたすらに思考される。「間隙」とはそうした時間や空間の秩序に対するズレのことだが、英題では asynchronically と表現されているように、漢字の熟語の印象とはことなってより時間的なニュアンスが強く感じられる。音楽がモチーフとして、思考の出発点として、あるいは思考のモデルとして繰り返しあらわれるのは、端的に本書が時間論の側面を持つゆえだろう(もっとも、たとえばダブワイズやサンプリングを例にして異質な空間の共在みたいな事態へ着目する、というように、音楽が持つ空間性についてもひろく論じられているのだが)。

 ちょっと卑近な読み方をすると、昨今、文化・エンタメ関係の議論ではなにかと「消費」が問題化されることが多い印象がある(「推し活の功罪」みたいな話が代表的)。そんななかで「労働」の問題にフォーカスして、たとえば「新自由主義」というよりは「ポスト・フォーディズム」を、特にそこに身体や情動がどのように組み込まれ(巻き込まれ)ているかを論じる流れには、なんか自分にとっても原点回帰というか、気を引き締められた。参加型アートとかパフォーマンス・アートとかに関心あった頃のことを思い出したというか。

 読んでいてことに強く感じるのはマルクス主義の存在感で(まあコミュニズムを掲げているわけなので)、そこで付録の「現代思想としてのマルクス主義1&2」で、ルカーチから始まり現在までのマルクス主義の系譜を高速インストールするみたいなガイドが爆裂におもしろかった。そもそも本書全体が古典から現代にいたる近現代思想のガイド本的でもあるのだが。

 とくに「現代思想としてのマルクス主義2」、これは最近の語りおろしなのだが、かなり面白いし情報量がすごい。時事的なことでいうと、アンチドイッチェ(シオニズムを支持するドイツの左派として、昨今悪い意味で話題になっている潮流)に関して注釈しつつ、アンチドイッチェがどういう文脈から生じたのか……みたいなこともかいつまんで解説してあったり(pp.283-285)、トランス排除の流れが世界的に厳しくなるなか、取り上げた論者がトランスフォーブそのものとまでは言わんがいわゆるTERFと近接してしまうリスクを持っている点を指摘したうえでその乗り越えを示唆する(pp.291-292)あたりをはじめ、うっすら気がかりな点への注釈も、かゆいところに手が届くような行き届いたまとめになっていたように思う。

 ひとつのトピックを一貫した視点で掘り下げていく、というような愉しみよりも、短い章=思考の連なりに身を投じることの愉しみが強い本なので、扱われている内容の骨太さや幅広さに比して、軽やかな読後感が残る。書誌的補足として本書の議論を支えるブックガイドも掲載されており、ここからさまざまな方向へとわけいってゆくゲートウェイとしておすすめしたい。というかまさに自分がそうなので……。

#Book-Review #Jpn

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