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月: 2021年12月

健康と能率(終)

寒波が訪れた。積もった雪がよくよく深くなっていよいよ外出する気がうせる。といっても、いますぐ買いたいものといったらコーラくらいものだ(炭酸飲料を愛しているから。ちょっとしたお酒でもいい)。寒さが強まるのとときを同じくして腰痛がやってくる。まだ決定的なカタストロフは訪れていないが、不思議と温かいような痛みが腰の奥だか表面だかよくわからない場所にとどまっている。

雪が積もるとあたりはいつもより明るくなる。昼は明るく感じられ、夜は街灯の光がやわらかく広がる。

2週間以上前に買ったパイントのレディボーデン(チョコレート味)をもりもり食う。かたいスプーンで無理矢理アイスクリームを練って食べやすいやわらかさにする。右手が痛くなった。

1cm厚くらいのぶあついベーコンをノンフライヤーにいれて焼いているあいだにバナナパンケーキを焼き上げる。マーガリンとメープルシロップを添えて、甘いバナナパンケーキとしょっからいベーコンをかわりばんこに食べる。食べるたびに寿命が縮むような味で、こんなんだから腰痛になるんだという気がする。

シン・アナキズム――連載「アナキスト思想家列伝」by ディオゲネ子(重田園江)|本がひらく (nhkbook-hiraku.com)

土地を買い、建物を建て、それを売った人たち、そして開発を認可し街づくりと称した人たちは、その街の風景に責任を取ることはない。では街をまともなものにする責任は誰の手に委ねられているのだろう。見た目だけは変貌するが空疎さは不変の東京に暮らしながら、私は長いことこれが気がかりだった。

街に責任を負うことができるのは、そこに住む人々だけだ。だから彼らが責任を負えるような街づくりを目指すべきなのだ。

都市に責任を持つのは誰かという問い。そしてセレブが好むような地位にない中年女性が、多くの人を説得して政治と社会を動かすことの困難。ジェイン・ジェイコブズという人物をめぐってこれら二つの絡み合いを考えるとき、彼女のセンスと先見の明が輝きを増す。

東京都心という都市をジェーン・ジェイコブスの思想に照らして読む、あるいはジェーン・ジェイコブスの思想を東京都心の現在に照らして読むこの文章を眺めていて、土岐麻子のシティポップ三部作の最終作最後の曲、つまり三部作のほんとうのラストを飾った「Bubble Gum City」のことを思い出す。

不意に現れる「明日街は誰のものか」という危うげながらもクリティカルな問い(そもそも「今日街は誰のもの」なのか)は、刻々うつりゆく都市に暮らす人びとのはりついた実感なのかもしれないし、実際にすぐ訪れるであろう未来にこの街は〈私〉の手のおよばない誰か知らない人びと――いや、人びとどころか、非人称的ななにか、たとえば〈資本〉とかそういう――のものになるだろうという予言でもあると思うが、あるいはこの問いを「私のもの」としての街をつかみとること、つまるところ「街に責任を負うこと」に向けての、どこからともなく、どこへともなく発された宙ぶらりんの問いにもなりうるのかもしれない。

右肩に痛みがある。

雪が積もってはじめて車を出して買い物に行った。交通量の多い道路は除雪がこまめにされるしそもそも雪も溶けるのだが、そこまでじゃないところはとぅるっとぅる。特に小さな交差点は悲惨でブレーキもききづらいしアクセルを踏んでも不安定になったり轍に足を取られたりする。いちばんやってはいけないのは急ブレーキで、じっくり時間をかけて減速しないとかえってスリップしてしまう。アクセルを急にふんではいけない。こんなおそろしい思いをして外出したからには……と思って、ちょろっと買い物するだけの予定を変更してしばらく買い物しなくて済むようにいろいろ買ってきた。

季節の節目ごとにやる友人らとの定例Skypeミーティング。微アルビールのDRAFTYとトマトジュースでレッドアイをつくりながら4,5時間話す。最終的に参加者のひとりが第九を歌って締めとなった。ええ声やった。「わいわい楽しく」という感じでも「まったりくつろいで」という感じでもなく、ぼんやりした謎の会合だった。

確定申告めんどくさいねって話になったけれど本当に精神の負担になってるのはどっちかっていうと請求書まわりかもしれない。請求書(という形式に限らないが)ってクライアントによってめっちゃ違って扱いがすごい適当なときがあり、それでなんの知識もなく見様見真似でやった結果、馬鹿を見るのはどうせクソほど立場の弱いフリーで、なんかあったときに「おかしくないっすか?」ってわざわざ確認させられるのもこっちで、うんざりしてしまう。

激烈なストレスで、大きい声が出そうになるのをぐっとこらえてベッドで寝る。負荷がかかると、軽いチックみたいになって、身体や声がうまくコントロールできなくなる。しんどすぎて、寝るしかなくなる。都合よく眠りにつけるわけもなく、ただ、あたりを暗くして安楽なことを考えて、できる限り、余計なことwかんがえなくする。

2022年からはタイトルを改め、また日記を書きます。

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BEHRINGER UFO-202をスマホにつないでTwitterのスペースをする

UFO-202、買っちゃった

BEHRINGERの出している超低価格オーディオインターフェースUCA-202/UFO-202及びUCA-222(アフィリンク注意)。基本的にRCAで2in/2out、モニタリング用のステレオミニ出力がついているだけという必要最低限の仕様だが、3000円程度で購入できるので地味に支持されている。現状、自分にはあまり必要ではなかったのだけれど、Androidのスマホにも接続できるということだけ気になっていた。こないだHARDOFFに行ったら2000円しない価格で置いてあったので衝動買い。スマホ用のインターフェースとしてどう使えるのか試してみることにした。

購入したのはUFO-202。UCAとの違いは、レコードプレイヤーからのフォノ入力が可能なこと(スイッチでLINEかPHONOか切り替えられる)で、そのかわりオプティカルアウトが削られている。現状オプティカルアウトって使ったことないんで、まあそこは困らない。むしろいざとなったらターンテーブルからフォノ入力ができるのが便利だ。おそらくドライバレベルではUCAもUFOも変わらないだろう。

スマホはHuawei P30 Liteで、エントリークラスの格安スマホの部類に入る。入力端子はUSB Type-Cのみ。UCA/UFOは一般的なUSB端子(いわゆるType-A)なので、変換プラグやハブなどが必要になる。今回はたまたま持っていた変換ケーブルを使った(アフィリンク注意)。

フラッシュメモリを接続しようとして昔買ったやつ

変換ケーブルでUFO-202をP30 Liteにつなぐと、すぐに外付けマイクとイヤホンが接続された旨、画面に表示される。特別なセットアップは必要なかった。早速マイクを入力して……と言いたいところだけど、前述の通り、このインターフェースはRCA入力しか持たない。入力したい音源がRCAでつなげられる場合はいいけれど、マイクをつなごうとするとちょっとした工夫が必要になってくる。自分の場合は、MACKIEのMIX5(アフィリンク注意)という低価格ミキサーを持っていたので、そこにマイクを入力して、ミキサーの出力をRCAでUFOに入力した。

試しにTwitterのスペースを立ち上げてテストすると、UFO-202経由で入力した音声は無事にスペースに乗ったようだった。あっけねぇ~。

UCA/UFOを使っていいところは、ステレオミニ出力でインプットもアウトプットも同時にモニターできるということ。つまり、スマホからの音も、自分がマイクに向かって喋っている音も、どちらもヘッドフォンで聴けるのだ。入力された音をそのまま聴けるいわゆる「返し」は、Twitterのスペースを通常使用した場合存在しないのでありがたい。

ほか、Instagram Liveでも同様にUFO-202からの入力が配信できたし、スマホのカメラで動画を録るときの音声入力もUFO-202経由でできた。その例↓

スマホで動画撮影するときの音声入力になるのはなにか使いみちがあるかもしれない。カメラの性能がいいスマホなら特に。

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健康と能率(39)

クリスマスを境に、ほんとに無の時間を淡々と過ごしている。昼間はまんじりともせず倦怠感をやり過ごすのに費やし、ささいな身辺の整頓やちょうしのわるい物事の修理などを夜にやる。

スマホ用のBluetooth遠隔シャッターにフットペダルを接続する……という改造、かなり急ごしらえだったこともあり断線や破損がありそうで気になっていた。パーツ箱を見たらトグルスイッチ、プッシュスイッチ、フォンジャック、電池ケースがあったので、小さいタッパーをケースがわりに遠隔シャッターをつくりなおした。

もともと親指サイズみたいなシャッターをもっとでっかくしてしまっているわけだが、持ち歩く用じゃなくて家で使う用なので、むしろある程度でかいほうがなくさないし丈夫だし都合が良い。

ケーブル類やACアダプターを整理していたらTeenage EngineeringのPO-12(アフィリンク注意)が出てきた。ボタンの接触が悪くなってほとんど使い物にならず、放置していたのだった。とりあえず精製水と無水エタノールでじゃばじゃば洗浄し乾燥するも状態はかわらず。奥の手だな、とタクトスイッチを分解して清掃のうえ、KURE 5-56を塗布する。

PO-12のタクトスイッチはプラスチックのベースにツメで金属のカバーがついている。このカバーをかぽっと外すと簡単にスイッチが分解できる。タクトスイッチは(多くのスイッチと同様)ごくシンプルな構造になっていて、ベースに接点があり、そこにレンズのように湾曲した丸い金属板がかぶさって、ボタントップがその上に置かれる。金属板がベースの接点に接触すると通電する仕組みだ。なので、この接点と金属板を洗浄して電気の通りをよくすれば簡単に復活する。

かぽっとカバーを外し、紛失しないように部品をよりわけ、接点と金属板を洗浄。以下リピート。

シンプルな構造とはいえちっさい部品なのでひとつでも欠けると使えなくなってしまう。それなりに慎重に分解していたけれど、金属板を一枚どっかやってしまった。手持ちのほぼジャンクのタクトスイッチを探してきて、かわりの金属板をそこからゲットする。使っていない電子部品がストックしてあると地味にありがたいことが起こる……。

結果として、新品同様とまではいかずとも、打ち込みや演奏にはまあ問題ないくらいに復活した。PO-12、いいですよ。やすいし。シーケンサーもよくできてるし。あくまでドラムマシンなんでメロディとか(よほど工夫しないと)打ち込めないけど。なにより7000円とか8000円で買えるのがいい。

治りました~(指毛が汚いとか言わない)。ちなみにこの動画はPO-12をBEHRINGER UFO-202でスマホにライン入力して撮影しました。

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健康と能率(38)

話題の本、話題の作品、話題のニュースについてSNS上でわいわい論評して感想を言い合うというのはきわめて健全だと思う一方で、いま一番個人的に嫌悪感を覚えるのはまさにそういうことだ。

アートに対する関心もすっかりなくなってしまったかもしれない、と思い、いや音楽についても前のめりでいられなくなってしまったのだから当然だろう、と思い直す。クリスチャン・マークレー展はやはりおもしろくなかった。最後の最後に登場する日本語手話に翻訳されたミクスト・レヴューズの無音の映像は、はっとさせられた気分になったあとで、「いや、これでよかったのか?」と、なにかぐるりと裏返った。よくわからない。なんだか、そうですか、ありがとうね、さようなら、と一言そえて、引導を渡すくらいでいいんじゃないのかって思う。個人的にはね。

レディオヘッド(Radiohead)『Kid A Mnesia』論――不器用な歌詞と音楽的冒険の同居が生んだ〈不機嫌〉なアルバム | Mikiki

トム・ヨークの詞が不器用というのはたしかにそうだと思う。わかりやすさ――「いかにも比喩ですよ」という比喩、みたいなたぐいのわかりやすさ――のほうが勝っていて、詞の流れもリニアにすぎるところがある。韻文として整っているわけでもないし。しかしその不器用さや、不器用さが醸す繊細さ(雄弁さがときにもたらす不信感を想起するとよい)こそが面白いところで、「良い詩人」でないからといって、その言葉が不器用であるからといって、その言葉に価値がないわけではない。というのはほぼこの記事の大意だろうが……。『OK Computer』や後の作品はともかくとして、『Kid A Mnesia』として今回改めてリリースされた2作はサウンドも洗練というよりはやぶれかぶれのようで(特にエレクトロニクスの取り入れ方、その不器用さよ)、暗中模索しながら編まれたまさに「冒険」のドキュメントという印象が強い。それこそ、録音芸術としてのロック・ミュージックにおいてしか登場し得なかったレコードなんだろう。いくら問題作とかエレクトロニカの影響がどうこうと言われても、やっぱロック、精神が。ロックの精神とか言っちゃったよ。恥ずかしい……。

ひどい倦怠感につつまれ抑うつ状態に入ってきているのだが、きょうは今年最後のインタビューがあり、それさえ切り抜ければあとはじっとしていられる。

Radiohead『Kid A』の音楽的革新の背後で進んだ、社会性の目覚め。試行錯誤の20年を振り返る | CINRA

かなり早い段階から環境問題への取り組みを行ってきたRadioheadの足跡について、Coldplay、Massive Attack、The 1975といったグループの近年の取り組み(とりわけMassive Attackのそれはエビデンスベースのアクティビズムとして力の入り方がすごいし、近作においては表現にもそのラディカルさがためらいなくあらわれている)を紹介する記事。温暖化をはじめとした環境問題、日本だとなんかアクチュアリティが薄く感じられてしまうときがあって、自分以外もこうした取り組みに対する認知度ももしかしたら高くないのかもしれない。The 1975がグレタ・トゥーンベリのスピーチを作品にフィーチャーしたときにもなんか反応鈍かった気がする。という自分も当時は名前の読み方わかってなくて「グレタ・サンバーグ」みたいなことを言っていた気がするが……。

そういやトヨタがEVに本格参入するとなると、EVまわりのキャンペーンもかねてがんがん欧米のフェスとかに名前貸してったりするのかもしれないよな。とか。なんとか。

TALK LIKE BEATS最新回、久方ぶりの対面収録でいつもと音が違います。正直、リモートで、ゲストの方含めた各自がレコーダーまわしていたときと比べて、音が響いてまわりすぎてて聴きづらいのだが……会話のグルーヴは良いです。

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健康と能率(37)

東京から帰ってきてM-1見て、ひとしきりああだこうだツイートして、1年分のなにかを発散した感じになった。

山形は寒い。そんなことは自明だし常々思っていたけど東京がそれなりに過ごしやすかったのを思い出すとこの寒さがあまりに理不尽に感じられる。朝起きてファンヒーターをつけるのが非常に億劫で、せめてベッドからオンにしたい……とSwitchBotの導入を検討する。でも、3~4000円。スイッチを押すガジェットが……。でも、ファンヒーターのシーズンが終わったらまた別の活用もできる(扇風機とか?)と考えれば、買ってみる価値はあるか。とポチった。ちょうどAmazonギフト券が1000円分、あとこまごまポイントがあったので、3割引くらいの値段で買えた。

あっちゅうまにSwitchBot届く(アフィリンク注意)。スマホと連携して、ファンヒーターのスイッチ部分に取り付けて、これもあっちゅうまに設定完了。これで寝起きにベッドからファンヒーターの電源がつけられる。つくりがいかにも頑丈な感じだし堅牢性とか考えると妥当な値段なのだろうけれど、デフォで3000円くらいだったらもうちょっと気軽に買うのにな……。とはいえ、ボタンを押すだけなのにこれだけ便利になっちゃうのは絶妙で、もう2つくらい欲しくなる。

『痙攣 vol.2』届く。読むのはちょい先になると思うのだが、間違えて左開きのつもりでページをくったら執筆者プロフィール一覧が目に入り、李氏さんが末尾に「もっともっと書いていきたいです」と添えているのを目撃する。アツい……。

なんでかしらないが身体のふしぶしが変だ。首すじ、脇腹、腰にそこはかとない違和感。メンタルのバランスを崩していることもありちょっと寝込んでしまう。珍しく頭はそれなりにはっきりしているのだが身体が追いつかない。身体にひっぱられるように頭も鈍っていく。鎖骨のあたりの違和感が徐々に痛みに変わっていく。寝違えみたいなもののような気もするから、あったかくしてゆっくり寝る。

久しぶりにカレーをつくったらとてもおいしくできた。鶏むね肉をスパイスとトマトで炒めて煮込む。ほろほろになっちゃうまで煮込む。マッシャーでむね肉をほぐして塩コショウで味をととのえる。幸せな気持ちになった。ちなみにスパイスは通販で買うのがいい。クミンシードカルダモンシードクローブコリアンダーパウダーガラムマサラ(以上、アフィリンク注意。実際買ってる奴を並べただけなので他にもいろいろコスパとか質とかあると思う)など。コリアンダーパウダーは馬鹿みたいな量入れたいし入れていいので大量に買う。唐辛子や生姜、にんにくなどはスーパーで適当に買うのでいい。なんならしょうがやにんにくは業務スーパーのでけぇチューブだし。ちなみにカルダモン、クローブ、生姜に加えてシナモンがあるといい感じのチャイがつくれる。茶葉を

「お笑い」という領域で行われていることは必ずしも「笑い」とか「面白さ」の追求ではなくて、むしろそこに加わるプラスアルファの部分のほうが本質なんじゃないのか、それを「ウケる、ウケない」や「笑える、笑えない」の話にすり替えてしまいがちなことが「お笑い」がときに表出させる錯誤や欺瞞なのではないのか、などということを、お笑い好きの人に伝えようとしても、結局「笑い」の話にずらされて、糠に釘だったことを、なんとなく思い出す。「笑い」という巨大なはりぼてのテーマに覆い隠された「お笑い」のコード。

ありとあらゆる「結局」と「要するに」に警戒すること。

小沢健二のニューリリースがいい。『So kakkoii 宇宙』は未だに印象の悪い嫌なアルバムなのだが、ちょくちょく配信されていたシングルや今回の奴が放ついびつで親密な魅力というのはたしかにある。字余りするかのような定形を外れた進行、クセのある歌唱。サウンドもストリングスの流麗さを打ち消すように妙な鳴りをする。そのいびつさを堂々と発しているときが自分にとってもっとも好ましく小沢健二を聴けるなと思う。

東京行って2021年分の体力を使い切ってしまったようで、音楽を聴くのも音楽の話をするのもひどくしんどい。距離を置きたい。

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健康と能率イントーキョー

1年11ヶ月ぶりに東京へ向かう。3泊4日とまあまあ滞在することにした。

12/16

6時起き。なにを思ってか、前日は日付変わって2時ごろ就寝したため、完全に寝不足。荷造りはあらかた済ませていたのでシャワーを浴びて着替え、親に駅まで送ってもらう。新幹線で東京まで3時間。ばり眠いが、締切直前の原稿があるので資料を聴き込みながらなんとか車内で仕上げる。そのまま送るのは不安だったので、一晩寝かせることにする。

昼前に東京に着き、渋谷に向かう。久しぶりの東京で右も左もわからない。もともとわからなかったのだが。とりあえずタワーレコード渋谷店をひやかす。フロア構成ががらっと変わっていた。おもしろかったのは「ボーイズポップ」という分類がどどんと展開していたことで(昔からあったっけ?)非ジャニーズ・非K-POPな日本で活動する男性パフォーマンス/アイドルグループをまとめたような感じだった。この呼称、けっこう普及してるんだろうか。JO1やINIはK-POPのフロアにいたと記憶するけどこのへんの境界線のあいまいさあるよな……。

そのまま渋谷某所でポッドキャスト、TALK LIKE BEATSの収録。もう2年つづいている番組なのに、対面で収録したのはtofubeatsを招いた#1-3だけで、あとはずっとリモートだった。めちゃくちゃ久しぶりに姫乃たまさんと会い、わいわいする。まあ、内容は配信されたときのお楽しみ、で。正直、寝不足と移動の疲れでなに喋ったか覚えてない。ただ対面の収録ということもありテンポはよかった。たぶん前編あたり(つまりまだ体力があったとき)、いつもよりも図に乗った喋りになってると思う。

夕方に収録を終え、Zepp DiverCityへ向かう。KIRINJIのライブをみる。心身ともに疲労でバッド入りかけだったのだが、さすがに素晴らしい演奏で持ち直してくる。「小さなおとなたち」→「ブロッコロロマネスコ」→「爆ぜる心臓」の流れの素晴らしさ、「あの娘は誰?とか言わせたい」の切れ味、「非ゼロ和ゲーム」の味わい、Maika Loubtéが登場しての「薄明」……どこをとっても凄かった(ちなみに順番は混乱している、「薄明」は「非ゼロ和ゲーム」あたりより前か?)。MELRAWすげぇいいなって何度か配信ライブで見て思ってたけどやっぱかっこいいし、シンリズムのギターもよかった。「腕がある」のに加えてなんかスター性ある感じした、シンリズム。たたずまいは淡々としてるんだけど。

ぜんぜん気づいていなかったのだが、隣の隣の席がライター・編集者の小熊俊哉さんでびっくりした。終演後に声かけられて「ひぃっ」となった。ずっとステージ見てて気づかなかった……。

疲労感につつまれながらホテルにチェックイン。一泊3500円と格安だったのにまずまずの広さでアクセスも良く、勝利を確信した。

12/17

朝イチで都現美に向かう。宿からぎり歩けるじゃん、と思って歩いていったらそんなに甘くなく、案の定足が痛くなった……。タジタジさんと一緒にクリスチャン・マークレー、久保田成子、ユージーン・スタジオ、常設展を見る。

クリスチャン・マークレーが一番目当てといえば目当てだったのだが、実際に見てみると、正直あんまり……。パフォーマンスや映像は好きなんだけど、今回特にフィーチャーされていた視覚的表現については、なんかクレバーだしきれいにできてますね、みたいな感じで、冷めた感じで見てしまう。マンガやコミック等々の研究者がオノマトペを援用した一連の作品をどうみるんだろうな、とか(たとえば《Manga Scroll》における“Manga”と作品に用いられる言語と絵巻物という形態の関係、どうなんでしょう)。微妙じゃないのかなぁ。うーん。もっと素直に楽しめるのかと思ったんだけど。いや、もっと楽しもうと思ったら楽しめた気もする。ペインティングに萎えちゃった感じはある……。

反対にめちゃくちゃよかったのは久保田成子展で、60年代初頭に日本の前衛に触れ活動を開始した後、アーティストとしての可能性に賭けて渡米しフルクサスに関わり、ビデオアートのパイオニアとしてアーティストとしてもキュレーター/アクティビストとしても精力的に活動を続けたその足跡に圧倒される。また、ビデオ彫刻も生で見ると素晴らしくてびっくりした。以前、大学のころか、たしか階段を降りる裸婦のビデオ彫刻がどこかで展示されているのを見たことがあったのだが、そのときは正直ぴんと来なかった。しかし今回、でっけー展示室にビデオ彫刻が数点並んだ空間のインパクトはすごかった。デュシャンの援用もすごくいろいろ触発される。ある時期から繰り返しあらわれる、Vの頭韻に貫かれた”Video is…”という詩もかっこいい……。解説文のなかに「「なぜ山に登るのか」に「そこに山があるからだ」とこたえるのは植民地主義・帝国主義的だ、山に登るのは山を知覚して感じるためだ……」みたいな久保田の言葉が引用されていてばちくそかっこよかった。

ユージーン・スタジオ、思弁的でスタイリッシュな感じなのかなと思ったら実際にはひらめきとストレートなポエジーを見る感じだった。海をつくるインスタレーションやチェスとドラムセットのインスタレーションあたり以外はインパクトある造形よりも繊細なニュアンスを感じ取ることを要請するものが多い(海もそうといえばそうか)。その繊細さの質についてはそういう目の肥えたひとの話が聞きたい。『2001年宇宙の旅』をモチーフにしたインスタレーションというか彫刻は、インスピレーションとインパクトのある造形の一貫性が一番しっくりきたかもしれない。しかし人数制限のある展示の整理券が昼にははけてしまっていたり、熱心に見て写真か動画かをとっている人がたくさんいたり、若手の個展としては熱気がある感じだった。(注)

常設展は足が痛かった記憶のほうが大きいのだが、アピチャッポン・ウィーラセタクンの映像がよかった、というのははっきり覚えている。あと、ボルタンスキーだなぁ……っていう。ボルタンスキー、好きじゃないんですよ。むしろ苦手。嫌いまでいってしまうかもしれない。

本当は森美術館に言って「アナザー・エナジー」展をみるつもりだったが、体力の限界をおぼえて宿に戻ることに。タジタジさんとはここで解散。そのときに近田春夫『気分は歌謡曲』の単行本をタジタジさんから託される。以前、阿久悠の実践的作詞家入門もタジタジさんからお借りしている……。すみません、がんばります。

そこから宿戻って風呂入ってなんかうだうだしていた記憶しかない。なんかしたっけかな。たいやき食ったんだ。たいやきおいしかった。あと、深夜にTwitterのスペースで伏見さんや温マさんがくそどうでもいい話をしていてめちゃくちゃよかった(もしかしたらどうでもよくない話もしていたかもしれないが、おれが聴きだしたときにはナンセンスの方向に振り切っていた)。atatakaiyuさんのスペースなのに伏見さんがホストみたいになっていた。場の回し力を感じた。

注:ちなみにユージーン・スタジオの寒川さんは大学時代に交流があり、昔Maltine Recordsから変名で出したEPのアートワーク描いてもらったことがある……(Maltine Records – [MARU-061] three meters right above – on the shady side of the street (cs8.biz))。覚えてるかわからないけれど。

12/18

朝から国立国会図書館に向かう。調べ物があるのだ。朝イチからがんばるつもりが寝坊して10時半くらいに到着。淡々と資料を借りては目を通しコピー、デジタル資料もどんどんプリントアウト、とやっていたらあっというまに閉館寸前になっていた。土日なのでちょっと閉館が早いというのもあった。これはもうちょっと、それこそ2,3日は続けて通わないと無理な案件だな……。いや、家でできる範囲の下準備をもう少ししておくべきだったか……。到着即閲覧申し込みしないとな……。

夕方から人と会うつもりだったが予定がつかず、しゃあないし『アナザー・エナジー』リベンジか! と思ったら森美術館がなぜかこの日早く閉館してしまうとのことで断念。いつもは22時までやってるから油断していた。その後いろいろあったものの結局、相手のほうも体調すぐれずとのことで、いまの時期に体力的に無理するのはよくないので中止に。駅でみつけた半額のわらび餅を食べながら、温泉マークのオートチューン実況を見て、でもあまりの眠さに寝落ち。

12/19

6時くらいに目が覚める。今回は23時くらいに寝たので、結構じっくりと睡眠がとれた。天下一品のラーメンが食べたくて、昼に天一だけ食って新幹線のろうかと思ったが、思った以上にどたばたしそうだったのでやめた。マクドナルド食べたんだけど、ちょっと後悔した。なんかいつものマクドよりもパティパサパサだった気がする。これが東京のマクドナルドなのか?

新幹線のなかで温泉マーク『冬のおとずれ GREATEST HITS 2021.11.20〜2021.11.20』を購入、ダウンロードして聴く。配信で制作過程を見ていたときはそこまでのものになってるとは思っていなかったけど、アルバムになると結構おもしろいのがすごい。

東京は歩いてたら少しあせばむくらいの気温だったのだが新幹線が山形に近づくにつれて少しずつ外の風景に雪が増していき、山形にはいると完全に雪景色になった。「国境の長いトンネルを抜けると……」というのはある種の普遍で、豪雪地帯というのは山などによって隔てられていることが多いものだから、いきおい「徐々に雪景色になっていった」みたいなことはあんまりなく、やはり「トンネルを抜けると」雪国になっていく。まあ市街地は雪なくて山のふもとにいくと雪たくさんってのはありますけどね。

以上です。

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健康と能率(36)

記事のアイデアは20世紀のテレビから :: デイリーポータルZ (dailyportalz.jp)

最近のデイリーでひとりだけなんか記事のテイストが異様な印象のあるつりばんど岡村さんのインタビュー。なんかよくわからんテレビ番組の話が延々とされている(リードでZ世代のみなさん~と言っているがミレニアル世代でもわからんだろう)のだが、

林:
おれがハマーだって最後爆発して終わるんですよね。

林:
失敗して爆発して全員死んで最終回

林:
そのあとプロデューサーが出てきて、みなさんが見たいというリクエストがあればまたできますって言うんですよ。

林:
「いま死んだハマーをどうやって復活させるか?大丈夫、死ぬかと思ったって言えばいいんです」って言ってて。おれ「死ぬかと思った」ってそこからとったんですよ。

へーそうなんだ。

俺がハマーだ! – Wikipedia

なんかこのドラマ、名前を聞いたことはある気がする。

“I want to buy you something but I don’t have any money” ですな~

温泉に行く(東京行く前だと今日くらいしかタイミングがなかったので、がんばった)。サウナ入ったらいい塩梅にととのってよかった。水風呂が特に温度管理してる様子なさそうな感じで夏はぬるく冬はクソ冷たくなる。案の定クソ冷たかった。なにしろ雪も降り出したから。あがって、ここちよい倦怠感に包まれながら、音楽ながしてそのへんをぐるぐる車でまわる。佐藤千夜子の顕彰碑を見に行った。天童公園(舞鶴公園)に立派な抽象彫刻があって「あれなんなんだろ」とちょい前から気になっていたのだが、それが顕彰碑だった。碑の文面までは読めず。

なんなんだろうこれ。レコード針?レコードの溝?そういうわけでもない?

生明俊雄『日本の流行歌:栄枯盛衰の100年、そしてこれから』(ミネルヴァ書房、2020年。アフィリンク注意)ななめ読み、Amazonレビューにあるように演歌まわりの記述が微妙なんじゃないのかと思ったのだが、音楽産業の構造的な変化を軸としつつ読みやすくまとめられた100年史としていいのではなかろうか……。大谷・栗原『ニッポンの音楽批評』(立東舎、2021年。アフィリンク注意)もまだ全然ななめ読みなのだが、輪島裕介『創られた「日本の心」神話 「演歌」をめぐる戦後大衆音楽史』(光文社新書、2010年。アフィリンク注意)も適宜例にとりながら「批評が歴史をつくりあげてしまった」ケーススタディとして演歌に注意を促しているのがある種補完的にも思え、産業論的な視座からこぼれ落ちるものが批評(=ゆるく「音楽に関する言説」)の批判的検討によって照らし返される、みたいな構図に思えたりした。たまたま同じ時期に読んでるだけですが……。

本屋行ったら、以前2冊入荷して音楽雑誌の棚に平で置かれてた拙著が1冊になってて、「う、売れてる?!」となった(売れたのではないのかもしれないが……)。それはともかく佐々木美玲表紙のnonnoを買いました。ホイみーぱんすげー聴いてる。みーぱん推しと言ってもいいのかもしれない。もしかしたら。もしかすると……。

THE W。冒頭ぼんやりしてたらヨネダ2000と紅しょうがを見逃した。でも茶々がめちゃくちゃおもしろかったので満足。そこで満足してしまった。オダウエダもよかった。漫才とかコントっていうよりギャグ漫画みたいなネタが好きなんだと思う。茶々はほかにネタみたいけど動画もあがってないんだな。「おもしろいけどもしかして嫌な方向に行っちゃうのかな……」と思ってたらとんでもない方向に行ったのがよかった。

Aマッソのプロジェクションマッピングのネタ、うわさには聞いていたが見たの初めてで、正直「斬新やねぇ」とは思うけど、「斬新やねぇ」としか思わない感じだった。ひとつひとつのボケとかツッコミの強度があるのでおもしろいけどプロジェクションマッピングをやったからこんなにおもしろいんだみたいなことをあんまり思えなくて、ぴんとこないメディア・アートを見たときのようなもやっとした気持ちになった。それはもうAマッソの力技であって、だったら1回戦(予選?)みたいに上手いコント見たほうがいいよな、みたいな。ああいうことをああいう場所でやるのが凄いんですというのなら、まあそうすか……。

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健康と能率(35)

34番は書いてましたが欠番にしました。支離滅裂になっていた。

Little Simz『Sometimes I Might Be Introvert』を聴き返そうとするが、つかみどころがわからずやめてしまう。Little Simzのこの作品が悪いと言うよりもまた音楽が耳に入らないタイミングになってきて、いやしかし、難しい。

自分が死んだときには、とにかく誰であろうと、どんな関係であろうと、自分について語ることは、かたく禁じてほしい。ツイートやストーリーくらいならいいけど。

スマホから使える感熱プリンタのPaperang(アフィリンク注意)を愛用している。いまは2が出ている(アフィリンク注意)のだが、初代でも機能的にあんまり問題ない(比較してないからわからんけど)。具体的には、宛名プリンターとして使っている。請求書を紙で送付するときには、送付先の住所をPaperangでプリントして貼り付ける。わざわざレーザープリンターで出力するのも面倒だし……。ちなみに封筒は自分の住所を裏に印刷しておいたものをストックしているため、住所をPaperangでプリントして貼り付け、切手も貼って、必要なら「請求書在中」などと手書きしたら済む。ちょっと使い方に癖があって、封筒にぴったりのサイズで印刷しようとするとテキストボックスの配置を調整しないといけないとかいろいろあるのだが(基本縦長にしかつかえないのに無理矢理横長のボックスをつくる、みたいな)、でも手書きするよりは楽。その他、ちょっとしたメモを印刷するときもある。いいです。

どうしてもいかんともしがたくなって、耳をちっちゃな使い捨てカイロで温めながら無理矢理寝る。すると久しぶりに夢を見た。夢の話なので嫌なら次の段落へ。なにか大学(母校の京都造形芸大にやや似ているが、東北芸工大にも似ている気もする)のようなところで事務作業かなにかをすることになるのだが、そこのちょっと偉いポジションの少し年上くらいの女性(ぜんぜん知らない人、割とイケイケな感じだった)に気に入られて変なアピールをかけられる。どうしよう、と思っていたら、同僚(これは知っている[た?]人)に「あの人より自分のほうが」とアプローチされる。なんか気まずいな、臨時で入ったとはいえ職場で、と思っていると、自家用車を間違った駐車場に停めていたというので移動の要請があり、駐車場に向かう道中、ふるい知り合いとすれ違い、「あの雑誌に出ているのを見たよ、すごいね」と話しかけられる。雑誌、といってもスマホアプリみたいな奴で、テクストと画像と動画と音声で動的なコンテンツを配信していて、もちろん実在はしないのだが、「ああ、たしかにちょっと前に出たな、どんなんだっけ」とスマホを開くと、NCT 127「Sticker」みたいな曲を打ち込んでヴァイブしているおれの姿が公開されていた。ここで起きた。考えてみると「少し年上くらいの女性」は以前見た夢にも似たような人が出てきたような気がする。誰なんだ。誰なんだバリバリ仕事ができるちょい年上の女性。容姿はまったく思い出せないが……。身長がおれと同じとは言わないがかなり高かった気がする……。いわゆる「ハーレムもの」の冒頭のような、どろどろしたメロドラマのような感じの、言ってしまえばある種の紋切り型の夢、そういう欲望があるのだろうか、と思う一方で、夢としてそういう欲望が昇華されたような感覚はない。

香ばし玄どら(こし餡・くるみ) 6ヶ入 お茶の井ヶ田オンラインショップ (kikusuian.com)

たぶん仙台の親戚が手土産に買ってきたのだと思うが、「玄どら」というのを食べた。これがばりうまくて、生地に玄米が入っていて独特な香ばしい風味がするのと、たぶん少し塩味がきかせてあって、それが少し舌触りがあらめの餡と合わさってくせになる味だった。オーソドックスなどらやきを期待して食べると舌がびっくりしちゃうんだけど。

なんとか調子を持ち直したが、もうすっかり夜更けだ。午前中調子悪くて夕方~夜に調子を持ち直すというのは典型的なうつの日内変動なのでわかりきっていることなのではあるけれども……。

uamiさんの新曲。こないだアルバムとEP出して続いてシングル出したと思ったらもう一曲出てきてこの人の創作意欲ってどうなってるんだ。『昼に睡る人』の流れを受けるようなポップさがあって、とてもいい。

「救い」についてうすぼんやり考える。「救い」というのはさまざまな条件の布置によって偶然に生じる唯一的な出来事であって、「○○によって」「○○のおかげで」というのは、そうした「救い」の根源的な偶然性に対する背信――あるいは宗教的な含意をはぎとって俗化する、みたいにも言えるような気もするが――じゃないだろうか、となんとなく思う。別に宗教学に通じているわけでも、特定の信仰を身に着けているわけでもないのだけれども。

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健康と能率(33)

耳に使い捨てカイロをあてるやつやってみたらものすごく気持ちよかったけど、就寝時にやると低温やけどしそうなので塩梅が難しい。バンドが頭一周するアイマスク使ってて、それに小さな布ケースに入れたカイロを挟んでみたのだけれども。

フレームが一定でない(入れ子になったりする)のがいい。vlogあるあるなのだろうか。スーザン・フィリップスいいなー……。「温泉マークさんがオートチューン実況をする日だったので見て寝た」のヤバさ、ニューアカオでのエレベーターを使った誘導のわかりづらさを淡々と語るくだりの漠然としたイメージアニメーションがかわいい、などのことを思う。エレベーターの図解かと思ったら別に細かく説明するんじゃなくて単に動いてる感じなのがよかった。

しんどくて仕事が手につかず、短いコメント原稿だけがんばってかたづけて(ほんの400字程度だが……)、気分転換に、radikoのタイムフリーでeelicaさんとDJ DJ機器さんのK-POP総まとめを聴きながらチキンハンバーグを大量につくる。大葉の量をケチったらおもんない味になったのでソースでも塩でもまぶして食べるか、というような感じに(追い大葉してもいいけど)。KWANGYAとかSMCUに関する語り口がおもしろかった。でも自分がおもしろがれるかというとなんかそうでもないな……と思った。

想像力の搾取……と不穏なフレーズを思い浮かべる。

沢山遼|Felix Feneon『Félix Fénéon: The Anarchist and the Avant-Garde』 (artresearchonline.com)

フェリックス・フェネオン、院生時代にゼミで指導教官がぽろっと「おもしろいよね」とか何度か言ってたような気がする。その仕事をまとめた展覧会カタログに関する評がおもしろかった。本題の新印象主義におけるアナキズムの諸相(そしてその後への影響。ここがおもしろいのだが)にいたるまでの交通整理にこういう文章が出てくる。

スーラ、シニャックらの点描絵画に大きな影響を与えたのは、近代的な色彩、光学理論である。彼らの友人でもあったアマチュアの科学者チャールズ・ヘンリーは1885年に『科学的美学へのイントロダクション』を著し、それはフェネオンを含めた新印象主義 のサークルにおいて、複数の特定の色彩が互いの影響関係によって、いかに関係=連動するかについての大きな示唆を与えた。具体的には、新印象主義の画家たちは、パレット上での色彩の混色を行うことなく、画布の上に小さな色彩の斑点を併置するプロセスを通じて絵画をつくりあげた。彼らが理論的基盤にした光学理論においては、観者の視覚の活動のなかで、複数の色彩が混色され新たな像を結ぶ(=視覚混合)ことになるからである。

ゆえに、新印象主義の絵画は、必然的に、観者の生理学的な知覚の参加を要請することになる。そこにあるのは、市民社会の台頭とともに新たに浮上した「観者=市民」という新たな主体の経験を、絵画の構造的な函数として加算することであったのかもしれない。つまり、新印象主義の絵画は、観者と呼ばれる市民の能動的な参与(アンガージュ)、そしてその身体的駆動がもたらす知覚の「労働」を、その絵画面の組成において要請するものなのである。

沢山遼|Felix Feneon『Félix Fénéon: The Anarchist and the Avant-Garde』 (artresearchonline.com)

特定の様式というか形式、新印象主義の場合は方法と言うべきなのかもしれないが、そうした作品の成り立ちが作品を受ける側に暗に求める参与のあり方と、その参与がどのように位置づけ語られるか。そうした分析や批判的思考の必要性。というのは近代の美術をちらとでもかじるとどうしても気になる問題である。

伏見瞬『スピッツ論 「分裂」するポップ・ミュージック』(イースト・プレス、2021年)をご恵投いただく。読むのは少し先になるかもしれないが、ネットでも公開されていた巻頭言をちらと読み、参考文献一覧がきっちりついていたのでぼんやり眺める。これすごいな。スピッツのおもしろさというか勘所を掴むことのできないままにいる自分もスピッツを楽しめるようになるのだろうか……。また読んだらなんか書くだろう。

間が空いても言葉の“淀み”をこわがらない | 大手小町 (yomiuri.co.jp)

しゃべる仕事がちょくちょくあるので、ああ、そうだな、としみじみ思いながら読んだ。前半のインタビューや対話をめぐる意思表明が、後半の「うまい演説」へのささやかな違和感(の話をしたのはタクシー運転手のほうだが)とゆるやかにつながっている感じがよかった。大手小町で連載してる生湯葉さんのエッセイはどれも良い。

「間ができる」ことへの恐怖や、これはある一定の属性にありがちな(つまりマジョリティなシス男性、とか)ことかもしれないが、「うまいことをいう」ことへの欲望というのは、「誰かとしゃべる」という営みに対して余計な負荷をかける障害なんだろうなと思う。

批評というものに対する、あるいは、ライターたるもの……と語られることに対する不信、がしばしばある(大半は納得なものだけれども)。

怒りや反発や復讐心や功名心で生き延びるにはあまりにも自分は疲弊しすぎた。怒りはなにより自分の健康を蝕むもので、「なにくそ」などと言っていられるものではもはやない。

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健康と能率(32)

どうでもいいことに気づいたけど、昔のブログの名前が「ただの風邪。」で、いま日記につけてるシリーズ名(?)が「健康と能率」なので、自分はずっと体調の話をしているのかもしれない。

SMBCのCMでフラカンの「深夜高速」が流れていて、なんか上手いという感じではないが曲にあってるボーカルだなーと思ったら岡崎体育だった(というかCMにも出てた)。アレンジが2000年代ぽい感じで(いまy2kとかゼロ年代リバイバルとか言ってる感じからは見過ごされそうなサイドのほう)いい気がする。配信でフル尺で聴いたらおなかいっぱいになってしまったが……。

とにかくカバーが多い「深夜高速」だが(カバーだけ集めたアルバムもある)、個人的にはKitriによるカバーが大好きで、ピアノ連弾かつ2声のアレンジになっていて、ロックなバンドサウンドに託されたがむしゃらな絶望がまた姿を変えているのが鮮やかだと思う。

アルバム『Re:cover』バージョンもいいですが(アレンジは同じで、録音が違うと思う)。

bonobos「KEDAMONO」、歌メロの少しいびつにも思えるリズムが演奏と調和しながら、かつ言葉をさまざまに分節して再構成していくのがめちゃくちゃスリリングだ。刻々と表情を変えるコンテンポラリージャズ的なグルーヴと言葉(しかもトリリンガル)を組み合わせた音楽としてはめちゃすごいことなってるのではないだろうか……。Not LOVEも凄かったけれど、続いてのこれも……。

【前編】祝「ソニック・ザ・ヘッジホッグ」30周年! 実はゲーム音楽作ってたドリカム中村正人氏にぶっちゃけてもらいました | ギズモード・ジャパン (gizmodo.jp)

【後編】祝「ソニック・ザ・ヘッジホッグ」30周年! 実はゲーム音楽作ってたドリカム中村正人氏にぶっちゃけてもらいました | ギズモード・ジャパン (gizmodo.jp)

ドリカム中村さんのソニックに関するインタビュー、そっちの話も面白いけど、前半では、「エピックの日陰者」からブレイクまでの時期に「ソニック」があるとか、レーベルがソニー系列だったからセガのゲームへの参加がプロモーションできなかったとか、生々しい話もあって面白い。後半は中村さんの音楽観が興味深いのと、制作時のトラックシートについて「ドリカムの曲もこうやって作っていたので、今も全部残っていますよ。」っていうのがめちゃくちゃ気になる。全部見たくない?

ひとつ原稿を仕上げたあと、いろいろ見たり聴いたりしようとしたのだが、どうしても疲労感がとれず寝込む。そしたら思いの外長時間ぐったりしていたみたいで、起きるとあたりは暗いし軽い脱水でもっと体調が悪い。最近睡眠記録アプリで睡眠時間をチェックしているのだけれど、どうもちゃんと寝てるのは5時間くらい、それも体感的にはもっと浅い(7時か8時には起きます)。小林製薬の「ナイトミン 耳ほぐタイム」というのが気になるけど、耳栓ってどうやっても寝てる途中にとれる(とってる?)んだよな。それなら、小さいホッカイロを耳にあてたほうがいいのではないか……と思う。やってみようかな。

(sic) boyのニューアルバム、『vanitas』。『CHAOS TAPE』にあった闇雲なほどの勢いはないがこちらを愛聴する人も多そう。あれは助走だったんだな、というのがはっきりわかる。というか。しかし自分が好んで聞き続けるかというと微妙かもしれない。ブラストビートとエレクトロニックなビートが絶妙な(hyperpop勢も思わせる)バランス感でぶちまけられる「落雷」やAAAMYYYをフィーチャーした「水風船」が個人的に優勝。

最近ぜんぜん運動できていないので、久しぶりにステッパーをやって、風呂入ってから寝る。なんなんだこの人生。

結果、よく眠れ……ませんでした。なんだかねぇ。おやすみカービィのぬいぐるみを眺めているよ。

Kanye WestとDrakeのパフォーマンス(#FREELARRYHOOVER)見てたら思った以上にグレイテスト・ヒッツみたいな、初のフェス出演で大サービスする大御所みたいなセトリでびっくりした。ある種のチャリティ……というか啓蒙イベントみたいな性質だったというのも大きいのかもしれない。Yeの作品が好きかと言われたらなんとも言えないのだが、しかしまとめて振り返ったときにその異形としての佇まいには圧倒されるものがある(Strongerとか当時「なーにやってんだ?」と思ったけど)。

ところで今回のパフォーマンスはAmazon Musicが協力して配信はAmazon傘下にあるTwitchで行われた。そして、パフォーマンスのアーカイヴはPrime Videoで公開されるという。パフォーマンスの本筋とはあまり関係がないのだが、AppleががっつりサポートしていたDondaのリスニングパーティの場合はApple Musicというプラットフォームで完結していた一方、Twitchのようにそれ自体がコミュニティ的にも機能するライブ配信プラットフォームを持ってるAmazon、思いの外つえーのかもなぁ、とか思っていた。

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