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カテゴリー: Japanese

entries written in Japanese

2.3

 7時くらいに起きる。夢で、元SMAPの面々が同じ十字路でニアミスする(互いに認識はしない程度のぎりのすれ違い)のを見てひやひやしていた記憶がある。あれなんなんだ。

 これ電算機さんとこで知ったけど、ダイキンがこんな案件をやっているのか。ベトナムのダンスコレクティブとダンスでコラボ。コレオも撮影も委託しているらしい。ダイキンといえば、文化振興事業をやっている。「ダイキン工業現代美術振興財団」っていうのがあるのよね。まー企業広告案件だからどのくらいそれと関係あるのかわからないけど、文化振興に積極的な社風ではあるのかしら。
 Jasmine InfinitiのFACT mix、好きだ~。ジャージー、ボールルーム、ハードミニマル、ガバをダークめの感じでまとめて繋いでいく。ハードミニマルは良い。
 GEZAN『狂(KLUE)』聴く。まず一周だけ…… 一定のやや遅めのBPMでずん、ずんと刻まれるグルーヴ自体良く、そこから倍/ハーフの行き来、リズムパターンの変化によるスピード感の変調などを駆使する部分にやはりぐっとくる。レベル・ミュージック的側面については割愛(しかしFREE REFUGEESはすごいね)。3時間くらい延々このノリでやるようなライヴとか見たいっすね。無茶振りですが……。
 昔の曲のプロジェクトファイルをいじっていると、とっくの昔に使わなくなったVSTやVSTiがたくさん使われていて、また探し直さないといけないみたいなのがけっこうある。それがドラム音源だったりする場合、手持ちのサンプルに差し替えたほうがだいたいよくなる。しかしシンセ系だと、VSTiがみつかんなかったばあい、音作りからしなおして…みたいなのが。。。きつい。。。そっちのほうがよくなる可能性は俄然高いけど。MIDIコンについてきたバンドルのVSTiがあって、URLもシリアルももうわかんないよ。。。と頭を抱えていたら、ちょうどそのプラグインが1000円くらいで安売りされていたので、さっくり買った。自分が鳴らすぶんにはまあまあな音なので(さすがに数万円するプラグインほどよくはないが、プレイヤーではないからめちゃくちゃこだわりがあるわけじゃない)また使いだすかも。

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2.2

 夜中に何度か起きたから、何時に起きたか忘れちゃった。Gang of FourのAndy Gill逝去の報。まだ60代。新譜出したりライブしたり、活動してたのになあ。
 またシュクメルリをつくる。また乳脂肪分かタンパク質か、が凝固してしまう。濃いめの牛乳(スーパーで一番濃そうなのを買ってきた)が悪いのかチーズの入れすぎなのか。舌触りが違うのであんまりよろしくない。味はいい。
 『かわいいウルフ』以降活躍のつづく小澤みゆきさんと原稿のやり取りをして、送った10分後には仮の割付で組まれた参考画像が返ってきて、すげー仕事のテンポだと思った。個人や小さいチームでまわしていく強み、でもあるが、といって個人でやってるからってこういうテンポで進んだことそんなないからなあ。学生時代にフリーペーパーつくってたときは、原稿書いたそばから流し込んでもらう…みたいなのあったけど。あれを思い出す……。
 先日の田島ハルコワンマン、TLに流れてくる感想や動画がよすぎて、やっぱ観たかったよな…と思いつつ、実はハルコとフランシスがいっちゃん観てみたい気持ちがある。

 かっこいい。田島さんのベアテ・バルテルみが良い(ディレイいじってるところはロマン優光みたいでもある)。
 小袋成彬の『Piercing』を評価するときにFrank OceanとかSolangeを引き合いに出すのは、まあ影響もあるだろうし(そこにTylerも含めていいが)まっとうかなと思うけど、かれがいまロンドンにいてロンドンの音楽にたくさん触れていたり、ローファイヒップホップに関心を示したりしていることがややおいてかれがちなのがよくないのでは、という気がする。

 『文化系のためのヒップホップ入門3』でSheck Wesがすごい扱い(大和田さんいわく「シェック・ウェスの〈Mo Bamba〉も最初きつかった」「これはきびしい」、長谷川さんいわく「これ、ヒップホップを通り越してジャイアンの歌ですよね」。239-240頁あたり参照)だったので、「おれけっこう好きだったけどな~」と思って昨年リリースされてた曲を聴いたらジャイアンみは減ってるがめちゃくちゃよかった。ラップが上手いとかじゃなく、なんか全体的に良い。リズムもゆるいんだけどビートの選び方とそこにフィットさせるデリバリーのセンスというか。
 「映像研には手を出すな!」4話までの一挙放送を見る。原作未読。伊藤沙莉さんの演技いいっすね。3人組でいうと完全におれは金森タイプ(つくりたい! みたいな熱意はあんまりない、つくるのけっこう好きだけどね)なので、しかもそれがむっちゃん(田村睦心さん)のCVなのでうれしい。水崎氏のCVやってる松岡美里さんてアイムの新人なんすね。声優のはなしばっかしてんな。1話めっちゃいい、そのまま2,3話と進んで、4話に至って「これどうなっていくんだ?」と思ったところで最終的に無理やり主人公たちがつくるアニメの力を強引にとんでもねー演出で見せていくのが凄いね。つくる喜びからつくりあげる困難を経て、そうかんたんに達成感なんて言葉で終わらせない熱意の発露をさらっと見せてるあたりとかも。
 どうでもいいんだけどB-Tのトリビュート盤シリーズのサブタイトルが”RESPECTIVE TRACKS OF BUCK-TICK”で、このrespectiveってどういう意味のつもりなんだろう、と思った。ふつうrespectiveといったら「おのおのの、それぞれの」という意味だ。意味は通じているが言いたいことはわからない。敬意のニュアンスを入れるならrespectableだろうが、でもそれもなんか違う気がする。

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2.1

 昨晩はなんだかんだ4時くらいまで仕事していて、起きたのは8時。眠いが、締め切りが近い。しかも3本くらいかぶってる。「これは書けるし、書きたい!」というのがフィットする幸運に恵まれ。まあ、一本でかいの(分量自体が8000字くらいある。すでに超えてるけど)以外は、落ち着いてやればちゃんとできるはず。いや、でかいのも落ち着いて堅実にやればできるんですよ。ですよね……。
 二木信さんと吉田雅史さんの「日本語ラップ最前線」対談、とてもおもしろい。CampanellaとRAMZAがやったやつやっばいっすね~。

 すんごいやんばい。記事の中で繰り返し触れられているけど、ブーンバップとトラップ、という二項対立ではすくいきれないビートの多様性あるよなー。吉田さんのビート分析の本はやく読みたい。いつ出るのかな。なんかさやわかさんとのゲンロンカフェでのトークでちらっと言ってなかったっけ。
 やってる原稿、夜になって、最後の一節を書けたらあらかた完成する。でもそこがいちばん大変だ。あと、文字数が多分4~5000字くらいオーバーする。ごねたら全部載らないかな~(ごねませんが…)。あと、EvernoteからWordに移して整えないと。Wordって嫌いな人多いけど、おれは好きです。
 大和田俊之・長谷川町蔵『文化系のためのヒップホップ入門3』(2019)読了した。必要に迫られて……という側面もありつつ。ヒップホップがポップカルチャーの中心に躍り出たことでヒップホップというカルチャーの輪郭が曖昧になっていく、その様子が放談のなかに刻み込まれているのが面白い。これをカジュアルに読んで、Cardi Bを中心に置いてトラップ以降のビートの革新を論じた、大和田さんのwebちくまの連載最新回をチェックするとよきかと。
 LOCUST編集部が編集後記としてラジオをやっているが、グループはいいね。グループはいい。孤独だ……。考えてみれば『文化系のための~』も対談で(あとこれほぼ全部講義とかトークイベントですよね)楽しそう、いま話題の『2010s』も『ポスト・サブカル焼け跡派』も対談。ポコラヂのぐぐさん回も面白かったしな。みんな人と話していてうらやましくなってきた。かといって別に人と話すのそんなに好きじゃないからなぁ。やっぱひとりでいいかぁ……。

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1.31

 6時起きくらい。朝からDAWを立ち上げて曲を読み込んでメトロノームならしたり切り出したりしながらちょっと観察(分析というほどではない、というか「分析」とかしたことがない)する。よく「考察」とか「分析」とか言うけど少なくとも自分の書いたものについてはどちらも正直しっくりはこない。いや、まあ、自分でも言ったりはするんだけど。そう言ったほうが通じるかな、みたいな……。
 田中宗一郎・宇野維正『2010s』、荏開津さんが勧めているし、店頭で見かけたら買おっかな、と思って本屋行ったんだけどなかった。(タナソーがTwitterで予約してくれと言っていたのはたしかであったな……)一応ふたつまわった。『ポスト・サブカル焼け跡派』も、まあ、みかけなかったね……。ちなみに道中、拙著が八文字屋天童店に平積みしてある(しかも第二刷なので、たぶん最近入荷した)のを発見した。芦田愛菜の読書本を挟んで後藤護さんの『ゴシック・カルチャー入門』も平積み。この並び、一瞬「山形出身つながり…?」って思ったけど芦田愛菜は山形と関係ない。ヱクリヲつながりもあるし隣においといてくれたらいいのに(ちなみに『ゴシック・カルチャー入門』、全然読み終わってない。あと半分くらい。読み出すと一気にドライブするので「とっとこう」と思ってたらこんな時期に)。
 2010年代の(特に北米を中心として)ポップカルチャーを語るなら、渡辺志保さんと辰巳JUNKさんのコンビで本でたらいいのになって思う。対談縛りみたいなのがあるわけじゃないけど。柴さんのnoteの件もあってこないだ該当号のMUSICA読んだら、Mura Masa『R.Y.C.』評は渡辺志保さんのが過不足なく(最後にちょっと大胆なこと言ってみたり、というのも含めて)ポイントを抑えたもので、さすがだな……と思った。ちなみに入江陽さんの短評も「この作品がみんなにどんな影響を与えるだろう」ってところをピンポイントで突いていて、かつ作家評としてもおもしろい。
 そういえばこないだblueprint行ったときに拙著の売れ行きどーなんすかと聞いてみたら、Amazonでは動いてないが書店経由の注文(お客さんが取り寄せる客注っていうやつ)は結構コンスタントにあるらしい。正直「Amazonの○○カテゴリでn位!」みたいなのかっこいいな~って思うけど、そうじゃない売れ方してるのもうれしい。むしろそっちのほうがうれしい。
 割とヒゲダンを推している(実際好きな曲はけっこう多い)が、あんまり記事のなかで書くとあれげな話なのでここでふと書くと、いかがわしさがあるのがいい。それと比べるとKing Gnuのほうが律儀に音楽をやっていると思う(直近のヒゲダン新曲評で対比的に書いたので例に出したまで。しかしAメロやBメロといったパートごとに、ふたつのキャラが違うボーカルやメロディラインやリズムを役者や構図のごとく配置して場面を描きわけていく手際が「白日」ではかなり光っている。音楽に対してデザインという言い回しが最近よく聞かれるが、単にサウンドを配置するだけじゃなく各要素の役割やその意味を含めたトータルなデザインがすぐれている、それは素直に凄い)。ヒゲダンは歌詞のデリカシーやキャラが醸し出す垢抜けなさとは裏腹な粗野さとかあざとさとかがあって、でもそこがなんか好きなんだよね。King Gnuのほうが話はあいそうだなと思う。何様だよ。

 altopalo新曲、素晴らしい。異様な展開は控えめ(「mono」とかみたいな)だが6/4拍子ベースで進んでいくいびつさがつきまとう。「これは正解なのか……?」というウワモノの処理、急にThe 1975かなんかかみたいな感じにまっすぐになるサビ後、でも変な音鳴ってんだよな。わけわからん。ずっと。

 ヒョゴがニューアルバムをリリースしたのだがこれが凄い。ごりっとしたベースにアンビエンスたっぷりのドラムがおもたーいグルーヴを鳴らしながらも、妙な(しかしプリミティヴな)空間系エフェクトづかいで背景が埋められていく。前作から思い切った方向転換だな~と思ったけど、メロディラインの親しみやすさやアレンジの凝りかたを度外視すると、空間系エフェクトの使い方が妙なところとか、けっこう連続性がある! ことに息づいた。ただ、なお異物感はすごい。

 SEEDAのインタビュー、よいな。「JP THE WAVYさん」とさん付けで呼んでいて「へぇ…!」となった。あと最後のテンションの上がり方で爆笑した。

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1.28-30

1.28

 6時くらい? 起きる。しかし、おなかの調子が悪いのと昨日のインシデントでまったく心身が上向かず、昼過ぎまで寝てしまう……。いやほんと、ずっとアニラジ聴いて、脱力して、なにもする気が起きず……ゴミのような生活……。
 15時過ぎ、とりあえず風呂だけ入って、強制リセット。某原稿に向けて日本語で読める文献から潰していく作業に入る。もうひとつペンディングにしているタスクがあり、こないだの打ち合わせの内容を受けた連載プロットの練り直し&提出。これはできるかなあ。わからんな……。
 やっぱりメンタルがどうしてもだめで、寝てしまう。もうだめだ……。

1.29

 6時起きくらい。きのう、余ったバゲットを卵液につけていたので、フレンチトーストにする。食うが、フレンチトーストそこまで好きじゃないことに気づく。なんかぼんやりしてたらスッキリ!にタナソーが出ているという。ほぼ見れなかったけれど、なんかインパクトのある画だった。
 昼、かかりきりの原稿を進める。文字数は膨らむのになにかアンバランス(サーベイ的な記述と分析の分量がちぐはぐ)だが、とにかく進めてみるしかない。
 夕方は、いま全国をリサーチのためにまわっているアーティストの遠藤薫さんが山形にいらっしゃるのでアテンドというか、軽く案内みたいなことをする。といっても、自分も山形のことぜんぜん知らないので、この機会にいろいろ知らなきゃ、とも。RAF-RECにお連れしてお茶したり、ミサワクラス(もともと東北芸工大生が集まって始めたシェアアパート)につないだり……。RAF-REC行ったら網守さんの『パタミュージック』があったので買った。Spotifyで愛聴してたんだけど盤で買うタイミングをなんとなく逃していたので……。ワンマンで買うつもりだったんだけどなんか流れで買いそこねてた。ミサワでは大槌秀樹さんと根本裕子さんにご挨拶し、お仕事があるという大槌さんとはいったん別れ根本さんと遠藤さんとそばを食べる。のち、解散。
 きづいたら家に着いたのは23時半。ちょっとくたびれた。けど面白いお話もたくさんあった……。寝ます。

1.30

 [なんとこの日の日記は欠番だ。]

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1.27

 8時ごろ起きる。もろもろの連絡がありダダッと返信・中継などする。
 シュクメルリ再チャレンジ(朝っぱらから?! とお思いのあなた、あとで書きますがそのとおりですね。朝にやるもんじゃない)。完食できなかったしおっからいソースを牛乳でのばして再利用。自炊なんてそんなもんです。食べられる感じになりました。次はもっとちゃんとおいしくつくるぞ。
 で、即胃もたれになだれこむ。つれぇ……。
 仕事をしていたが頭痛がひどく(シュクメルリのせいではなく、気圧)、いっぺん頭痛薬飲んで寝る。バファリンってbufferingの意なのかな。などとどうでもいいことを考えながら……。
 昼に起き出すと姉が2019年ぶんのimdkm活動関連の領収書を整理したものを置いていっていた。去年は月ごとにざっくり整理しただけのものを姉に丸投げしたので、来年、というか今年からは自分でもなるべくやります……。
 グラミーの様子をTwitterとかで眺める。ビリー・アイリッシュが主要四部門制覇。まあ、めでたい。しかし、あんまりグラミーの存在感を過大評価してももうしょうがなくない? と思ってしまう。
 日本で同じくらいの存在感の賞があったらねぇ。レコ大? CDショップ大賞? うーん。Apple Vinegar Awardしかおもしろいと思えるものない。あれもフォローしきれていない領域はあるのだけれど、そりゃ個人が立ち上げた賞だもの。
 聖マリアンナ医科大学の件についてのまとまった見解。関係者っていうか、医学部受験に特化した予備校の人によるはっきりとした批判。内容はあまりに妥当。が、ここまで言わないとわかんねーのかよ、というようなしょうもねぇ性差別そのものみたいな意見がいろんなところに見受けられるので、そっちのほうが気が重たい。
 夕方にとあるインシデント発生ゆえにめちゃくちゃ凹む。もうきょうはなにもできない。バッドすぎて……

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1.26

 5時くらいに目覚める。昨日はなんだかんだでまったくなにもせず寝てしまった。後悔しかない。小腹が空いていて、といってなんかがっつり食べる気にもならねぇ~と思ったら、きのうのおれがミューズリーとヨーグルトを買ってきていたのだった……ナイス采配。もさもさたべる。
 8時半くらいまでなんだかんだしていた(嵐「Turning Up」のリミックスつくってみたり)が、やっぱり眠いので二度寝。11時頃起き出す。
 本格的におなかが空いていたのでシュクメルリをつくってみた。きのう買い物に行ったとき、材料はひととおり揃えた。といっても、にんにくと鶏肉、チーズくらいしか買ってない。さつまいもはふかすのが面倒なので省いた(やっぱないとだめですかね?)。松屋のあれしか食べてないが、ハーブとかの香りもなかったような気がするし、ネットで見かけたレシピもしごく単純だったから、だいたい作れるだろう、とふんだ。実際には、まあおそらく基本的な要素は再現できているけれども、いかんせん塩加減を盛大に間違えたせいで、めちゃくちゃしょっぱくなってしまった。塩加減は味見しながら慎重かつ大胆にやらないといけませんね……。
 シモの話なのですが、痔になった気がする。ひごろずっとデスクワークなことに加えて、バス移動しまくったせいだろうか。まだ痛みが出るほどではなく排便時に違和感がある感じ。あったかい湯船でマッサージしたらまだ治るような。
 昨日の日記で書いた「音楽ライターとして名を上げるかどうか」問題。現状、収入はほぼライター業で(言うても「めっちゃバイト入れてる高校生」くらいしか稼いじゃいない。実家住まいなのでなんとかなっている)、本も出したし欲を出して批評家と言いたいところなのだが、かといって「じゃあもっとプレゼンスを上げるために東京移住して仕事増やしましょう!」という気持ちにもならない。どうしたものだろうねぇ。
 波多野裕文さんが香川に住まれていることを思い起こす。その暮らしぶりの一端は音楽と人Webに掲載されたインタビューにも詳しい。昨年Tabula Rasaのツアーで山形にPeople In The Boxが来たときに観に行って、ご挨拶する機会があったのだが、香川に住んでいる波多野さんと山形在住の自分が顔を合わせて話すって結構すごいことだな、と思ったな。なかなか行けないもん(一度だけ、大学院のゼミ旅行なるもので香川は行ったことがあるはず)。
 ピエール中野がサンリオ好き。サンリオ好きな男の人、最近ちょっとだけ話題になってるよね(馬鹿よ貴方はの平井“ファラオ”光とか)。サンリオについてとくに思い入れがないけれど、ピューロランドにはめちゃくちゃちっちゃいときに一度だけ行ったことがあって、なんかへんにまがまがしかった印象がある。だから、サンリオちょっと怖いんだよね。キャラはかわいいけどピューロランドは軽いトラウマが。あれなんだったんだろう。メディアを通じて見るピューロランドにはそんなまがまがしさはない。
 ヒゲダンの新曲レビューの原稿をやっている。月末に予定があるのでちょっと急いで。いけるかなぁ……。
 町田康が語る、酒を断って見出した“文学的酩酊” 「日常として忘れていく酩酊感が読者に伝わったら面白い」
 町田康のインタビュー、おもしれー。
「町田:音楽というのは常に現在しかないですから。その瞬間のものですからね。瞬間を作って瞬間を共有するので、原因と結果が同時にその場で起きて、同時に終わっている。原因と結果がすごく圧縮されている。だから、事後的に振り返って確認はできないですよね。それが生きているということなんですよ。人間が有限の肉体を持って死ぬということの凝縮したものが1曲である。そんな感じがあるんです。」
 かっこいい。後編も良い。音楽、日本語、歌、語り、いろんな問題がぎゅっと凝縮された話をずっとしている。

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1.25

 6時に山形着。眠ぃ。。。
 家に着いてちょっと作業して、寝る。あれ、これはもしかして深夜バスに限界が……? でも新幹線が好きかというとそうでもない、みたいな……。効率的に移動するならやっぱ新幹線なんだろうな。うーむ。。。
 昨日の打ち合わせで「東京に移住しないのか」という話題になった。山形でやってくことになにか意義があるのでは、と思っているのと、東京でいま実家でつくってる環境(資料の保存や制作・リスニング面)を再現することは金銭面で現実的ではないことから、やっぱり難しい、限りなく「無し」。「音楽ライター」というかたちでキャリアをつくっていくならば東京で仕事の幅を広げる(ライブレポ、インタビュー等々……)ことは多分必須なんだろうけど、正直、そういう音楽産業の事情とか知ったことではない……。音楽ライターとして売れたいとはまったく思わない。わがままかね?
 とはいえ、2月ももしかしたら数回東京に行くかも、という現実を前にすると、なにか限界を覚える……。っていうかいつも東京、東京で、嫌になってくるな。秋田や青森に行きたい。東北の太平洋側も。北海道も。別府にまた行くのもいいな(昔住んで、働いてました)。沖縄にも……。
 オザケンのアルバムについて、レビューでは書かなかった好きになれないポイントに、「高い塔とStardust」の歌詞がある。「ねずみ小僧が住んでいたという橋のあたり」(つまり日本橋、日本の道路網の起点である)から「上方へ みちのくへ 海峡を超え」た「聡明な列島」の姿を想うあたりには、かなり無邪気に、東京を起点に日本を捉える東京中心主義がもろに反映されている。「流動体について」で描写される都市=東京の姿はとてもおもしろいが、それが安直に「東京を起点に(土木的に)形成された日本」へと拡張されるのは、まあ、地方出身で在住の身としてはおもしろくはない。し、それはあのアルバムにうっすら感じられるパターナルなやだみとも関連している。
 電算機さんの直近のエントリーがまた壮絶。「女は音楽ライター・評論家にはなれない」へのコメント集。いろいろとグラデーションはあるが、マジで反吐が出るようなセクシストのコメントが多い。どうかしてんな世の中。まぎれもなく自分もそんな世の中の一員なんだけど。どうしたらいいんだろう。いろんな人と話すほかない、という気もする。
 最近、自分のなかのロールモデルとしてIDLESがかなり大きい。人種差別、性差別(社会化されたミソジニーや、有害な男性性)への反対をずっしりとしたグルーヴのパンクロックにのせて歌う彼らの楽曲自体とてもいいのだけれど、この前出たライブ盤は特によかった。

 ”Mother”のパフォーマンス前にヴォーカルのジョー・トルボットは”I am a feminist!”とシャウトする。「自分はフェミニストだ!」か。ひるがえって自分はそう叫べるだろうか。自分はフェミニスト、と言葉で言うのはかんたんだ。が、ステージの上でそのように叫んだうえで、母親に背負わされたシャドウ・ワークを題材にして「この社会は母親たちをf*ckするクソ野郎(motherf*cker)だ」と訴えるこの曲を歌うのは、わけがちがう。この流れ自体、深く自分に思考を迫るものだ。さらに、オーディエンスがこの曲の歌詞を大合唱するのを聴くと、ここで起こっていることを少しは信じてもいいのかもしれない、という気がする。一方で、これはこれでもしかしたら男性の欺瞞なのでは、とも思う。しかしそう悩んで黙ってしまうか、それでもなお歌うか、で言ったら、歌いたい。いや自分は歌う人ではなく、いまは書く人なのだが。
 あれ、気づいたらきょう仕事してないな…… まずい。なんかしてから寝よう。

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1.24

 6時起き。ねっむ。でもシャワー浴びて、宿のコインランドリーで洗濯。昨日のトークを反芻して、白紙のマルチネ以前の活動についてまったく触れられなかったことを思って、電算機さんの記事をツイートする。
 Twitterの使い方として、「よいものやよい仕事をしてる人にこまめに言及する」のは大事かもしれん…
 サブスクリプション時代特有の歴史観のフラットさ(よくZ世代絡みで言われる)みたいなのにはかなり懐疑的で、「アクセス可能である」ことと「実際にアクセスする」こと、さらには「アクセスしたものごとに対する態度」って全部違うのに、と思う。
 DAWの話。「ピアノロール」に類する概念は掘り返すと結構な歴史がある。オルゴール、自動オルガン、プレイヤーピアノ、グラフィカルなシーケンサー、DAW。直接の祖先は自動ピアノのロールだろう(名前がそーだしね)。あるいは音楽の視覚化という点ではそもそも楽譜がそうだし、多様な記譜法が音の配置を二次元上に示す試みをしてきた。また、ひとりでなんでもする、というのなら、単に弾き語りというのを除くと、多重録音が思いつく(DAWはその名の通り「オーディオ」を扱うソフトウェアでもある)し、シーケンサーを駆使した自動演奏もある。小西康陽がDX7の登場で「これならいろんな音が入ってるし自分のやりたい音楽(つまり後にピチカートにつながっていくような音楽)ができる!」と思って宅録を仲間と始めた、なんてエピソードもありますね。小室哲哉のDX7づかいも並べられよう。さらに、実際にドミューににの感想でそういうツイートも見かけたのだが、そもそもピアノという楽器が登場したときの「一人でなんでもできる(理念上、オーケストラで言えば10人分の仕事をひとりでできることになる。ダイナミクスの表現もそれまでの鍵盤楽器とは段違い。)」という感覚も、DAW上につくりだされる万能感になぞらえられうる。しかしそうした多様な技術の歴史の総合としてのDAWは、それらの総和以上のなにかを創作活動にあたえているようにも思える。(コンロン・ナンカロウを引き合いに出したのはそういうこと。)
 歴史に目を向けることでいま「新しさ」と言われているものがそれ自体「新しさを形容するためのクリシェー」でしかないのではないかという疑いが出てくる。それでもなお新しいとしたらなにが違うのかを検討する必要がある。また、とびつきやすい新しさを迂回して、複数の歴史を照らし合わせることによってこそ、おそらく見えてくるものがある。リスナーの歴史、プレイヤーの歴史、エンジニアの歴史、産業構造の歴史。
 昼、先日フリーランスになったライター&編集者(でいいのか?)の清家さんとお茶する。特に用事があったわけではないがせっかくの機会なのでいろいろ喋った。なんかおっさんが若者に苦労話というか説教をしているみたいになるタイミングが多々あり自分で自分の言動にダメージを受ける。よくねぇ! 清家さんの今度あるという某案件、楽しみ。
 夕方は某所で打ち合わせ。姫乃さんと話題になった某案件は実際に生きてた! マジか! しかも結構近々で動き出すとか。マジか〜(2度目)。本題はそこではなく、とある新しい企画の話。最初出したプロポーザルからかなり組み替えることになったが、まあスタートは切れそう? かも? マジでやるのか~。ちなみに連載です。
 その後、また三浦さんとご飯を食べた。途中からは網守将平さんもやってきた。三日間の滞在中、二晩を過ごしている…(一昨日も網守さん来てたので)。ふたりとも凄く尊敬するミュージシャンなのでうれしい。
 うれしすぎてバスに遅れそうになる。ぎり間に合いました。よかった…

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1.22

 6時新宿着。バスタ新宿ちかくのネカフェで寝る。といってもぐっすりではない……ずっとあいまいにまどろんでいた。5時間パックをほぼまるごと使って、シャワーも浴びて活動開始。11時前くらい。
 東京オペラシティアートギャラリーの白髪一雄展。ある程度クロノロジカルに画業を追っていく展示。やはり作品自体が良いので、見ごたえがある。とはいえ、二時間弱、いや一時間半くらい?で見た(最後の資料展示はかなり駆け足になってしまった)。足で描く、という特徴的な手法を一度度外視して画面に注目すると、白髪の絵画は画布、染みのような薄い絵の具(あるいはオイル)、もっぱら足の運動がつくりだすストローク、ストロークからはみでた余剰の絵の具、からなっている。そこにどうしても「ダイナミックな画家の身体の動き」を読み取ってしまいそうになるのをこらえると、むしろ画面の圧というか強度というかをつくりだしているのは、運動の痕跡としてのストロークよりも、むしろ運動の停止や余剰によってかたちづくられる絵の具溜まりやその表面の独特な乾燥の仕方であるように思える。むしろストロークはスキー板やスキージーでつくりだす広い面へと連続していくような面としての性格が強い場合が多いのではないか。などと思った。
 昼はTwitter経由の知り合いと会う。一度、渋谷でトーフとやった拙著の刊行記念イベントで挨拶したことがあるだけだが、まあまあ相互フォロー(旧アカでね)歴が長かったので、軽率にお昼ごはんをご一緒した。
 その後、いちど宿に荷物を預けてワタリウム美術館のフィリップ・パレーノ。オブジェが作品の垣根、空間の分節を超えて相互作用し、さらに会場外の気象条件などにも反応していく……が、それを「実感」するにはなにも起こらないかもしれない時間をぼんやり待つ必要もときには出てくる。光や音に気を配り、目の前にみえているものとは明らかに違うなにかとの連関を感じたときにようやく3つのフロア(とその外部)がつながってくる。別段「めちゃおもしれー」と思ったわけではないが、マジで「なにも起こらない」時間が発生する可能性に対する許容がないとこういうのできないのではと思う(でありつつ、「なにかが起こりうる」ようにするプログラミングの仕方もおそらく巧妙なのだろうが)。その点で巧みだなぁ…と。
 会場を出ようとしたら、大学院時代の指導教官に出くわす。大学院は修士課程と博士課程で所属した研究室が変わっていたり、そもそも自分が博士課程に入ってすぐ心身の調子を崩して最悪の状態でドロップアウトするなどのしっちゃかめっちゃかがあったので、結構ややこしい。いろいろと始末がついていないことが多い。未だにきちんと会えていないお世話になった先輩も多いし……。ちょっとだけ先生と近況について話す。なにかあったら連絡して、と名刺をいただいた。ありがとうございます…。
 宿のチェックインまで微妙に時間があったので、国立新美術館のDOMANI明日展へ。正直、うーん、あんまり感心する感じではないのだが、ただ佐藤雅晴と畠山直哉にぐっとくる。畠山直哉の震災後の作品についてはいつかきちんとまとめて見てなんか書きたいなとうっすら思っている。写真集評みたいになるか。ブログにはしないだろう。zineとか?
 いい時間なので宿へ向かう。初めて泊まるホステルだがきれいだし交通の便も良い。ラウンジで作業(っていうか主にこの日記)して、夜は人の家にお肉を食べにお邪魔する。

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