コンテンツへスキップ →

1.24

 6時起き。ねっむ。でもシャワー浴びて、宿のコインランドリーで洗濯。昨日のトークを反芻して、白紙のマルチネ以前の活動についてまったく触れられなかったことを思って、電算機さんの記事をツイートする。
 Twitterの使い方として、「よいものやよい仕事をしてる人にこまめに言及する」のは大事かもしれん…
 サブスクリプション時代特有の歴史観のフラットさ(よくZ世代絡みで言われる)みたいなのにはかなり懐疑的で、「アクセス可能である」ことと「実際にアクセスする」こと、さらには「アクセスしたものごとに対する態度」って全部違うのに、と思う。
 DAWの話。「ピアノロール」に類する概念は掘り返すと結構な歴史がある。オルゴール、自動オルガン、プレイヤーピアノ、グラフィカルなシーケンサー、DAW。直接の祖先は自動ピアノのロールだろう(名前がそーだしね)。あるいは音楽の視覚化という点ではそもそも楽譜がそうだし、多様な記譜法が音の配置を二次元上に示す試みをしてきた。また、ひとりでなんでもする、というのなら、単に弾き語りというのを除くと、多重録音が思いつく(DAWはその名の通り「オーディオ」を扱うソフトウェアでもある)し、シーケンサーを駆使した自動演奏もある。小西康陽がDX7の登場で「これならいろんな音が入ってるし自分のやりたい音楽(つまり後にピチカートにつながっていくような音楽)ができる!」と思って宅録を仲間と始めた、なんてエピソードもありますね。小室哲哉のDX7づかいも並べられよう。さらに、実際にドミューににの感想でそういうツイートも見かけたのだが、そもそもピアノという楽器が登場したときの「一人でなんでもできる(理念上、オーケストラで言えば10人分の仕事をひとりでできることになる。ダイナミクスの表現もそれまでの鍵盤楽器とは段違い。)」という感覚も、DAW上につくりだされる万能感になぞらえられうる。しかしそうした多様な技術の歴史の総合としてのDAWは、それらの総和以上のなにかを創作活動にあたえているようにも思える。(コンロン・ナンカロウを引き合いに出したのはそういうこと。)
 歴史に目を向けることでいま「新しさ」と言われているものがそれ自体「新しさを形容するためのクリシェー」でしかないのではないかという疑いが出てくる。それでもなお新しいとしたらなにが違うのかを検討する必要がある。また、とびつきやすい新しさを迂回して、複数の歴史を照らし合わせることによってこそ、おそらく見えてくるものがある。リスナーの歴史、プレイヤーの歴史、エンジニアの歴史、産業構造の歴史。
 昼、先日フリーランスになったライター&編集者(でいいのか?)の清家さんとお茶する。特に用事があったわけではないがせっかくの機会なのでいろいろ喋った。なんかおっさんが若者に苦労話というか説教をしているみたいになるタイミングが多々あり自分で自分の言動にダメージを受ける。よくねぇ! 清家さんの今度あるという某案件、楽しみ。
 夕方は某所で打ち合わせ。姫乃さんと話題になった某案件は実際に生きてた! マジか! しかも結構近々で動き出すとか。マジか〜(2度目)。本題はそこではなく、とある新しい企画の話。最初出したプロポーザルからかなり組み替えることになったが、まあスタートは切れそう? かも? マジでやるのか~。ちなみに連載です。
 その後、また三浦さんとご飯を食べた。途中からは網守将平さんもやってきた。三日間の滞在中、二晩を過ごしている…(一昨日も網守さん来てたので)。ふたりとも凄く尊敬するミュージシャンなのでうれしい。
 うれしすぎてバスに遅れそうになる。ぎり間に合いました。よかった…

カテゴリー: Japanese