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imdkm.com 投稿

2.18-19

2.18

 7時くらいかな。起きたのは。きのうの日記に書いていないが、MIDIキーボードが届いたんだけど使ってたら2時間位でUSB端子が破損。修理しようとしたらはんだごても死んでる。しょうがないので今朝はんだごて買いに行ったってわけ。でも、無事こて入手して戻ってきたのに、修理して通電まではいったんだけどうまくPCが認識してくれなくて、結局おじゃんになった。おれの3,500円が……。中古品なのに雑な扱いしたおれが悪い。出品者の方は悪くないのでなおのこと自己嫌悪……。
 納豆チャーハンをつくり、食べる。納豆を入れるタイミングを試行錯誤しているがよくわからない。最初に炒めたらいいのだろうか? 最終的に完成はするしおいしいけど、なんかまだスマートな方法があるのでは、と思い悩む。
 なんか調子がでなくて、漠然と仕事をしたふりをし、部屋の整理をし、ぼんやりしていた。なんて日だ。空虚すぎる。
 晩、執筆した記事がふたつ公開される。一方は大橋トリオの作家性についてのコラム、もう一方は最近聴いてる新譜のキュレーション記事的な。前者はメロディとかアレンジの傾向について書けるかみたいな依頼だったのだけれど、調べ物して作品聴いた結果、「いや、録り音の話にしよう」となって、それで書いた。後者はaltopaloを中心に、Takara Arakiさんとヒョゴを紹介。奇しくもこちらも「サウンド」にフォーカスがあたった。

2.19

 6時起き。きょうはイノタクさん仕事の「ミラーボール・ラブ」が収録されるCDの発売日、朝イチで買いにいくつもり。その前に部屋の整理をして、ペットボトルを回収に出す準備。といってもラベルはがして水洗いするだけだが。。。あと、請求書も投函しないといけないな。
 9時過ぎまで、昨日の晩買った音源をTraktorのライブラリに読み込んでビートグリッドを打つなどする。そのついでに、ライブラリの曲をざっくりジャンルごとにプレイリスト化した。今年はちょいちょいDJの予定がある。Juke / Footworkからだんだん関心がレフトフィールド系のベースに移っている。あとノイジーなハードテクノとか。でもあいかわらず面白いのは現代的なバイレファンキだなと思う。いまファンキ界隈でメインストリームな(Kondzillaとかで聴けるような)のとはちょっと違うのだと、kLapというプロデューサーがファンキのエグみといまっぽいダンスサウンドの折衷ぐあいが良い。Frank Oceanと最近一緒にやっているSangoも、前にファンキのエッセンスが入ったビート集を出していた。あのぐらいのバランスが良い。
 10時少し前に家を出て、道中でペットボトルを回収所に持っていったりちょっとほかの買い物したりし、書店の開店時間ちょうどくらいに堂々殴り込み、即購入、カーステでかけながら帰る。最強の一曲です。他の収録曲もダンスミュージック系の粒ぞろいのEPで素晴らしい。最近なんとなくミリシタがいいかなあと思い始めていたけれどやっぱり楽曲の傾向で言うとデレステのほうが好きなんだよな。
 「ミラーボール」というキーワードから「あなたがいるから私が輝く」というストーリーを導き出すの凄いなと思う。じっさいミラーボールは光源がなければ派手な玉だしね。イノタクさんは歌詞も良い。どうなってるんだろう。「サテライト・ラブ」で「もうすぐ銀河系さ 君の匂いがしてきた」というのも「そこで嗅覚なんだ」という、しかし謎の説得力がある。
 お昼はあるものを食べて、午後は寝てました。寝てたと思う。晩ごはん食べてから、過去曲のミックスしなおしをやる。もうどうしたらいいのかわからん感じになっているが、ミックスはRenoiseで済ませてマスタリングをStudio Oneでやるのがいいかしら。と思って、Renoiseでの作業をすすめる。ほぼ、内蔵のエフェクトしか使わない(ポリシー)。でもマスタリングはなんかちょっとしたほうがいいかな。Ozone 9 Elementsってまだセールやってたかな。確認しておこう。

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2.17

 6時半ごろ起きる。うっすら頭痛。寝違えかも。きょうはパラサイトを観に行くぞというかたい決心。ただ、何時の回にしよう? 朝イチにしてしまおうか。9時過ぎの回。
 朝ごはんはイングリッシュマフィンにかんたんにつくったパティと目玉焼きを挟んで朝マック風。近所のマクドが朝マックをやめてしまったのでなんだか悲しい。ので自分でそれっぽいものにチャレンジしてみる。まあまあ。わざとらしいくらい塩気を出しても良さそう。
 パラサイト観る。良い映画だった。たしかにどこに行くのかはらはらはするけど因果論的にきちんと物語ができているので迷子にはならない。以後ネタバレあり。
 アメリカの影がいたるところにチラつく映画であることが気になった。アメリカンインディアン、英語教師、英語混じりの韓国語、アメリカから通販で買ったテント……。ではそこに果たして日本はどのように関与するだろうか? と思うと、米韓の関係性のなかにひっそりと、しかししっかりと浸透しているように思う。最後の惨劇はどのような出来事を模してセッティングされたか? という。このへんを知ろうとしたらやっぱり韓国と日本とアメリカの近現代史をがっつり知らなければなるまい……。
 もうひとつ、これだけあからさまな隠喩をちりばめたポン・ジュノがあるインタビューで「隠喩から逃れたい」と発言していたのはアイロニカルで面白い。しかしそのアティチュードは映画にも埋め込まれているかも。ギウは序盤にいろんなタイミングで「これは象徴的だ」と言って身の回りのものや出来事をなんらかの予兆のように解釈しようとするが、物語が軌道にのりだすと彼もまた隠喩を構築する画面のなかのひとつの駒になる。もはや解釈する側でなく、される側になってしまう。
 また、ギジョンは付け焼き刃の絵画療法で奥さんに取り入るわけだが、そこで施される「解釈」というものがいかに眉唾か、が一時的な痛快さに繋がっている。地上、半地下、地下というこの上なく精神分析的、心理学的な読解に向いた舞台を用意しておきながら、そうした「深層心理」や「トラウマ」的な解釈を拒むような出来事の配置があるわけだ。
 しかしまずもって地上、半地下、地下の関係性はリテラルな社会階層であり、そのあいだの交通がどのように起こっている(いない)のか…?というのが勘所だろう。そのとき、いくらか指摘されている「パラサイト」における「家族」の描写、「家父長制」への態度の問題がクリティカルになってくる。
 端的に言えば、「パラサイト」の男たちは、モールス信号というギミックによって、「家族」の外部でつながることが可能になっている。しかもそれは階級を超える。地下の男とダソンはモールス信号によって通信できているではないか。またそれは同時に、「家族」を再び結びつける(ただし男性の成員だけだが)役割も果たす。ギウがギテクのメッセージを受け取ったように。モールス信号による通信を行わないのは劇中パク社長だけだ。パク社長はモールス信号を通じた男たちの通信から疎外されている――それはまた、「愛」に基礎づけられた家族的紐帯に対する彼の距離ともパラレルだろう。ギテクから妻への愛について問われると明らかにおかしな反応を示すパク社長はおそらく他の男達と別のレベルにいる(それは家父長制の外というよりはまた別の家父長制だろう)。
 それに対して女たちはこの映画のなかでおおよそ「家族」を介さずに通じ合うことはなかったと思う。あまりにも見事に「家族」のなかにおさまりきってしまっている。この対比は「家父長制」が「家族」のあり方というよりも男性中心的に構築された社会の制度であり、「家族」の外部にこそ基礎づけられていることを示唆する。男は「家族」の外側においてもなお「家父長制」によって結びつけられうる。たとえ「家族」の紐帯を欠いたとしてもおそらく「家父長制」の内側には居続けられる――よかれあしかれだが。
 ギウが結局モールス信号によって父親とのつながりを(かろうじて)回復しつつ、「金持ちになる」という発想によってしか父親との再会を想像できないのはかなりヘヴィな描写だ。つまり新自由主義的なイデオロギーの外部へアクセスできないように、男たちは「家族」の外側には行けても、「家父長制」の外側には行けない。むしろ、「家族」の外で男たちにもたらされるホモソーシャルな紐帯こそが、「家族」をしばりつける「家父長制」のもっとも厄介な背骨である。「家族」のなかに都合よく収められた女たちと、その外部を持つようでいて、結局は「家父長制」のなかに閉じ込められた男たち。

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2.14-16

2.14

 7時とか起きたっけか。原稿をひとつ送る。Sexy Zoneのアルバム。内容はまあいいけどマジでなんでつべにもサブスクにもねぇの? という話をしたが、載るかな。この日記が公開される頃にはその結果がわかっていますね。
 みんはや(みんなで早押しクイズ、のこと)にハマってしまう。どうしたらええんや。やめられない。気合でやめる。New Music Fridayをチェック。また大味なポップスばっかだなとなる。
 昼、はたと思い出して請求書を送る。いまどきはPDFでオッケーな場合が多いのでなんか変な気分になる。いっかいプリントアウトして捺印、保管用にスキャンして原本を郵送。

2.15

[なんとこの日付は欠番だ]

2.16

 昨晩、17時くらいになんとなくベッドに入って仮眠したら、翌2時半に目が覚めた。寝過ぎだろう。日記も書く前だった。よくないなー。夜が明ける前に原稿を仕上げて送る。ようやくウェブメディアでaltopaloの話をした。
 二度寝して目覚め、ヨーグルトにミューズリー入れて朝食。9時半くらい。戻ってきたゲラを印刷する。赤入れしないといけない。しかし、気分がのらないので、温泉に行く。
 やや汚い話ですが、サウナに入っていると、「ぬるぺちゃぺちゃぺちゃっ!」みたいな、なんかローションでも塗りたくってるのかという感じで、かいた汗を自分に擦り込むみたいにしている人がいて、衝撃だった。タオル持って入ってるんだから拭いたらいいのに。汗って塗り込むと肌にいいのか? まあいいとしてもものすごくうるさくて、回数が多い。身体の表面をこするだけであれだけの音量が出せるのかと思ったらなんか凄いなと思った。
 かえりがけスーパーにより、バゲットとイングリッシュマフィンを中心に買い物をする。マフィンに挟むパティ用に合挽肉を、サブマリンのためにスモークサーモンとカット野菜を買う。とはいえすぐ食べるのではなく、明日以降に食べるつもりである。じっさい帰って食べたお昼ごはんは冷凍してあったパキスタン風カレー。
 某所に書いた原稿のゲラが届いているので赤入れする。自分では書きたいアイデアをきちんと書いてかたちにできたなと思ってはいるのだけど、誌面のなかで、これ浮いちゃわないかな……と思ってしまう。変なことは書いてない(いや、変なことは書いてるんだけど)はずだから、うーむ、きちんと読まれてくれることを祈る……。
 この春、たぶんまた東北でトークイベント?やると思います。『リズムから考えるJ-POP史』、息長く売っていきたい……あわよくばまた重版したい。お金が入るから。
 コロナウィルスの流行で、月末の東京行きがちょっと不安になってきている。まあ22日のイベント(music is musicのレクチャー)は最悪潰れても致し方がないが、仕事はどうなるのか。大丈夫かなぁ。

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2.11-13

2.11

 たぶん7時ちょっと前くらいに起きた。昨晩送ったメールの返事を確認して、多少仕事を進めて、しかし午前中は寝潰す。お昼になってからちょっと外出して、エナドリを買う。スーパーに寄ったらほうれん草がやすかったので買った、近々サグカレーをつくろう。
 「チル」というワードがあまりに乱用/濫用されている。「チル」な音楽はウィードを吸ってそれ自体に没入するものであると同時に、勉強しながら、仕事しながら聞き流すBGMでもある(まあ、stonedな状態に対するBGMといえば同じかもしれないが)。すごくアンビギュアスな概念だと思う。個人的には、「チル」をサウンドとか音楽に内在的な要素から定義することは難しく、しいていえば前記のような両義的な聴取のモードを指すものと考えるべきなのではないかと思う。ヘヴィミュージックも適切な音量と距離で流せばおそらく「チル」である。
 ただ、もしある程度内在的なレベルで「チル」を定義するならば、「全体性の欠如」くらいは言えるだろう。「曲」や「アルバム」の有機的な統一を目指さない。「反復」とか「コラージュ」みたいなワードが(一部で)注目されるのもその延長線上にある(戦後のミニマル・ミュージックや戦間期~戦後のコラージュが芸術全体に対してどんな役割を担っていたか)。チルだなんだと言われる『When I Get Home』は? 『Blonde』は? と思われるかもしれないが、いやたとえば『To Pimp a Butterfly』とか『DAMN.』みたいなひとつの大きなナラティヴにつらぬかれたアルバムと対比すると、あれら2作があきらかに物語的なものとは異質な構造を持っていることが感取されるだろう。仮に「チル」を全体性の欠如と特徴づけるならおそらくその範疇にくくることはできるだろう。
 (おおざっぱなくくりでよくないのは承知で言えば)アジア人であるということとアジアンディアスポラであることは似て非なるもの、というのはたとえば88risingの躍進を眺めつつ結構考えたことだったが、「パラサイト」にもそういう側面はあるのだな。とTLに流れてきたツイートや記事を読んで思う。そのへんをわりあい安易にごっちゃにしてしまう人は多い。NYTのこの記事で言及されているルル・ワンの『フェアウェル』がまさにそのギャップ(アジアのルーツを持つことと、アジア人であること)を描いているそうなので、気になる。

2.12

 何時に起きたっけ。7時とか? うろ覚えだ。午前中に原稿をひとつ仕上げて送る。
 お昼にカレーをつくる。オイルとスパイスのほかは鶏むね肉とトマト缶だけのシンプルなパキスタン風カレー(サグカレーは後日鶏もも肉でつくることにした)。まあまあうまくできる。クミン、カイエンペッパー、カルダモン、クローヴ、コリアンダー、ガラムマサラ、オレガノ。さらにしょうがとにんにく。と書き出すとなんかたいそうなもんに思えるが、実際には目分量でざっと入れるだけだからそんなに手間と思ったことはない。あ、カルダモンとクローヴだけは乳鉢で擂る。めんどくさいけど趣味だからほっといてほしい。
 さて、オイルにコリアンダーとガラムマサラ以外のスパイスを放り込んで加熱し香りを移したあとで鶏肉を炒める。いい感じになってきたらコリアンダーとトマト缶を入れて煮込む。スパイスカレーはあまり煮込まないらしい。まあスパイスの香り飛ぶからね。でもこれは煮込む。鶏肉がほろほろになるまで……。いい具合になったら、マッシャーで肉をがしがし潰してほぐしてしまう。塩コショウで味を整えてガラムマサラで最後の風味づけをする。偉そうに書いてきたが我流である。でも結構いい感じにできます。
 原稿を書くのに必要なので、Sexy Zoneの新譜を買ってくる。PP加工のブックレットって光沢ついて見栄えはまあ多少いいのかもしれんけど保管のときに油断すると反っちゃうから好きじゃないんだよな。フィルムは湿気を吸わないのに紙は湿気を吸ってしまうから、紙側が若干膨張する。するとくせがついてしまう…… 学生時代に表紙をPP加工したZINEをつくって学んだ。
 セクゾのアルバム聴きつつ、メールチェック&返信、そして月末の上京の段取りを考える。仕事がある日だけ上京するか、22日に行きたいイベントがあるのでそのあたりも鑑みて数日滞在するか……。むずかしい。お金があったらなんも考えなくて済むんだけどね。はっはっは。

2.13

 8時くらい起きる。ちゃっと朝飯食べてやや仕事する。
 午前中のうちに、と思い温泉に行く。サウナをがんがんにキメた。ふわーっと。ふわーっとなる。帰りにスーパー行って、バゲットが安くなっていたので買う。帰宅してきのうつくったカレーにキャベツの千切りを和えて、バゲットに挟んで食べた。こういう食べ方も意外と良い。気に入っている。
 糸井重里が(もっぱらTwitterでの言動によるところが大きいが)批判的に言及されることの多い昨今だが、ある段階でその活動の総括があったとして、次はおそらく佐藤雅彦あたりについて考えるフェーズが来る気がする。糸井重里がコピーライティングにおいてイメージとか雰囲気、ライフスタイル的なものの雛形を提示したのに対して、佐藤雅彦はまったく違うパラダイムにいる。ほぼ日的なものの欺瞞を突くことはおそらく容易であるけれども、佐藤雅彦~ユーフラテス的なものの功罪は現状捉えがたいように思われる。佐藤の仕事は、人間の認知の特性、バイアスを突いてハックしていくようなアプローチに特徴づけられる(初期のコピーライティングからそうだろう)が、そこに実はなんかの穴があるんでなかろうかと思ってしまう。おそらくもうしばらく経ってから2000年代から2010年代を振り返ると「認知科学やその知見を援用した行動経済学」の時代だったということになるんじゃないかと思うのだけれど(実際にそこにコミットしてる人からすると「全然評価されてない、ポモがいまだに幅きかせてる」みたいな感じなのかもしれんが……)、総合的な視聴覚表現におけるその対応物が佐藤雅彦的なるものになるのだと思う。
 サウナでキマった揺り戻しか、体調を崩して寝込む。低気圧もあったかも。これ、どうやったらうまく対処できるんだろう?
 夜、「みんなで早押しクイズ」というアプリをためしにやってみたらなんかハマってしまい、1時間くらい潰してしまった。もう後悔しかない。原稿をちょっぱやで仕上げて寝るぞ……。

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2.9-10

2.9

 6時くらい起きる。雪が凄い。外真っ白。そして寒い。寒いよぅ寒いよぅと思いながらごはん食べる。
 東北芸工大で卒展やってるみたい。11日まで……スケジュール上、今日行かなければのがしてしまう。どうしようかと思ったが、思い立って芸工大に向かう。
 その前にお宝中古市場に行ってCDを売る。6枚くらい売って、6000円くらいになる。そもそも盤で買わないのと、にも関わらず買ってるくらいだから売るには惜しいCDしか手元にないのだが、なんらかの事情(人から貰ったとか、バージョン違いとか)でダブったものがいくつかあったので、売ることにした。へんに死蔵しているくらいなら中古屋にあったほうがいいのでは、と最近思ってるのも手伝って。
 さて芸工大。工芸にめちゃくちゃエモい作品がいくつかあって、よかった。工芸に宿るエモはヤバい。あと工芸コースの近藤七彩さんの家具が変な尖り方をしていてよかったし、卒展外でやっているオープンスタジオでのインスタレーションも、「ああ、こういう展開してく人なのか」って感じで面白かった。いろいろ見てってヤバい人がいるなと思ったら画廊跡地で昨年展示していた駒嶺ちひろさんだった。おもしろいなって思った作品はほかにも結構あったが割愛。企画構想やコミュニティデザイン、地域デザインあたりのやつ、さのかずやさんとかAmpsさんとかあたりに勝手に講評とかしてほしいなと無責任ながら思う。厳しい話にかなりなりそうな気もするが。ガチ感あるそこそこ若いプレイヤーが見たらどう思うんだろう。
 コミュニティデザインだったと思うが、性教育、とりわけ性的合意に関するワークショップをやって、その結果をグラフィカルにプレゼンテーションしている人がいて、これはいい意味で「使える」ものだなと思った。テーマもそうだけど、コミュニティやコミュニケーションの問題にデザインや建築からアプローチしていくと、なにかというとワークショップが大事みたいになってしまいがちだが、課題の設定と成果の可視化、さらにそこで得られた知見の普遍化(ほかの人がどう応用するか、いう話ですね)、までがきちんとまとまっていて、スマートだった。逸見はるかさん(渡邊享子ゼミ)というそうだ。
 15時ごろ家帰ってきて、遅い昼飯としてスーパーの弁当食べて、ちょっと寝る。次の原稿をまとめていかないと……。

2.10

 7時に起きる。きのうの夜は原稿を書き出して、うーん、この分量ならここまでいけるかどうかかな、みたいなあたりをつけて終わった。自分でももっと早くそういうことやっとけよと思う……。
 お昼はThe LASTTRAKSのTakachenCo.さんが天童通りかかるというので蕎麦を食べに行く。さっともりそばをすすって、ファミレスに移ってさらにいろいろ話す。カラオケバーシーン(などというものがある!)の話から近年のダンスミュージックやヒップホップのトレンド、それがアニクラ系の現場にどう影響しているのか……など、面白かった。近いうちにまた東北でなにかトークするかも。TakachenCo.さんはダンスミュージックにも通じているのはもちろんヒップホップもがっつり通っていて、そしてなによりポップスもがっつり追っている。LDHの話でも川谷絵音の話でも盛り上がった。さすがである。
 帰ってきたらタイミングよく雪が降り出した。窓の外の雪を眺めつつ、いや、低気圧なんで頭痛が……。ベッドに倒れ込む。でも仕事はしましたちょっと。がんばります……。

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2.7-8

2.7

 7時起き。寒い。
 夢で、トラセ+ぴょんさん(Twitterにはぴょんころもち+天さんとしたが、よく考えるところあずはいなかった、ナンスだった気がする)とスタッフを乗せた車を運転した。最初は天さんが運転していたがあまりにも運転が不安だったのでスタッフと協議して免許持ちとして運転を担当することになる。目的地は劇場かなにかで、時間がないからなる早で行かねばならないというのに、車はでかくて人はぱんぱんに乗ってるし、なぜか右側通行だから自分の運転もちょっと危なっかしい。めちゃくちゃなプレッシャーでとにかく劇場の駐車場までたどりつくことしか考えられない。ようやく駐車場にのりつけると、この車はいったん返さないといけない、このまますぐ返してから帰りの車を手配しないと……そんなことなんでおれが? と思って目が覚めた。
 SpotifyでNew Music なんたらを一応チェックして、北米やヨーロッパのポップスを聴いていると、こういうボーカルの録り方で空間の作り方はこうでシンセの音色はこういうので……と、質感(構成とかメロとかコードじゃなく)がかなり類型化されている感じがあって、やっぱつまらないなと思うことが多い。結局、サウンドでそこから逸脱してるものが耳につく。Billie Eilishが新鮮に思えたのも、ぱきっとした音で録ってリバーブかけつつ前にせり出させるメインストリーム的なボーカルのトリートメントとは逆行するような声の扱いが新鮮で、しかしYouTubeなどの現代的な聴覚文化全体から見ればきわめて馴染み深い、そのバランスがよかったのだと思う。
 お昼にチキンソテーを焼いて、バルサミコのソースをつくってかけて食べた。鶏むね肉をソテーにすると皮からすごい油が出るので、そこにチューブにんにくとバルサミコを適当に入れて塩コショウで味をととのえる。けっこうおいしい。

 ロンドンのデュオJockstrapのシングル。なんとWARPとサインしたそうな。コラージュ的なストレンジ・ポップをやっていて、2018年のEPとか面白くて好きだった。この曲も、ミュージカルナンバーのごときシアトリカルな構成のなか、延々と妙なギミックがサウンドに仕込まれるかんじ、とても好き。今後の活動が楽しみ!

 Takara Arakiさんのシングル、次々最高を更新している気がする。ヴォーカリゼーションもサウンドも凄い、イントロから引き込まれる。聞き取れないウィスパー、グリッチ的に配置されるスタッター、音のレイヤー、歌詞のダークさ。
 いまだに解禁前にプレス向けにまわってくる音源にどう向き合っていいかわからない。なんか、メーリングリストみたいなのに登録されているのか、定期的に届く。専用のプラットフォーム(流出防止の仕組みがある)でストリーミングするか、場合によっては320kbpsのmp3もしくはWAVがダウンロードできるようになっている。いや、聴きますが……。
 姫乃たまさんの日記にドミューににの日が(有料です)。aniotaさんがTwitterにあげてた、たまさんが妙なポーズをしている写真が使われていて笑う。あれよく見るとおれも変なポーズしている。
 夜、思い立って髪を刈る。刈ったのはいいが、体感温度がエグいくらい下がるので、明日はかぜひくかもしれない。あったかくして寝よう。

2.8

 6時くらい起きる。でも午前中はえんえん断続的に寝る。丸美屋の海苔わさびふりかけ、入手性高く味もよくいいなあと思う。お昼はまたチキンソテー。ソースを少し変えてはちみつを足した。こっちのほうがいいかもしれない。しばらく定番にしそう。
 いろんな思いが渦巻いて輪になって消えていった結果、温泉に行くことにした。けれど、こないだ温泉にもってく用のカミソリが壊れたのを思い出した。壊れたといっても、刃のカートリッジをとりつける本体側のツメの部分が折れただけで、それだけで数百円出すというのもしゃくだ。アロンアルファでかためて様子を見る。
 そんな作業をしていたら、こないだためしに加入してみたScribdの試用期間がおわって課金された旨通知があった。しくじった…… 結局使わなさそうだったんだ。
 温泉行く。温冷浴をしばしキメて、すっきりする。できれば毎日これやりたい。。。
 帰りに図書館に寄って、『2010s』と『「僕ら」の「女の子写真」からわたしたちのガーリーフォトへ』をリクエストしてくる。できれば所蔵してほしいが、他館からの取り寄せになるかもしれない。長いスパンで見れば地域の文化のリソースになるんだから図書館への所蔵リクエストはがんがんしておくべきだと思う。著者からしたら売れなくなるから困るのかもしれんけど……。借りて読んでも結局買うというのもままあるし。そうだ、そういえば拙著、寄贈しようかなあ。恥ずかしいけど。
 渡辺志保さんの番組「MUSIC GARAGE: ROOM 101」に辰巳JUNKさんが出演。映画「ハスラーズ」特集ということで語りまくる。めちゃくちゃ見たくなった! 「パラサイト」と「ハスラーズ」は観ようっと。

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2.6

 6時くらい起きる。でも二度寝。9時くらい起きてきて、鶏むね肉を焼きバゲットを割ってサブマリンにする。こういうのめんどうなのでだいたいカット野菜で済ます。最近ドレッシングとして適当にオイル(オリーヴでも米でもサラダ油でもなんでもあるもの、ただごまとかはキツいのではないか、どうかしら)とバルサミコと塩こしょうをふりかけて和えるようにしている。いろんな味のサラダを頻繁にとっかえひっかえ楽しむならできあいのドレッシングをいくつか用意するのがいいと思うけど、バルサミコひとつあればドレッシングにもソースにもできる、という汎用性をとってみる。でも使い切れるかなあ。まあまあするもんね値段。使いみちをいろいろ調べておくか……。
 昼、ばちばちに頭痛で寝込む。低気圧かなぁ? と思ったらそうでもないみたい(頭痛~る情報)。いや、逆に低気圧→高気圧への坂ができてたしそれもあるのかな。
 小手川正二郎 “「男性的」自己欺瞞とフェミニズム的「男らしさ」―男性性の現象学―”という論文を読む。とても平易に書かれていて、読みやすい。それでいて、男性がヘゲモニックな男性性をどのように内面化し行使しているのか、見て見ぬ振りしてしまっているのか、現象学の手法をとりながら「自己欺瞞」や「自己疎外」といったキーワードを交えて言語化されている。雑に言うと(本文ではかなり丁寧に言語化されている)、なんだかんだで既存の男性性がはかせてくれる下駄にていよくお世話になってしまっていたら、いくら意識だけ高くてもしょうがないのだ、みたいな、言ってみれば男性からすれば非常に居心地の悪い話をしたうえで、それでもなお「フェミニズム的」な「男らしさ」があるとしたらどうだろう? と話が進む。旧い男性性から降りるぞ、と決意するだけではなく、たとえばアファーマティブアクションに代表されるような、男性中心主義的な社会の変革へ向かう取り組みを支持していくべきだ、と。そうだ。

 beipanaさんがシェアしていた動画、ストリーミング時代におけるラウドネスの話。ピークノーマライゼーション(最大レベルを基準にノーマライズ)からラウドネスノーマライゼーション(ラウドネス=聴感上の音量感を基準にしたノーマライズ)の時代へ、というのはよく言われることだが、数値や図解、実演を交えてその変化を論じて、かつどのようにそこに対応しているかも話している。良い。
 天野龍太郎さんが解説するtiny pop。この概念は掴みどころがないようで、しかし批評的な意味はかなり明快である。「ローファイさや拙さ、未完成感、非商業性」と「商業主義的で工業的なポップソングの形式」の両立。アティチュードと形式の分離、というか。ただし、「ポップソングの形式」というのがなにを指すのかというのがやや問題だろう。
 tiny pop的なものの先駆として遡及的に初期ピチカートが挙げられるというのも納得できる話で、前も日記に書いたがピチカートはDX7のような安価な総合音源の登場によってアマチュアの個人でも宅録でポップス――アメリカの分業的体制によって量産されたような音楽――がつくれるようになった、そんな状況の申し子だからだ。もちろんピチカートはバンドであり、メジャーで制作するようになったわけだが……。
 SYNCHRONICITYに浦上想起出演! めでてー! 諭吉さんも出るんじゃん。いいな~。こうなったら岩壁におれが出てほしいアクト全員出てほしい、松木美定、浦上想起、諭吉佳作/men、MON/KU、長谷川白紙、Tohji、リョウコ2000、SNJO……。
 日付変わるくらいのタイミングに原稿を送付。徹夜かな~と思っていたので、よかった。分量の限界に逆に救われた……が、語り足りない気もする。いや、次の原稿の準備しないと。とりあえず、寝る。

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翻訳はムズい

 スティーヴ・アルビニ「音楽の問題」(1993)という記事を読む。アルビニが90年代に書いた文章の邦訳。べらぼうに面白いが、ところどころ訳に違和感がある。大筋を理解するのに差し障りはないものの、気になる。原文も読んでみた。

 たとえば第2節の2で「自尊心のあるエンジニアが自分たちを「プロデューサー」と呼んでいるのは、それが理由だ。」は原文では’That’s why few self-respecting engineers will allow themselves to be called “producers.”’で、「自尊心のあるエンジニアたちに自らを「プロデューサー」と呼ばせるような奴がほとんどいないのはそれが理由だ」である。心あるエンジニアなら自分を胡散臭い「プロデューサー」なんて呼ばせたりはしないよ、って話だ。

 その少しあとに出てくるエンジニアに必要なスキルの箇条書きで「所有している音楽スタイルの経験。明かな失敗作はいつできるのかを知るため。」というのは’Experience with the style of music at hand, to know when obvious blunders are occurring.’で、「手掛けている音楽のスタイルへの経験、明らかな失敗が起こっているときに気づくため」だ。

 さらに第3節の3段落目の冒頭「結果として」とあるのは’to that end’で、「その目標に向けて」だろう。目標とは、前段落で示される「メジャーと契約する」である。

 あと、微妙さの説明がむずいが、以下の部分も違和感がある。

 今やすべてのロックバンドは、音楽業界のマヌケを見抜けるほど物分かりが良いのである。時代遅れのギョーカイ用語を使って、誰も彼もを「ベイビー」と呼びながら早口で話す、恰幅のいい中年の元ヒップスターという、ポップカルチャーではよく知られた風刺画もあるくらいだ。 しかし「そんな」A&R担当とのミーティングの後、そのバンドはメンバー同士で、またその他の人々に対してこう言うのだ。「彼は全然レコード会社の人間っぽくないよ!俺らと同じだよ!」 そう、彼らは正しい。それが彼が雇われた理由の一つだ。」

https://shuwatanabe.com/voice/the-problem-with-music/

 原文を見ても、ここまでの話を考えても、この段落でアルビニが言いたいことは、「いまどきのバンドはうさんくさい業界人を信頼しないくらいには賢い。しかし、だからこそ自分らと似て若く話が通じるA&Rにはころっと騙されてしまう。業界もそれをわかっているからそういう若いA&Rを雇うようになった」ということだ。しかし、この訳のなかで「「そんな」A&R担当」と言われている対象はちょっとわかりづらい。具体的に言えば、直前の古臭い業界人像が「そんな」の指示対象ともとれてしまう。原文では「そんな」はダブルクォーテーション付きの”their”なので、「バンドは「自分たちの」と思ってるけれども……」みたいなニュアンスがある。「そんな」と言うよりは素直に「自分たち」としたほうがいいだろう。たとえばこうなる。

 いまやすべてのロックバンドは、音楽業界のクズを信用しない程度には賢明である。[クズの典型として、]ポピュラーカルチャーにはよく知られたこんなカリカチュアがある。かっぷくのよい、中年の元ヒップスターで、早口でまくしたてるように喋り、時代遅れのジャーゴンを使って誰も彼も「ベイビー」と呼ぶ奴だ。[対して、]バンドは「自分たち」のA&Rとミーティングを終えると、自分たちにこう言い聞かせ、まわりにも同じことを吹聴するだろう。「彼はレコード会社の人間っぽくない! 自分たちと同じみたいだ」彼らは多分正しい。それこそがそいつがレコード会社に雇われている理由なのだから。

 こうした誤訳(うーん、「誤り」というのは気が引けるのだがあえてこうしておく)が起こる理由もわかる。英語の表現をなるたけ崩さないよう、しかし日本語として成立させるのはけっこう特殊な技能で難しい。それに、特に報酬が発生するでもない私家版の翻訳である。このサイトの方は翻訳を仕事にされているそうなので、たとえば仕事ならばもっと詰めるのかもしれないが、個人ではとりあえず読めるくらいの文章でも公開するのは正しい。資料的価値のほうが優先するからだ。

 自分も邦訳のない文献をあたって引用するときに必要に迫られて訳すことがあるけれど、できれば避けたいな……と思ってしまう。自分は英語がそんなに上手くない(喋りはほぼだめ)から、めちゃくちゃ辞書ひいて、文法書をチェックして、ググって、なんとかする(この記事も辞書とGoogleさまさまである)。しかし、逆に言えば、丁寧に調べれば読めるし、時間をかければ多分そこそこ妥当な案は出せる。根性論みたいになるけれど、いまどきはKindleにも辞書機能はあるし、こんな便利なChrome拡張もあるから、思うほどめんどくさくはない。

1件のコメント

2.5

 6時くらい起きる。ヨーグルトが賞味期限切れそうになってたので、ミューズリーを食べる。もっさもっさもっさもっさ…… レーズン好きじゃないな~ってレーズン入ってないミューズリーを食べてたんだけど、もしかしておれが苦手だと思っていた風味はレーズンじゃなかったのかもしれんと思いはじめる。レーズン、お前のせいにしてごめんな。たしかにレーズンサンドとかラムレーズンは好きだからな……。
 2019年分の帳簿が姉から送られてきたので見る。まあ、こんなもんですよねぇ……。2020年、がんばりたいと思います……。担当編集から連載のプロットはよ送れとっとと始めんぞというメール(文面はとてもやわらかいが、内容とタイミングがそんな感じ)も来ていて「ひぇ~」と声にだす。声に。マジで。
 昼、なんでか、寝まくってしまった。なんでだ。マジで正午すぎてから16時くらいまで寝てたね。締め切りが近いんですが……。
 長島有里枝さんの記事。男性中心主義的な「女の子写真」言説を批判し、かわって「ガーリーフォト」の名を選び取って、第三波フェミニズムと結びつけつつ1990年代の女性写真家の活動をフェミニズムの実践と位置づけ直す。本、出たんだった。いつ読めるかな。図書館にリクエストしとこうかな。

 昨晩アップロードされた上田麗奈(aka しゃま)の新曲「あまい夢」、手掛けたのはORESAMAということで軽快なディスコグルーヴが満載だが主役をあくまで声におくためかウワモノがかなり控えめで上品、エレガント。声優らしい声の立ち方とシンガー的な上手さのバランスが良く、ときにウィスパーに寄せる歌唱もとても良い(「静寂が訪れる」でビートが消えてひそひそ声になるあたりとか……)。前作ではウィスパー寄りの声を中心に置いたMumかなんかかというエレクトロニカもあった(シングル「sleepland」 )が、それもよかった。今作でもあるかな。ティーザー見る限り多分あるんだよな。

 CERO新曲。クロスリズムや変拍子、拍子のモジュレーションが折り重なった前作から、ドラムのグルーヴはシンプルに快楽的になり、しかしゆるやかに流れるコードとヴォーカルをとりまくキーボードやブラスのリフ、そしてチャントがさらに重層的にグルーヴを編み込んでいく……といった感じで、良い。リズムもハーモニーもメロディも複数のレイヤーが重なっている感じ。ライヴでどうなるんだろう? これぱっと聴きのシンプルさに比してライヴですごいグルーヴするんじゃないかな。

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2.4

 5時起き。Ozone 8 Elements、昨年の秋とか? 夏か? 無料配布してたのをゲットはしてたんだけど、インストールするの忘れてた。のでインストールして使ってみる。「わぁ!」みたいなのはあんまない。ただストリーミング向けのラウドネス目標にあわせて調整してくれるのは目安としていいなぁ。
 Twitterってコミュニケーションのプラットフォームだ、あるいは言論の、運動のプラットフォームだ、みたいな受け取られ方をけっこうしていると思うが、本質的にはマーケティングっていうか、広告のためのプラットフォームだよね。Twitterが「広告無しの有料プラン」みたいなんを絶対やらない理由はそこにある。商売相手は広告主であって個々のユーザーではない。邪推だ、ビジネス的にこれが理にかなってるかわかんないけど、広告主はヘヴィユーザーほどリーチしたい(バズの源だから)一方、仮に有料プランをつくったらヘヴィユーザーほどそっちに流れる。すると広告主のうまみもなくなる。みたいなね。ま、結局広告じゃん、みたなのって、テレビとか新聞、雑誌も似たようなもんだろうけど、マーケティング的行動原理の内面化がいいね/RT数やエンゲージメントの数値によって苛烈に進んだ、その罪は大きい。
 TuneCoreで配信してみたいな~って思って昔の曲をミックスしなおしているが、ためしに曲に使っていたブレイクビーツをSpliceで探した似たものに差し替えようとしたり、変なことに手を出して泥沼に。
 昼過ぎ、山形市内まで行く用事があるのでがんばって外出。気合をいれるために温泉に寄る。温冷浴をやって、ビンビンです。冴えました。
 まず山形県立図書館、リニューアルオープン後初めて行った。前までよくわからない(失礼)ロビーだった空間に雑誌・新聞コーナーが移設されて、開架全体が広くなっていた。あとすぐ隣に駐車場が新しくできてた。前まで数百メーターほど離れた県営駐車場使ってたから地味にうれしい。
 八文字屋本店に寄って、目当てのものがないので早めにきりあげ、ミサワクラスに置きっぱなしにしていた荷物をとりに行き(遠藤さんにお貸ししていた寝袋)、帰宅。

 070 Shakeのアルバム、聴こう聴こうと思いつつしっかり聴けてなかったんだけど、めちゃくちゃいい。ヒップホップ……なのか? ビートのセンスもいい、メロディアスになるでも、トラップっぽくおさまるでも、画もラップになるでもなく、ジャケのイメージも納得のレトロフューチャー観。しかし安直にSF的ギミックでおすのではなく、ややsynthwaveっぽい音のテクスチャ―やコードを白玉でべーっと鳴らす感じ、刻みすぎずにスクウェアに進んでいくリズム、謎のギターソロなどでうまくレトロ感を取り入れつつ、総合的にはちゃんと今っぽい。歌詞はまだちゃんと読んでませんが、「あ、この曲いいな」って思ったら曲名が”Divorce”でなんなんだこのひと、と思った。

 Kitri、結構好きなんだけど、これ車に乗ってるときにSpotifyから流れてきてあーやっぱすげーいいと思った。ピアノの演奏がポップスっぽくない、クラシックか唱歌かみたいな(あほの感想)。そこがよい。

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