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1月13、14日

1月13日

 深夜バスで京都から豊田へ。ネカフェに入ってぐったり。そこそこ(2,3時間)仮眠をとったあと、アニラジをチェックする。日曜正午にラジオ関西のアニたまどっとコム枠の各番組がニコ動で視聴可能になる(一週間限定)ので、だいたい週明けにはチェックしてる。桑原由気と本渡楓のパリパリパーリィ、いい番組。

 昼前に動き出して豊田市美術館にて岡崎乾二郎「視覚のカイソウ」展。1Fを三度まわってしまった。なぜならおれは岡崎さんのレリーフがほんとに大好きだから。限られた素材(いわゆるプラダンとかスチロールパネルとか)のかたち、厚み、色、色の乗せかたがつくる視覚・空間経験。ぐるぐる見れる。14時からは岡崎さんと斎藤環の対談。ほんとは岡崎さんの講演が聞きたかったが…。でも貴重な機会だし、と聞いてみると、対談というだけあってラフな構えではあったものの、ところどころ突き刺さる発言があり、よかった。

 対談後にもっかい展示見て、名古屋に向かう。名古屋から仙台までバス、仙台からは仙山線…という算段。

 せっかく名古屋なんだから名古屋飯的なものを、と思ったけれど、実はそこまでの意欲がおこらず、無難中の無難、コメダ珈琲に入ってしまった。いつも渋谷で食っとるがな。山形にもあるよ。そのままネカフェに入ってバスまで時間をつぶす。しかしネカフェ滞在中すこんと記憶を失い、バスの時間ギリに……。おそろしや。

 バスに9時間ほどゆられて仙台まで戻る。

14日

 朝8時、仙台着。そのまま仙山線経由で帰宅。着くと荷物がもろもろ届いている。Huawei P30 LiteをセットアップしようとしたがSIMカードが読み込まれず、もしかしたらノーマルのSIMを無理やりnanoSIMにカットしているからだろうか……とSIMの再発行を申請する。すぐ届くと思うが数日ケータイが使えないかもしれない。

 荷解きして、4日分+αの洗濯を一気にする。出先で洗濯・乾燥してきたらよかったかなぁ。

 友人から結婚の報告が手紙で届く。実は風のうわさでは聞いていたのだが、人から聞いただけの話をこっちから確認するのもな~と思っていた。友人は昨年秋の京都でのトークイベントに来て吾妻ひでおの不条理日記完全版をプレゼントしてくれた(ショパンのポケットスコアといっしょに)。手紙もそえてあり、すごくいいプレゼントでおれは感激した。

 ワタシも販促コメントを寄せた(どこで使われるんだろ?[注:1月16日に後述の商品ページで公開されました])lightmellowbu渾身のディスクガイド『obscure city pop cd’s 1986-2006』をご恵投いただく。これはそうとうな奇書で、「この本が出たからこういう音楽が評価されるぞ!」というよりも、現代日本における「ディグ」の極北をセレクトと文章の双方から味わう、みたいな趣が強い。もちろんこれを片手にブックオフやハードオフに行って音楽に触れるのがまっとうな使い方ではあるが、畏怖の念が先に来てしまう!

 あと、P-VINEが精力的に出しているローファイヒップホップのフィジカル、ライナーを書きました(Mr.KÄFER『On the Rhodes』、1月22日発売)。それの見本も届く。ローファイヒップホップは作り手側から見るか流通・供給・消費のアーキテクチャから見るか受け手側から見るかでかなり論点の違う音楽だと思っていて、そのあたりを軽く整理するような内容になっている……はず。

 「楽理的(≒音楽的、内在的)な解説」がもてはやされるのはいわゆる「印象批評」や歌詞の読解重視の潮流に対する意趣返しだろうと思うのだが、あたかも楽理だけが唯一正しい道具だみたいな空気ができるのもおかしい。印象でも楽理でもない広大な領域がある。たとえば政治社会文化(史)。

 疲労困憊、寝不足で、コンディション的にどうしようもない感じだったこともあり、仕事しないで休み続行! 明日からがんばる! って思ってたけれど、猛烈な不安に襲われる。締め切りが迫った仕事もいまはない(ちょっと早めに送ったのだ)。のだが、ざわざわと。なんか続報なく流れちゃったんかな~という案件をある文章読んでふと思い出したり、まだリサーチが済んでないあれやこれやを思い出したり。ああ……。安息の日は訪れない。

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1月12日

 8時前に起床。もっと寝ようかと思ったが寝付けそうになく、シャワーを浴びて荷造りする。日記を公開するタイミングについて考える。最低でも翌日、できれば数日〜一週間ずらしていきたい。

 9時半ごろ、ちょっとはやめにチェックアウト。ロッカーの鍵の保証代を払う。無念の支払いながら、言うて宿泊代に保証代をプラスしてもビジホ程度の価格だろう。とてもいい宿だったしまた京都来る時は泊まりたい。

 熊野神社のところのからふね屋珈琲でちょっと仕事していたら近くの席に家族連れがやってきて、男の子の「なぜなぜ」の喋り方がかわいいけどなんか聞き覚えがあるなと思ったら、かまいたちの心理テストネタで山内がやる「それで、なにがわかるのん?」にそっくりなんだと気づいて「これにだけは気づきたくなかった」と後悔した。

 所用で梅田に向かう。が、まずは阪急の駅目指して四条へ。寝不足のせいか、昼になってちょっとした悪夢のなかにいるようで、新京極から寺町あたりを歩いていたら昔見た悪夢(知らない通になんとなぬ入っていくと入れ子状になった京都がそこにあって、入ってしまうと抜け出せなくなる)の風景と現実の風景が入り混じってバッドトリップしてしまった。阪急に揺られながら寝る。なんとかなった。

 梅田での用件を済ませて京都に戻る(これいつ告知できるんだろ)。夜はまた龍門。の前に、マクドに入って仕事する。お腹が減りすぎてふつうに食っちゃった。

 龍門DAY2は時空が曲がったかのような感覚。昨晩ステージにあがっていた白紙や砂(SNJO)がテーブルにいるので変な気がする。前日よりインターネット性が高まり、クソリプの応酬みたいな会話が繰り広げられていた。Twitterすぎるだろ。とか言ったら砂にお前が言うんかい的な反応をされてぐうの音も出なかった。

 メトロに向かうおたくたちを見送ったのち、行き場所なくて川を眺めたり川端通りを眺めたり三条京阪の構内で公衆wi-fiを掴み仕事したりしていた。くたびれた。

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1月11日

 8時起き。寝たのは結構早くて、もしかしたら22時くらいなので、ひごろ6,7時間も寝れれば奇跡の一夜、みたいな身からすると、よほど疲れていたのだろう……。9時半くらいまでぼんやりしたあと下鴨神社へ。初詣。神社ってあんまり好きじゃないのだが下鴨神社は、なんか、どうしても好き。思い出がいろいろあるから。まあ、君が代の由来のさざれ石、とかいわれると、爆破したくなるが。御手洗祭はほんとにいい祭り、わくわくする。毎年行ってた。また行きたいな。

 学生時代、いまはカレー屋をやってる同期と久々に顔を合わせたら風邪かなにかで寝込んでおもゆくらいしか食ってないふらふらの状態で現れて、突き抜けて妙なテンションになった彼人と下鴨神社に行った…気がする。参道を歩いた記憶がある。違ったかな。いくつかの思い出が混じってるかもしれない。なんかFBによると入れ違いでおれが京都着いた日に関東に戻ってしまったらしい。京都でリユニオンしたら面白かったのに。

 おみくじをひいたら、小吉。しかしいいことばっかり書いてあるからがんばろうと思った。いわく、願い事は(努力と忍耐さえあれば)叶うし、事業も繁盛。学業もいい感じらしい。

 @KCUAでジョーン・ジョナスの個展。なかなか面白かった。初期作品はもちろん近年のパフォーマンスやインスタレーションも良い。以前RealTokyoにワコウでの個展レビューを書いたが、それ以来改めて好きになった作家。の、作品をまとめてみれたのも、やはり創作上の一貫性の太さに畏れ入る。

 河原町の丸善に鍵の落とし物がないか聞きに行く。なかったそうだ。まあしょうがない。

 宿に戻ってラウンジでちょっと仕事していたらフォロワーの方が現れる。ビビるが、疲労が勝つ。よく考えたらこの宿を知ったのはその人がツイートしていたからだった。都合の良い頭だなぁと自分で思う……。少し話す。

 晩はメトロでスクリューパイルドライバー。の、前に、遠征組ふくめたおたく一同で前飲み的に食事会。龍門の本店に集う。実際に会ったことあるのはひとりだけであとはインターネッツおたくピープル。おたくはすごい。面白い。某氏のトークスキルが活かされる場がないのか真剣に考えてしまう。余計なお世話だが…。

 メトロでは入場早々に荷物を入れたロッカーが壊れてる(金だけ吸い込まれて鍵がしまらない)というトラブルに見舞われて軽く気持ちがヤラれるが、受付に言ったら対応してもらえた。しかしずいぶんひさびさに来たら、メトロのロッカー、潰れまくってるな〜…

 ピアノ男、ニッチなようでいてサウンドのつくりは大箱映えもしそう…という謎のバランスでとても面白い。というか、マイナーな音楽と思ってるのはこっちだけで、本質的にガバもなんでもでけーところに映えるもんか。大ネタもでっけーところのほうがかえってあがる。

 長谷川白紙は全編感涙というほかなく、踊り狂った。見たのは二度目。実はあんまり見たことないんだ。前はUNITのCHOICEで見たんだったかな。そこでみたよりも変化してた…というか今回は新譜からの楽曲中心なので当たり前か。『エアにに』収録曲のポテンシャルは凄いな。もちろん「毒」や「草木」といった前作からのレパートリーも、もはやアンセミックですらある。

 油断するとこういう場所でも仕事の挨拶みたいな事態になる。クラブやライブハウスに名刺持って来るはずもなく。まあ名刺交換なんて儀礼だからね、とは思えどいざそういう場面だとあたふたしてしまう。

 keshigomuさん、マスター航太さんも良い、ビートミュージックから低音ブリブリのドラムンまでをフロアで鳴らして白紙のユーフォリックな雰囲気をリセットしてからのチップチューン。

 SNJOはビートと歌のバランスがすごく良くて、いかにも歌って盛り上げまっせではない、あえて言えばSSW的なシリアスさもありつつ、しかしサウンドはエッジのたったばきばきに踊らせるフロア仕様。それは音源でも感じられたことではあるけれど。たとえば自分の知ってるものにひきつけるとFantasy Club期のトーフを彷彿とさせるな…とか思った。といって内省とかでもないんだよな。当日おなじくMETROにいらしていたs.h.i.さんはOPN的という形容を使っていたが、音色から漂うシリアスさ(しかし息苦しさはない)はたしかにそんな気がする。

 Tomggg、大ネタを使っても余裕で自分のカラーにひきつけられるビートメイカーとしてのキャラクターとスキルがばきばきで、星野源から舌足らずなロリータウィスパー、ラッパーまでを全部並列させられると底しれない恐ろしさが出てくる。あと、音が異様にいい。おもちゃ感のあるがちゃがちゃしたサウンドを多用するのにあれだけ整然とクラブで鳴るの凄い。

 翌日の予定もあり、ぐぐさん終わりにさらっと宿に戻る。寝間着に着替えて、即寝。

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1月10日

 6時半に起きる。昼の飛行機で仙台から関空に向かう。関空からそのまま京都へ、って旅程は考えてみるとじゃっかんかったるいが、深夜バスで12時間ゆられるのとどちらがいいかというと。うーん。どっちもどっちなんだよな(深夜バス意外と苦じゃない派)。

 自民党の改憲広報ポスターがノリタケさんの画風パクりと話題の件、パクりかどうかよりも(みんな言ってるほど自明じゃないと思う、ちゃんと見たら別にそこまで似てはいない……この「ちゃんと見たら」のあたりにいろいろある)、「パクりだと言われないよう」配慮しただろう痕跡、たとえばノリタケさんなら描かないだろう顔のシワの追加など、のあたりに、現代的なやだみを感じた。いや、それこそ配慮の結果なのかはわからないけれどさ。

 鼻うがいをこの冬からはじめたのはいいけど出先で気軽に出来ない。これ、なんか方法あるのかな。鼻うがいのスキルを高めると塩と適当なカップさえあればできそうだけど、水道水はなんかやなんだよね。いつもは生理食塩水と専用の洗浄器でやってる。

 荷物は最小限で済ませるし。と思ってLCCの一番安いプランで預ける荷物はないつもりでいたのに、急遽増やした荷物が結構な重さになっていたために持ち込みできないことに。3000円弱払う。いいけど…なんか悲しい。本って重いんだねぇ… まあ本がなくても重量超過してたと思うけど。

 東浩紀の新潮に載った文章(ウェブに再録)を読む。実感として理解はできる。

 我田引水にパフォーマンスの話にひきつけると、マスメディアの発達によるあらゆる出来事の(潜在的な)スペクタクル化とハプニングやパフォーマンスの隆盛がなかば共犯関係にあったことはわりとオーソドックスな議論だろうと思う。東野芳明がニューヨークでみたハプニングをきわめてフォトジェニックであると看破したのは印象深いし、もっともラディカルにハプニングの可能性を追求したカプローの活動は次第にそうしたスペクタクル化への抵抗の色を強める。他方マスメディアに目を向けると、「ハプニング」は予定調和を破壊する偶然の導入としてテレビを中心としたメディアにもてはやされ、ほぼ日常語にまで浸透した。こうした「パフォーマンス≒アクション≒政治」とゆるく等号でつながる時代におけるマスメディアと前衛の結託をSNS時代に悪い形で再演してしまうことに対する抵抗はあるし、あってしかるべきだろう。

 ただそのとき、対立項として活動の見直しを制作にかける、というのがどこまで有効なのかは正直疑わしい。いまやSNSこそが活動であり、ならばそこから距離を置くためには制作だ、というのはシンプルすぎるのではないか。あと、そもそもいいねやRTで計量された活動とは果たしてなんなのだろう。なにを計量化しなにを評価しているのか。わからん。とりあえずアーレント読み返すか。アーレントは活動をなんらかのかたちで評価することについてなにか言ってるっけ。学生のときに読んだきりだや。とかいって、忘却の彼方にいってしまいそう。

 関空から京都まで電車。リムジンバスにするべきだった…ひどく疲れた。電車のなかにあったイーオンこども英会話の広告、キャッチコピーが「この教室が、セカイの入り口。」とのこと。セカイ系か?! と思った。天下茶屋で乗り換えるときに疲労と空腹で辛抱たまらずマクドナルドに入る。マクドナルドの店員が大阪弁だ。なんか変に安心する。

 京都ついて宿にチェックイン。神宮丸太町駅ちかくのホステル。写真の印象ままのいい宿だ。一休みしてから河原町の丸善まで歩く。やはり京都を歩くのは楽しい。本を2冊買う。

 帰りは出町柳まで京阪で向かい、ファラフェル・ガーデンへ。ケバブサンドとファラフェルを食べる。うまいもん食うのはほんといいことだ。

 しかし、宿に戻ると貴重品を入れるロッカーの鍵がない! ファラフェル・ガーデンに戻って問い合わせ、出町柳駅でも問い合わせ、それでも見つからず、さすがに河原町までまた行く時間でもなく… 受付に話すと苦笑気味ながら丁寧に応対していてだいて泣きそうになる。なんで泣きそうになるんだよ。自分でもよくわからない。

 スマホでアニラジ聞いて、寝る。

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1月9日

 6時くらいに起きる。暗い。バゲットにカット野菜とスモークサーモンを挟んでドレッシングをまぶして食べる。いっしょにのむヨーグルトも摂る。お腹の調子がよくなることを祈る(食物繊維と乳酸菌とタンパク質、いかがか)。

 グレイソン・ペリー『男らしさの終焉』が届いていたので読む。わりと没頭してしまう。いろいろ微妙な書き方のところがあるような気もする(ぽろっと出てくる男性的、女性的、という言葉づかいとか。でも、本文中でペリー自身がこうした性差が社会的に構築されたものだという立場をはっきり示しているので、不整合ってわけでもなかろう。原文ではどうなのだろう?)が、男性(グレイソン・ペリーはトランスヴェスタイトだが男性である)が男性性の有害さについてユーモラスにエッセイとして記述するさまはやはり面白く、勇気が出る。このまま読み進めていく。

 男性性を批判して、解体していこう、と思うのはそうなんだけど、しかしそれは自分が(シス・ヘテロの)男性として生きてきた来歴からすれば、たとえいかに「そんな社会居心地が悪かったのだ」「そんな自分は自分じゃなかったのだ」と思っていたとしても、自分のアイデンティティの一部を否定することでもある。どんなに自分の(有害な)男性性に嫌気が差していてもそれもまた紛れもなく自分なのだ。ということを考える。自分を否定するってそれがどんな意図や意義や効能を持っていたとしてもなにかしらの痛みは伴う。それをどう乗り越えるか? を考える必要がある。

 夕方少し前、図書館に本を返しに行き、帰りにいきなりステーキに行く。炭水化物食べたらだるくなるし、肉をしっかり食べたら気合入らないかなとわらをもすがる思いで…。郊外型のいきなりステーキは都会のそれのもつ忙しなさとは違うまったり感があった。悪くないけど、通うほどではやっぱりないな。

 ついでにブックオフに行ったらいい感じに探してる本が見つかってほくほく。あと、もひとつ寄ったスーパーで修二と彰の「青春アミーゴ」が流れていて、「地元じゃ負け知らず」というくだりに「このひとら、なんで戦ってるんだ?」と考える。不良みたいなのだっけ。ぜんぜん思い出せない。思い出す必要さえないが。

 夜、酒を飲む。ビールをトマトジュースで割る、レッドアイ。基本的に酒は飲まないようにしているのだけれど、ふとレッドアイが飲みたくなった。度数が低めのカクテルをかぱかぱ飲むのはきらいじゃない。ビールとトマトジュースは体積で言うと50/50だが質量で言えば4:6とか3:7くらいあると思う。すると度数は2%台くらいか。ちんたら飲むから、ビールひとかんぶん(とおなじくらいのトマトジュース)を飲み終えても酔っ払ってるのか酔っ払ってないのか微妙な感じでよい。

 ところで男性性について考えていて思い出した、どうでもいいパーソナルヒストリーをここに書いておこう。人前に出している日記なので一応読み手にも配慮しておくが、シモの話なので飛ばしたい人は飛ばすこと。具体的に言うとちんこの話です。

 自分は20代の前半までながらく、皮がかぶっている、つまり「包茎」であるのがコンプレックスだった。これがやっかいなのが、いわゆる「仮性包茎」ではなくて、いっさい皮が剥けずちょっとちんこのかたちもいびつな真性の「包茎」だったのだ。

 いや、真性の「包茎」でなにがやっかいかというと、ちんこそれ自体もさることながら、世の中に出回っている「包茎」に関する情報は多くは「仮性包茎」に関するもので、整形外科の過剰宣伝かそれに反対する「仮性包茎は問題ない」とかいう話のどちらかばかりだってことだ。「仮性でない包茎なら保険が効く」といいつつ、じゃあ真性包茎ならいくらで治療できるんだよ、という確かな情報はなかなか見つからなかった。

 また、お金はいいとして、果たしてどこのクリニックに行けば(あこぎな商売に巻き込まれずに)治療できるかもわからない。ダメ元でコンタクトをとった泌尿器科からは断られ(「包茎治療したいんですが」って言ってむげもなく「ああ、うちはやってないんで…」って言われる恥ずかしさたるや!)、馬鹿高い金を取られて治療するかずっと放置するかの二択か? みたいになっていた。運良く大阪の梅田にあるクリニックで「これは保険で治療できます」と診断を受け、前後の通院や薬代含め総額2万円くらいで治療できたと思う。もうちょっとしたかな?

 誰かと付き合ったことがほとんどなく(まあこれは自分の人間性の問題だが)、学生時分にできた恋人ともセックスしなかった原因は、もっぱらちんこが妙だからだった(それがわかれた原因ではない、一応)。かといって、じゃあ包茎を手術して治したからそういう自信ができたかというとそうでもない。ただかんたんに清潔にできてとても暮らしは楽になった。勃起時に皮に抑え込まれて不快感や痛みもあったので、それがないのも良い。変な生え方をして痛んでいた親知らずを抜いた、みたいな気分というか。

 そういうわけでいまだに(30をこえてなお)童貞なのだが、これを書くのは非常に迷うところである。人と話していると「ある」前提で話がすすんだりして気まずかったりするから言ったほうが楽な気もする。でも「バンジージャンプしたことない」とか「草津温泉に行ったことがない」のとさして変わらんくらいの気持ちでいるので、それを過剰になんか言われるのも嫌だ。そもそも本題は「包茎」なのでね。「本題が『包茎』」ってのもなんなんだって話だけど……。

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1月8日

 くっそ寒い早朝に起きる。暗い。アイマスクをとっても暗いのでどういうことかと一瞬思った。はやく陽が長くなってほしい。東京はここ数日あったかいらしいが、山形は雪が積もっている。とはいえ日中は雨。つまり雪が降るほどの気温ではないということだ。あたたかいほうではあるだろう。先日外出したときにご老人ふたりが「雪がねえ正月だな」「まあそのほうがありがたいけどな」としゃべってるのを聞いた。うーん、たしかに昔はふつーにこの時期積もってなかったかな。なんなら20cmくらいはあっさり積もっていたのでは。

 RealSoundにブクガのライブレポが載った。執筆依頼が来たのがけっこうぎりで、チケットをとっくに取ったあと(しかも、一度A席をとったあとで相互フォローの方にS席を譲ってもらっていた)だったので、ふつうに観に行ったついでに書いたみたいな感じになった。しかしあれはほんとにいいライブだった。まだに思い返す。いい音響で、素晴らしい演出で、メンバーの全力を見る、ってこれ以上のことはないですな。

 眠い、二度寝しようか、と思ったものの、ちょっと資料を読み込んで取材の案みたいなのを書く。結構時間ないからどうしようか。起きたの6時とかだったけどそれで10時くらいまで潰れたように思う。

 一休みして、ああもうだめ、寝ようかな、と思ったところで、いや本屋に探しものがあるのだ、とがんばって起きる。たいていの場合欲しい本は本屋にない。店頭で取り寄せしたほうがいいのかなと思いつつ、ちょっと時間がないとか本屋まで改めて行くのが億劫だとかそういう事情もあり結局、その場でスマホからAmazonでポチるのがいつもの流れ。それでも一応、本屋で買ったほうがいい。だから一応行くのだ、本屋に…… 今後は「店頭で取り寄せ」みたいな時間的余裕をつくれるようになりたい。

 結果、1勝2敗(3冊探していたうち1冊のみ発見)。まあ上々。残りはそのままスマホでポチる。

 温泉に行く。サウナと水風呂をキメて、眠気がふっとぶ。これ以上やると脱力してしまうなというところであがって、帰宅する。

 どうしても最近はメンタルの調子も整わない。自分の過去とどう向き合うかみたいなことを考える。めちゃくちゃプライベートなことなので日記に書くことさえはばかられるものが多いが、たとえば「女性声優インナーカラー部」とか、見る人が見たら「なに言ってんだこいつ、キモい、死ね」という案件であろうなあ。とか。そのくらいの自覚はあるが、最初は髪を多少染めたくらいでぶーすか言う男おたくにマジで嫌気がさしてのカウンターくらいのつもりだった。馬鹿だったなあ。

 ちなみにインナーカラー好きなのはほんと。男性のインナーカラーとか派手髪も好きなんですよね。Kポってけっこーそうじゃないすか。あれはいいよ。オザケンの青い髪も(おおかたの予想に反しそうですが)好きです、年くってなおああいうことするのはだんぜんいいと思う。インナーに白とか銀いれたらもっといい。なにを言ってるんだおれは。自分は頭皮が荒れているのでヘアカラーはできない。坊主なりに真っ黄色とか真っ青にしたいと思うことは多々ある。

 今週末、三連休は京都→大阪→名古屋に行くので、また荷造りをする。今回は仕事じゃなくてほぼ趣味なのでちょっとうきうき。

 杏沙子「こっちがいい」
 最近の女性SSWではぐっとくる度合い高い杏沙子の新曲。「歌詞のテーマも内容も楽曲も、全てがキラキラの王道ポップチューン!」たしかに。サタデーインザパーク風のイントロ… いま、こういう王道でかつ洒落た曲を書かせて歌わせてこんなにはまる人もおらんと思う。

 valknee「ASIANGAL」
 昨年末の「NUNA」で韓国語ラップを披露していたvalknee、新曲も韓国語大フィーチャー。先日の「(J)POP2020」では「NUNA」かけるつもりだったのだが時間が足りずさらっと言及するので終わってしまった。小・中のときにソウル住んでたんすね。

 Lil Uzi Vert「Futsal Shuffle 2020」
 MV出ましたね。オフィシャルオーディオもヴィジュアルになぜか日本の女子高生がいて謎度高かったけどMVにはセーラーマーキュリーが…… 許諾とってんのか? などの疑問は出つつ、ダンスをがんがんにフィーチャーした内容はかっこいい。

 Mura Masa「Teenage Headache Dreams」
 Wolf AliceのEllie Rowsellをフィーチャーした楽曲。ポストパンクやオルタナを参照したサウンドにトーンを定めてきているなかで、ドリーミーなリヴァーブがかなり印象的な一曲。BBHFとMura Masaの対バン……みたいなことを一瞬思ったぞ。

 塩沢実信『昭和のヒット歌謡物語』(展望社、2014年)を読んでいて、阿久悠について「急に大きな仕事が入ったら他の仕事を早めに仕上げてそちらにとりかかる、先に延ばさないで繰り上げる」という話が出てきた(p.142)。そんなことができるというのはなかなか……凄い。業種は違えど物書きをそれなりにやっているが、幸いにして、いままでほとんど原稿を落としたということはない。けどこれから仕事が増えたらどうなるかわかんないな。まあ、増える心配なぞ、杞憂だろうと言われたらそれまで……。

 ほか、船村徹の章では北島三郎「函館の女」に関するエピソードがかなりの紙幅で登場する。もともとはB面曲だったこの曲にかける思いは北島もそうとうなもので、レコーディングの際には上着を脱いでランニングになり、裸足で歌ったとか(p.169)。気合、大事やんね。

 他愛もない愚痴、というか妄想。ああいう人やああいう人からは心底「こいつはどうせ」と嫌われているんだろう、と毎日思って、「そんなことないんだよ」とその弁明のために生きているかのような気分になってしまう。だったら早くこの人生を終わらせたいと切に思うことも多々ある。みなさんのお望み通り、思ってもないことをさも重要そうに言っている端的に不誠実な人間やらは、さっさと死んだほうがいいんでしょうね。みんなが言うからには、たしかに自分はそうなのだろう。

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1月7日

 漠然と体調が悪い。睡眠不足と胃腸の不良。ここで温泉に頼ってしまいそうになるが、早めにあげないといけない原稿があって朝から昼まで書き物をする。ブクガのライブレポート。めちゃくちゃ詳細なレポートってやっぱりできなくて、どうしようか、面白いものが書けているか、よくわからんのだが、がむしゃらに書いている。セットリストをSpotifyでつくって繰り返し聴いているとだんだん物足りなくなってはやく次の単独観たいなって気持ちになる。スタジオ・ライブが収録された『海と宇宙の子供たち』の限定盤Aを買おうかな。

 あいだあいだに、今月中にポストするつもりの星野源評(英語記事)をちょくちょく書き出す。星野源のサブカルスター→ポップスターというキャリアの特異さと並行して「イエローミュージック」から「ポップ」への転換にポテンシャルと限界を見る、みたいな、まあいろんなところで書いてることですね。あと、日本のテレビバラエティ的な芸能感覚を説明できるか? とかも考えたりする。無理はしません。

 去年の上半期とか、週イチくらいのペースでそれなりの分量の英語を書いていたのだが、その質はともかく、そのくらいの濫造状況に自分をおかないと語学力とか死ぬよな。とはいえいまだにしゃべれない。練習してないから当たり前。リスニングもほんとやってないな。これもまた場数が必要で、Skypeとかで喋れるやつ、あれいつかやってみたいな……と思いつつなんやかやで夢物語。いっそセブ島に数ヶ月……? 学生時代の友人がそれやって、めちゃくちゃ英語力がついた、らしい。本人は謙遜してたがまわりの人が驚いていた。

 先日のイベントで本が結構売れたもので、そのままいい気になって本を買う。韓国の近現代史についていくらか(といっても新書だが)とユリイカの男性アイドル特集号。昨年の秋から冬はvaporwaveとJ-POPのことを考えて頭がいっぱいだったので読もう読もうと思いつつも読めていなかった。ちょっとずつ読んでるが面白い。きょうはグレイソン・ペリーの『男らしさの終焉』を注文した。すぐ届くだろう。

 高野雀さんの同人誌「After the Party」を読む(「(J)POP2020」で会ったときに貰った、ありがとうございます)。阪神大震災後の風景を再現しながら紡がれる架空の一夜。経験談を元にはしてるそうですが。細かい注釈に助けられながら追体験する25年前のカタストロフ、のあと。名作だと思います。

 「ユリイカ2004年9月号 特集*はっぴいえんど」を読んでいる。「はっぴいえんど史観」なる語がいつごろから出だしたのか気になっている旨ツイートしたらたしか篠田ミルさんがサジェストしてくださったので読んだ。この時点で「はっぴいえんど史観」の批判的検討ががっつりされているのに16年経っても「はっぴいえんど史観」が生き延びている不気味さを思う。あと、その批判の口ぶりの進歩のなさも。もはや「はっぴいえんど史観」批判もそれ自体クリシェ化して…… なんかめちゃくちゃクチの悪いことを書きそうなのでやめておく。

 このユリイカに載っている岡崎乾二郎の論考もやはりよくて、岡崎さんのポップミュージック論をまとめて読んでみたくなる。今度「視覚のカイソウ」を観に行くので、なお楽しみになった。

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2020年1月6日

アカウントの移行をするために、imdkm.comのメールアドレスでアカウントをつくりなおす。まあ別にめんどくさいことではない。徐々に徐々にリセット、デトックスしていく感じだ。たぶんこれふんぎりついたのはPCの環境を変えたらなんかすっきりした(最低限のバックアップさえあればなんとでもなる)のが大きいかもしれない。

仕事はじめ、ということで、迫っている締め切りや用事を整理する。なんだかんだで仕事はちょいちょいある。正直いつまで持つんだよこれって思ってるけど。量としてはもっと増えたほうが収入としては助かる、でもペースとしては「いたずらに増えないでくれ…」と願ってしまう。

「音楽的に評価する」という物言いの欺瞞というのをけっこう考える。たとえば「このひとはアイドルや俳優だと思われてるけど音楽はすごくて…」みたいな。それが結局、男性中心主義的な「批評」の範囲内に彼彼女らを参入させてやること、でしかないのなら、なんの意味もない。そのうえでなお、この曲ってこういうふうに面白いんだ、凄いんだ、あるいは逆に駄目なんだ、って言う意義を模索することが、少なくともいまポップカルチャーについて言葉を紡がんというときに立ちはだかる大きな課題だろう。その意味でも、思考の、語彙のアップデートは不可欠だ。批評という枠組みそのもののアップデートというか。

じゃあ自分がどうアプローチしたらいいのか? わからんねぇ。ただ実践的なところで言えるのは、読んでもらうのは「ファン」や「音楽好き」だけじゃないはずだ、という前提に立つ、ということだ。やっぱり文章を売り物として考えたときに買い手としてその2者がまっさきに思い浮かぶ。けれど、世の中の人の大半は、推しごとにがんがん励むのでも狂ったように音楽を掘るのでもない、微妙な領域にいるはずだ。その領域を視界から外した途端に、不要な対立が生まれ、書き手も読み手も消耗していく。その領域の人たちに刺さるのがおたくの語りなのか、音楽好きのうんちくなのかって正直わからない。わかりようがない。わからないからどっちもあったほうがいいし、自分が書けるものに賭けていくほかない。

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2020年1月4~5日と雑感

あけましておめでとうございます。今年はまた英語記事やろうと思います。(って日本語で書いてどうする)。

1月4日(土)

「(J)POP2020」出演のため上京、三鷹に向かう。当日は7時間の長丁場で始まる前から「人来るのか?」「時間持つのか?」など不安でいっぱい。そもそも喋りはそんなに得意ではないのでヒヤヒヤする。しかしふたをあけてみると会場はしょっぱなからほぼ満員と言ってよかった。各々のプレゼンや共同討議については触れない。録音はされていてもしかしたらなんらかのかたちでアーカイヴ化されるかも? どうだろうね。

ひごろは山形の実家を拠点に主に寝るなどの活動をしているため、こういう場所で東京の業界っていうか、なんだろうね、メディアの人やライターの人とたくさん会うと変な気分になる。ほんとみんな東京にいるんだな、と。あえて「アンチ東京!」などとぶち上げる気はないもののやはり東京の空気感にうっすら抵抗があって、山形に、東北にいることの意義を自分のなかにつくりだしていかないといけないなと思う。しかしむつかしいのは、東京とか、あっても大阪・京都に行くことになりがちなんだよな。いまのところ。ほんとは青森や北海道、秋田なんかに行ってみたいのだ。春になったら車で東北をまわりたい。

1月5日(日)

東京国立近代美術館「窓」展を見る。いかにもとってつけたようなテーマで「あれもこれも窓だよね」という感が否めないが、そこを除けばあれやこれやが見れてよかったかも。コレクション展でめちゃくちゃフィーチャーされている小林耕平は正直よくわからなかった。なんでこれが…? 2020の空気に冷水をかけるかのような各部屋のトピックの出し方は意義深いものだろうが明らかに前日の7時間が響いてあまり集中もできず。

ネカフェに行って爆睡。のち、LINE CUBE SHIBUYAでMaison book girlワンマン「Solitude HOTEL ∞F」。素晴らしい公演で、メンバーのパフォーマンスもhuezの演出も相当きれきれだった。こういう話をすると嫌がる人もいそうだけど、これほどのステージ、このままパッケージとして輸出してもいいんじゃないのって思う。もしかしたら歌唱の安定感がもっと増したほうがいいのかもしれないが、あんなトリッキーでテクニカルな振り付けありでよく歌えるよな、という驚きのほうが強い。

はー年始の上京も終わり。って思ったけど下旬にまた来るかもしれん。まあ、今回はめちゃくちゃ忙しなかったので次はもうちょっと展覧会とか見たり、人と会ったりしたい。

雑感。

5日、senoticさんのブログ記事(http://senotic.hatenablog.com/entry/womencritics)を読む。年間ベストみたいにハクがつく企画に呼ばれるライター陣のジェンダー比にこれだけ偏りがあるということが可視化されるとやはりビビる。良い記事だと思う。それに対して「いや、女性ライターや編集者としてこれこれこういう人がいる」と固有名詞を並べるのは、気持ちとしてわからないではないが、問題の深刻さや複雑さをかえって浮き彫りにするのみだろう。 (っていうか、Twitterにも書いたけど、「(J)POP2020」もそういうホモソ感は丸出しではあった。そこに出演しといてこれ言うかみたいな批判もあるだろう)

この調査自体価値あるものだが(やってみたことがあるとわかるがこれだけでもけっこう骨の折れる作業)、個人が調べられる範囲には限界があるので、もっと詳細な調査をどこかのメディアがイニシアティヴをとって行うべきなのではないかと思うけれど、それにふさわしいメディアはあるだろうか。わからない。有志で団体を立ち上げてもいいかもしれない。個々のライターはあくまでフリーランスで(どっかの編集部にいるとかもありますが)、キャリアのなかで築いてきたネットワークありきで動いているために、「業界全体」みたいな見通しを共有し難い。しかし各々はまぎれもなくそうしたネットワークが内在している差別構造にからめとられてもいる(する側であれされる側であれ)。自分がこう心がけている、自分のまわりはこういう状況だ、という意識や現状を確認しつつ、具体的に問題を立ち上げる(解決するためには問題が明確でなければならない)ためのいま一歩をどう踏み出すか。

そこでマンスプレイニング的なことを言ったり(こんな素晴らしい女性ライターや編集者がいるのに知らないのか、みたいな)ジェンダーバランスの問題を隠蔽・矮小化するようなことを言ったりするのは単に反動的なのでやめるべきだ。そもそも男女のバイナリーがどうなんだみたいな話もあるけれど、データを解釈してエビデンス化していく手続きのなかで、集団的に議論を重ねて明確に「この場合はこの定義で作業をすすめた」と明文化しておく(批判の余地をきちんと担保する)、というのが妥当だろう。

ただ、あくまでここまで言ってきたのは一種の労働問題(に内在する差別)であり、個々が仕事のなかで示す価値観まで踏み込むのはまた別の次元の話。並行して検証していく作業って要る(主要な音楽雑誌の記述の批判的分析とか。それがどういう結果をもたらすかわからんけど)。

これをある程度具体的にかたちにできるような動きを模索したいが、ここでも「東京」にどれだけコミットできてるかみたいな壁がありそうで、なんか憂鬱になる。

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12月10日(火)

12月10日(火)

東京に向かう。中村佳穂BAND@新木場STUDIO COASTのため。

朝上野についてサウナ入って時間潰し、まずは東京ステーションギャラリーの「坂田一男 捲土重来」展。岡崎乾二郎による、岡山を拠点に戦争をまたぎつつ活動した画家のモノグラフ。最初のフロアでは画家の問題意識を師事していたレジェなどの参照を通じて明快にプレゼンしてみせる。ここまで、ややゆるやかではあれある程度「先行世代」とか「同時代」を意識させる構成なのに対して、次のフロアでは一転、キュレーション上のアナクロニズムが炸裂しだす。画家のアトリエに起こった水害というカタストロフ(しかも2度訪れる)に起因して、作品の年代同定が困難である故に要請されたアプローチとも言えるが、カタストロフとアナクロニズムをどのように捉え、作品の解釈へと戻していくか、のあたりやはり見事。画家の仕事を性質の異なる空間がカンヴァス上にひしめきあう緊張状態を追究したものと示した上で、さらに水害を経て異なる時間がこの画家の作品のなか、キャリアのなかに併存しだすのだ、と一次元つけくわえる展開の仕方も、その展開にあわせて参照する他の作家の時代的なスパンも広がってアナクロニックになってくる(ジャスパー・ジョーンズ、リチャード・ディーベンコーンとか)あたりも凄い。互いに異質な諸要素の併存というテーゼが作品、シリーズ、画家の仕事全体、そしてキュレーションの手際にも貫かれている。その点で最も印象的だったのは画家のデッサンをまとめたアーカイヴ展示及び最晩年の作品の紹介で、時系列が錯綜するアーカイヴや黙示録的な主題に取り組む最晩年の仕事をアナクロニズムの実践として説得的に見せる、かなり巧みな構成になっていた。ヤバい~と思って図録を予約。1月にまた東京いったときに見直すかもしれん…

次いで東京都現代美術館。ダムタイプ展は実はそこまで、という感じだった。インスタレーションになるとダムタイプの作品はなんだかルックスがめちゃくちゃシュッとしてしまうけど、そこに身体が入り込むとなんかやけにユーモラスに、あるいは感傷的になるあたりが好きで、そこから言うとインスタレーションとアーカイヴメインでパフォーマンスは資料映像を……となると、なんか違うな~と思っちゃったりする。まあまだボリューム足らんでしょう、やっぱりパフォーマンスアーカイブの上映とかもあわせて見れた人はよかっただろうね。同じく現美のMOTアニュアル、THE COPY TRAVELLERSや吉増剛造プロジェクトが思いの外よかった。THE COPY TRAVELLERSはフラットベッドやモダンな写真あるいはティルマンスなどの現代写真のインスタレーションなどもうっすら思い出しつつ(平面への機械的な還元、固定されないテンポラリーなイメージなど)、それを都市や生活の風景に引き戻すもうワンステップで結構オッとなる手応えがあった。思えばTHE COPY TRAVELLERSの各メンバーの展示って京都時代に割と見てたんだけどユニットとしての展示はほぼはじめてだったか。吉増剛造プロジェクトは個人的に最近言葉と音に関心を寄せていることもあって、あと君島大空や崎山蒼志といった若い世代のSSWが吉増剛造読んでるみたいな話してるのを見て、じゃあ見とかないとな…と目当てにしてきた。手稿、執筆の様子を収めた映像(セルフドキュメンタリー的な)、映像から採集したアーカイヴ音声を援用したサウンドインスタレーション、という構成で、各々作品としてというよりは詩人の創作プロセスの追体験みたいなニュアンスで興味深かった。

夜、中村佳穂BAND見に行く。なにげにSTUDIO COASTは初。運良くかなり前方に陣取れたので堪能した。バンドの演奏も素晴らしい、中村佳穂のパフォーマンス力も素晴らしい、楽曲もアレンジやツナぎが面白かったし、なにより新曲がどえらく良かった。白眉は石若駿とのデュオ。割といろいろ書くことはありそうだが、うーん、でもそんなにはない。めちゃくちゃダンサブルな楽曲がつぎつぎかまされているわりにフロア爆踊りとかじゃないんだな~とか(クラブじゃないんだからそうだろう、とは思う)。バンドは現状でも凄いけどまだ先があるよな、いまは「音楽性を拡張していく」フェーズであって、そのダイナミックな変容の過程こそが面白いところだよな、とか。新しい機材、楽器を導入して、いろんな音楽性にチャレンジして、破竹の勢いで発展していくバンドを見ている面白さがまずあって…… まあいろいろ、うーん、思うところはある。が、日記でさくっと書いても伝わんなさそうだしもうちょっとがんばろう。

宿に戻ったら宿の真向かいからすげぇエグい低音が漏れてて、客室のカプセルにも余裕で入ってきていて「大丈夫か…」となった。23時過ぎくらいに音はさすがに止まったけど。

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