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カテゴリー: Japanese

entries written in Japanese

3.3

 6時くらいに起きる。体調は上々。朝イチですげぇ痰が絡んでいたが、お水飲んでうがいしたらすっきり。換気もする。
 現代思想2020年3月臨時増刊号 総特集=フェミニズムの現在をちらっと読む。
 関根麻理恵「「ギャル( 文化)」と「正義」と「エンパワメント」『GALS!』に憧れたすべての「ギャル」へ」興味深い。ここで論じられるのは女性のエンパワメントの象徴としての「ギャル」だが、もう一方で昨今の「ギャル」表象には興味深い点がほかにもある。おたくってなんでギャル好きなのか、ということ。前にも書いたような気がするけれど、それは、「教室」をひとつの単位とする社会に対する異物であるからだと思う。ある種のフィクションにおいてギャルは「スクールカースト」を超越した存在であり、それゆえに「カースト」間のヒエラルキーを無視して「カースト下位の私」にも平等に接してくれるのではないか、という期待が投影される。ギャルはストリートに生き、教室を縄張りとはしない。ヤンキーや不良にもおおよそ似たようなことが言えるだろうが、しかししばしば不良が学校をおのれの縄張りとすることから、ストリートという外部とは異質かもしれない。「教室」の外側にはこの閉塞を打ち破る世界が待っているのではないか(そこでは自分も「対等」に扱われるのではないか)という期待が「ギャル」を聖母にする。この観点からすると「不良が子犬に優しくする」のギャップのありかも単に「やさしい一面もある」に限らない展開ができそうな気がする。つまり、「教室」の外側では、人はまた別の役割を演じだす、ということだ。
 鈴木みのり「(トランス)女性の生活の中の音楽 ジャネット・ジャクソン再考」では、宇多田ヒカル、ジャネット・ジャクソン、アリーヤ、ケリスといったシンガーの歌声とリリックが自らの個人史と重ね合わせながら論じられる。論と呼んでしまうのは、それはそれで少し暴力的かもしれないが。というのは、テーゼとその立証を明晰に積み重ねるのではなく、むしろ、経験をたぐりよせて言葉として編み直すプロセス自体がこの文章の核になっていると思うからだ。トピックがずれながら少しずつ重なっていくことで浮かび上がるのは個人の生であり、「ジェンダーとセクシュアリティを含め、生活する身体そのものを通して編まれた言葉を、どう記録し、異なる誰かのために残していけるのだろう」という本文中の問いにそのまま答えるような文章になっている。一方で、ジャネットや宇多田の楽曲やサウンドに対する評はきわめて鮮やかでもある。ひとつのことを遂行しながら複数の種を蒔くような文章だと思う。

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3.2

 7時くらいに起きる。なんだか熱っぽい気がする。ちょっと不安になる。もんもんとしつつ、手指消毒してマスクし、ドラッグストアが開くのを待ってイソジンと体温計を買いに行く。そしたら、トイレットペーパーとティッシュを買う人がレジに長蛇の列をつくっていた。平日の朝イチからこれか~、とちょっとくたびれてしまった。買うもの買って、スーパーで食べ物も買って、せっかくなので、とドライブスルーでマクドを買って帰る。
 家に着いて、マクド食べたあと、体温測る。平熱だ。ちょっとほっとする。でも、体力が落ちているのを感じるので、なるべく安静に、ゆっくり過ごす。部屋の空気が淀んでいる気がしたので換気。寒いけど、清々しい。
 原稿をする。が、どうも身が入らない。書きはじめるだけ書きはじめ、分量の感覚をつかむ。おそらく書ききれるはず。問題ない。
 やっぱり気分がのらなくて、昼過ぎから、ちょっと寝る。ライナーノーツの仕事、これまでも結構してるのだが、あまり読まれている実感というのがない。本ならちょっとは感想が出るしウェブならシェアとかの指標がある。でもライナーは「売上=読まれている」とは限らない。どれも、それなりに、力を入れているのだけれど。
 夜、こないだ買っておいた段ボール箱を組み立てて、本棚のいらない本や資料をまとめだす。『リズムから考えるJ-POP史』のために、また次の連載のために本や雑誌がとにかく増えている。もとより本はそこそこ買っているから際限ない。やはり、ドキュメントスキャナを買って、雑誌記事などは電子化しておこうか。
 ぐっ……と眠気がきて、寝る。

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3.1

 朝、7時位に起きるが、すぐ寝る。寝て、また起きる。何時だか記憶がさだかではない。ここ数日の疲労からか、うっすらここちよいような倦怠感につつまれていて、しかしここで仕事にとりかかるといつも体調が悪いのと良いのとのびみょうな境目にいつづけるはめになるから、きょうも一日いっそ寝込んでしまうことにした。そう決めてしまうと楽なものでいまはもう16時。なにも覚えていやしない。眠るのに疲れたらTwitterしたりメールチェックしたりする。適切な休息はとても気疲れするものだ。
 筋トレについて考える。自分は筋トレをするつもりはあんまりない。健康のためにやったほうがいいかなと思うけれど。筋トレで気になるのはその健康にまつわる側面ではなくて、ここ数年自己啓発的なニュアンスとともに流行していることだ。その理由は、特に男性について言えば、自分の身体を意識するための、自分の身体をまなざすための、自分の身体を気遣うための口実なのではないか、と思う。
 男性ホモソーシャルにおける男性の身体はしばしば透明化される。他人の身体をことさらまなざすこともなければおのれもおのれをまなざすことはない。たとえあるとしてもコンペティティヴなまなざしであり、身体を身体として、「より強い」や「よりデカい」の意識なしにまなざすことはないのではないか。
 セルフケアの口実としての筋トレ。男性においていわば「合法的」に自分を気にかけるための法の抜け穴として筋トレはある。その枠内であれば他の男の身体について語ることもできるしなんなら褒め称えることもできる。
 サウナもそういう面が若干ありそうだ。「整う」快楽に男女差があるのかどうかは知らないが、少なくとも自分の身体に起こっている現象に注意を払う機会がサウナのなかにはある。別にサウナのなかでなくったって自分になにが起こっているかケアしてもいいはずなのだが、それを「道」とすることによってまた「脱法」の操作が行われる。
 糖質制限もそうだろう。抽象的な「栄養バランスに気を配る」とは違うなにかを糖質制限は持っている。ある目標(望ましい均整の取れた身体、という)への求道的なアティチュード。
 まあ、どれもべつに悪だとは思わない。しかし筋トレやサウナや糖質制限という脱法的ルートによってではなく自己へのまなざしを抑圧する規範その自体への拒絶として自分の身体を気にかけることはできないものだろうかと思う。
 こうしたメソッド化されたセルフケアはネオリベ的良い生活(RadioheadのFitter, Happierが風刺したような)にも近接する。そこもなんかやだ。しかしセルフネグレクトを選ぶのもまた違う。そうではない方法で自分の身体と向き合う術がほしい。気がする。なんだかまとまらない。
 「新潮」2020年3月号が届く。磯部涼「令和元年のテロリズム」、これが磯部さんのしごとのなかでどのように位置づけられるのか(未来からかえりみて)と思う。つづていくうちにカルチャー的含意が深まっていくのではないかという気がする。鈴木みのり「わたしの声の複数――トランスジェンダー女性の生/性の可能性を探って」、これを読みたくて買ったようなものである。こういう読まれ方は好まれない気もするが、制作と実践(上演)が不可分になる演劇が「生/性の可能性」の探求のキーになっている点が興味深かった。
 「わたしの声の複数」では最後に「遅さ」というキーワードが出てくる。「遅さ」とは反物語的なものだと自分は思う。物語とは出来事に秩序を与えるあらゆる原理であるとしておこう。序破急も起承転結もつまり出来事を系列化し秩序を与えるものだ。ロジカルな展開というのもこの意味では物語である。AしたらBした、という因果関係は、最小の物語である。
 物語は早い。どれほど長大で込み入った物語であろうと、それが物語である限りは早い。一方で反物語的なものは、秩序付けられず、複数のベクトルが同時に動き出す故に互いにその速度が相殺され、潜在的な運動量はきわめて大きいにもかかわらず、総体としての速度はきわめて遅い。そういう漠然とした図を頭のなかに浮かべる。仮に「私」のなかにそうした複数の異なるベクトルを見出すのであれば自ずとそれは「遅く」なる。というか、速度を問題化すること自体に懐疑がつきつけられる。

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2.28-29

2.28

 朝、7時くらいに起きる。ちょっと寝不足(遅くまで原稿していたので)だが、えいやっと仕事にとりかかる。結局午前中はまるごと原稿ひとつで潰れた。気分転換にDJの練習をする。「この曲いい! 好き!」って思ったものばっかり買っていくと、DJの流れのなかで必要な、あるジャンルとあるジャンルを繋ぐような絶妙な位置の楽曲って抜け落ちてしまうんだな……と思った。つまり好きなもんばっかり食うんじゃなくて、聴き方選び方を自分のなかである程度コントロールしないと、全体的なテイストが分裂気味になって、1時間~2時間の流れをつくるだけでもなかなかに難しくなってしまう。というと「使えるかどうか」という基準の話? ってなりそうだけど、そうじゃなくて、「好き」と「好き」のあいだの領域の豊かさを見落としていることに気づくっていうかさ。
 午後、もう一件の原稿をしないといけない。が、なかなか…… 昼寝しよっかな。あえて寝るという奴だ。全体の1/3、基礎情報として必要な部分は埋めてあるので、楽曲を聴き込んでの所見を書いていく。頭の中のもやもやがかたちになるまで、エンジンかかりづらいのだ!!!
 結局、だらだらとYouTube見たりしたあと、一念発起して書き出す。おお、意外とすんなり書けるではないか。がががっと書いて送った。

2.29

 朝、7時ごろ起きる。なんだか乾燥している。ベッドサイドのミニ加湿器をまわして、マスクする。お水がぶがぶ飲んで喉をいたわり、目をさます。この季節はただでさえ朝冷え込んで喉がやられるので、もっと強力な加湿器が必要かもしれない……。
 喉の調子を鑑みて、抵抗力がつきそうななにかをつくろう、と思い、刻んだねぎとしょうがをこれでもかと入れた雑炊をつくって食べる。ツナ缶を入れたので消化はたぶんそんなによくない。いや、これ、おもいのほかよくできたので、今後もつくるかもしれない。レモン汁とかいれてもいいかも。
 日中はドラッグストアやホームセンターをまわる。鼻うがい用の生理食塩水や粉末のスポドリ、ほか食い物などを買い込む。ほんとうはデスクの上に置くモニター台(10cm高くらいのちっさいテーブルみたいな)を探してたんだけどぜんぜんいいのがなかった。結局Amazonで買ってしまう。まー、なんか敗北感が……。
 午後、持ってる音源データの整理をしつつTraktorでDJの練習。バイレファンキを中心にセットを組めないかやってみるが、楽曲構造ゆえにテクノとかハウスっぽいツナギがなかなかできず、たとえばヒップホップのショートミックスっぽい感じでうまくやらないといけなさそう。そこまで難しいことではないにせよ、なんか慣れない。ロングミックスが上手いかっていったら、べつにそうでもないんだけど。
 きょうはもう一日なんもせんぞという決心をしたので、ほんとにだらだら。髙野麻美、武田羅梨沙多胡、佐藤亜美菜の出たトモカラを見て、あっさむの言動がめちゃくちゃツボに入る。でも前のデレマスライブでものすごい役への入り方してたしなんか底知れない人だよなと思う。「ミラーボール・ラブ」もあっさむのパート結構好きですね。
 夜、早めに寝たものの、早すぎて深夜に起きる。そのまま部屋の掃除とかキーボードの掃除とかしちゃって。いま。もう寝ますね。
 

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2.27

 朝、6時位に起きる。お腹が減っているがまだカフェが空いていない。しょうがないからコンビニに行って飯買って宿の共用スペースで食べようとする。が、共用スペースに異臭。これも致し方ないなとバルコニーに出て、寒空の下朝ごはん。まあ、悪い気はしない。食い終わって部屋に戻ろうとすると、スタッフの人とすれ違う。換気をはじめたのでなんかクレームでも入ってたんかな。
 シャワー浴びたり荷造りしていたら9時くらいに。カフェで二度目の朝飯を食べる(食べすぎ)。イングリッシュマフィンにスクランブルエッグとスライストマトがはさんであるやつがなかなか美味い。家でもやろうかな。
 いい感じの時間になったので東京駅へ。新幹線改札に入って、待合室で仕事する。電源はないがWi-Fiはあるので、PCの充電さえあれば、まあ困らない。明日締め切りの原稿がふたつ。ひとつはレビューなのでしっかり聴いて判断し、資料にあたれば書ける。しかしもう一方はもっとコラム的というか、お題があってそれについて自由に……みたいな感じなので、むずかしい……。困っている。助けてくれ。
 飯を買って新幹線に乗り込む。コンセントが使えるように窓際の席にしたが、まさかのコンセントのないタイプの便にあたってしまった。しかも、Wi-Fiもない。スマホからテザリングしながら、引き続き仕事。山形着くくらいまではバッテリーも持ちそう(実際持った)。
 新幹線のチケットを山形までにしてしまった件、変更とかめんどくさいし、山形で降りてふつうに在来線に乗り換えて天童まで。2両編成で、ドアはボタンを押して開け閉めする。時間帯のせいなのか、高校生がめちゃくちゃ多い。電車なんか使うの通学する高校生くらいのものだものなぁ。
 家に着いたら、やっぱ服についてたら不安なのですぐ着替えて、洗濯した。うーん。意外と過敏になっている。
 原稿をうーんうーんとうなりながらやって(着地点が見えない!)、もうどうにでもなれ、と思ったタイミングで、Bandcampで音源をいくらか買う。『The Decade of Depression』の売上を全部使ってしまった。今月入金がどれだけあるか(もしかしたら来月かしら?というのがある)が読めないので不安。まあ、明日になったらわかることだが……。
 夜、安倍ちゃんがまーた馬鹿みたいなことを言っている。マジでこいつら全員クビにしときゃよかったんだよな。

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2.26

 昨晩寝たのが2時とか3時で、うーむ、何時くらいに起きれるかなあ? と思ったらなんと7時くらいには目が覚めて、うだうだしてたら8時。きょうからピーター・ドイグ展がはじまるので、ワンチャン朝イチでいけんじゃね、と身支度して、宿併設のカフェで朝食を食べ、東京国立近代美術館へ。
 初日のオープンから展覧会みにいったことなんかなかったな。と思いつつチケット買って入場。ピーター・ドイグはそこまで観たいと思ってたわけじゃなかったけれど思いの外楽しめた。鏡面(水面)をキーとした初期作品から一貫して、いわば絵画的平面のなかに風景を読み込み、またその風景のなかに絵画のアナロジーが仕組まれ……という具合の入れ子構造が見いだせる。また、遠景・中景・全景……といった奥行方向のレイヤーとは異なる複数の面がフレームのなかにモチーフの配置や筆触のコントロールで構築されていくのが面白い。一時間程度で完走したが、もういっぺんくらい観てもいいかも。(坂田一男のときも同じこと言ってたが……)
 その後、渋谷に移動して打ち合わせという名目でランチ。中華を食べつつ「次の企画、どうしましょう」「あのミュージシャンどうですか」「最近なんかいい本読みました?」みたいな話をする。うっすらとプレッシャーを感じつつも……のらりくらりとやっていきたい次第ですね……。
 宿に戻ると、昨日に引き続きこれがまた体力ゼロ。睡眠時間が短かったから息切れだ。アニラジを聴きながらドミトリーでぐったりとする。
 晩飯を食べに外出て、いろいろけっきょくやよい軒入って、なんか敗北感を味わった。まあ山形にやよい軒、たしか無いから、いいけど。で、宿の共同スペースでこれを書いている。

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2.24-25

2.24

 6時ごろ起きる。昨晩は荷造りをしていて寝るのがめっちゃ遅くなった。二度寝せざるをえない。
 8時ごろ改めて起きてご飯食べる。たらこと大葉がまだあることを思い出してお昼はたらこスパにしようと思う。バスマティライスは? 食べちゃったンゴねぇ……昨晩に……。
 原稿をめちゃくちゃうんうんうなりながらやって、お昼をあやうく食べ忘れるかと思った。たらこスパを食べる。明日・明後日の予定を調整するメールが届いて返事する。一方は打ち合わせなのでいいのだがもう一方の要件はまじで緊張する。どうしよう。
 午後も、うーんうーんとうなって、原稿をなんとか仕上げに持っていく。今週、東京に滞在する予定なのに締め切りを3つくらい入れてしまった。落ち着いてやればできるものばかりだが、家におらんのだ私は。東京で仕事する場所を探さなければ。

2.25

 5時起きる。もっと寝ようかと思ったけど新幹線が7時50分発、家を出るのはその30分前、そして……とさかのぼっていくと、5時くらいから寝起きでまどろみつつぼんやり準備するのがよかろう、みたいな計算になる。仕事の連絡をチェックして、ごはんたべて、シャワー浴びて、なんかRSSチェックして、とやっていくと結構あっというまに家を出る時間になる。父親に駅まで送ってもらう。
 山形新幹線、電源あるな。窓際の席なら電源使える可能性たかし、ただしない車両もある、みたいなことを聞いていたが、いまはもうだいたいあんのかな。というわけでちょっと仕事する。Grimes『Miss Anthropocene』のレビューを提出しないといけない。正直、シンギュラリティ論みたいなのはあんまり好きじゃないし、本作が試みている気候変動をめぐる挑発的な問題提起もうまくいってるかどうかはわからない。しかし、高らかに喧伝されるコンセプトをいったん度外視するとけっこう興味深く、かつプロダクションは文句なく洗練されている。作品はもちろん、DIYなアーティストがここまでいけるぞ、という意味で、2010年代でもかなり重要なミュージシャンのひとりだな。
 今回の上京でやる仕事、結構「えっお前もこういうことするんだ!」みたいな案件なのだけれど、いつ情報出していいのかな。
 仕事は無事に済んだ。が、めちゃくちゃ体力を消耗。喋り仕事ってこんなに…… って、ほぼ言ってしまっているが、まあ、そういう感じっす。
 宿に戻ると本格的に体力はゼロに。ぐったりしていると、三浦さんが家でRMEのインターフェイスなどを試すから来るかい、ということで、せっかくなのでお邪魔する。なんだかんだですごい長居してしまった……。

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2.22-23

2.22

 猫の日。関係ないですが。一度早朝に目覚めたがすぐ寝て、8時位に起きる。朝から資料を読んだり聴いたりする。どばばばって依頼がきたのでちょっと忙しい。まあ焦るほどでもないが。なんか調べ物が脇道にそれてティモシー・モートンのハイパーオブジェクツ概念の導入的エッセイを読んでこれが結構おもしろく、モートンはちゃんと読みたいな~などとぼんやり思った。あとグレアム・ハーマン。
 昼、レンズ豆のサグカレーをつくる。バスマティライスで食べたいなぁ。地元では売ってるの見たことないので、Amazonで注文した。あと(あと?)JTNC6も注文した。
 えきねっとをチェックしたら、天童に戻る日にちにも1割引のきっぷがあって、ちょうどいい感じの時間帯だったので予約した。しかし、仕事先から交通費が出る案件でわざわざ1割引を待たんでもよかったのではないかという気はする。
 リリースに数人から購入通知が来る。これは嬉しい。値段つけちゃったからどうなるかなと思ったけど。
 原稿をとりあえずすすめる(アウトラインだけざっくり書く)。読書しようかと思ったが寝てしまおう。すみません。

2.23

 7時起きる。ちょっと飯食べて、8時から「題名のない音楽会」のリピートをBS朝日で見る。狭間美帆さんをフィーチャーした回。狭間さんは青森育ちなのね。どうでもいいですが。凱旋企画みたいな感じで、ゆったり祝福ムード(受賞はしてへんけど)なプログラムになっていた。『Dancer In Nowhere』はとてもいいアルバムでけっこう聴いたな。めちゃくちゃどうでもいいが、狭間さんを思い浮かべようとすると声優の原由実さんを思い浮かべてしまうのだが、別に全然似ていない。似てなくはない。似てないが……。
 『現代思想』掲載の千田有紀さんによる記事が大きな批判を受けている。この時点でまだ手にして読んでいないので内容については立ち入ることはしない。しかし、当該号の目次が出た時点で抱いた「このテーマについてこの人に書かせて大丈夫なのか?」という懸念がどストレートで大当たりだったらしい、ということにがっくりとくる。他に読みたい記事があるのでもう少ししたら購入するつもりではいる(単に金欠……)。編集部はどういうつもりなのだろう。買うことも若干ためらってしまうところがある。少なくとも、鈴木みのりさんの記事が読みたい。新潮のもだな。
 バスマティライスを湯取り法で準備してカレーで食べるというのをやり、バスマティライスは軽すぎて食った気がしないがそれ故に良い(腹にたまりすぎない)ことに気づいた。あとあじまん(山形ローカルの今川焼きチェーン)を食べた。おいちლ(´ڡ`ლ)おいち
 Jazz The New Chapter 6が届く。小室敬幸さん、高橋アフィさん、細田成嗣さんの記事がめちゃくちゃ気になっていて、そこから読んでみるとやはり素晴らしい。グレゴリオ聖歌以来の教会音楽から声楽(合唱)の歴史をたどってジェイコブ・コリアーに接続する小室さんのスケールのデカさ、高橋アフィさんのプレイヤー視点も多分に入りつつドラムキットの生み出す「音色」について掘り下げるコアさ、細田成嗣さんの聞き取りによるアントニー・ブラクストンの影響検討が感じさせる今後のモノグラフ的(同時にそれは彼に影響を受けたミュージシャンたちの群像でもある)展開への期待など。他の記事はすべて読んではいないもののグラウンド・アップ・フェスティヴァルのレポートとマイケル・リーグのインタビューは白眉。これらの記事だけではないが、「教育」にフォーカスするJTNCのカラーがヴィヴィッドに感じられる。かつ、JTNC自体が啓蒙的では決してなく、好奇心によって駆動しているであろうアティチュードがどの執筆者、どの記事からも漂ってくるのが面白い。学ぶこと、学んだことをシェアすることに対する開かれ。
 あといまは村井康司『現代ジャズのレッスン』(アルテスパブリッシング)や小出亜佐子『ミニコミ「英国音楽」とあのころの話』(DU BOOKS)も読んでます。って書き出していくとアルテス、DU BOOKS、ele-king booksばっか読んでるような気がしてくるな。

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2.21

 4時くらいに多分一度起きた。5時半くらいに改めて起きる。朝食にイングリッシュマフィンとパティで朝マック的な雰囲気のあれを。一度やったら気に入ってしまった。お水飲む。お水はたくさん飲むと良い。少し調べ物をしたあと、Bandcampをさらっとチェックする。UKG系の、いい感じのリリースないかなと思ったら、El-BがBandcampでリリースをしてるんですね(昨年末から?)。あとで買っとこう。
 Studio Oneでマスタリング作業。といっても、細かいことをする気力がなくなにもわからんので、Ozone 9 Elementsをかけて、なんか音のクセが嫌なところだけ手動補正。Studio Oneでラウドネス測定して、-12LUFS前後になるよう調整……みたいなことを、さらっとやる。ミックスに戻りたくなる音源もあったので、それはあとでミックスしなおす。「この音だけ目立ちすぎ」みたいなのがたまにある。目立たせたくて他の音削ったりして、そのときは満足でも、あとから聞き直すと「なんでこいつこんなでけぇの?」みたいになる。むずかしい。
 昼、温泉に行く。またサウナ。きょうは露天風呂で外気浴もしたのでフルコース感があった。毎回やろう。
 帰りにスーパー寄って、ちょっと食材を見ていたら、大葉のお徳用パックが「EM育ち」と謳っていてちょっとひいた。うーん、あのEMなのかな? あんまり産地とか農法にこだわったりはしないのだがEM菌はなんかやだ。まあそもそも量がいるわけじゃないのでバラ売りのを買ったが、こちらも単にパッケージが分けられてるだけで同じ銘柄かも。いいんすけど。ね。たらこも買いました。お昼ごはんはたらこスパにした。
 帰宅すると、なんだか急にどどどんと原稿依頼がやってきていた。「なんか仕事ないな最近……」と思っていたらこれだ(うれしい話です)。だいたい受けることになったが、同じ作品のレビュー依頼が2箇所から来たので、片方は断った(先着順)。
 25日の新幹線をとろうとしたら、昨日はなかった割安のきっぷがちょうど乗りたい便に出てて、うきうき購入。キャンセル枠とかなのかな? 帰りは27日の午前中の予定だが、そこももしかしてちょっとねばると出るのかな。 とらずに数日静観しておこう。
 夜、マスタリングがまあ、こんなもんちゃう? となったので、Bandcampでリリース。『The Decade of Depression』、読んで字の如し、2010年代はうつの時代であった。し、振り返ってみれば、少なくとも日本に関しては、恐慌の時代でもあった。と思う。迷ったけど、700円つけた。偉そうですみません。
 ANNi 田所あずさと天津向のどうせワレワレなんて・・・を延々と聴いている(一ヶ月分だけ期間購入したので)。そのせいでめっちゃころあず推しみたいな気分にたってきた(単純接触効果)。でもころあずが出てるアニメってあんま見たことない。あんまっていうかほぼ見たことない? アイカツ見たこともないしな… テレ東系だから。
 寝る前、フットマッサージャーでごりごりに足をほぐした。ついでに書かなければいけない原稿のノートをつくっておく(Evernoteに締め切り、掲載先、概要、文字数などをタイトルに明記してノートをつくり、「執筆中」タグをつけておいて、それでタスク管理している)。おやすみなさい。

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2.20

 5時ごろ、はやめに目が覚める。ふだんは二度寝を決めこむが、なんとなくスマホを開いたらPop Smoke逝去の報。正直、めちゃくちゃにショック。しかも、LAでAir BnBに滞在中、強盗に遭って銃殺されたそうだ。なんでこんなに、若いラッパーが命を落とさないといけないのか? と、ひとしきり、ヘヴィな思いにかられる。天野龍太郎さんが銃規制の問題を絡めながら「This Is America」をツイートしていた。こうした悲劇さえをも消費してはいないか、いるだろう、とChildish Gambinoが問うているような気持ちになる。
 午前中はRSSをチェックしたり記事を読んだり。The 1975の新曲、The Birthday Party、MVに乱舞する(もはや忌々しい)ネットミームたちのなかでデジタルデトックスに励むマッティ。歌詞はここではともかくとして(歌詞も興味深いのだが)、このビデオはなんだかとても泣けてしまった。正直、ミームに通じている人なら眉をひそめたくなるようなMVでもあるのだが、そうしたミームがおのれら自身、デトックスのプログラムに参加しているのだと思うと、ミーム自体に罪などないことにも気づく。また、MV全体のプロットは「マッティがナルシシズムを実現する」というものに思えるが、それはまさにこのMVが執拗に言及するインセル的な精神のなかで阻害されてきたものなのではないか、と思える。4chanにたむろする人々は常に匿名で顔を持たない。構造上「自分を肯定する、自分を愛する」ことができない。匿名掲示板に限らず、SNSでも、人はおのれ自身をおのれ自身の限りで肯定することを許されない(他人の目が数値化されてしまうから。その意味でセルフィはナルシシズムの発露ではない。自己完結しないから)。ナルシシズムは必ずしもいいイメージを持つものではないけれども、しかしあいまいにこちらをまなざす他者という地獄のなかでナルシシズムの契機を奪われてしまうことで、なにかが損なわれている気がする。
 昔の曲のミックス作業、「ヘッドルームは-6db」と目標を定めて、ピークだけ潰す作戦にしたら割とすんなりいくようになった。バランスが崩れない程度に各チャンネルのレベルを調整し、必要であればEQで削るか、ディストーションなどで倍音を足して目立たせた上でレベルをいじる。最終的にはOzone 9 ElementsなどをStudio Oneでかけるつもりでいる(買いました、1000円だったので)。
 Twitterで「音楽ライターがアニメやゲームの話についていけない」みたいな話題があったが、たとえばファミ通とかゲーム系メディアがThundercatやFlyLoに話聞きに行かないのかな? と思う。音楽の話なんかせんでもええんですよ(作品は聴いとかないと絶対だめだが)。とか、結局編集がどういう座組を設定するかの話ではないか。どうしても「書いている人、訊いている人」に焦点があたってしまうが、そもそも「この人にこれをインタビューしてもらおう」という采配が解決する問題って多いんじゃないかなあ。
 来週の東京行きのスケジュールがようやく確定した。コロナウィルスの件もあって、もし仕事がバラしになったら家にいるかと思っていたから安心した(安心なのか? むしろ不安か?)。新幹線で行くぞ~。

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