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カテゴリー: Japanese

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ヨルシカ「創作」の販促のあれ

ヨルシカがニューEP「創作」が2021年1月27日(水)に発売される。Type AとType Bのふたつのバージョンがあって、前者が通常のもの、後者がパッケージもなにもかも同一だがCDだけが入っていないものだという。いわく、「サブスクリプションサービスなどで気軽に音楽を楽しめるデジタル時代となった今、“CD”の在り方をCDショップで問う、皮肉が込められた作品」とのこと。

しかし、これってたしかに「CD屋に並んでるのにCD入ってないんかい!」という程度の皮肉にはなるかもしれないが、ただそれだけだ。ちょっと気の利いた冗談、みたいな。n-bunaいわく、

だそうだ。やってるほうは「すげー! おもしろい!」ってな具合で気持ちいいのかもしれない。

歴史的に見れば、「この時代にCDを買うってどういうこと?」という問いかけは繰り返し行われてきたものだ。プリンスが新作を新聞の付録にしてしまったり、レディオヘッドが投げ銭でデジタルリリースしたり、ネットレーベルのMaltine Recordsが「コンピ収録曲はデジタルデータでダウンロードして、付属のCDRに焼く」というリリースをしたり、あるいはゴールデンボンバーが楽曲データをダウンロードできるQRコードを無料公開してしまったり……。これもほんの一部の例に過ぎない。

ヨルシカのやろうとしていることが、めちゃくちゃ新しい、ということはない。まあ別に新しかったら偉いわけじゃないからいいけど。それに、こういう突飛な企画を通せた、その点はすごいアーティストであり、チームだなーと思う。

しかし……それでも、あまり感心する企画ではない。

そもそも、仮に定額サブスクリプションサービスの普及したいまCDの意義を再考しようというのならば、サブスクとCDの性質をわける「使用」と「所有」の二種類の権利のありかたを考慮しなければならないはずだ。

つまり、サブスクの場合はプラットフォームが提供するカタログ内の音源を都度ストリーミングして再生する権利に金を払っている(サービスを「使用」することに金を払っている)のに対して、CDの場合はそのオブジェクトやそこに格納されたデジタルデータを法の許す範囲内で「所有」する権利に金を払っている。それゆえ、プラットフォームやそこに許諾を出している権利者の都合によってカタログのラインナップは随時変化し、「ある任意の作品をいつまでも聴ける」という保証はない。CDならばそれが手元にある限り、いつまでも聴けるし、私的利用の範囲内であれば複製もできる。

サブスクが普及してもなお「CDを買う」ことの意義のすくなくともひとつは、支払った金銭に対して与えられる権利のこのような差異にある。ここに切り込まずして、「CDを買う」ことを問うことはできないのではないか。

あるいは、ある種のファン向けグッズのようなかたちでフィジカルメディアを捉える、という行き方もあるだろう。握手券やなんらかのチケットを同封するいわゆる「AKB商法」をはじめ、凝ったパッケージデザインや付録で付加価値を付けることはすでに広く行われている。

ヨルシカの今回のケースをもうちょっと深く考察するならば、文脈としてはこちらに近い。つまり、CDショップに並ぶCDとはいまや音楽を記録したオブジェクトというよりもある種のグッズであり、そこに実際に音楽が記録されているかどうかはもはや関係ないのではないか? というような。

しかし、その前提にたつと、ちょっと意地悪な読みをすることもできる。

現在、CDはしばしば複数のバージョンが同時に発売される。収録曲が違うとか、ジャケットデザインが違うとか、付録が違うとか、やり方はさまざまだ。熱心なファンは、こうしたバージョン違いをなるべくコンプリートするために、自分の財布が許す範囲で複数買いするだろう。

すると、オリコンなんかの集計では、バージョン違いも統一してひとつの作品としてカウントされるから、売上枚数≠買った人数という状況がうまれる。それを鑑みて、ビルボードのような複合指標においては、そのCDを読み込んだり再生したりした人数(=ルックアップ)を指標のひとつとして設けて、売上と購買人数の不均衡にある程度対処していたりもする。

さて、ヨルシカ「創作」の場合はどうか。よくあることだが、この作品はType A/Bの二種類だけではなく、購入店舗ごとに異なる特典が用意されている。その数、9種類。さすがに全部コンプする猛者はごく少数で、ファンのなかには断腸の思いで「これは欲しい!」という特典を選び抜く者が多いだろう。しかし、今回はお求めやすい価格となったType Bがある。Type Aが1900円(外税)なのに対して、Type Bはなんと半値近い1000円(外税)。CDは入っていないが、もともと複数枚買ってもCDがダブって困るだけだからむしろ都合がいい。予算が5000円しかなかったら2枚しか買えなかったところが、これなら4枚(Type A×1、Type B×3)いける!

ってのはさすがに冗談だけど、こう考えてみると、今回の企画は「皮肉」ではなく、むしろCDショップや小売店チェーンと組んだ販促キャンペーンのやり方としてきわめてよくできている、とさえ言える。ただそれだけだとエグい商売みたいに見えちゃうけど、「サブスク時代にCDを買うとは……」というそれっぽい問題提起をしているふうにも見えてごまかせる。

しかし、そこに本当に批評性が――特に「メディア・アート」というからには――あるだろうか?

とかいうとめちゃくちゃヨルシカをくさしてるみたいになったけど、曲はすごく好きです。エレクトロニカっぽいエディット感や空間づくりが好みなんですよね。こないだ出てた「風を食む」もめっちゃよかった。ただ今回の企画はちょっとげんなりって話。CDは……Type Aを1枚買うかな。

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読書会をやった

ポップ・ミュージック読書会(仮)、通称ポプミ会というのを始めた。単純に、文献とか読むときにひとりだと寂しいしモチベも持続しにくいので。といっても、「これを読みたい! いや読まねば!」みたいなそういう個人的な実利よりは、人と喋りながら読む機会をつくることに主眼をおいている。これで定期的に人前で読んだものについて話すリズムができたら、自分の勉強もサイクルができるのでは……と期待しつつ。

初回は11月22日(日)、専用につくったDiscordサーバーで行った。ボイスチャンネルを中心に、適宜テキストチャットも用いながら会話するかたちだ。読んだのは、SNSで軽くバズった、モーリッツ・ソメ「ポピュラー音楽のジャンル概念における間メディア性と言説的構築——「ジャパニーズ・シティ・ポップ」を事例に——」だ。これ、阪大音楽学研究室のジャーナルに掲載された翻訳論文なのだが、折からのシティ・ポップ・リバイバルもあり注目を集め、問い合わせが殺到。当初は予定になかったPDFでの配布が急遽実施されることになったほどだ(ダウンロードはこちらから)。

初回だし……と自分でレジュメを切り、当日はホスト的に進行。参加者は十数人ほどだったと思う。ボイスチャットでアクティヴに話していたのはわたしを含めて4,5人で、声では参加しないけれどテキストチャットでコメントを流してくれる人も数人おり、タイミングを見つけてテキストチャットの読み上げをして流れをフォロー、みたいな感じで進めた。

どのくらいの長さになるのか、読みきれるのか、まったくつかめないまま見切り発車で始めたこともあって、3時間ほどの長丁場になってしまった。ディスカッション自体はそんなに途切れなかったので密度は高かった。次回も3時間? やってもいいが、多少休憩などペースの調整はいる気がするな……。

講読文献の翻訳を担当した阪大の加藤さんが参加してくださったこともあり、論文のよってたつ文脈や細かい解釈などについてコメントいただきつつ進められた。これはよかった。あやうく五里霧中になるんじゃないかと思えたタイミングがあったので……。今後読む文献の性質にもよるが、著者や訳者を招くことができるのであれば、試みてみたい(とか言っていると、お前の本読んだらいいんじゃないのかみたいな提案があったりして、やぶ蛇なのだが……)。

終盤は、論文のむすびが近年の海外から逆輸入的にもたらされたシティ・ポップリバイバルのまとめだったこともあり、そこから派生して今後の展望みたいな話になり、自分からはネオシティポップの見直しとか地方文化との接続が大事なんじゃないかという提案をしたりした。そのへんは加藤さんによる書評論文(「〈書評論文〉「シティ」たらしめるものは何か?:シティ・ポップ研究の現状と展望」。ソメの論文と同じページからダウンロード可能。)でも軽く触れられているポイントだ。

反省点としては、もうちょっとアクティヴに話す人が増えるようにファシリテートできないかなというところ。あと、録音なりなんなり、ある程度記録を残しておいたほうがよさそう、ということ(院生のときは読書会では議事録とったりしてましたな……)。これは次回にいかしたい。とはいえ、あくまで自分が言い出しっぺで他の人には参加していただいているという立場なので、むずかしいなあ。

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ルールをつくってコミュニケーションを撚りなおす(「自慢をたのしく言いたいし聞きたい」へのコメント)

デイリーポータルZで「自慢をたのしく言いたいし聞きたい」という記事を読んだ。與座ひかるさんによる記事だ。かいつまんで言えば、「自慢話をしてOK」な場をつくってみんなで自慢話しあおう、というだけの話なのだが、そこから見えてくるコミュニケーションの機微がおもしろい。

自慢話は、他人から聞くのもおっくうだし、自分で話し出すのもなんだか気恥ずかしい(イキって自慢話しちゃった後の後悔よ……)、じゃっかん厄介なトピックだ。しかし、あえてルールをつくって自慢話に挑んでみると、思いの外楽しいし見えてくるものがある。

この点、非常に重要で、日ごろなんとなく「嫌だなぁ、めんどくさいなぁ」と思っているコミュニケーションのあれこれは、実はその行為そのものというより、そのやり取りのなかに潜んでいる暗黙のルールだったり、あるいは相手との関係のあり方、ヒエラルキーなんかに強く依存していたりする(もちろん、個人の経験や信念から「こういう話題は嫌だ」というのも当然あるんだけど)。

「自慢をたのしく言いたいし聞きたい」は、暗黙的なルールにのっとって行われているコミュニケーションに明示的なルールを設け、改めてその性格を発見しなおして確認する、という実験になっている。そのプロセスをじっくり観察すると、いつものコミュニケーションに含まれるヤダ味が陰画のように浮かび上がることになる。また、意識せずにのっかっているルールを自覚することで、よりローコンテクストな、開かれたルール作りを考える土台になるかもしれない。

與座さんがデイリーで書いている記事は数多いが、同じようにルールの力でなにげないコミュニケーションの仕組みをあぶり出すものが結構ある。たとえば「斜にかまえる、かまえないを1分ごとに切り替えるとどうなるか」とか、「「主語の大きさ」をくじ引きで決めるとどうなるか」とか。「同窓会で昔話を禁止するとどうなるか」もいい。どれも、「あえてやってみる」の契機をつくる(というのがまさにルールなのだが)ことでうまれるコミュニケーションの機微とそこからの発見がふんだんに含まれている。

おもしろい。のみならず、なにより思うのは、これらがいろんな可能性を持っているということだ。

記事で行われている実験は、知り合いなどを募っているから、その関係によって成果が担保されている部分も多いだろう。しかし、ある程度ルールの設計を見直せば、誰でもその実験の成果を追体験することができるはず。だし、それは「追体験」に限らずまた別の発見が人によってうまれてくるだろう。適切にオーガナイズ&ファシリテートさえすれば、コミュニケーションに関するワークショップとして有意義なものができるように思う(それが一番むずかしいんだけど)。

コミュニケーションの専門家(心理学者なり社会学者なりなんなり)を監修とかコメントに迎えて単行本や新書の一冊でも編めそうだなと思う。ワークショップ集みたいにできるように。それを読んだからって「聞き上手になる」とか「話し上手になる」、「プレゼンがうまくなる」みたいなことはない、だろうけど。見かけはそんな感じで。ビジネス書のふりしたライトな人文書みたいな。

ともあれ、単にコミュニケーションを円滑に、効率的に行えるだけじゃなくて、どのようにしてコミュニケーションが成立しているかを思考する。それこそが一番重要で、必要なんじゃないのかと思う。それを考える人が増えれば、理不尽さや暗黙のルールに押しつぶされる人が少なくなるんじゃないのか……と。

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お蔵にしていた宇多田ヒカル「Time」評をおいておく

 RealSoundで宇多田ヒカル「Time」評書いたんですが、解禁前の情報をがっつり入れすぎててこれは掲載できねえじゃんと思ってこちらから取り下げてリライトしてたんですよね。リリースもされたことだし結構がんばったのになんかもったいないのでここにおいておきます。仮に怒られたら消しますが……

***

 宇多田ヒカルが新曲「Time」のリリースを発表した。現在、2020年5月8日の配信開始に先駆け、YouTubeでワンコーラスのみ視聴することができる。日本テレビ系日曜ドラマ「美食探偵 明智五郎」の主題歌であり、2019年1月リリースの「Face My Fears」以来となる新曲だ。資料によると、作詞作曲は宇多田、プロデュースには宇多田に加えて小袋成彬もクレジットされている。

 「Time」はきつめのオートチューンのかかったハミングとエレピから始まる。追って入ってくるビートはやや変則的で、4拍目のバックビートを少しずらしたり、ハイハットやシェイカーなどのパーカッションを点で配置して独特のニュアンスを出している。リズムやメインのコードを奏でるシンセのサウンドは意外なほどそっけなく、シンプルだ。あまり味付けをしすぎずに、シンセの味をぽんと出したような潔さだと思う。

 そもそもこの曲、音数自体ごく少ない。一聴すると、デモを少しブラッシュアップしたかのような、すごく控えめで素直なアレンジに感じられる。そのぶん、ビートの細部や、バッキングを含めた宇多田のヴォーカルのニュアンスに注意が向く。

 たとえば、スネアが16分音符ひとつぶん後ろにずれることで、ビート全体にぐっとタメが生まれ、すこし粘っこさが生まれる。そうしたリズムと絡み合う宇多田のヴォーカルにも、少し粘ったようなうねりが感じられる。とはいえ、ビートはスクウェアな打ち込みであるのに対して、ヴォーカルがつくりだすリズムは自在に伸縮する。ビートが細かな点を鋭く打っていくのに対して、ヴォーカルは濃淡を変えながら描かれる線のようだ。

 具体的には、「キスとその少しだけ先まで/いったこともあったけど/恋愛なんかの枠に収まる二人じゃないのよ」の「いったこと〈も〉」の置き方、メロディを逸脱して半分語りのようにリズムに収められる「恋愛なんかの枠に収まる二人じゃないのよ」の自在さ。コンポーズされたリズムと崩しのバランスの洗練は、人間活動以降の諸作、とりわけ『初恋』で極まったように思う(拙著『リズムから考えるJ-POP史』で『初恋』に一章割いたのはまさにその点からだ)。「Time」はプロダクションの観点から言えば『初恋』よりもぐっとシンプルで、なんなら親密ささえ嗅ぎ取ることもできるが、変わらぬリズム処理の巧みさを存分に発揮している。

 しかし一番の聞き所だと思うのは終盤の展開だ。といっても目覚ましいビートスイッチやエフェクトがあるわけでもないし、物語が急展開するわけでもない。

 終盤、落ちサビ的にビートレスなパートが登場し、そこから再び戻ってくると、変則的だったスネアがバックビートに素直に収まるようになる。そこまで、はっきりと言い表せない微妙な関係性や感情を綴ってきた言葉が少し調子を変える。一番わかりやすいのは、そこまで「時を戻す呪文」を胸に携えていた語り手が、「戻すことができない時間」をポジティヴに捉えなおしているかのような内容の転換だ。

 しかし、律儀にバックビートを鳴らすスネアと、これまた律儀にリズムにおさまるヴォーカルには、妙なよそよそしさが漂っているように思う。自分に言い聞かせているようでも、「君」に語りかけているようでもあるが、どこか同じ沼に引き込んでしまおうとでもしているかのような不穏さがある。

 そう考えると、「時を戻す呪文を君にあげよう」という一見ポジティヴな贈与にも思える一節は、同じ「たら、れば」の呪いに相手を巻き込んでしまおうという意思の表明のようでもある。

 しかし、「恋愛なんかの枠」では説明しきれない関係性を無理に枠に収め、あるいは解消してしまうよりも、語り手のこの言葉はよほど切実で生々しく感じられる。個の感情や、個と個が結ぶ固有の関係性に忠実たろうとするこの語り手はある意味で誠実かつラディカルなのかもしれない。

 思えば『初恋』は、たとえば表題曲に典型的なように、ロマンティック・ラヴへ傾倒しているようでいて、どこか典型的なロマンスなどにはおさまりきらないいびつな剰余をはしばしに見せていた。「Time」を聴き込みながらふと『初恋』を聴き返すと、なんとなくこのアルバムに感じていたわだかまりがほどけるようだった。

 宇多田は「Time」に加えてサントリー天然水のCM曲として「誰にも言わない」を発表したところだ。リリースは5月29日を予定しているという。立て続けの新曲リリースにいっそうの期待が高まる。

1件のコメント

4.6-4.7

4.6

 寝直して、6時くらいに起きる。
 …って、ここまで書いて終わってるな。実質欠番です。思い出せる限りで書くと、スーパーに行った、「シスターシティーズ」受取損ねて注文キャンセル扱いになりマジ凹み→メルカリで購入、原稿依頼が来る、など。原稿依頼を断りそうになってしまったのだが、単に最近の世の中にあまりに絶望してメンタルがやられきっているために仕事ができなくなっていたことに気づいた。物理的に無理(図書館あいてなくて仕事しようがない、とか)な状況が多く凹んでいたが、これはできます、といってひとつ案件を受ける。
 夕方にばったり寝てしまい、深夜に起きる。またこれか~と思いつつ、寝直す。

4.7

 朝からひどい頭痛。もう、一日だめだった。夕方にぐったりしながら起き出して、CDを収納する棚をすのこから取り出した端材とグルーガンでちゃちゃっとつくる。意外と強度が出たのでCDをのせるくらいならよかろう。
 頭痛で動く気になれなかった日中は、頭が起きているあいだニコ動でちよなぴ競馬塾の気になるゲスト回をたらたら見ていた。無料でも見れるアーカイヴがあって助かる(入会しようかな。競馬に興味が出てきた)。
 きのう受けた案件について、実は機材環境的に厳しいところがいくつかあって、「こういうふうにしたらいけますけど」というのを提案していたのだが、それをふまえてお返事が来ていた。まあいろいろ、プランAからBからCからくらいの感じで、遠慮なく提案している(前に原稿依頼されたときにけっこう自由に提案させてもらえた記憶があり)。できるといいな。
 もはや国がどうこうとか、書く気にもならない。しかし最近気がかりなのは閣僚とか議員が感染していないのかだ。ボリス・ジョンソンもICUに運び込まれたというし。。。議員は高齢で、男性が多い(日本!)ので、感染・重症化のリスクが高いのでは。いくら安倍はやめろと思っても感染したら洒落にならん。しかしそうした最悪なジョークみたいな事態がほんとに起こってしまうのが昨今だ。。。
 虎の子のReface CSをメルカリに出品した。もうほかの機材も軒並み売り払ってしまってよいか、という気持ちになっている。PCで完結すればいいし。。。Thinkpadの修理代は47,000円だという。いや、ぎり払えますが、ふつうに厳しい。Reface CSが売れてくれたら楽になる。

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4.4-4.5

4.4

[この日付は欠番だ]

4.5

 きのう、19時過ぎに限界がきて寝てしまった。念の為「ネルノダ」を飲んだ。たしかにすっきりと目覚めたが、0時過ぎ。5時間も寝ていない。すっきり感は活動しているとすぐに消えていく。ほんとうは8時間くらい、ぐっすり寝たいのだ。とにかくこの睡眠不足は日中の行動を不安にする。車を運転するのはよしておきたい。
 昼前、修理に出すPcの引取がやってくる。さらば相棒(4ヶ月くらいの付き合いだったが)。一週間くらいで戻ってきたらいいけど。むずかしいかな。このご時世だし、気長に待つ。
 半身浴をしながらチョ・ナムジュ『82年生まれ、キム・ジヨン』をKindleで読む。一日15~30分くらいずつちんたら読んでて、70%くらいまで。なんか、これいうと誤解を招きそうだが、Twitterに投稿されるエピソードの集積みたいな感じを覚える。女性の生きづらさをめぐる半匿名のエピソードたちが束ねられているような。日付も年号も固有名詞もはっきり出てくるにもかかわらず(表紙のイラストレーションが示唆するように)顔がないような。それはこれがキム・ジヨン自身の語りではなく、キム・ジヨンを診察する医師の聞き書きという形式によるところが大きいだろう。いたるところに挟まれた注釈が、この顔のなさに奇妙な具体性を与えていく。どのエピソードもかなりしんどいものばかりだ。それが「あるひとりの人物の固有な体験」ではなく、むしろ集合的な経験(卑近な言葉で言えば「あるある」)になっていく。これなんなんだろうな、と思った。気に入った(好ましい感情をおこすとは限らない、怒りに近いものもある)部分にマークしていくと際限なくなった。これ最後までいくとどうなるんだろう。
 政府がCOVID-19収束後の経済活性に向けた施策としてクーポンを出すのはまだまあ百歩譲っていい(いまいうことじゃねえだろ、という最大のツッコミはもうみんなしてるし)のだが、そのネーミングセンスが「Go To Travel」とか「Go To Eat」とか、なぜか命令形の、中学生が考えたみたいな感じなのが解せない。
 ジョン・カーペンターの映画「ゼイリブ」には、サングラスをかけるといっけん感じの良い広告や雑誌の記事、テレビ番組なんかに隠された真のメッセージ――従え(obey)、消費しろ(consume)、結婚して子供をつくれ(marry and produce)――が見えてくる、という風刺的な設定がある。視覚的にもインパクトがあってミーム化しているが、今の世の中はもはやサングラスなしに「外食しろ」「旅行に行け」「経済をまわせ」というメッセージがあたかも”よきこと”や”真理”のように流通している。なんなら国がそれに加担するのだから凄い話だ。
 消費という享楽をそれ自体として肯定できず、なんらかの大義をかざしたくなる気持ちはわかるが、そこでかざされる大義が「経済を回せ」であることに心底嫌気がさす。「食べて応援」や「買って応援」「行って応援」みたいな3.11以後のスローガンはすべてそれだし、おたくが誇らしげに「コミケの経済効果」とか「アニメ・マンガの市場規模」を持ち出しておたくカルチャーの優位性を説く姿もまたそれである。
 きょうは夕方くらいに体力の限界がきて、寝た。お昼寝くらいのつもりが日付を超えてしまった。なんだかなぁ。ネルノダを飲んで寝直す。

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4.2-4.3

4.2

[この日付は欠番だ]

4.3

 きのうは日記を書いていなかったようだ。きょうも書いているのは夜も更けてから。朝何時に起きたっけ。いや、1時くらいに寝て4時ごろ起きて、ああきょうもまた眠れなかった、と暗い気持ちになったのを覚えている。昼にはそれを取りもどそうと昼寝もしたが、それも1時間よりは寝たが、2時間もいかないほどであった。
 こうして眠りが短いのがつづくと倦怠感がものすごくなってくる。ずっしりと目の奥が重くなって思考が微妙に鈍くなる。仕事が手に付かない。
 仕事、といっても目下締め切りのある仕事はなく(3月中目安で~と言っていた案件もあるが、期日をはっきり決めていないので、のびのびになっている)、AWAの公式アカウントとして好きな曲のコメントを書いていく、という案件だけ、目下の仕事といえば仕事。とはいえ、「この曲について書いてくれ」みたいな指定なく、好きな曲とかアルバムとかミュージシャンにAWAのコメント機能で短い評を寄せるって話で、仕事っぽくはない。この機能がもともと気になっていたところだったこともあって、引き受けた。
 AWAはスマホで使うかぎり結構良いUIで、正直Apple MusicやSpotifyよりも良いと思う。しかしPCアプリがあんまよくないかな。カタログも、特に海外のものは「あ、これはないか」ってのがちょくちょく。微妙なところですな。でもコメント機能は良いです、お話好きかつ音楽好きの人はやったらハマりそう。サブスクをSNS的に使うのは🍎でもSpotifyでもあるけれど(いまこのひとはこれ聴いてます、とか)、そこにはっきり「言葉」を持ち込んだのは偉い。まあ🍎だとライターさんがすげぇしっかりした解説つけてるけど。
 そういえば、昨日はメインのX395に棚の荷物が落下して液晶が大破したのだった。外部ディスプレイを使ってふつうに作業できるからいいんだけど、このご時世修理に時間がかかりそうで不安だ。Instagramで破壊報告したらIn the blue shirtアリムラ氏からパーツ買って自分で換装してはとサジェストしてもらう。うーん、パーツが手に入るならもしかしたらそれがいいのか。だって「修理にだして2週間戻ってきません」とかなったら最悪だからねぇ。
 予備のラップトップあるんで、仕事自体は多分できるんだけどね。
 きょう聴いた新譜については明日書こう。NNAMDIすばらしかったよ。

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3.30-4.1

3.30

 4時起き。まただ。二度寝できなかった。[見返したらここで終わってる…]

3.31

[この日付は欠番だ]

4.1

 5時起きだったかな。まだまだ暗かった。きのうつくって小分けして冷凍しておいた茹で鶏を解凍して玉ねぎとあわせ、バルサミコのドレッシングであえる。それをバゲットに挟んで朝食にした。
 お昼は、同じく茹で鶏をつかってチキンライスをたくさんつくり、一部は冷凍して、オムライスに……するつもりが、使い慣れていないフライパンだったのでオムレツがうまくできずに、スクランブルエッグが乗ったチキンライスができた。いや、事実上のオムライスなんだけど、オムではないよね。
 デスクまわりの機材を整理する。ハード機材は正直もう処分してもいいのかなと思うが、トーフにもらったQY300もまた使い込んでないし、いろいろと迷う。とか言いつつ、夕方、TB303をシミュレートしたVSTでは評判がえらく良いABL3を購入してしまった。やっぱソフトがとりまわし楽ですよ。。。
 Twitterでたわむれに #このアウトロがヤバい選手権 というハッシュタグをつくったら、うっすら広まっていて面白い。アウトロというのは「曲全体を聴く」という経験と密接に結びついているから、挙げられている曲をチェックするとなればおのずと通して聞くことになる。そこがちょっとおもしろいかなと思う。

 夜、姫乃さんとのポッドキャストが配信される。トーフゲスト回、中編。思い出話やトーフのキャリアの話、音楽業界についてちょびっと、話しております。

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3.29

 4時起き……。二度寝したらよかったが、できなかった。寝不足でめちゃくちゃ能率が悪いなか、ちょっとだけ加筆してくれと依頼があった原稿をなおす。つづいて、きのうつくった曲にタイトルをつけて、v.o.c.に送る。タイトルって思いついたときにメモったほうがいいね。こういうときにこまる。
 仕事するにも興が乗らず、本をちょいと読んだり、ラジオ聴いたり、昼寝を試みたりして過ごし、日が傾き出した。ようやく手元にある仕事が片付いたので、次の連載の初稿を書き出さないといけない。でも……そうかんたんに始められるものではない。
 Twitterで買い手を募っていたKORG monologue、フォロイーと話がついたのできのう発送し、きょう昼向こうに届いたようだ。paypalで料金のやりとりをした。これでABL3でも買ってしまおうかと考える。monologueは実質、疑似アシッドベースライン生成機にしていたので、VSTでやれるならそれにこしたことはない。

Anime & Seiyu Music Night | ラジオNIKKEI第1 | 2020/03/27/金 19:00-19:30 http://radiko.jp/share/?sid=RN1&t=20200327190000

 Taku Inoueづくしの30分。名曲しかかからない。あれ、この日記載るころにはタイムフリー終わってるか? リピートあるらしいです、4月に。

 山村響さんのニューシングルかなり良さそう。上田麗奈『Empathy』、早見沙織「シスターシティーズ」と声優アーティストの良作が連発されているが山村さんもいいぞ。

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3.28

 1時くらいに寝たのに、4時半くらいに起きてしまった。なんとなく寝る気がせず起き出して、メールしたり、Twitterチェックしたり。

 Sam Gendel『Satin Doll』かなり奇怪だがクセになる作品で、エレクトロニックなのに呼吸が感じられる独特の質感が、スムースさに流れていきそうなそっけない楽曲にただならぬオーラを与えている。

 Duck Sauce新譜、大ネタをファンキーなフィルターハウスに仕上げるかれららしいスタイルで、横綱相撲。Smiley Faceの大団円っぷりに笑う。
 日中、v.o.c.の不要不急JUKEコンピに応募するために曲をつくる。Renoiseを立ち上げて、Kai Shaperで波形を生成してコードやメロを打ち込む。ドラムなどのサンプルは手持ちのものかSplice。カットアップ的にタイムライン上に素材を配置していく場合はやはりStudio Oneとか一般的なDAWのほうがいいのだろうが、サンプルエディットの自由度の高さやコマンド主体の打ち込み、サンプルとインストゥルメントの境界線のなさがおもしろくて、やっぱりトラッカーは良い。2曲できた。どっちも送ろうっと。
 夕方、なんとなく熱を測ると(気づいたときに検温してる)なんと38度超えてた。なんで?! と思ったが、1,2時間すると36度台に戻っていた。この体温計が悪いのか?

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