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世界を背負わないこと――James Blake – Don't Miss It

2020/9/19 若干改稿。

先月末にYouTubeで公開されたJames Blakeの新曲、”Don’t Miss It”が各種ストリーミング・サービスでも配信されている。1月に公開された”If the Car Beside You Moves Ahead“に続いて、アコースティックなサウンドとエレクトロニックなビートが融合したトラックに、印象的なエディットやエフェクトが施されたヴォーカルが乗る、まさにJames Blakeといった楽曲だ。

どこか抽象的かつ隠喩的でドラッグへの参照も見られた”If the Car…”の歌詞と比べると、”Don’t Miss It”の歌詞は率直で、胸を打つ切実さがある。ひとことでまとめるならば、利己的な想念にとりつかれることで見失ってしまった、かけがえのない人生の歓びに対する、後悔にあふれた讃歌だと言えるだろう。

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世界がぼくを締め出した/すべてを与えてしまえば、ぼくはすべてを失ってしまう/あらゆることがぼくに関わっている/自分こそが一番重要なことだ/きみはこういう堂々巡りな考えを持ったことがないのかい?

冒頭のヴァースで示されているとおり、この曲で「ぼく」は、世界から疎外されるとともに、「あらゆることが自分のためにあり、自分こそがもっとも重要なのだ」という視野狭窄に陥っている。そして、つづく2つ目のヴァースで歌われているように、この状態のままでいる限り、「なににも巻き込まれなくて済む、リアルタイムで世界を見なくて済む、煩わしいことを忘れられる、外に出なくても済む、列に割り込むことだってできる、好き放題言うこともできる、好きなときに眠ることもできる…」はずなのだ。

しかし、反実仮想(could)が列挙されるこのヴァースの最後には、仮にそのとおりに行動した場合の、その代償がつきつけられる。

でもそうするとぼくは、それを見逃してしまうんだ/それを見逃してはいけない/僕のように見逃してほしくないんだ

「それ」の正体は、最後のヴァースできわめて具体的に、しかし具体的であるがゆえに正確に名指すことができない、繊細なモーメントとして列挙される。

完璧なイメージを求める必要がなくて/なんの問題も見当たらないようなとき/それを見逃してはいけない

あるいは、

気の合う仲間とつるんでいて/鈍い痛みがどこかに消えてしまう、そんなとき/それを見失ってはいけない

そしてまた、

抜け殻みたいな感覚が抜けて/まわりのみんなが「調子よさそうじゃん」と話しかけてくる、そんなとき/それを見失ってはいけない

抑うつ状態にあると、孤独に苛まれ、世界をたったひとりで背負っているような感覚に陥ることがある。苦しみを背負い、自暴自棄になり、結果としてあたかも「自分の好きなように」生きているかのような利己的な行動をとるようになってしまう。しかし、それによって苦しみが根っこから解消されたわけではない。苦しみから目をそらし、苦しみをやわらげるための行き当たりばったりな行動でしかないのだから。

James Blakeはこの曲で、そうした隘路に迷い込まないための忠告をあなたに与える。弱さに押し流されそうになるのに耐えて、生活のふとした瞬間にあらわれる満ち足りたモーメントに注意を払うこと。同じ苦しみをわかつ人びとにこの声が届くかどうかはわからないけれど、「ぼく」と同じ側に落ちてきそうな人びとへ、精神を振り絞ってメッセージを届けようとしている。

絶望に染まることばに反して、ピアノとバックコーラスは救いのように響く。ただしそれは、無用な多幸感をもたらしはしない。なぜなら、この曲が伝えようとするものは、宗教的恍惚や啓示ではなく、なにげない生活そのものが救いでありうることだからだ。

カテゴリー: Japanese