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健康と能率(21)

Windows標準のテキストエディタ(メモ帳)。Ctrl+マウスホイールで表示倍率をコントロールできるのをいま知った。「手書きしたいけど漢字がわからない」というとき用にクソデカ文字表示ツールがほしいなと思ってたんだけどメモ帳立ち上げてCtrl+ホイールグイッでいけるじゃん、など。

みの『戦いの音楽史 逆境を越え 世界を制した 20世紀ポップスの物語』(KADOKAWA、2021、アフィリンク注意)読んだ。「ポップス」と銘打つわりに8割ロックの話でどうなんだ、とか、どのへんが通史の「アップデート」なのかがあんまりわからない、とか思いつつ、教養本として価値がありそう。なんか新書っぽい(悪い意味ではない)。個人的には音楽の三大要素(メロディ、ハーモニー、リズム)に「音色」を加える、というテーゼの出どころがわかったら、と思って読んだところが大きいのだけどはっきりしなかった。いろんな人が言ってるからなー。リスナー/ミュージシャンとしての実感からきている感じなのかな(おれもどっちかというとそのタイプといえばそう)。「民謡」に代表される「日本らしさ」に無防備なのはやはり気にかかり、しかしそれが「戦後」を起点としがちな歴史認識に対してむしろ連続性を提示しようという意図に裏打ちされているようなのは、行き方としてわかる部分がある。慎重さが求められるトピックだが、たとえば増田聡さんが書いた寺内タケシ追悼みたいな感じの構想なんじゃないか。買っただけで未読のままなのだが細川周平「近代日本の音楽百年」シリーズ(アフィリンク注意。リンク先は第1巻。これだけ持ってる……)もそういう問題に触れるものか。あるいは、大谷能生さんの仕事にはそういう関心がよくみられる。昔から激推ししている『平成日本の音楽の教科書』(新曜社、2019年。アフィリンク注意)に出てくるし、ちょうど読み始めた栗原裕一郎さんとの共著『ニッポンの音楽批評150年◆150冊』(リットーミュージック、2021年。アフィリンク注意)ではこんなことも言っている。大谷さん執筆パートのはず。

先回りして言ってしまえば、洋楽導入以後も、明治・大正・昭和の三代にわたって脈々と流れてゆくこれら三味線音楽[引用者注:江戸時代に育まれた庶民の音楽文化の言い換え]の音感とその言説を、どのように拾い上げ、どのようにこれまでの「音楽批評」の中に位置づけてゆくかが、本書の裏テーマのひとつとなるはずである。

大谷能生・栗原裕一郎『ニッポンの音楽批評150年◆150冊』pp. 17-18.

抽象的な「日本らしさ」を掲げられると引くが、具体的な実践から読み取っていくならば話は別。そう考え出すと、ゆくゆくは「日本らしさ」というひとつの概念に収めるのではなく、むしろ「日本」として(ある種欺瞞的に)くくられるもののなかにある多様さに突き当たることになるのだと思うが。

寺内タケシ追悼――増田聡が綴る、エレキ・ギターを日本に土着化させた〈神様〉の情熱 | Mikiki

これですね。増田さんの寺内タケシ小論。

『戦いの音楽史』に書いてあることの正否については正直わからんというのが本音なのだが(よく聞く話だなーと思って読んでいた)、「えぇ!?」と思ったところはちょっとある。「サンプリングはアメリカだとフェアユースが適用されて著作権侵害にならない」( Kindle の位置No.2516-2522 )とか、Radiohead『OK Computer』について「ギターサウンドからサンプリングを多用した路線へ」(Kindle の位置No.2627)と評していたり、どうなんだろう……。前者は校閲とかの問題でもあるけれど、後者はシンプルにリスナーとしてどうなんだ? と思ってしまう。「あえて」とかそういう感じでもないので特に。。。

テクノっ子だった自分はロックに関心を持ち出したタイミングで「なんだかレディオヘッドというのがバンドなのにテクノとかエレクトロニカをやっとるらしい」と知って(なぜか『Kid A』や『Amnesiac』ではなく)『OK Computer』を聴き、「全然テクノじゃねぇ……」と思ってちんぷんかんぷんだった。まだマイブラとかのほうがわかりやすかった。かといって『Kid A』もテクノだエレクトロニカだと期待して聴いたところで「えぇ……?」みたいなアルバムだけど。かえってホワイト・ストライプスとかのほうが「かっけぇ~!」ってなってた。

寒すぎる。

白菜を1/4玉、豚肉と炒めて食べた。白菜からすごい水出るので片栗粉をまぶしてとろみをつけた。おいしかった。

前回書いた北村紗衣『批評の教室――チョウのように読み、ハチのように書く』(ちくま新書、2021。アフィリンク注意)で印象的だったところはいくつかあるけれど一番「ほんとそれだよな」と思ったのは書き出しについてあんまり凝ったことはしないほうがいいって言っているところで、「私がおすすめしているのは、とりあえず作品の情報を簡単に書くところから始める、というやり方です」(北村紗衣. 批評の教室 ──チョウのように読み、ハチのように書く (ちくま新書) (Kindle の位置No.1426-1430). 筑摩書房. Kindle 版.)とあっさり言う。昔、「書き出しにこだわってもしょうがないじゃん」みたいな話をしたらあんまり反応芳しくなかったことがあって、でも凝った書き出しって必ずしも効果的じゃないと思う。ある程度書いてから、文字数のなかに収めようと思って試行錯誤したり、論旨を明確にするために冒頭を工夫したりして、凝った書き出しみたいなものになることはあるけれど。

カテゴリー: Japanese