ヨルシカ「創作」の販促のあれ

ヨルシカがニューEP「創作」が2021年1月27日(水)に発売される。Type AとType Bのふたつのバージョンがあって、前者が通常のもの、後者がパッケージもなにもかも同一だがCDだけが入っていないものだという。いわく、「サブスクリプションサービスなどで気軽に音楽を楽しめるデジタル時代となった今、“CD”の在り方をCDショップで問う、皮肉が込められた作品」とのこと。

しかし、これってたしかに「CD屋に並んでるのにCD入ってないんかい!」という程度の皮肉にはなるかもしれないが、ただそれだけだ。ちょっと気の利いた冗談、みたいな。n-bunaいわく、

だそうだ。やってるほうは「すげー! おもしろい!」ってな具合で気持ちいいのかもしれない。

歴史的に見れば、「この時代にCDを買うってどういうこと?」という問いかけは繰り返し行われてきたものだ。プリンスが新作を新聞の付録にしてしまったり、レディオヘッドが投げ銭でデジタルリリースしたり、ネットレーベルのMaltine Recordsが「コンピ収録曲はデジタルデータでダウンロードして、付属のCDRに焼く」というリリースをしたり、あるいはゴールデンボンバーが楽曲データをダウンロードできるQRコードを無料公開してしまったり……。これもほんの一部の例に過ぎない。

ヨルシカのやろうとしていることが、めちゃくちゃ新しい、ということはない。まあ別に新しかったら偉いわけじゃないからいいけど。それに、こういう突飛な企画を通せた、その点はすごいアーティストであり、チームだなーと思う。

しかし……それでも、あまり感心する企画ではない。

そもそも、仮に定額サブスクリプションサービスの普及したいまCDの意義を再考しようというのならば、サブスクとCDの性質をわける「使用」と「所有」の二種類の権利のありかたを考慮しなければならないはずだ。

つまり、サブスクの場合はプラットフォームが提供するカタログ内の音源を都度ストリーミングして再生する権利に金を払っている(サービスを「使用」することに金を払っている)のに対して、CDの場合はそのオブジェクトやそこに格納されたデジタルデータを法の許す範囲内で「所有」する権利に金を払っている。それゆえ、プラットフォームやそこに許諾を出している権利者の都合によってカタログのラインナップは随時変化し、「ある任意の作品をいつまでも聴ける」という保証はない。CDならばそれが手元にある限り、いつまでも聴けるし、私的利用の範囲内であれば複製もできる。

サブスクが普及してもなお「CDを買う」ことの意義のすくなくともひとつは、支払った金銭に対して与えられる権利のこのような差異にある。ここに切り込まずして、「CDを買う」ことを問うことはできないのではないか。

あるいは、ある種のファン向けグッズのようなかたちでフィジカルメディアを捉える、という行き方もあるだろう。握手券やなんらかのチケットを同封するいわゆる「AKB商法」をはじめ、凝ったパッケージデザインや付録で付加価値を付けることはすでに広く行われている。

ヨルシカの今回のケースをもうちょっと深く考察するならば、文脈としてはこちらに近い。つまり、CDショップに並ぶCDとはいまや音楽を記録したオブジェクトというよりもある種のグッズであり、そこに実際に音楽が記録されているかどうかはもはや関係ないのではないか? というような。

しかし、その前提にたつと、ちょっと意地悪な読みをすることもできる。

現在、CDはしばしば複数のバージョンが同時に発売される。収録曲が違うとか、ジャケットデザインが違うとか、付録が違うとか、やり方はさまざまだ。熱心なファンは、こうしたバージョン違いをなるべくコンプリートするために、自分の財布が許す範囲で複数買いするだろう。

すると、オリコンなんかの集計では、バージョン違いも統一してひとつの作品としてカウントされるから、売上枚数≠買った人数という状況がうまれる。それを鑑みて、ビルボードのような複合指標においては、そのCDを読み込んだり再生したりした人数(=ルックアップ)を指標のひとつとして設けて、売上と購買人数の不均衡にある程度対処していたりもする。

さて、ヨルシカ「創作」の場合はどうか。よくあることだが、この作品はType A/Bの二種類だけではなく、購入店舗ごとに異なる特典が用意されている。その数、9種類。さすがに全部コンプする猛者はごく少数で、ファンのなかには断腸の思いで「これは欲しい!」という特典を選び抜く者が多いだろう。しかし、今回はお求めやすい価格となったType Bがある。Type Aが1900円(外税)なのに対して、Type Bはなんと半値近い1000円(外税)。CDは入っていないが、もともと複数枚買ってもCDがダブって困るだけだからむしろ都合がいい。予算が5000円しかなかったら2枚しか買えなかったところが、これなら4枚(Type A×1、Type B×3)いける!

ってのはさすがに冗談だけど、こう考えてみると、今回の企画は「皮肉」ではなく、むしろCDショップや小売店チェーンと組んだ販促キャンペーンのやり方としてきわめてよくできている、とさえ言える。ただそれだけだとエグい商売みたいに見えちゃうけど、「サブスク時代にCDを買うとは……」というそれっぽい問題提起をしているふうにも見えてごまかせる。

しかし、そこに本当に批評性が――特に「メディア・アート」というからには――あるだろうか?

とかいうとめちゃくちゃヨルシカをくさしてるみたいになったけど、曲はすごく好きです。エレクトロニカっぽいエディット感や空間づくりが好みなんですよね。こないだ出てた「風を食む」もめっちゃよかった。ただ今回の企画はちょっとげんなりって話。CDは……Type Aを1枚買うかな。

3 thoughts on “ヨルシカ「創作」の販促のあれ

  1. 文章拝見致しました。

    そもそもなんですが、いわゆるAKB商法にcdショップ別の特典が入るのか疑問に感じました

    握手会とか収録曲が違うから…と言った理由でCDを個人に複数買わせる商法であって
    CDショップ別の特典はそんなに購買意欲を促進させる立ち位置ではないと感じます

    実際、CDショップ別の特典をコンプリートしたくて同じCDを大量に買う人はほとんどいないと思います(少なくとも私の知る限りではいません)

    「稼ぐための作戦」なのであれば、CDの値段を下げ特典を集めやすくさせる事よりも
    CDをどんどん作る、ライブをやる、グッズを作る、方を選択するのではないでしょうか

    1. コメントありがとうございます。
      第一に、今回の件を「AKB商法」の一環だとは考えておりません。文中で書いている通り、AKB商法はフィジカルメディアを売るための施策のひとつにすぎず、いまやその方法は多様化しています。
      第二に、こちらも本文中にあえて「意地悪な読み」であり「冗談」と書いていますが、あくまで仮定の話です。とはいえ、「特典目当てで複数買いする」ことがそこまで珍しいこととは思いません。自分の知っている範囲では特典CDRのバージョン違い目当てに複数買いする人が当たり前にいるので……。「ヨルシカの特典にはそんな魅力はない」というのであればそれまでですが、ほかに実例を知っているからこそこういう「意地悪な仮定」を思いついたわけです。
      そして、最も言いたいことは「実際にヨルシカが稼ぐための作戦としてこれをやっているのだ!」という糾弾ではありません。「皮肉」あるいは「メディア・アート」として行うというこの施策は、現在CDというメディアをとりまく状況に対する批評的な介入としては的外れであり、最悪の場合、むしろ単に現状を追認しているに過ぎないのではないか? という疑念を表明しておきたいのです。それが「皮肉」であるとすれば、どのような「皮肉」として機能しうるのかを考えるべきであって、またそれは「当人たちが何をしたいのか」とはまったく別の次元で議論されてしかるべきものと思います。

  2. 見当違いなコメントになってしまった事、お詫び申し上げます

    ここからは個人の見解なのですが、今回の作品にn-bunaさんが託した「皮肉」は、
    「店頭に売っているCDに音楽が入っていなくても買うんだろ?」
    というものだと思いました。

    ストリーミングサービスが普及した今、現物のCDを買う人はファンしかいません。そのファンも、CDを買わなくてもそのアーティストの音楽が聴けます。

    今の時代、CDに音楽データが入っていることは絶対条件ではないのではないか。そんな発想から「音楽の無いCD」というものが生まれたのではないかと思っています。

    数十年前に、音楽が入っていないものがCDショップに並んでいたら誰も買わなかったと思います。

    CDへの価値観が変化した今、音楽の無いCDは買われるのか。
    また、このCDを買った人に対して、「貴方は何を買ったのか?」を問いかける。

    そんな皮肉だと思います。

    “音楽”を作るアーティスト。しかし売るのは”音楽”ではない。

    この上なく痺れる皮肉だと、私は思います。

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