2020年1月4~5日と雑感

あけましておめでとうございます。今年はまた英語記事やろうと思います。(って日本語で書いてどうする)。

1月4日(土)

「(J)POP2020」出演のため上京、三鷹に向かう。当日は7時間の長丁場で始まる前から「人来るのか?」「時間持つのか?」など不安でいっぱい。そもそも喋りはそんなに得意ではないのでヒヤヒヤする。しかしふたをあけてみると会場はしょっぱなからほぼ満員と言ってよかった。各々のプレゼンや共同討議については触れない。録音はされていてもしかしたらなんらかのかたちでアーカイヴ化されるかも? どうだろうね。

ひごろは山形の実家を拠点に主に寝るなどの活動をしているため、こういう場所で東京の業界っていうか、なんだろうね、メディアの人やライターの人とたくさん会うと変な気分になる。ほんとみんな東京にいるんだな、と。あえて「アンチ東京!」などとぶち上げる気はないもののやはり東京の空気感にうっすら抵抗があって、山形に、東北にいることの意義を自分のなかにつくりだしていかないといけないなと思う。しかしむつかしいのは、東京とか、あっても大阪・京都に行くことになりがちなんだよな。いまのところ。ほんとは青森や北海道、秋田なんかに行ってみたいのだ。春になったら車で東北をまわりたい。

1月5日(日)

東京国立近代美術館「窓」展を見る。いかにもとってつけたようなテーマで「あれもこれも窓だよね」という感が否めないが、そこを除けばあれやこれやが見れてよかったかも。コレクション展でめちゃくちゃフィーチャーされている小林耕平は正直よくわからなかった。なんでこれが…? 2020の空気に冷水をかけるかのような各部屋のトピックの出し方は意義深いものだろうが明らかに前日の7時間が響いてあまり集中もできず。

ネカフェに行って爆睡。のち、LINE CUBE SHIBUYAでMaison book girlワンマン「Solitude HOTEL ∞F」。素晴らしい公演で、メンバーのパフォーマンスもhuezの演出も相当きれきれだった。こういう話をすると嫌がる人もいそうだけど、これほどのステージ、このままパッケージとして輸出してもいいんじゃないのって思う。もしかしたら歌唱の安定感がもっと増したほうがいいのかもしれないが、あんなトリッキーでテクニカルな振り付けありでよく歌えるよな、という驚きのほうが強い。

はー年始の上京も終わり。って思ったけど下旬にまた来るかもしれん。まあ、今回はめちゃくちゃ忙しなかったので次はもうちょっと展覧会とか見たり、人と会ったりしたい。

雑感。

5日、senoticさんのブログ記事(http://senotic.hatenablog.com/entry/womencritics)を読む。年間ベストみたいにハクがつく企画に呼ばれるライター陣のジェンダー比にこれだけ偏りがあるということが可視化されるとやはりビビる。良い記事だと思う。それに対して「いや、女性ライターや編集者としてこれこれこういう人がいる」と固有名詞を並べるのは、気持ちとしてわからないではないが、問題の深刻さや複雑さをかえって浮き彫りにするのみだろう。 (っていうか、Twitterにも書いたけど、「(J)POP2020」もそういうホモソ感は丸出しではあった。そこに出演しといてこれ言うかみたいな批判もあるだろう)

この調査自体価値あるものだが(やってみたことがあるとわかるがこれだけでもけっこう骨の折れる作業)、個人が調べられる範囲には限界があるので、もっと詳細な調査をどこかのメディアがイニシアティヴをとって行うべきなのではないかと思うけれど、それにふさわしいメディアはあるだろうか。わからない。有志で団体を立ち上げてもいいかもしれない。個々のライターはあくまでフリーランスで(どっかの編集部にいるとかもありますが)、キャリアのなかで築いてきたネットワークありきで動いているために、「業界全体」みたいな見通しを共有し難い。しかし各々はまぎれもなくそうしたネットワークが内在している差別構造にからめとられてもいる(する側であれされる側であれ)。自分がこう心がけている、自分のまわりはこういう状況だ、という意識や現状を確認しつつ、具体的に問題を立ち上げる(解決するためには問題が明確でなければならない)ためのいま一歩をどう踏み出すか。

そこでマンスプレイニング的なことを言ったり(こんな素晴らしい女性ライターや編集者がいるのに知らないのか、みたいな)ジェンダーバランスの問題を隠蔽・矮小化するようなことを言ったりするのは単に反動的なのでやめるべきだ。そもそも男女のバイナリーがどうなんだみたいな話もあるけれど、データを解釈してエビデンス化していく手続きのなかで、集団的に議論を重ねて明確に「この場合はこの定義で作業をすすめた」と明文化しておく(批判の余地をきちんと担保する)、というのが妥当だろう。

ただ、あくまでここまで言ってきたのは一種の労働問題(に内在する差別)であり、個々が仕事のなかで示す価値観まで踏み込むのはまた別の次元の話。並行して検証していく作業って要る(主要な音楽雑誌の記述の批判的分析とか。それがどういう結果をもたらすかわからんけど)。

これをある程度具体的にかたちにできるような動きを模索したいが、ここでも「東京」にどれだけコミットできてるかみたいな壁がありそうで、なんか憂鬱になる。

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