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2.11-13

2.11

 たぶん7時ちょっと前くらいに起きた。昨晩送ったメールの返事を確認して、多少仕事を進めて、しかし午前中は寝潰す。お昼になってからちょっと外出して、エナドリを買う。スーパーに寄ったらほうれん草がやすかったので買った、近々サグカレーをつくろう。
 「チル」というワードがあまりに乱用/濫用されている。「チル」な音楽はウィードを吸ってそれ自体に没入するものであると同時に、勉強しながら、仕事しながら聞き流すBGMでもある(まあ、stonedな状態に対するBGMといえば同じかもしれないが)。すごくアンビギュアスな概念だと思う。個人的には、「チル」をサウンドとか音楽に内在的な要素から定義することは難しく、しいていえば前記のような両義的な聴取のモードを指すものと考えるべきなのではないかと思う。ヘヴィミュージックも適切な音量と距離で流せばおそらく「チル」である。
 ただ、もしある程度内在的なレベルで「チル」を定義するならば、「全体性の欠如」くらいは言えるだろう。「曲」や「アルバム」の有機的な統一を目指さない。「反復」とか「コラージュ」みたいなワードが(一部で)注目されるのもその延長線上にある(戦後のミニマル・ミュージックや戦間期~戦後のコラージュが芸術全体に対してどんな役割を担っていたか)。チルだなんだと言われる『When I Get Home』は? 『Blonde』は? と思われるかもしれないが、いやたとえば『To Pimp a Butterfly』とか『DAMN.』みたいなひとつの大きなナラティヴにつらぬかれたアルバムと対比すると、あれら2作があきらかに物語的なものとは異質な構造を持っていることが感取されるだろう。仮に「チル」を全体性の欠如と特徴づけるならおそらくその範疇にくくることはできるだろう。
 (おおざっぱなくくりでよくないのは承知で言えば)アジア人であるということとアジアンディアスポラであることは似て非なるもの、というのはたとえば88risingの躍進を眺めつつ結構考えたことだったが、「パラサイト」にもそういう側面はあるのだな。とTLに流れてきたツイートや記事を読んで思う。そのへんをわりあい安易にごっちゃにしてしまう人は多い。NYTのこの記事で言及されているルル・ワンの『フェアウェル』がまさにそのギャップ(アジアのルーツを持つことと、アジア人であること)を描いているそうなので、気になる。

2.12

 何時に起きたっけ。7時とか? うろ覚えだ。午前中に原稿をひとつ仕上げて送る。
 お昼にカレーをつくる。オイルとスパイスのほかは鶏むね肉とトマト缶だけのシンプルなパキスタン風カレー(サグカレーは後日鶏もも肉でつくることにした)。まあまあうまくできる。クミン、カイエンペッパー、カルダモン、クローヴ、コリアンダー、ガラムマサラ、オレガノ。さらにしょうがとにんにく。と書き出すとなんかたいそうなもんに思えるが、実際には目分量でざっと入れるだけだからそんなに手間と思ったことはない。あ、カルダモンとクローヴだけは乳鉢で擂る。めんどくさいけど趣味だからほっといてほしい。
 さて、オイルにコリアンダーとガラムマサラ以外のスパイスを放り込んで加熱し香りを移したあとで鶏肉を炒める。いい感じになってきたらコリアンダーとトマト缶を入れて煮込む。スパイスカレーはあまり煮込まないらしい。まあスパイスの香り飛ぶからね。でもこれは煮込む。鶏肉がほろほろになるまで……。いい具合になったら、マッシャーで肉をがしがし潰してほぐしてしまう。塩コショウで味を整えてガラムマサラで最後の風味づけをする。偉そうに書いてきたが我流である。でも結構いい感じにできます。
 原稿を書くのに必要なので、Sexy Zoneの新譜を買ってくる。PP加工のブックレットって光沢ついて見栄えはまあ多少いいのかもしれんけど保管のときに油断すると反っちゃうから好きじゃないんだよな。フィルムは湿気を吸わないのに紙は湿気を吸ってしまうから、紙側が若干膨張する。するとくせがついてしまう…… 学生時代に表紙をPP加工したZINEをつくって学んだ。
 セクゾのアルバム聴きつつ、メールチェック&返信、そして月末の上京の段取りを考える。仕事がある日だけ上京するか、22日に行きたいイベントがあるのでそのあたりも鑑みて数日滞在するか……。むずかしい。お金があったらなんも考えなくて済むんだけどね。はっはっは。

2.13

 8時くらい起きる。ちゃっと朝飯食べてやや仕事する。
 午前中のうちに、と思い温泉に行く。サウナをがんがんにキメた。ふわーっと。ふわーっとなる。帰りにスーパー行って、バゲットが安くなっていたので買う。帰宅してきのうつくったカレーにキャベツの千切りを和えて、バゲットに挟んで食べた。こういう食べ方も意外と良い。気に入っている。
 糸井重里が(もっぱらTwitterでの言動によるところが大きいが)批判的に言及されることの多い昨今だが、ある段階でその活動の総括があったとして、次はおそらく佐藤雅彦あたりについて考えるフェーズが来る気がする。糸井重里がコピーライティングにおいてイメージとか雰囲気、ライフスタイル的なものの雛形を提示したのに対して、佐藤雅彦はまったく違うパラダイムにいる。ほぼ日的なものの欺瞞を突くことはおそらく容易であるけれども、佐藤雅彦~ユーフラテス的なものの功罪は現状捉えがたいように思われる。佐藤の仕事は、人間の認知の特性、バイアスを突いてハックしていくようなアプローチに特徴づけられる(初期のコピーライティングからそうだろう)が、そこに実はなんかの穴があるんでなかろうかと思ってしまう。おそらくもうしばらく経ってから2000年代から2010年代を振り返ると「認知科学やその知見を援用した行動経済学」の時代だったということになるんじゃないかと思うのだけれど(実際にそこにコミットしてる人からすると「全然評価されてない、ポモがいまだに幅きかせてる」みたいな感じなのかもしれんが……)、総合的な視聴覚表現におけるその対応物が佐藤雅彦的なるものになるのだと思う。
 サウナでキマった揺り戻しか、体調を崩して寝込む。低気圧もあったかも。これ、どうやったらうまく対処できるんだろう?
 夜、「みんなで早押しクイズ」というアプリをためしにやってみたらなんかハマってしまい、1時間くらい潰してしまった。もう後悔しかない。原稿をちょっぱやで仕上げて寝るぞ……。

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