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チルしながらNo Hope Generationを歌い、聴く

Mura Masaの新作と「もはやチルってる場合じゃない」という時代の空気について|柴 那典|note

 ライターの柴那典さんがMura Masaの新譜『R.Y.C.』を評しているnote。これがまったくよくない。なぜかというと、同作のサウンドが表面上パンクロックやポストパンクを参照している部分があるからといって、安直にUKの不安定な政治情勢への抵抗だと断じているからだ。特に象徴的に取り上げられている「No Hope Generation」のフックを「チルっている場合じゃない」という空気感の象徴として語っているのはまったく的を外している。

みんな「希望のない世代」をやってる
Everybody do the no hope generation
この新しくてヒップな感覚が国じゅうまきこんだ流行になってる
The new, hip sensation craze sweeping the nation
火炎瓶と銃をくれよ
Gimme a bottle and a gun
そしたらどうなるか、見せてやる
And I'll show you how it's done
そんでよくよく見てみることだ
And if you look real close
全部冗談でしかないってわかるよ
You'll see it's all a joke
全部冗談なんだ
It's all a joke

https://genius.com/Mura-masa-no-hope-generation-lyrics

 ここに読み取れるのは「希望のない世代」として暴力に走ること自体が「新しくてヒップ」だとある意味冷やかすような目線だろう。火炎瓶と銃? いいね、でもそんなのだって全部冗談なんだ。

 「チルってる場合じゃない」なんて言うけれど、この曲の主人公がセカンドヴァースでまさに「チル」しているーーウィードを吸って、ぼんやりとLCDスクリーンを眺め、リラックスしているーーことはどう考えるのだろう?

スクリーンを見つめてる、くもりひとつない
Staring at the screen, so serene
おれのこころをグリーンに浸らせてくれ
Let me bathe my mind in green
めちゃくちゃリラックスしてる
I feel so relaxed, I feel relaxed

 たしかに「チルってる場合じゃない」のだが、同時に「チルするほかない」のだ、主人公は。この閉塞感を読み取ることなく安直に「火炎瓶と銃」に結びつけてしまうのは、「助けてほしい、助けてほしい(I need help, I need help)」という主人公の言葉を踏みにじるようなものだろう。

 『R.Y.C.』はとても好きな作品で繰り返し聴いているが、これは「政治的」というにはあまりにノスタルジックすぎるし、私的すぎる(ノスタルジーがこのアルバムの主要なテーマであることは本人も述べている。パンク/ポストパンクのサウンドもまたノスタルジーの対象だ。いわく、「ノスタルジーについてのアルバムをやってみたかったんだ、過去を振り返りながら前を向くためのね(I wanted to do an album about nostalgia – looking backwards to look forwards)」)。

 とはいえ懐古してそこに耽溺して済ませるほどこのアルバムは鈍感ではない(思い切ってヴィジョンを示してくれるものでもないのだが)。そこに「政治的」ポテンシャルを読み取ろうとする試みもあっていいし、おそらく正当な読みも可能だろう。しかしその前に、このアルバムに描かれた不安や焦燥やモラトリアムが湛える瑞々しさにこそ、「いま、ここ」(いや、舞台はイギリスなわけで、日本の田舎に住んでるワタシが言うのも妙なんすけど……)の苦境が反映されていることを注視したほうがよいのではないか。それは同時に、イギリスのユースカルチャーが常に描いてきたものでもあると思う…… Mura Masaのノスタルジーと反復はそれ自体ある種の反復なのではないか。良いか悪いかは別として。

Published in Japanese