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1月15日

 7時くらいに起きる。きょうこそは仕事を……と思うが思うようにすっきりしない。気分がややふさがっている。請求書書いたり領収書の整理したり資料の整理したりして午前中をぼんやり潰し、お昼少し前に温泉に行く。サウナに入るといつもより早めにキマった。疲れてたのかな。

 帰りにイオンモールに行ってさいふを探す。これ! というものがなかなかなくてどうしようか、もういいか、と思ったところでふと入った雑貨屋さんでぴったりのブツを発見した。MINIMのウォレットケース。真っ赤なのを選んで買う。ついでに、3coinsでソーイングセットを買う。ダイソーとかにあるんじゃないかと思ったら、意外といい感じのがなくって、ここでたまたま見つかってよかった。指ぬきやメジャー、まち針、リッパーなんかがついている。常に持ち運びするにはちょっとかさばるけれどデスクにおいとくにはいい感じだ。

 スーパーと酒屋に寄ってもろもろ食料品なども買って帰る。家に着くとおなかがぺこぺこで、カレーをつくることにする。鶏むね肉とトマトを中心にしたパキスタンカレー風。レシピは適当。オレガノ、クミン、コリアンダー、唐辛子、ガラムマサラに塩コショウ。最小限「これがあるとぎりカレーっぽい雰囲気は出る」くらいのスパイスだが、ひとりで食うぶんにはぜんぜんよい。

 調理中に急にまた買い物にでないといけなくなり、きりのいいところでいったん火をとめる。木村拓哉のアルバムレビューを書くことになりそうなのだ、しかも締め切りは明後日とか。キムタクだったらまあ八文字屋(もよりの本屋)のCDコーナーにもあるでしょう、とふんで車を飛ばす。

 しかし、ないのだ! 品切れなのだろうか。これは予想外の展開。しょうがないからイオンモールにまた向かう。天童には新譜を買えるCD屋はたしか八文字屋とイオンモールの書店しかない。ちなみにどちらも売り場面積は狭い。八文字屋は店舗リニューアル中のためCDコーナーが書籍エリアに間借りしていることもあってしょうがないが、イオンモールの書店についてるCDショップは棚が6面くらいしかない。うーん、その状況でも、キムタクだったらあるんじゃないか? とイオンモールで探してみると、こちらはきっちり書いてありましたね。品切れ、と……。がーん。なんのために決して近いということはないイオンモールまで来たんだよ、と落胆。紆余曲折あって入手はできたけど、なんなんだろうね。くたびれた。

 関係ない話。たとえばとあるグループのメンバーAのファンが、「Aにはこんなジャンルの曲を歌ってほしい!」と思ったとする。それだけだとファンの願望だが、しかしこの願望には少なくともふたつの判断が含まれている。「メンバーAのパフォーマンスやキャラクターはこういうものだ」という判断。それと、「このジャンルはこういうものだ」という判断。「AにR&Bっぽいバラードを歌ってほしい」ならば、「Aはこういう歌い方をする(こういうパフォーマンスをする)から、これこれこういう音楽であるR&Bがぴったりのはず(すくなくともわたしはうれしい)」とひらくことができるだろう。

 もし「Aのこういうところ」と「このジャンルのこういうところ」をそれぞれ知らない人にきちんと説明しようと言語化したならば、おのずとそこには「批評的」と言われうる主張が含まれるのではないか(それが斬新とか面白いかどうかは別かもしれないけれど)。別にこれは音楽ジャンルに限らなくて、「こういうメッセージを発してほしい」でも「こういうキャラクターを演じてほしい」でもいいし、あるいは「このメンバーとデュオでやってほしい」でもいい。現実にないなにかを妄想するとき、「なんでそれが現実だったらうれしいか」を細かく自己分析していくと、それは単なる妄想であるのをやめて、ある考え、意見になる。

 それ以外にも、たとえば運営への文句だってそれがある信念に基づくのならば適切に言語化(適切、というのは必ずしも「批評」っぽい言語でなくてよく、単に「誰かに伝えるための言葉」くらいの意味で)さえすれば読み物になりうる。読み物にしたらしたで変な消費のされ方するから別にそれがベターだって話でもないけどさ。

 で、これは「書くこと」に関するたらればであると同時に、「読むこと」に関するたらればでもある。読者がそのように読むこと、それだけで風通しよくなるものはあるのではないか(いや、変な風をふきこんでしまう可能性もおおいにあるのだが……)。

 そういうことをぼんやり考えていた。

Published in Japanese