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1月10日

 6時半に起きる。昼の飛行機で仙台から関空に向かう。関空からそのまま京都へ、って旅程は考えてみるとじゃっかんかったるいが、深夜バスで12時間ゆられるのとどちらがいいかというと。うーん。どっちもどっちなんだよな(深夜バス意外と苦じゃない派)。

 自民党の改憲広報ポスターがノリタケさんの画風パクりと話題の件、パクりかどうかよりも(みんな言ってるほど自明じゃないと思う、ちゃんと見たら別にそこまで似てはいない……この「ちゃんと見たら」のあたりにいろいろある)、「パクりだと言われないよう」配慮しただろう痕跡、たとえばノリタケさんなら描かないだろう顔のシワの追加など、のあたりに、現代的なやだみを感じた。いや、それこそ配慮の結果なのかはわからないけれどさ。

 鼻うがいをこの冬からはじめたのはいいけど出先で気軽に出来ない。これ、なんか方法あるのかな。鼻うがいのスキルを高めると塩と適当なカップさえあればできそうだけど、水道水はなんかやなんだよね。いつもは生理食塩水と専用の洗浄器でやってる。

 荷物は最小限で済ませるし。と思ってLCCの一番安いプランで預ける荷物はないつもりでいたのに、急遽増やした荷物が結構な重さになっていたために持ち込みできないことに。3000円弱払う。いいけど…なんか悲しい。本って重いんだねぇ… まあ本がなくても重量超過してたと思うけど。

 東浩紀の新潮に載った文章(ウェブに再録)を読む。実感として理解はできる。

 我田引水にパフォーマンスの話にひきつけると、マスメディアの発達によるあらゆる出来事の(潜在的な)スペクタクル化とハプニングやパフォーマンスの隆盛がなかば共犯関係にあったことはわりとオーソドックスな議論だろうと思う。東野芳明がニューヨークでみたハプニングをきわめてフォトジェニックであると看破したのは印象深いし、もっともラディカルにハプニングの可能性を追求したカプローの活動は次第にそうしたスペクタクル化への抵抗の色を強める。他方マスメディアに目を向けると、「ハプニング」は予定調和を破壊する偶然の導入としてテレビを中心としたメディアにもてはやされ、ほぼ日常語にまで浸透した。こうした「パフォーマンス≒アクション≒政治」とゆるく等号でつながる時代におけるマスメディアと前衛の結託をSNS時代に悪い形で再演してしまうことに対する抵抗はあるし、あってしかるべきだろう。

 ただそのとき、対立項として活動の見直しを制作にかける、というのがどこまで有効なのかは正直疑わしい。いまやSNSこそが活動であり、ならばそこから距離を置くためには制作だ、というのはシンプルすぎるのではないか。あと、そもそもいいねやRTで計量された活動とは果たしてなんなのだろう。なにを計量化しなにを評価しているのか。わからん。とりあえずアーレント読み返すか。アーレントは活動をなんらかのかたちで評価することについてなにか言ってるっけ。学生のときに読んだきりだや。とかいって、忘却の彼方にいってしまいそう。

 関空から京都まで電車。リムジンバスにするべきだった…ひどく疲れた。電車のなかにあったイーオンこども英会話の広告、キャッチコピーが「この教室が、セカイの入り口。」とのこと。セカイ系か?! と思った。天下茶屋で乗り換えるときに疲労と空腹で辛抱たまらずマクドナルドに入る。マクドナルドの店員が大阪弁だ。なんか変に安心する。

 京都ついて宿にチェックイン。神宮丸太町駅ちかくのホステル。写真の印象ままのいい宿だ。一休みしてから河原町の丸善まで歩く。やはり京都を歩くのは楽しい。本を2冊買う。

 帰りは出町柳まで京阪で向かい、ファラフェル・ガーデンへ。ケバブサンドとファラフェルを食べる。うまいもん食うのはほんといいことだ。

 しかし、宿に戻ると貴重品を入れるロッカーの鍵がない! ファラフェル・ガーデンに戻って問い合わせ、出町柳駅でも問い合わせ、それでも見つからず、さすがに河原町までまた行く時間でもなく… 受付に話すと苦笑気味ながら丁寧に応対していてだいて泣きそうになる。なんで泣きそうになるんだよ。自分でもよくわからない。

 スマホでアニラジ聞いて、寝る。

Published in Japanese