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月別: 2020年1月

1.25

 6時に山形着。眠ぃ。。。
 家に着いてちょっと作業して、寝る。あれ、これはもしかして深夜バスに限界が……? でも新幹線が好きかというとそうでもない、みたいな……。効率的に移動するならやっぱ新幹線なんだろうな。うーむ。。。
 昨日の打ち合わせで「東京に移住しないのか」という話題になった。山形でやってくことになにか意義があるのでは、と思っているのと、東京でいま実家でつくってる環境(資料の保存や制作・リスニング面)を再現することは金銭面で現実的ではないことから、やっぱり難しい、限りなく「無し」。「音楽ライター」というかたちでキャリアをつくっていくならば東京で仕事の幅を広げる(ライブレポ、インタビュー等々……)ことは多分必須なんだろうけど、正直、そういう音楽産業の事情とか知ったことではない……。音楽ライターとして売れたいとはまったく思わない。わがままかね?
 とはいえ、2月ももしかしたら数回東京に行くかも、という現実を前にすると、なにか限界を覚える……。っていうかいつも東京、東京で、嫌になってくるな。秋田や青森に行きたい。東北の太平洋側も。北海道も。別府にまた行くのもいいな(昔住んで、働いてました)。沖縄にも……。
 オザケンのアルバムについて、レビューでは書かなかった好きになれないポイントに、「高い塔とStardust」の歌詞がある。「ねずみ小僧が住んでいたという橋のあたり」(つまり日本橋、日本の道路網の起点である)から「上方へ みちのくへ 海峡を超え」た「聡明な列島」の姿を想うあたりには、かなり無邪気に、東京を起点に日本を捉える東京中心主義がもろに反映されている。「流動体について」で描写される都市=東京の姿はとてもおもしろいが、それが安直に「東京を起点に(土木的に)形成された日本」へと拡張されるのは、まあ、地方出身で在住の身としてはおもしろくはない。し、それはあのアルバムにうっすら感じられるパターナルなやだみとも関連している。
 電算機さんの直近のエントリーがまた壮絶。「女は音楽ライター・評論家にはなれない」へのコメント集。いろいろとグラデーションはあるが、マジで反吐が出るようなセクシストのコメントが多い。どうかしてんな世の中。まぎれもなく自分もそんな世の中の一員なんだけど。どうしたらいいんだろう。いろんな人と話すほかない、という気もする。
 最近、自分のなかのロールモデルとしてIDLESがかなり大きい。人種差別、性差別(社会化されたミソジニーや、有害な男性性)への反対をずっしりとしたグルーヴのパンクロックにのせて歌う彼らの楽曲自体とてもいいのだけれど、この前出たライブ盤は特によかった。

 ”Mother”のパフォーマンス前にヴォーカルのジョー・トルボットは”I am a feminist!”とシャウトする。「自分はフェミニストだ!」か。ひるがえって自分はそう叫べるだろうか。自分はフェミニスト、と言葉で言うのはかんたんだ。が、ステージの上でそのように叫んだうえで、母親に背負わされたシャドウ・ワークを題材にして「この社会は母親たちをf*ckするクソ野郎(motherf*cker)だ」と訴えるこの曲を歌うのは、わけがちがう。この流れ自体、深く自分に思考を迫るものだ。さらに、オーディエンスがこの曲の歌詞を大合唱するのを聴くと、ここで起こっていることを少しは信じてもいいのかもしれない、という気がする。一方で、これはこれでもしかしたら男性の欺瞞なのでは、とも思う。しかしそう悩んで黙ってしまうか、それでもなお歌うか、で言ったら、歌いたい。いや自分は歌う人ではなく、いまは書く人なのだが。
 あれ、気づいたらきょう仕事してないな…… まずい。なんかしてから寝よう。

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1.24

 6時起き。ねっむ。でもシャワー浴びて、宿のコインランドリーで洗濯。昨日のトークを反芻して、白紙のマルチネ以前の活動についてまったく触れられなかったことを思って、電算機さんの記事をツイートする。
 Twitterの使い方として、「よいものやよい仕事をしてる人にこまめに言及する」のは大事かもしれん…
 サブスクリプション時代特有の歴史観のフラットさ(よくZ世代絡みで言われる)みたいなのにはかなり懐疑的で、「アクセス可能である」ことと「実際にアクセスする」こと、さらには「アクセスしたものごとに対する態度」って全部違うのに、と思う。
 DAWの話。「ピアノロール」に類する概念は掘り返すと結構な歴史がある。オルゴール、自動オルガン、プレイヤーピアノ、グラフィカルなシーケンサー、DAW。直接の祖先は自動ピアノのロールだろう(名前がそーだしね)。あるいは音楽の視覚化という点ではそもそも楽譜がそうだし、多様な記譜法が音の配置を二次元上に示す試みをしてきた。また、ひとりでなんでもする、というのなら、単に弾き語りというのを除くと、多重録音が思いつく(DAWはその名の通り「オーディオ」を扱うソフトウェアでもある)し、シーケンサーを駆使した自動演奏もある。小西康陽がDX7の登場で「これならいろんな音が入ってるし自分のやりたい音楽(つまり後にピチカートにつながっていくような音楽)ができる!」と思って宅録を仲間と始めた、なんてエピソードもありますね。小室哲哉のDX7づかいも並べられよう。さらに、実際にドミューににの感想でそういうツイートも見かけたのだが、そもそもピアノという楽器が登場したときの「一人でなんでもできる(理念上、オーケストラで言えば10人分の仕事をひとりでできることになる。ダイナミクスの表現もそれまでの鍵盤楽器とは段違い。)」という感覚も、DAW上につくりだされる万能感になぞらえられうる。しかしそうした多様な技術の歴史の総合としてのDAWは、それらの総和以上のなにかを創作活動にあたえているようにも思える。(コンロン・ナンカロウを引き合いに出したのはそういうこと。)
 歴史に目を向けることでいま「新しさ」と言われているものがそれ自体「新しさを形容するためのクリシェー」でしかないのではないかという疑いが出てくる。それでもなお新しいとしたらなにが違うのかを検討する必要がある。また、とびつきやすい新しさを迂回して、複数の歴史を照らし合わせることによってこそ、おそらく見えてくるものがある。リスナーの歴史、プレイヤーの歴史、エンジニアの歴史、産業構造の歴史。
 昼、先日フリーランスになったライター&編集者(でいいのか?)の清家さんとお茶する。特に用事があったわけではないがせっかくの機会なのでいろいろ喋った。なんかおっさんが若者に苦労話というか説教をしているみたいになるタイミングが多々あり自分で自分の言動にダメージを受ける。よくねぇ! 清家さんの今度あるという某案件、楽しみ。
 夕方は某所で打ち合わせ。姫乃さんと話題になった某案件は実際に生きてた! マジか! しかも結構近々で動き出すとか。マジか〜(2度目)。本題はそこではなく、とある新しい企画の話。最初出したプロポーザルからかなり組み替えることになったが、まあスタートは切れそう? かも? マジでやるのか~。ちなみに連載です。
 その後、また三浦さんとご飯を食べた。途中からは網守将平さんもやってきた。三日間の滞在中、二晩を過ごしている…(一昨日も網守さん来てたので)。ふたりとも凄く尊敬するミュージシャンなのでうれしい。
 うれしすぎてバスに遅れそうになる。ぎり間に合いました。よかった…

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1.23

 8時起き。だが、宿に戻ったのが4時前とかだったんで、明らかに寝不足。昨晩は□□□の三浦さんちにお邪魔してお肉食べていたのだが、めちゃくちゃ三浦さんの料理が美味いのと、めちゃくちゃ人を呼ぶので、ものすごかった。
 うだうだし、シャワーを浴びて朝ご飯食べたあと、宿のラウンジに行ってドミューににのために長谷川白紙の過去インタビューを読み返し、曲を聴きなおす。どんなトークになるだろう? まったくわからない……。眠気がピークに達したのでベッドに戻り、寝る。
 夕方に起きて銭湯に行く。疲れはとにかく最小限にしたい。
 バスで渋谷PARCOに向かう。いろいろ言われてるが賑わってるのはいいのではないか…。ただWAVEは店員さん寒いでしょあれ。夏は暑そう。あんなん、タピオカスタンドのほうが過ごしやすいのでは? 地下のレコ屋(ユニオン)も広くはない。トークで司会を担当する姫乃たまさんからDMが届く。「緊張してます!」わたしもです…
 会場入りすると長谷川白紙がリハ中。とりあえず楽屋でおちつく。s.h.i.さんや有泉さん、姫乃さんがぞくぞくやってきて打ち合わせ。どうなるのか…? やはり不安(小心者なので)
 しかし本番トークパートはみなさん語りたいことがきちんとあってけっこうドライブしたと思う。姫乃さんの仕切りが完璧すぎてほんとにビビる。
 トークで言いたいことは実はさほど用意しておらずわりとその場で考えて喋った。なんなら用意したことは喋らなかった。長谷川白紙が耳慣れない和音を使うことについて「和声の機能」(ってまあ、機能和声ということだ)について話そうか、などとぼんやり思っていたが、まあそんな話をしなくても作家論、作品論に話がころがっていったのがよかった。
 自分に関しては、じっさい話した内容はわりとオーソドックスなものだと思っている。コラージュ、ブリコラージュ、音楽における構造と時間性、分業的スタジオワークから個人間のコラボレーションへ…とか、だいたい「あそこで読んだ、書いたもの」と取り出せる(と思う)。手札のなかから選んできたという感じ…
 諭吉さんのライブ、もうこれはあと5ミリで売れるだろ…という感じで、歌声のカリスマ性と楽曲の個性、さらにパフォーマンス中の本人のオーラも凄かった。ほんと、いちまいアルバムやEPの正式リリースがあったらもう爆発すると思う。続くtomadのDJはCorneliusからはじまってメロディアスなテクノ経由でガバに突っ込みまさかのサカナクションのネイティブダンサーのレイハラカミリミックスで締め。そこから始まった長谷川白紙、なんとネイティブダンサーを弾き語りしだしてライブが開始されたのがヤバかった。
 楽屋で姫乃さんと話してて衝撃の事実(死んでたと思ってた案件が進んでるらしい)が判明した。どうなるんだ?! あと姫乃さんと我が地元の意外なゆかりも…[姫乃さんが自動車免許をとった教習所は我が地元の教習所だという。Radiotalkの24回でも山形で免許とったって言ってるのを後日発見する]
 s.h.i.さんともいろいろ話したが、トーク見てくれた方ならわかるとおりの物腰でTwitterでの印象そのまま。Twitterでの異様な密度のライブレポをどうやって書いているのか、1枚のアルバムを繰り返し「聴き込む」ことの意義、など…… 伏見瞬さんのジム・オルークを1分ずつクロース/ディープリスニングしていくやつなんかもそうだが、徹底的な聴取それ自体が批評のアプローチになる、みたいなことはありうるよなぁ。ただそこにはプロダクトとしての批評に求められる明快な切り口や新たなフレーム、概念(また伏見さんを引き合いに出すと「分裂」とかね)が欠けるからむつかしいのかな。「知りすぎてる歌」はある種そういうアプローチかも。ラジオとかトーク向きか。
 つつがなく、いやむしろ大成功におわったドミューにに。白紙の次の動きに期待です…

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1.22

 6時新宿着。バスタ新宿ちかくのネカフェで寝る。といってもぐっすりではない……ずっとあいまいにまどろんでいた。5時間パックをほぼまるごと使って、シャワーも浴びて活動開始。11時前くらい。
 東京オペラシティアートギャラリーの白髪一雄展。ある程度クロノロジカルに画業を追っていく展示。やはり作品自体が良いので、見ごたえがある。とはいえ、二時間弱、いや一時間半くらい?で見た(最後の資料展示はかなり駆け足になってしまった)。足で描く、という特徴的な手法を一度度外視して画面に注目すると、白髪の絵画は画布、染みのような薄い絵の具(あるいはオイル)、もっぱら足の運動がつくりだすストローク、ストロークからはみでた余剰の絵の具、からなっている。そこにどうしても「ダイナミックな画家の身体の動き」を読み取ってしまいそうになるのをこらえると、むしろ画面の圧というか強度というかをつくりだしているのは、運動の痕跡としてのストロークよりも、むしろ運動の停止や余剰によってかたちづくられる絵の具溜まりやその表面の独特な乾燥の仕方であるように思える。むしろストロークはスキー板やスキージーでつくりだす広い面へと連続していくような面としての性格が強い場合が多いのではないか。などと思った。
 昼はTwitter経由の知り合いと会う。一度、渋谷でトーフとやった拙著の刊行記念イベントで挨拶したことがあるだけだが、まあまあ相互フォロー(旧アカでね)歴が長かったので、軽率にお昼ごはんをご一緒した。
 その後、いちど宿に荷物を預けてワタリウム美術館のフィリップ・パレーノ。オブジェが作品の垣根、空間の分節を超えて相互作用し、さらに会場外の気象条件などにも反応していく……が、それを「実感」するにはなにも起こらないかもしれない時間をぼんやり待つ必要もときには出てくる。光や音に気を配り、目の前にみえているものとは明らかに違うなにかとの連関を感じたときにようやく3つのフロア(とその外部)がつながってくる。別段「めちゃおもしれー」と思ったわけではないが、マジで「なにも起こらない」時間が発生する可能性に対する許容がないとこういうのできないのではと思う(でありつつ、「なにかが起こりうる」ようにするプログラミングの仕方もおそらく巧妙なのだろうが)。その点で巧みだなぁ…と。
 会場を出ようとしたら、大学院時代の指導教官に出くわす。大学院は修士課程と博士課程で所属した研究室が変わっていたり、そもそも自分が博士課程に入ってすぐ心身の調子を崩して最悪の状態でドロップアウトするなどのしっちゃかめっちゃかがあったので、結構ややこしい。いろいろと始末がついていないことが多い。未だにきちんと会えていないお世話になった先輩も多いし……。ちょっとだけ先生と近況について話す。なにかあったら連絡して、と名刺をいただいた。ありがとうございます…。
 宿のチェックインまで微妙に時間があったので、国立新美術館のDOMANI明日展へ。正直、うーん、あんまり感心する感じではないのだが、ただ佐藤雅晴と畠山直哉にぐっとくる。畠山直哉の震災後の作品についてはいつかきちんとまとめて見てなんか書きたいなとうっすら思っている。写真集評みたいになるか。ブログにはしないだろう。zineとか?
 いい時間なので宿へ向かう。初めて泊まるホステルだがきれいだし交通の便も良い。ラウンジで作業(っていうか主にこの日記)して、夜は人の家にお肉を食べにお邪魔する。

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1.21

1.21

 6時起き。やや寝不足。
 きょうはビリー・アイリッシュ来日公演の先行申し込みの日。Live Nationに登録しといた。どの席をとろうか迷う。アリーナSSで弾けたいが、そんないい席でスタンディングではしゃぐのはもっと若い人であってほしいという身勝手な思いもある。しかし価格帯としては一番高いんだよな。ジレンマっぽいな。
 遠出をすることが増えてきたので荷物のパッキングもいろいろと試行錯誤している。衣服は圧縮袋を活用しているが、空気抜くタイプじゃなくファスナーで圧縮するタイプの奴がきになる。あれいいんすかねえ。まあ手持ちの道具で事足りてるんだけど。あと洗顔料やシェービングジェル、化粧水をダイソーで売ってる容器に移し替えることを覚えた。旅行用の小さいパッケを予め買うよりも安い。良い。

 「若者の~」という世代論はその世代においてもいろんな差(たとえば経済格差とか、情報の格差とか、関心の差もある)があることを捨象する。単に情報のアップデートが追いついてない、にぶい、だけじゃなくて、そうした差をなかば意図的に忘却するために世代論が使われていないか。

 アルテスパブリッシングから出る『〈music is music〉lecture series ポップ・ミュージックを語る10の視点』、レクチャーシリーズ当時から気になっていたのが本になるのはうれしい。しかも2月22日には大和田さんと輪島さんのレクチャー&シークレットゲストによるミニライブがあるらしい。これ行きたいな~。2月かあ。
 結構な大舞台の(と個人的には思う)原稿を少しずつ進めている。場当たり的な気もするが、こつこつ……。
 SNSでちょくちょく拙著の感想をいただくが、読む人によって「ここが面白い」というポイントが本当に違う。まあ、「史」と言いながら個々のトピックは欲望のままにやりたいことをやったので、実は一貫性ってない。だからこそ読み手が反応する場所も違う……。これはある意味で「J-POP」と「リズム」というふたつの言葉それぞれがもつ曖昧さにそこそこ意図的にのっかったことに起因してもいる。
 夜、山形駅から深夜バスで東京へ向かう。

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1.20

 朝7時半起き。バスの予約確認メールが届く。前日にリマインダー的に来る奴。深夜バスってどっか行く前日に乗るものだから、思ってる予定よりも一日早く感じてしまう。というのを差し引いても、「え、もうそんな時期?!」と怯んだ。時間進むの早すぎんよ~。
 昨日の日記には書かなかったが、昨晩の関ジャムの年間ベスト特集で、長谷川白紙が蔦谷好位置さんとmabanuaさんから選ばれていた。ドミューにに、注目度上がりそうだな。どうしたらいいだろう。まあひとりしゃべりじゃないから有泉さんやs.h.i.さん、司会の姫乃さんに背中を預けてですね……。
 蔦谷さんとmabanuaさんのセレクトはTwitterにたむろする観測範囲内の音楽好きともそうかけ離れていない感じを受ける。一方いしわたりさんはやはり言葉の人だからか目の付け所が若干違う。
 ところで電算機(senotic)さんの記事以降、やはりここでも男女比は気になる。3人とも男性。ただ、みなさん批評家とかライターではなく、作詞家、プロデューサーという作り手側の人なので、ちょっと話はずれるかもしれない。といっても女性の作り手がここに入ってもなんら問題はないだろう。振付師の竹中夏海さんとかいてもいいかもな(喋りがおもろい人、というのでたまたま思い浮かんだ例です。アイドル寄りになるだろうか)。
 そもそもある種「喋れる人」みたいなのってメディア側がつくったり育てるもの(そのように虚飾を重ねて仕立て上げるという意味でなく、機会を継続的につくることで慣れていく、という意味で。自分も「育てられている」感はある)だから、あらかじめ喋れる、書ける人をあてにするのもよくない。
 アシスタントの弘中アナ以外、トーク側にも女性がいないのはビビる。しかしこちらはひな壇に女性を増やそうというよりは、そもそもひな壇、いるか? と思う。いかにもテレビ、みたいなガヤとワイプ要員だし……。ゲストと関ジャニ∞以外だれもいなくてもいいよ(ほんとは関ジャニ∞すらいなくても成り立つのがいい)。
 昼、温泉に行ってサウナ入る。一周目で最大にキマって、あとは流す……。ちなみにサウナはあんまり長く入らない、5分くらいでさっと出てしまう。
 帰ってきて仕事をする。やっぱり仕事をすすめるとうつが消えていく。重症化すると最初の「とりあえず作業する」ができなくなって詰むのだが、自分に余裕がまだあるうちに作業のルーティーンを整えて、そこに身体を慣らしたほうが良さそう。
 しかしだんだん微熱っぽくなってきて、だるさも出てきた。サウナの揺り戻しかとは思うが、風邪だとよくないので、水分とってちょっと寝る。ドミューににがありますからね……。
 ビリー・アイリッシュの来日決定はめでたい。が、最低でも9500円となると若い人は来れないのかもな。と思う。自分は「これくらいは妥当、出すよ」って思うけど、それとは別にね。どうなんだろうね。めっちゃ遠征しまくってる若い人もいるからわからんな。9500円、いまのビリー・アイリッシュのポジションからしたら当然(しかし、このビリーのいるポジションの凄さって、日本でどれくらい伝わってるんだろう。ユリイカのビリー・アイリッシュ特集に載ったtomadの文章を思い出す)。
 こういうライブに限らないが、会場に来れた人よりも来なかった人、来れなかった人ベースで考える。後者は単に興味がない、知らない、カネがない、ライブベニューにいい思い出がない(もう端的にトラウマ。性暴力とか)、体調が悪い、いろいろある。その人達がここに来れた世界があったらどんなものだったろう。などと思う。もちろんみんな来ることがベストとは限らない。来ないほうがマシと思う人もたくさんいるだろう。
 ナタリーに載った、SSWに聞いた2019年ベストソング。中村佳穂のOfficial髭男dism「Pretender」評が凄い。日本語は語順の代わりに”てにをは”などの助詞が語の役割を示すが、その日本語的なフレキシビリティとメロディの調和の妙を、すぱっと分析のなかに刻み込んでいる。関ジャムでるなら中村佳穂なのでは…?!

 MON/KUの新曲、ヤバいね。冒頭、スネアのパターンとウォーキングベース、ブラスが醸し出すジャジーな雰囲気を過度に具体化せず雰囲気のまま貫いて、いろんなサウンドと連結させていく。まるでモーフィングしていくように。s.h.i.さんが言うようにMON/KUさんの作風は長尺のアンビエントともダンスミュージックともつかない楽曲に展開していけそうな…… 逆に、この短さにしてこの密度(ただし要素が多いわけではない)というのも凄い。

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1.18-19

1月18日

 朝8時起き(2回くらい深夜に起きた、はず)。風邪は収まってきていると思う。寝たからね。温泉行こうかと思ったけど、くそ寒いのに外にでかけるのやだからやめた。おうちのおふろでよい。
 「人生損してる」って言う奴には「こちとら損得で人生やってねぇんだわ」って言う。
 ヒゲダンの新曲、イントロで出てくるスタッターにいなたさを覚える(スタッターがいなたい? いや、なんかこのプリミティヴさが……)。垢抜けきらない感じが憎めない、好き~。King Gnuは、まあ。
 結構体調が微妙でまた通院したほうがいいのか迷う。

 LAのデュオ、closegoodの新曲。ベースがぶんぶんなるなかでところどころコラージュ的なウワモノが漂い、パーカッションは加速したり減速したり。ヴォーカルの温度の低さも良い。

 ブルックリン拠点? のシンガーAudrey。ちょっと脱力系の発声にタイトなフロウの組み合わせが良い。ビートのフリーキーさが熱量を補って全体としてはかなりぶち上がり。HARVESTのブログでピックアップされてたり、i-dにインタビューが載ってたり。

1月19日

 朝8時起き。
 本の表紙が加水分解かなにかしてべとべとになる案件ごーくたまにありません? 洋書でなることがある(自分の経験では2例あり、どちらも洋書、アメリカで出版された本)。ポリウレタンコーティングみたいなのがあるのかな。こればかりは拭いても直らないんだよ。表紙のてざわりが気持ち悪くて、ソフトカバーだしもういっそのこと! とヒートガンで表紙取っちゃった。
 柴那典さんがMura Masa『R.Y.C.』についてnoteを書いていたが解釈になっとくいかず思わずツイートしてしまう。この作品が「政治的でない」というつもりは毛頭ないが、仮に政治性を読み取るとするならばもっと繊細な(こういうささくれだった空気感っていまの政治状況を反映してるよね~みたいなじゃなく)解釈が必要だろう。
 サウンドの面でもリリックの面でもノスタルジーを中心にすえた『R.Y.C.』は、むしろ逃避的や退行的のそしりを受けやすい作品のように思う。しかし、単調なのに意図せざる変化を被る生活/人生へのフラストレーション(deal wiv it!)もあれば、ノスタルジーがそもそも不可能なものへの憧憬であることを明かしてしまう残酷さもあったりするし、ノスタルジーには終わりがくることもほのめかす(teenage headache dreams)。
 きょう夜にQJWebで自分の新譜紹介記事が出るので直しをする。w-inds.の新曲を「K-POP的」と評するくだり、といってジャンルががらっと変わるような大胆な展開を得意とするKポは最近そこまで多くないのでどう表現するか迷う。かなりうんうん悩んで、公開バージョンになった。逃げっぽいか。

 BTSの新曲Black Swanの、エレガンスの極みと言いたくなるクオリティ。音数は少ないように感じられるが、意外と実際に鳴っている音のレイヤーはかなり厚くて、さらにボーカル同士の絡み合いもうっとりする。かつ、下品にならない高域の艶やかさ。これはハイレゾで聴いてもよさそう。素晴らしい。

 チェック漏らしていた昨年のKポをちょくちょく聴いてる。Mamamooのアルバム、良さげ。リード曲「HIP」のミニマルだが鳴りにラグジュアリーな味わいがあるこの感じ、BTSにも通じる、現行K-POPの魅力だと思う。ビートの魅力とヴォーカルの魅力がどっちも映える! アルバム全体としてはジャンルの幅も間口も広いと思う。ちゃんと聴こう~
 少し前、おなかさんというTwitterアカウントが、K-POP風をJ-POPがやろうとするとなぜかちょい前(というかかなり前)のKポっぽくなる現象についてつぶやいていて、それはほんとうに謎だ。

 そもそもRadiofishがPerfect Humanをやった時点で「なんで今さらFantastic Baby?」とツッコミがでた(夜電波の韓流最高会議で韓東賢さんらが言っていたと思う)のに、そこからもう4,5年とか経って未だに「一昔前のK-POP」が模倣される謎。
 なんとなく、昔の曲(2012年~2016年ごろ?)をミックスしなおしてbandcampにまとめて上げたいと思ってるんだけど、プロジェクトファイルを開くとサンプル差し替えたり曲の構成変えたりしたくなってぜんぜん進まない。でもやっぱ楽しいから、ちょくちょくやる。他人からどう思われてるかはわからないけれど、自分の曲けっこう好きなんだよね。確実に失敗はしてるんだけど、変な愛嬌があるような。親心?

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1.17

 朝7時起き。ご飯食べてまた寝る。疲労感が凄い。
 12時ごろ起きだす。これは……風邪のような気がする。おうどん食べて風邪薬飲んで、なるべく安静にする。メンタルがやられているタイミングで、あんまりセルフケアできていなかったのが響いたのだろう。頭痛、軽い発熱、倦怠感。インフルではない。いつもの風邪のパターン。
 原稿を一本送る。キムタク評。明日には載るだろう。
 ちょっとひと目につきやすい仕事が重なっているだけ(トークとかね)で、ライターとしては仕事量も下の下といったところだと思うのだが、そう見えない人には見えないもんなのねぇ。そういやこないだ長谷川白紙の載ったMUSICA見返したら記事のクレジットがだいたい有泉さんで、月刊誌の編集長ってこんな仕事量をこなしてるんだな~と思ったら、その100分の1とか1000分の1くらいの仕事量でメンタルおかしくしている自分は脆弱すぎる。そういう職業人としてはやはり尊敬に値する(当たり前である)。基本的には音楽雑誌に対する不信感ってすごいんだけど。今度ドミューににでご一緒するときにお話してみよう。
 本を読んでいて気づいたけれど、おそらく自分にとってモチベーションを維持するのに大事なのはインプットなんだな。他のひとがこれだけのことをしているなら自分もしないと、と思える。同じことやってる仲間を得る以上に、作品=仕事にこそインスパイアされる(この意味で音楽も文章も垣根はない)。もちろん情報共有できたり、あるいは率直な意見や愚痴を言い合えるような相手がいたらいいなって思うこともあるけれど。
 最近姫乃たまさんの日記やラジオを読み、聞いている。姫乃さんもドミューににでご一緒する。けっこう緊張する。
 不調の正体は風邪だ、と断定できたからか、なにかものすごい心の平穏が訪れている。体調は悪いのだが、きょうは夕方から仕事したい。現在午後3時。
 この日記、だいたい起きたときにEvernoteにノートを立ち上げて、気が向いた時間に書いている。Twitterがわりだ。昔、一時期Twitterをやめいた時期に同じことをやっていた。当時もEvernoteにはいろんなメモが残っていた。一部はブログの日記にしている。Twitterでは流れてきたトピックに対して自分がなにかを言わなければならないという強迫観念が起こってしまってしんどくなる。頼まれてもいないのに誰かの目を気にしているようでひどく居心地が悪くなった。ブログの日記やInstagramのストーリーはそういうのが少なくていい。

 NNAMDÏことNnamdi Ogbonnayaの新曲「Wasted」とてもいい。すかすかのビートにのる白昼夢のようなメロディとヴォーカルが後半で一気にエモーショナルに膨れ上がる。ビデオも素晴らしいのだがこれディレクターにSen Morimotoの名前が。Nnamdi OgbonnayaのやっているSooper RecordsからSen Morimotoが出していて、このあたりの(KAINAとかも含め)ミュージシャンのコミュニティは絶えず面白い動きをしているように思う。Sen Morimotoのミクスチャー感覚(ポストロック、ジャズ、ヒップホップ……)はそのままSooper Recrodsのレーベルカラーであり、Nnamdi Ogbonnayaの作風でもある(彼、もともとマスロックのバンドやってんですよね )。

 人間椅子、EUツアーとSXSW出演を前に、YouTubeで海外から注目されているという話をツイッターで見た。上掲動画のコメント欄を見ると、YouTubeからリコメンドされたので来た、なんてコメントがたくさん。海外でのライブを控えて注目度が高まったことでアルゴリズムにひっかかった、とかそんなあたりだろうか。英題や英語詞を載せているあたり、完全に海外展開を視野に入れたつくりになっていて、下地はあったのだろう。そもそもハードロックやヘヴィメタルはグローバルニッチ最大手みたいな印象があり、もともと海外でも一定層にはリーチしてたのではないかな。

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1月16日

 朝6時ごろ起床。だったと思う。書きだした段階(15時くらい)でなにも覚えていない。なにしてたんだろう。23日のためのバスや宿の段取りしたり、漫然とYouTube見たり。お金がない、という不安に押しつぶされそうになって仕事が手に付かない。それなら働かないといけないのだが、力量や心身の状況をかんがみて仕事をいくつか断っている。どうしたらいいんだろう。そうやって仕事を選んでいるわりに、お金にならない仕事ばっかりしている気がする。選り好みしないで書いたほうがたぶん力もつくのだろうが……。「なんかしっくりこない」みたいな理由でなんぼかのお金を捨ててるようなもの、という気もする。考え出すと止まらない。将来に不安しかない。

 お金がないのだから宿も東京の知人の家なんかに泊まらせてもらえばいい、のだが、やはり気兼ねしてしまう。ご家族がいたりするとね。むずいよ。来週の滞在では、はじめてつかうドミトリーを試してみることにした。大浴場がないことだけ気がかりだけれど、それは銭湯を探して使えばいいか。。。

 つくりなおしたSIMカードが届く。Huawei P30 Lite、あたらしいSIMカードをさしたら無事に使えた。一安心。カメラの性能がけっこう良く(少なくとも前まで使ってたnova liteよりずっといい)、仕事がはかどりそう。というのは、読んでる本をメモるときによくEvernoteでページを撮影してしまうから、カメラが調子よいと自ずとその効率も上がる、はずなのだ。

 もうひとつ、Paperangというサーマルプリンターを買ったのが届いた。これはスマホから使えるプリンターで、レシートとかと同じような感熱紙をつかう。インク不要。ちょっとしたメモの印刷にも使えるし、個人的にはこれを宛名の印刷に使おうと思っている。ためしに印刷してみると、まあまあ使える感じ。ちょっと工夫が要って、ロール紙の幅が58mmしかないので、見やすい大きさとレイアウトで住所を印刷するためには、用紙をタテにではなくヨコに使う必要がある。できるかな、と思ったらスマホアプリでかんたんにできた。領収書や請求書を送るときに手書きだといつも不安で、これならコピペでさらっと宛名が印刷できる。ラベルシールになってるロールもあるらしいからそれもゆくゆく試そう(現状、のりで封筒に貼りゃいいでしょ、と思っている)。

 ようやくGEZANの新曲を聴く。

 2020年にこれを出してくれる人らがいる。具体的なあれやこれやのイシューを想起させつつも、それでもなお個が大事なんだと(「東京」ではなく!)言い続けることのシリアスさに賭ける。社会と個の対比、社会から個への逃避ではなく、社会と個の相互貫入に思い切って突っ込んでいく音楽だと思う。

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チルしながらNo Hope Generationを歌い、聴く

Mura Masaの新作と「もはやチルってる場合じゃない」という時代の空気について|柴 那典|note

 ライターの柴那典さんがMura Masaの新譜『R.Y.C.』を評しているnote。これがまったくよくない。なぜかというと、同作のサウンドが表面上パンクロックやポストパンクを参照している部分があるからといって、安直にUKの不安定な政治情勢への抵抗だと断じているからだ。特に象徴的に取り上げられている「No Hope Generation」のフックを「チルっている場合じゃない」という空気感の象徴として語っているのはまったく的を外している。

みんな「希望のない世代」をやってる
Everybody do the no hope generation
この新しくてヒップな感覚が国じゅうまきこんだ流行になってる
The new, hip sensation craze sweeping the nation
火炎瓶と銃をくれよ
Gimme a bottle and a gun
そしたらどうなるか、見せてやる
And I'll show you how it's done
そんでよくよく見てみることだ
And if you look real close
全部冗談でしかないってわかるよ
You'll see it's all a joke
全部冗談なんだ
It's all a joke

https://genius.com/Mura-masa-no-hope-generation-lyrics

 ここに読み取れるのは「希望のない世代」として暴力に走ること自体が「新しくてヒップ」だとある意味冷やかすような目線だろう。火炎瓶と銃? いいね、でもそんなのだって全部冗談なんだ。

 「チルってる場合じゃない」なんて言うけれど、この曲の主人公がセカンドヴァースでまさに「チル」しているーーウィードを吸って、ぼんやりとLCDスクリーンを眺め、リラックスしているーーことはどう考えるのだろう?

スクリーンを見つめてる、くもりひとつない
Staring at the screen, so serene
おれのこころをグリーンに浸らせてくれ
Let me bathe my mind in green
めちゃくちゃリラックスしてる
I feel so relaxed, I feel relaxed

 たしかに「チルってる場合じゃない」のだが、同時に「チルするほかない」のだ、主人公は。この閉塞感を読み取ることなく安直に「火炎瓶と銃」に結びつけてしまうのは、「助けてほしい、助けてほしい(I need help, I need help)」という主人公の言葉を踏みにじるようなものだろう。

 『R.Y.C.』はとても好きな作品で繰り返し聴いているが、これは「政治的」というにはあまりにノスタルジックすぎるし、私的すぎる(ノスタルジーがこのアルバムの主要なテーマであることは本人も述べている。パンク/ポストパンクのサウンドもまたノスタルジーの対象だ。いわく、「ノスタルジーについてのアルバムをやってみたかったんだ、過去を振り返りながら前を向くためのね(I wanted to do an album about nostalgia – looking backwards to look forwards)」)。

 とはいえ懐古してそこに耽溺して済ませるほどこのアルバムは鈍感ではない(思い切ってヴィジョンを示してくれるものでもないのだが)。そこに「政治的」ポテンシャルを読み取ろうとする試みもあっていいし、おそらく正当な読みも可能だろう。しかしその前に、このアルバムに描かれた不安や焦燥やモラトリアムが湛える瑞々しさにこそ、「いま、ここ」(いや、舞台はイギリスなわけで、日本の田舎に住んでるワタシが言うのも妙なんすけど……)の苦境が反映されていることを注視したほうがよいのではないか。それは同時に、イギリスのユースカルチャーが常に描いてきたものでもあると思う…… Mura Masaのノスタルジーと反復はそれ自体ある種の反復なのではないか。良いか悪いかは別として。

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