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指パッチンの鳴らし方

親指と中指を弾いて鳴らす指パッチンというのがあるのはみんな知っている。知ってるけれど自分ではそれができない、という人もけっこういる。「口笛が吹けない」ほどではないにせよ誰もが誰もできるものともいい切れないくらいの割合。

自分は鳴らせるんだけれど、関心があってよく、「鳴らせない」という人にこう訊くことがある。「指パッチンってどこが鳴ってると思う?」。すると、「鳴らせない」人は結構な割合でちょっとずれた回答をする。たとえば、「親指と中指が擦れて音が鳴る」とか。

指パッチンって実際には、 中指の腹が親指の付け根に当たって「ぱっちん!」と音が鳴っている。親指はあくまで中指に勢いをつけるためのトリガーみたいなもので、手のひらと指の腹が音を出しているのだ。 鳴らせる人にとっては「なにをそんなわざわざ」と思うかもしれないけれど。

これを伝えると、「鳴らせない」という人でも、きれいに高く響くほどには鳴らなくとも、指パッチンとしては成立するくらいには鳴らせるようになる。あっという間に。

さらに、もうちょっと響かせたい、という場合には、手全体のフォームが問題になってくる。鳴らせる人でもいっぺん試してみるとわかるのだが、完全に手を開いて親指と中指だけで指パッチンしてもいい音にはならない。上手い人は薬指と小指の握り方とか人差し指の位置を直感的に調整することで、つまり手全体がつくりだす空間に音をうまく共鳴させることで、よりよく響かせている。

もちろん手のかたちとか肉付きによって音の通りやすさは変わってくるから、手全体のフォームについては各自が自分の手指を駆使して掴んでもらうしかない。

でも、「どうやって音が出るのか」と「出た音をより響かせている要因はなにか」を適切に把握しさえすれば、自ずと練習法もわかってくる(いや、別に指パッチンを練習したってどうにもならんのですが……)。

こうした最初の一歩に必要な知識というのはいろんな分野にある。定番過ぎる例かもしれないが、ヘレン・ケラーがサリバン先生に手話で「水」という言葉を覚えたエピソードなんか、つまり「世の中にあるいろんな物事には名前がついていて、それを言葉(ヘレン・ケラーの場合は手話ですが)で表現することができる」ということ自体を学べば、あとは学びの道は自ずと開ける。という話だ。

教え方が上手い人というのは、こうした「できない人が最初にひっかかるポイント」への鋭い感覚と、「ひっかかりをほどく一言」をつむぎだすスキル、両方を持っている人、ということなんだろうなと思う。さらに踏み込むと、ある人の「できなさ」に対する観察眼――なぜなら、「たいていの人はこうつまづく」に還元できない自分だけの固有の壁が誰にでもあるから――も必要になるだろう。

一方で、学ぶ側からしてみれば、ひっかかりがするすると解けていった最初の一言なんてものはどっか遠くに行ってしまうものかもしれない。言葉によるアドバイスという補助輪をつけて感覚を掴んでしまえば、あとは学びのプロセスは身体化される。身体は言葉よりもずっとずっと遠くへと行ってしまう。

この「コツの言語化=意識化」と「身体化による忘却」との往還を常にできる人というのが理想なのかもなと思う。往還でなくとも、あるいは並走でもいいのだけれど。自分がそうできるものかどうか。いや別に人にものを教える仕事なんかしてないけどね。

Published in Japanese