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J-POPにおける「譜割り」の問題、補遺+寄稿まとめ

 まず、なんぼか寄稿が溜まっていたので報告。『アニエラフェスタ』などに見る、脱・都市化したアニメシーン – コラム : CINRA.NETは長野県のアニソンフェス「アニエラフェスタ」のPR記事ですが、アニメ文化の地方への拡散という話をしました。ぬるヲタなので恐縮ですが……。韓国大衆歌謡からBTSまで……K-POPの誕生と発展にJ-POPが与えた影響 – Real Sound|リアルサウンドは金成玟『K-POP 新感覚のメディア』(岩波新書)の書評。音楽性に関する考察にはちょっと僕の持論も加えています。この本はコンパクトな新書ながら、K-POPをめぐって論じうる主要なテーマはざっとカバーしていて、そのうえ「ポップカルチャー」というものの本質に迫る議論を展開していて胸熱。フェミニズムやキャンドルデモとK-POPの関係に言及されていたり、「音楽と政治」を論じるにあたっても参考になるかと。戦後の日韓間における文化交流をまとめた、著者の過去の研究書(『戦後韓国と日本文化――「倭色」禁止から「韓流」まで』岩波現代全書、2014年)も読んでみたいと思います。

K-POP 新感覚のメディア (岩波新書)

K-POP 新感覚のメディア (岩波新書)

戦後韓国と日本文化――「倭色」禁止から「韓流」まで (岩波現代全書)

戦後韓国と日本文化――「倭色」禁止から「韓流」まで (岩波現代全書)

J-POPにおける「譜割り」の問題、補遺(1)「点描的」な譜割り

realsound.jp

 本日(8月19日)公開、RealSoundにこちらの記事を寄稿。最近J-POPを聴くときは、なんだか譜割りが気になってしょうがなかったんですよね。特にそれを自覚したのは、宇多田ヒカル『初恋』を聴いたり、三浦大知『球体』のレビューをFNMNLに寄稿したりしてからだろうか。そういうわけで、「譜割り目線」で聴いて面白かった例をぎゅっと紹介する記事を書かせていただきました。ちなみに、上掲の記事では譜割りとフロウってざっくり使い分けてるんですが、譜割り=あらかじめ譜面化された分節、フロウ=譜面には記述しきれない訛り・ゆらぎ、程度の意味です。

 三浦大知w-inds.宇多田ヒカル小袋成彬cero、KID FRESINO、DCPRGイヤホンズ、とこれでもかと詰め込んじゃって、散漫に思われるかもしれませんが… でも、EDM以降のポップス(三浦・w-inds.)、最新R&B(宇多田・小袋)、ポリリズムcero、KID FRESINO、DCPRG)、広義のアイドルポップス(イヤホンズ)、と要点を抑えたつもりです。

 それでもなお漏らしてしまった! と思っているのが、「点描的」とでも言うべき譜割りへのアプローチです。特定のジャンルに当てはまるものではないのでまとめづらかったってのもあるんですが。たとえばCorneliusの「あなたがいるなら」。

 単語を音節単位まで分解して、言葉として、メロディとしての輪郭がおぼろげになるくらいの間隔をあけながら配置する。このアプローチ自体はEDM以降のポップスとしてまとめた動向と近いかもしれませんが、極度にゆったりしたBPMR&B的なフロウ感覚を呼び起こすし、各楽器と結ぶ関係性のありかたとしてはceroなんかに近い。かつ、この譜割りに至るまでのCorneliusの道筋を考えると、三浦康嗣の仕事にも通じる、DAW以降のリズム上の実験やサンプリング/エディット感覚とも地続き、ということも言える。いま思えば、これが出た当時僕が書いたレビューでも譜割りのあり方に言及してて(Corneliusの新曲、“あなたがいるなら”は現時点で彼の最高傑作だと思う – ただの風邪。)、これがいまの聴き方の原点だったのかも。

 じゃあ、類例はあるのか? というと、ちょうどまさしく出たんですよ、「点描的」譜割りの名作が…… 話題のビートメイカー・Sweet Williamsと青葉市子のコラボレーション作、「からかひ」です。

 青葉市子さんにあんまりこういう印象なかったんですが、端正でメロウなビートにきれぎれの歌声がのることで、リズムへのアプローチから見ても興味深い「点描的」なヴォーカルになってると思います。これは今年ベスト級。

J-POPにおける「譜割り」の問題、補遺(2)宇多田ヒカル「誓い」ブリッジ部の譜割り

 これ、記事では「四分三連の4拍子のうえに8ビートのリズムで言葉を乗せる「誓い」」ってあっさり書いたんですが、わけわかんないかもしれないですね。具体的に言うと「たまに堪えられなくなる涙に/これと言って深い意味はない~」という特定の箇所のことです。なんか変な譜割りだけど聴いてるだけじゃいまいち構造がわからなくて、DAWで調べてみました。

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 基本の譜割りはこれです。12/8(=四分三連の4拍子)でとってます。わかりやすい部分を例にとりますが、冒頭に1拍ぶん休符をとって、「こ・れ・と・い・っ・て」が2拍にぴったり6音節として収まります。その次の3拍は、本来9音節ならばきっちり収まるところを、「ふ・か・い・い・み・は・な・い」の8音節を均等に割り振っています。これがすなわち、「四分三連のうえに8ビート」です。特定の部分だけなんとなく8ビートっぽく割ってる(=フロウ)ではなくて、実際に上でこのパターンを鳴らすとわかりますが、「たまに堪えられなくなる涙に~選択肢なんてもうとっくにない」の部分に関しては、あきらかに意図的に8ビートに割る譜割りを使ってます。異なるグリッドが併走してる状態になってるわけですね。ピアノの伴奏がモタってるように感じられるし、ドラムの打ち方もちょっと変わってるので、ちゃんと分析すると実はなんらかのクロスリズムになってるのかもしれません。

 っていうか、なんでこれがあんなにきっちり歌えんの? 8ビートのうえにアクセントとして三連の譜割りをのせるのって結構ありますけど、逆ってあんまり聴いたことなくてびっくりしました。ご存知の方は類例あったら教えてください。

J-POPにおける「譜割り」の問題、補遺(3)なぜ譜割りが問題か

 最後に、ちょっとややこしい話になるんですが、譜割りを問題化するのはなぜか、ということについて。

 歌詞について批評するときに、韻について言及されることって多いですよね。特に、日本語ラップの普及、もっと言えば「フリースタイルダンジョン」以降、「こことここが踏まれてて凄い」みたいな聴き方ってかなり一般的になったと思います。一方で、譜割りであるとかフロウとかっていうのは、わりと漠然と語られがちな印象があった。韻はどうしてもその性質上、構造的=無時間的に考えざるをえないところがある。にもかかわらず韻を時間の経過のなかで受け取る、というプロセス自体面白いなと思うんですが、ならその前に、時間と言葉の関係を考えるにあたって、時間を言葉によって文節する、譜割りやフロウの力についても注目しないと片手落ちだ、と感じました。

 加えて、Jazz the New Chapterが取り上げたようなジャズにおけるリズムの実験とか、あるいはceroみたいなアフロ/ラテンの折衷的なポリリズムとか、ここのところの音楽で注目すべきはリズムだよな、という思いもあった。あるいはトラップにせよ、レゲトンにせよ、アフロビーツ/アフロスウィングにせよ、ポップ・ミュージック全般のリズム構造も変わってきてるし、するといきおい歌にも影響が出てくる。それに焦点をあてるなら、(フロウもいいけど)譜割りもね、という発想です。

 まあ、これについてはまたなんか書くかもしれません。

Published in Japanese